第22話回復するジュリエットの評判


「足を踏んだのはいい。それより君は‥君は一体誰なんだ?」

「えっ、あの‥あた、わたくしはジュリエット・クレイですわ。クレイ公爵家の・・」


「もう嘘をつくな。ジュリエットは弓なんか射れないし、ダンスもこんなに下手じゃない。どういう事なんだ。魔術か何かで顔を作ったのか? 何が目的だ」


「ええと・・困ったな。魔術ではなくて本物のジュリエットには間違いないのよ、体はね。でも中身が本物じゃない」

「なんだと! 中身だって? 適当な事を言って逃れようとしてもそうはいかないぞ。貴様、ジュリエットに何をした?」


 ライオネルのこんなに怖い顔を見たのは初めてだ。殺気に近いものを感じたあたしは慌てて言った。


「落ち着いて! あたしは何もしてないわ! 話には順序ってものがあるのよ。まずあたしはこの世界の人間じゃない。ジュリエットはあたしの世界のあたしの体の中にいるのよ!」


 ライオネルはジュリエットの事になるとすぐ取り乱すんだから! 落ち着いてって言うのも2回目じゃない。


 さて、この難解な事実を説明するのには骨が折れた。でもあたしの世界ほど化学や文明が発達していないせいか、迷信的な事は意外とすんなり受け入れられた。初めは疑わしい表情だったライオネルも最後には態度が軟化した。


「でね、あたしの本当の名前は『キシダ ワカ』って言うのよ。漢字で書くとこうなの」

「カンジとはなんだ?」


 あたしは地面に棒で自分の名前を書いて見せた。


「表記文字ね。個別に意味もあるんだよ。ひらがなで書くとこうでさ・・ひらがなは漢字から生み出されたの」

「これは‥見た事もない文字だ」


「これだけで信じてくれって言っても無理かもしれないけど、今はこれが精一杯かな。それと乗馬の時は本物のジュリエットだったよ」


 あたしがいつからジュリエットと入れ替わっていたか、1日だけジュリエットが帰って来たこと、原因は分からないけど、あたしの世界の友達とジュリエットが元に戻れる方法を探している事などを話した。


 話していないのはこの世界が小説の中だという事だけ・・。この後ライオネルはずっとあたしの世界の話をせがんだ。200人以上を乗せて空を飛ぶ飛行機の話、自動車や高層ビル。スマホからパソコンまで思いつく限りの現代文明をあたしは披露した。


「これが全て作り話なら、お前は相当なほら吹きだよ」あたしの話に圧倒されながら、別れ際にライオネルは言った。



 翌日、アカデミーに行くと思いがけない変化があたしを待っていた。


「ジュリエット様、家宝のネックレスを取り戻してくださり本当にありがとうございました」


 まずロザリンがあたしに礼を言いに来た。


「ジュリエット様はとても勇気がおありなんですわ」「私達のために泥棒を捕まえてくださったんです」

「その場で見てましたわ! 泥棒に弓を向けて、凛としたお姿が最高に素敵でしたの」


 それを皮切りに沢山の生徒からお礼や、泥棒を捕まえた事に対する称賛の言葉を投げかけられた。ロザリン達に引き離されていたミナもまたあたしと一緒に行動するようになった。


 一日の授業が終わり、帰る頃になるとリンがあたしを訪ねて来たとミナが教えてくれた。


「ジュリエット様、あの侍女の事でお話があるんですけど」


 ああ、マギーの事ね。何かあったのかしら‥。


「侍女の事ね。そうだ! これから彼女の家に様子を見に行かない? 3人で。小さい弟がとっても可愛いのよ」

「はい! ぜひご一緒させてください」


「あ、それからジュリエットって言うのはやめにしない? あた‥わたくしもリンさんって呼ぶから。お互いに『さん』付けでいいんじゃないかしら」


 リンは笑顔で頷いた。そうやって笑う姿は本当に可愛い女性よね。ひまわりみたい。男の人ってやっぱりみんなこういう人が好きなのかな。藤本先輩もリンみたいな可愛い子が‥。そう考えると胸が締め付けられそうになる。ジュリエットは努力して立派な妃候補になったけどゴードンはリンを選んだ。あたしもどう頑張った所でリンみたいに可愛くはなれないから・・。


