第8話 ウサギのスタンプ

 「今日から新しい人! って、あれ、明菜は?」

「塾で今日は行けないって断られた」


 以前のテストで三人中二人が散々な結果を出しながらも、再び芙由が勉強会をしたいと言い出す。だが、その散々な結果を見た明菜の親はすぐに明菜を塾に入れ、芙由と俺の二人の勉強階になるはずだった。


「なんで、なんでなんで」

「塾だからだろ」

「塾って、何!」

「塾は塾だろ」

「わざわざ行かなくても明菜なら……、明菜なら……」


 前回の明菜の点数を思い出した明菜はそれ以上言葉を続けることが出来ずに、肩を落とす。そんな状況を掴むことが出来ずに困ったように笑いながら、芙由の隣に立つ男子生徒は、学年一のモテ男。他学年からも噂になるほどの顔のいい『桑原晴樹』だった。


「これじゃあ、私が男子二人を侍らしているような空間になって最悪だ」

「少女漫画なら、モテモテの主人公だな。おめでとう」

「モテモテとか望んでない―。私はただ! 恋に部活に勉強を頑張りたいんだよ」

「おー。それで今回のこの場はなんだ」

「友情」

「早速頑張りたい中に入ってないんだが?」

「友情あっての恋と部活と勉強だよ」

「はぁ……」


 大き目のため息を着くと、どうすればいいか困りながらも目が合うとニコッと笑顔を向けられる。


「あー……。桑原君? なんか悪かったな」

「いや……。えっと、勉強会をするんだよね?」

「まあ、そうだな。攣っても、多分今日は黙々とやる勉強会」

「それは勉強会って言わないの! ただの勉強」

「テスト前なんだから勉強させろよ。前回点数悪すぎて怒られたんだからな」

「そんなの自業自得!」

「おっま」


 頭をチョップすれば、頭を抑え大袈裟に痛がり文句を言う。そんな姿を愛おしそうに見る桑原に、目を奪われて胸が高鳴った首を傾げる。

 イケメンが笑えば人が死ぬ、なんて漫画があったようななかったような。とりあえず、周りの人間が囃し立てる理由は分かるくらいのイケメン具合で、女子は放っておかない。よくこの勉強会に連れてこれたなと芙由を見ると、どこか自慢げに胸を張る。


「吉野君だよね。芙由からよく聞いていて、一度話してみたかったんだ」

「あー……。それはどうも」

「これからよろしくね」


 ニコニコしている桑原を数秒も見ることが出来ず目を逸らし、再び芙由を見ると面白そうに笑う。


「なんだよ」

「那津が人見知りしてる」

「悪かったな」



 あっかんべーをすれば、芙由は両手で口引っ張り舌を出して白目の変顔をして、桑原は苦笑いし、そのまま手を伸ばされて耳を触られる。


「っ」

「おはよう、那津」


 耳を触れられたことによって、飛び起きると桑原が笑って声を掛けてくる。教科書の上に突っ伏して寝てしたことで折れ曲がっている。

 当時の桑原が耳を触ってくることがなく、それから芙由を通しての関係を築いてきたことで彼に耳を触られるような距離を詰めてはこなかった。いや、普通に仲が良くても早々耳を触られることなんかない。

 だが、今、目の前には本物の桑原がいて、耳を触って起こしてくる。寝起きのせいで更に周らない頭はこんがらがり、何が起こっているのかが分からなかった。


「な、んでお前……」

「芙由に呼ばれて?」

「呼ばれてって……」

「自習室にいたら連絡が来てさ。昔みたいにワイワイやってるよて言われたから」


 寝起きの頭に桑原の爽やかな笑顔は眩しすぎて、視線を落とし折れ曲がった教科書を伸ばす。机には苺の飴と付箋が貼ってあり『FOLL』と書かれている。明菜が書いた字で、何が堕ちるんだよと心の中で突っ込み、付箋は畳んでペンケースに仕舞い、飴はポケットにしまう。


