第23話ジュリエット、ぼろを出す


 藤本先輩とオーディションに使われる箇所の読み合わせを終えたあと、わたくしと藤本先輩はカフェでお茶をしていた。


「よし、小腹も満たされた事だし帰ろうか?」


 カフェを出る頃にはもうすっかり夕闇が迫って来ていた。駅に向かう途中にある神社の前を通りかかると、祭りばやしと賑わいの声が聞こえて来た。


「夏祭りか~最近は行ってないなあ」

「とても賑わってますね」


 わたくしは羨望の眼差しで祭り会場の神社を眺めた。自分の世界でも、お祭りに参加したことがあるのはほんの子供の頃だけだ。わたくしが見た和華の記憶の中にはお祭りの場面が無かったけれど、全ての記憶を網羅した訳ではないのだから、そのうち見られるかもしれない。でも実際に体験出来たらどんなに楽しいかしら・・。


 物思いにふけっているわたくしに藤本先輩が言った。


「そういえば中学の頃に、石原さんと俺と岸田さんの3人でお祭りに来たことがあったね。石原さんだけ浴衣姿で、岸田さんが羨ましがってたよね。自分も浴衣を着てくれば良かったって」


「そうでしたね、とても楽しかったです。また3人で行けたらいいのに」


 わたくしは笑顔で藤本先輩を見上げた。先輩も笑っているものと思っていたのに、彼は真顔でじっとわたくしを見下ろしていた。


「岸田さん、まだ時間ある? ちょっと付き合ってもらえない?」


 先輩はそう言うと駅前ビルの中にあるカラオケ店に入って行った。こんな所に入るのは初めてだわ。ここは何をする場所なのかしら・・。


「岸田さんから好きなの入れていいよ」


 個室に入り、ニコリともせずに開口一番、先輩は言った。あの優しい藤本先輩はどこへ行ったの? 


「えっと・・」


 部屋には大きなモニターと機械が設置されている。テーブルにも小型の機器があるし、分厚い本が何冊かある。どうしよう、何をどうしたらいいのかしら。懸命に和華の記憶を探るが、咄嗟には何も蘇ってこない。焦るわたくしをしり目に、先輩は低い声で言った。


「ねえ、岸田さん。君は和華ちゃんじゃないね?」

「えっ」


 ど、どうして分かったのかしら? 家族だって気づかなかったのに。わたくしは知らず知らず、何か大きな失敗をしてしまったのかしら。


「わ、わたしは和華よ。先輩こそどうしたのですか? そんな怖い顔をされて」

「見た目は間違いなく岸田さんだと思う。俺も何度も自分の気のせいだと思ったけど・・」


 向かい側のソファに座った先輩はわたくしを真っすぐに見ている。


「甘い物・・あれもおかしいと思った事のひとつだし、さっきのお祭りの話ね、浴衣を着て来たのは石原さんじゃなくて和華ちゃん、君だよ」


 勘違いしていた。そう言ってももう藤本先輩は納得しないだろうとわたくしは腹をくくった。でも本当の事を話した所で先輩は信じてくれるのだろうか?


「色々考えたんだ。君とそっくりな人が君の振りをしてるとか、岸田さんの顔に似せて整形手術した人なんだろうか、とか・・でもそんな陰謀めいた事をする理由が俺には分からない。だから岸田さんは多重人格で今の君はその内の一人なんじゃないかと考えたんだ。どう? 俺の考えは間違ってる?」


 とりあえず今はそうだと言うべき? でもこの嘘もバレてしまったら次に本当の事を言っても信じて貰えないかもしれない。 


「どれも外れですわ」


 わたくしは意を決して本当の事を話した。異世界からやって来たらしい事、向こうのわたくしの中には和華が居る事・・。でもわたくしが話せる事はわずかで、現状ではわたくしも和華も分からない事だらけなのだ。


 藤本先輩は最後まで真剣に話を聞いてくれた。今はなんと答えようか考えているようだ。


「わたくしが一度向こうに戻れたのですから、きっと和華も戻ってくるはずです」

「ううん・・これだけだと君が異世界から来たという証拠は何も無いね。君の世界の話はとてもリアルだけれど・・」


 ああ、だめだわ。やはり信じてもらえない。藤本先輩はスマホを取り出して何かを打ち始めた。


「プロボストだっけ‥あ、これは」


 藤本先輩はプロボスト王国を検索した画面をわたくしに見せた。何件かヒットした結果が出ていた。でもそれはわたくしには信じがたい物だった。


「これって・・」

「プロボスト王国っていうのは小説の中に出てくる国みたいだね。リン・パラディという女性が主人公らしい。君はこれを読んで感化されたんじゃないんだろうか?」


「そんな・・わたくしはジュリエットじゃなく和華の人格の内の一人で、読んだ小説の登場人物だと思い込んでいたというのですか?」


「こういう小説があるのは事実だね・・」

「わたくし、これから本屋に行ってその小説を買いますわ。それを読んでみてから考えてみます」


 藤本先輩もその小説を買って読んでみると言い出した。カラオケ店をすぐ出て本屋に向かったわたくしたちは、その『月の女神に愛された少女』という本を2冊購入してそれぞれ帰宅した。


  

 帰宅したわたくしはまず和華の家にこの本がないか探して見たが、見当たらなかった。やっぱり和華はこの本を読んでいないのだわ。だからわたくしも和華の人格の内の一人ではないのよ!


 そして自室で恐る恐る本のページを開いた・・。




_________





 岸田さんと別れたあと、俺はすぐ自宅に戻り本を読み始めた。


 『月の女神に愛された少女』というこの本の主人公はリン・パラディだ。だから悪役令嬢のジュリエットが出てくる場面は限られていた。しかも物語の途中でジュリエットは投獄されてしまうから、そこからはほぼ出番はない。


 貧しい下級貴族のリンが家族の奮闘のお陰でアカデミーに入学。そこで王国の王太子と出会い恋に落ちる。アカデミーではリンを妬んだジュリエットの命令で、ジュリエットの取り巻き達がリンを執拗にいじめるが、持ち前の明るさでいじめをものともせずに王太子との愛を育み成就させる。


「ジュリエットは獄中で死んでしまうのか・・」


 女性が好みそうな恋愛小説ではあるから、岸田さんが感化されたのも分かる気がする。岸田さんが話していた内容と世界観も合致している。


 だがなぜジュリエットなんだろう? プライドが高く、美人だが冷たい女性として描かれている。こういう人になりたいと思う女性は少ないのではないだろうか。普通は主人公のリンのように王太子に愛されたいとか思うんじゃないのか?


 確かに獄中でのジュリエットの独白は同情を誘うものがあるが、それにしても・・。


 もうひとつ気になるのは、向こうの世界に1日だけ戻った時にジュリエットの体に岸田さんとジュリエットの両方の人格が同居していたという話だ。


 多重人格者の人格が同時に現れるという事はあり得るのだろうか? 大きなストレスがかかったり、幼少期に虐待されていたりすると多重人格になると聞いた事があるが、岸田さんの幼少期にそういった事があったとは思えない。


 岸田さんもこの本を全部読み終えただろうか? ジュリエットだと信じている自分が獄中で死んでしまうと知ったらどう思うんだろう・・。



 

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