第3話 西の魔女

最後に、どこかに落ちていく感覚があったことを覚えている。

「ん、あれ?ここは」

 目を開けると、知らない部屋にいた。見たこともないような、不思議な物で溢れた部屋。用途も不明なそれらをぼーっと眺めていると、扉からノック音がした。ゆっくり開いた扉から、人が入ってくる。顔を黒いベールで覆ったその人は、男の人か女の人か判別がつかない。

「おや、起きていたかい。おはよう、少年。気分はどうだい?」

 高い位置から降る声色は、高くも低くもない。手に持ったお盆をそばの机に置き、椅子に座る。お盆に乗った器からは、美味しそうな香りがした。琥珀色のスープに、白い麺が浮かんでいる。

「お腹が空いているだろうと思ってね。なにせ、三日は寝ていたよ、キミ」

「三日も⁉︎っ、アタタタタ」

 突然の痛みに、腹を抑える。よく見ると、包帯が巻かれていた。カミサマが治したはずの、傷があるところ。

「大声を出すと傷に響くぞ。その傷、誰かが適当に治した様子だったからな。弾を除くのに、一度切り直させてもらったよ。全く、どこのヤブ医者に診せたんだい?」

「なんだって?」

 カミサマは、俺を助けてあげると言った。傷を治してあげる・・・・・・・・とは言っていない・・・・・・・・。あの場で少なくとも、命は落とさないようにしただけだったんだ。

「ふむ。その様子だと、詐欺にでもあったようだね。話を聞かせてくれるかい?これを食べながらでいいから」

 差し出されたお盆を受け取って。食べながら、ここまでの話をする。運命の塔のこと、──のこと、逃げ出したこと。

「カミサマ、か。随分碌でもないものに手を出したね、キミのいた世界は」

 話終わる頃には、器は空になった。思ったよりお腹が空いていたらしい。暖かいスープを飲んだからか、気分が落ち着いている。

「大体の事情は分かった。その上で、話をしよう。まずは、名を名乗らなくてはね。ワタシはマーリン。人はワタシのことを、西の魔女と呼ぶ。魔女と言っても、男でも女でもないがね。好きに呼んでおくれ」

「マーリンって。おとぎ話に出てくる、魔法使いの?」

 ──と一緒に読んだ本にも乗っていた、偉大な魔法使いの名前。

「ああ、マーリンという魔女は、四人いてね。キミが知っているマーリンが、ワタシとは限らないよ。まぁ、おおかた碌でもない話になっているだろうがね。それより、キミの名前はなんだい?」

「俺はジャック。助けてくれてありがとう、マーリン。その、なんで俺はここに?」

 最後の記憶は、どこかに吸い込まれるような感覚があったことだけだ。カミサマが使おうとした鍵を、無理やり開けて。気がついたらここにいた。

「まずは、そこからだね。キミの世界でどう伝わっているか分からないが、ワタシは多次元を覗き見ることができる。千里眼、とでも言えば良いか」

 千里眼。聞いたことはある。あるけど、実際にそれを持っている人に会ったのは初めてだ。

「先程マーリンは四人いると言っただろう?我々はこの力を駆使して、世界を監視しているんだ。ワタシが西の魔女と呼ばれるのは、この星の西部分を管理しているからさ」

 マーリンによると、俺たちが暮らしていた場所は、星の上に無数に存在する世界の内の一つなのだという。俺たちがいた場所以外にも、似たような場所がたくさんあって。互いがひっついたり離れたりしないよう、見守っているのだという。

「ところが、数日前。突然、世界が一つ消えたんだ。調査にあたったところ、どうやら何者かが世界を食べてしまったようでね。もっと深く調べていこうと思った矢先、時空の狭間で迷子になっているキミを見つけたわけだ。見つけた時は驚いたよ。なにせ普通の人間なら、形を保っていられない場所だからね」

 人は、世界という観測者に紐づけられて、存在を定義されている。時空の狭間に放り出されると、その定義を失ってしまい、形をたもっていられないのだという。

「じゃあ、なんで俺は平気だったんだ?」

「おそらくだが。キミは、キミという概念そのものに鍵をかけている。いわば頑丈な金庫の中に仕舞われた、機密書類のようにね。そのおかげで、時空の狭間であっても、定義を失わなかったんだろう。運がよかったね」