 いやいや今は考えるのはよそう。今はこっちの世界に集中しなくちゃ。



 リンの迎えの馬車にはマギーが乗り込んでいた。初めて会った時と同一人物には思えない程、身綺麗ですっかり侍女らしくなっていた。あたしを見ると目を輝かせて喜んだ。


「ジュリエット様、先日は本当にありがとうございました。わたし、今一生懸命に侍女教育を受けてます。リン様のお家でもとても良くして貰ってるんですよ!」


 リンの『侍女の話』というのはあたしを呼ぶ口実で、マギーが一度あたしに会ってお礼を言いたかったらしい。



 マギーの家に着くと驚いたことに先客がいた。


「ドクターブロナー、来ていらしたんですか!」

「ああ、これはクレイ公爵令嬢。ちょっと近辺まで用事があったものですから足を延ばしてみたのですよ。こちらの令嬢は?」


「リンさんよ。王太子殿下の婚約者の」

「初めまして、リン・パラディと申します」


「ああ、皇太子殿下の。この度はご婚約おめでとうございます」


 ドクターブロナーは好奇の目でリンを見てから同じ目であたしを見た。そうよね、王宮で働く人だ、スキャンダルは嫌でも耳にしてるはず。王太子の婚約者と有力視されていた令嬢が現婚約者を連れてこんな所に現れたんだもの。


 その横でオットー夫妻が目を白黒させていた。王太子殿下の婚約者ということは次期王妃だ。自分の娘がそんな人物の侍女になり、その本人と王宮の医者、それに公爵令嬢までが一堂に会しているんだから。


「ベスの具合はかなり良くなりましたよ。後は栄養のあるものを沢山食べればすぐ元気になるはずです」


 それからドクターブロナーはジョンの腕も見せて欲しいと言った。金貨3枚の治療費で傷がどの程度回復したか疑問に思ったのだろう。


「なるほど、これはいい医者に当たったようです。処置が悪く傷口が壊死して腕全体に広がり、挙句には命を落とす者も多いですから」


 万が一、また腕が痛むようなことがあれば自分を頼って欲しいと医者は言った。王宮に努める医師が平民にそんな事を言うなんて・・確かにこの人は先進的で博愛に満ちた人なんだわ。


 帰りの馬車の中であたしは医薬品がなぜそんなに高価なのかドクターに質問してみた。


「それは薬草の栽培地域が首都から離れた場所にしかないのが主な原因ですね」


 この国は国のど真ん中に首都がある。年々首都の人口が増えて農地だった所が住宅地に変わり今では首都で薬草を栽培している土地はない。薬草はそれぞれ栽培に適した東西南北の地域から馬車で輸送されてくるのだが、結果遠くから輸送してくるためにコストがかかるそうなのだ。


「最近は薬草を輸送する馬車を狙う盗賊も増えているそうです。高く売れる事に目を付けたんでしょうね。貧富の差が広がったり失業者が増えると犯罪数も激増します」


「首都にどこか広い土地はないのかしら? そこに薬草園を作って職の無い人達を雇用すれば失業者問題も少しは解決しそうなのに。で、そこの管理も貴族じゃなくて平民を指名して・・」


「それはいい考えですね、公爵令嬢」

「公爵令嬢はやめてジュリエットにして欲しいわ。でもこんな事誰でも考え付きそうだけど」


「考え付いても実行しようとは思わないのですよ。こういった事案を実行できそうなポストについているのは高位貴族。彼らはお金に不自由してませんから薬が高くとも平気なんです」


「でもリンさんなら‥王太子を動かせるわね!」

「貴族だけでなくこの国全体が豊かになる手助けが出来るなら、私はゴードン様を説得してみせます!」


「よく言った! じゃなくて言いましたね! あとは土地があればいいんだけど」

「私が子供の頃、貧民街から少し東にある大きな荒れ地でよく遊びました」


 これはマギー。マギーも真剣にあたし達の話を聞いていた。


「ああ、そこら辺は貧民街の近くなので高級住宅街には不向きだと放置されていますね」

「そこを開拓すればいいんじゃない?」


「貧民街もそうですが、あの辺りは首都でも北の方で寒いんです。暖かい場所でしか育たない種類の薬草は無理ですね」


「そういう種類の薬草はハウス栽培すればいいのよ!」

「それは何でしょう?」


「えーと薬草の家って言ったら分かりやすいかしら。ガラス張りの温室なら寒さが苦手でも大丈夫でしょ?」


「なるほど。温室で栽培するのででハウス栽培ですか。それにしても公‥ジュリエット様の発想はこの世界の人間とは思えないですね!」


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