「二人は?」

「先帰ったよ」

「……じゃあ、お前は?」

「寝ているのに人がいるのに、置いていけないからね?」

「いや、起こせばよかっただろ……」

「ぐっすり眠っていたから起こすのが申し訳なかったんだよ。先生に八時までって言われたから、結局起こすことになっちゃったけど」

「……」


 イケメンなうえに性格もいいなんて、どうなっているんだよ、と心の中で思い、時計を見ると彼の言うと通り、八時。外は暗く、廊下は真っ暗で消火栓の赤いランプが不気味に見える。


「帰れそう?」

「あ、ああ。帰れる」


 急いで荷物を鞄に詰めて、立ち上がる。先に桑原は教室の扉の前まで行っていて、電気のスイッチを消されると、廊下の電気が点いていなく暗くなる。

 誰もいない学校。テスト期間中でどの部活も活動していなく、廊下の電気のスイッチの在り処が分からない俺たちは雨季灯りで照らされるだけの廊下を歩く。


「夜の学校ってやっぱり怖いね」

「そうだな」

「廊下の電気もどこ着ければいいか分からないし。階段なんて勝手につくよね」

「そう、だな」


 電気が突然つき、ビクッと身体が跳ね、それを見た桑原は口を抑えて笑う。


「びっくりし過ぎだよ」

「突然着いたらびっくりするだろ」


 桑原の言った通り階段に差し掛かると電気がつく。部活帰りに真っ暗な校舎を歩くことは何度もあったが、桑原と二人で話している現実に頭が追い付かず、ちょっとしたことでもビクビクする。だから怖いわけじゃない。桑原が悪い。


「手でも握る?」

「何言っているんだよ」

「だって那津怖そうだし」

「びっくりしただけだから」

「そう? でも俺は負わいからな」

「繋がねえぞ」

「冗談だよ」


 繋げるチャンスを棒に振ったな、なんて家に帰ったら後悔するんだろうが繋げるわけがない。何よりここで繋ぐと言ったところで「冗談だよ」と桑原は困ったように笑う未来が見える。

 もし今一緒にいる相手が芙由だったらもっと違っていたのだろう。「夜の学校だ!」なんてワクワクした声で言って、意味もなく教室の扉を開けたり、消火栓の赤いランプを見つけては騒いでいた気がする。

 でも、今一緒にいるのは桑原だ。何を話していいかも分からず、彼の声に返事をするしかなく、相手からすればつまらなく感じていることは間違いない。


「あ、今誰か教室に入った」

「は?」

「ほら、あそこ」

「いや……、いないだろ」

「いるってほら」

「いや、絶対いない。お前が見えているものは、多分見えてはいけない類のものでだな。それか突然視力が悪くなったか、頭がやられたんだろう。明菜にあったんだったら殴られたりしたんだろ。って、何笑ってるんだよ」

 恐怖のあまり早口で喋ると、桑原はくすくすと可笑しそうに笑っている。

「さっきまで寝起きで全然だったのに、急に一杯喋るなって思ったら」

「おい」

「那津って寡黙そうに見えるけど、結構喋るよね」

「なんだよ寡黙って。お前はどこをどう見て俺を……」


 その言葉の続きを話そうとしたが、お互いがお互いのことを知らないことに気付く。

 芙由を通しての桑原はいつも笑っていたが、笑った顔しか見たことがない。

 いや、たった一度だけ落ち込んでいた姿を見たことがあった。あの時が初めて、笑っていない桑原だった。しかしそれだけ。

 桑原が俺のことを知らないように、俺もまた桑原のことを知らない。


「お前と二人で話すのなんて、そうそうなかったからな」

「そうだっけ?」

「大体芙由がいただろ」

「そういえばそうだったね」


 昇降口までたどり着けば、外の街灯で電気がなくても明るい。その光が丁度桑原の当たるかのように彼の顔がはっきり見え、目を逸らす。中学の頃はそこまで変わらなかった身長差は、今では10㎝近くの差があって見上げる位置に顔がある。