 そんなことをした覚えはないが、そうでもないと説明がつかないらしい。

「キミの証言と合わせると、消えたのは元々キミがいた世界の可能性が高い。というか、十中八九そうだろう。タイミングが合いすぎているからね」

 薄々気がついてはいたが、やはりそうなのか。不思議と、悲しいとは思わなかった。あの世界は──よりもカミサマを選んだ。滅んでも仕方がない。

「キミの世界でカミサマと呼ばれていたものは、実際には神とは違うものだ。いや、似たものではあるのだが。神にはなりきれなかった劣等生。そう思ってくれていい」

「劣等生?カミサマに優劣があるのか?」

「あるとも。そも、神というのは定義が二つある。その世界に元々存在していて、神という名前がつけられただけのもの。その世界よりも、より上位の世界から訪れたもの。キミの世界に現れたのは、後者のうちの一柱だ」

 世界には、その立ち位置によって優劣がある。今いる世界よりも、より上へ上へ登っていくことを目指す者たち。あのカミサマは、そういう個体の一つなんだ。

「おおかた、元いた自分の世界で落ちぶれたのだろうよ。より広い場所へ行くために、自分の居場所を得るために。キミの世界を踏み台にしたとみえる」

「カミサマが──を欲しがったのは?」

「自分のために用意された器だったからさ。自分を一番に崇拝した者たちからの贄だ、これほどのごちそうもない。まぁ、まともな神であれば、こんなもの見向きもしないけれど。アリに祈りを捧げられても、叶えてやろうと思わないだろう?そのくらい、思考の次元が違う存在なんだ」

 まともな神は、そもそも俺たちの祈りなんて聞いちゃいない。そんなものに興味はない。だけれど、もし。俺たちの声が届いたとしたら。その神は、本当に神の姿をしているだろうか。

「それに。形のない者たちにとって、形ある器というのは存外使い勝手がいいんだ。信仰を集めるには、偶像崇拝が手っ取り早いからね。形あるものに縋りたくなるのが人というものさ。まぁ、話を聞く限りその贄の少女は、随分抵抗したようだけれど」

 ──は、カミサマの声に耐えていた。耐えられるだけの力があった。けれど、それを台無しにしてしまったのは。俺が、俺が弱かったからだ。

「マーリン。──をカミサマから取り戻す方法って、あるの?」

 先程まで流暢に話していた魔女の口が止まった。ベールの向こうは見えないけれど、言うのを躊躇っているような。

「ない、とは言わない。けれど、実現性があるかと言われると否だ。不可能に近い。それでも聞くかい?」

「ああ。俺は、俺には──をカミサマにしてしまった責任があるから」

 あの時、俺が弱くなかったら。──を連れて、あの場所から逃げ出せた。あの日カミサマになってしまった君に、出来ることがあるのなら。どんな試練だって乗り越えてみせる。

 マーリンはそれでも迷った様子だったが、やがて口を開いた。

「重要なことは二つある。一つは、カミサマを殺すこと。二つ目は、彼女の名前だ。キミ、気づいてるかい?先程から発しているその子の名前、ワタシには聞き取れないことに」

「え?」

 ──の名前を呼んでみる。ちゃんと、名前として聞こえるし、喋っているつもりだ。

「その名前、推測するにキミが彼女にあげたものではないかい?」

「ああ、最初に出会った時に」

 運命の塔で出会ったあの日。名前がないと悲しい顔をした──のために、俺が名前をあげたんだ。

「やはりね。キミがあげたその名前は、キミによって鍵がかけられている。だから、カミサマも彼女の名前は分からないんだ。名前は、存在を定義するための重要な要素。それがキミの元にあるから、おそらくカミサマは、彼女を自分のものにしきれていないはずだよ。大切に持っていてあげてくれ」

 俺がやったことが、結果として──を守っている。そのことが少しだけ、嬉しい。

「次に、二つ目だ。キミは、死んだ人間がどうなるか知っているかい?ああ、葬儀の方法ではなくて。魂の行方の話さ」

 教会で聞いた話を思い出す。死者は世界最後の日まで眠り、その日がきたら裁判にかけられて、カミサマの元にいけるか決まるという話。

「ああ、キミの世界はその筋書きか。今回ワタシが話したいのは、別のシステムなんだ」

「別のシステム?死んだ先が、違うの?」

「違うとも。まぁ、世界の作りによって変わる、という話ではあるんだが。ワタシが話すのは、人の魂は生まれ変わるというものさ」

 マーリンによると。人は死んだ後、魂の集まるところに移動して、次に生まれるものを決めるのだという。

「つまり。死んだ後、別の誰かになるの?」

「人とは限らないけれどね。けれど、おおむねその通り。新しい人生が始まるのさ。ところが、だ。彼女の場合はカミサマに魂を握られている」

 カミサマは、死なない存在だ。そのカミサマになった以上──は死ぬこともできず、生まれ変わることも出来ない。

「ならば、どうするのか?答えは簡単だ。

カミサマを殺すんだ・・・・・・・・・

「カミサマを、殺す?」

「そうさ。この星のどこかに、カミサマを殺すための武器がある。今のカミサマは、彼女の器を使っているから、カミ殺しの武器であれば、物理的に干渉が可能だ。殺せるとも」

 ただ、とマーリンは続ける。

「彼女は、カミサマと同時に死ぬことになる。名前はキミが持っているから、カミサマと別々の存在として、彼女は死ぬだろう。キミに出来ることは、カミサマを殺して。彼女を輪廻の輪に戻すことだけだ。それに、カミ殺しの武器は、そう多くはない。この星のどこにあるかはワタシにも分からない。探すとなると、不老不死にでもならない限り、とてもじゃないが時間が足りないよ」

 出された食事は、いつの間にか空になっていた。差し出された水が、とても冷たい。

「けれど、マーリン。この話を俺にしたってことは。貴方には、俺を不老不死にする手段があるってことじゃないのか?」

 先程マーリンは、不可能に近いと前置きしたが、不可能とは言わなかった。それはつまり、俺次第では解決する問題なのではないか?

「全く。痛い所を突くね。そうだね、ワタシならキミを不老不死に出来る。対価は必要だけれど。でも、本当にいいのかい?キミは、彼女を殺した先も、生きていかなければならなくなる。この星が滅びない限り、ずっと一人で生きていくことになるよ。それでも、キミは彼女を殺しに行くかい?」

 答えなんて、もう決まっている。

「殺しに行くよ。──を救う術があるのなら。不老不死にでも、なんでもなってやる」

 そういうと、マーリンは何故か笑い出した。なんでだよ、今笑うところあったか?

「ふは、あはは。キミ、その歳で随分覚悟が決まっているね。いや、その年齢だからか。分かったよ、キミの殺意あいが報われる日まで、協力するとも。あー、久しぶりに良い物語が読めそうだ」

 マーリンがひとしきり笑った後。今後の話になった。

「不老不死になるのは、今すぐじゃない方がいい。焦るかもしれないけれど、今のキミの身体のまま時が止まると、不都合もあるだろう?そうだな、もう二、三年は待とう。その間に、キミは力をつけるんだ。大丈夫、ワタシという師匠がいるんだ。それなりに成長するだろう」

「それって、俺に魔法を教えてくれるのか?」

 俺のいた世界では、魔法は遠い昔に忘れ去られた古代のものだった。たまに使える人が現れると、国をあげてお祝いをしたものだ。

「魔法は教えないよ、キミにはその才はなさそうだからね。ワタシが教えるのは、剣の方さ」

「剣を?魔法使いなのに?」

「魔法使いが剣を使えない、なんてルールはないからね。それに、カミサマを殺すのは魔法ではなく武器だ。これは覆せない。その時のための修行でもあるよ」

 カミ殺しの武器が、どんな形をしているか分からないけれど。どんな形だったとしても、使えるようにしておくのは確かに大切だ。

「それじゃあ、傷が治ったら早速やろうか。ワタシの指導は厳しいぞ?」

「ああ、望む所だ」

 こうして、俺は西の魔女の弟子になった。

 ──、待っていて。必ず、君を殺しに行くから。

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