「じゃあさ、これを機に仲良くなろう」

「は?」

「だって中学から一緒で、共通の知り合いだっているのに、あまり話してこなかったなんて、勿体ないからさ」

「……」


 スマホを取り出して桑原は画面を見せてくる。


「連絡先教えてよ。クラスのグループにはいたけど、追加していいのか分からなかったからさ」

「……わざわざ聞かなくても」

「突然追加されるのって、意外と嫌じゃない?」

「されたことがねぇから分からない」


 スマホを取り出してアプリを開く。一番上には明菜からのメッセージがあり『次寝たら許さないから』と送られていて、その下には芙由からのメッセージで『明菜の付箋のFollはFoolだよ!』と送られ、あの英単語は『馬鹿』と書きたかったようだった。いや、馬鹿はどう見ても明菜だな、と長い溜息をつくと「どうしたの?」と桑原に画面を覗かれる。


「明菜が馬鹿だなって思って」

「……ああ、付箋。やっぱり馬鹿って書きたかったんだ」

「お前も気付いてたなら教えてやれよ」

「いや、なんか別の意味があるのかなって思って。芙由も何も言わなかったし」

「お前らの優しさで、可哀そうな馬鹿が誕生したな」


 クラスグループから桑原を探し、彼に確認してから追加する。とりあえずスタンプを送ると、桑原からは『これからはよろしく』とメッセージが飛んでくる。

 出会ってから4年。連絡先一つ交換するだけでかなりの時間を要したな、なんて思いながら『よろしく』と一言送り、スマホを閉じる。


「……このパンダ好きなの?」

「何とも言えない顔が好きだな」

「……言われるとそうだね。俺も買おうかな」

「ウサギもあるからそっちにすると良い」

「うさぎかぁ。探してみるよ」

「ん」


 自身の靴を探し、取り出す。既に二十時を越しているこの時間は鍵が閉まっていて、職員減まで靴を持って移動する。

 その間も、帰り道も、他愛のない話をする。芙由抜きでの会話がここまで続くとは想像も出来なかかった。互いが気まずい時間を埋める努力を下のかは分からなかったが、別れ際、なんとなく寂しく感じたことは言うまでもない。


 家に着き、「帰るの遅くなるなら連絡してよね」と母に愚痴愚痴言われながら夕食を食べる。既に母と妹は食べ終わったらしく、ドラマを見ながらイケメン俳優にキャーキャー騒いでいて、父は同じテーブルで一緒にご飯を食べる。


「遅かったな」

「学校で勉強していた」

「頑張ってるな」

「殆ど寝てたけどな」

「学校で残ってまで寝るなんて面白いことするな」

「なんだよそれ」


 適当に父と会話を交えながら、ご飯を食べ終え自室に向かうとスマホの通知ランプが光っていることに気付く。


『帰れた?』


 たった一通の桑原からの連絡に胸をドキッとさせられ、すぐにトーク画面を開く。


『帰れた。そっちは?』

『あ、良かった』

『帰れたよ』


 すぐに既読が付き返事が映えってくる。メッセージの後には勧めたうさぎのスタンプ。それも有料のスタンプを勝って送ってくるとは思わず、口角が上がる。


『うさぎ似合わないな』

『那津が勧めたんだけど』

 怒ったウサギのスタンプを送られて、爆笑するパンダのスタンプを送り、ベッドにダイブする。普通に桑原とメッセージをやり取りしている現実に耐えられなくなり、スマホを開いては閉じてを繰り返す。


『明日も明菜たちと勉強会するの?』

『する』

『俺も行っていい?』

『明菜が怒り狂わなければ』

『様子見ていくよ』


 残念そうにするウサギをみて、画面を保存する。

 桑原と明菜は本当に仲が悪い。というよりも、明菜が一方的に桑原を嫌っているのだが、顔を合わせれば明菜は喧嘩を吹っ掛け、桑原は笑顔で反応して、さらに明菜は機嫌を悪くするため、桑原が放課後来るのであれば、勉強をするのは難しいだろう。


 それでも、彼が来てくれることを祈りながら俺はいつの間にか寝てしまっていた。

 祈りの通り、桑原は次の日の放課後、教室に顔を出したのだが、明菜はキレ散らかし勉強にならなかったことは言うまでもない。


 また、中間テストの結果は明菜は、数学Ⅱ・Bと物理が補習となり、他の科目も勉強が間に合わず、英語も補習となり桑原は胸倉を掴まれていた。

 因みに前日になって泣きついた宮本は、国語以外の科目が補習となったらしい。

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ただの幼馴染は色んな関係に変化していった。 塚本ユウタ @Alisa010

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