第6話 KP(キュンポイント)

 ポニーテール姿に、いつもより短いスカート。柑橘系の制汗剤の匂い。青春の1ページと言ってもいいような彼女の姿はまるで本物の恋人のようで。


「今日は会えないと思っていたよ」

「会う予定はなかったもんな」

「会えないと思っていた人間に会えるのは嬉しいものですなぁ」

「なんだそれ」


 手に持ったタオルで汗を拭く姿を見て、急いで準備をして来てくれたんだなと思い笑ってしまう。


「ポニーテールいいな」

「突然だなぁ。よく見ているくせに」

「何時もより位置が高い」

「そんな細かいところまで見てくれているなんて、那津は私のこと大好きだね」

「大好きだよ」


 素直な感情をぶつければ、芙由は目を見開き時間が止まる。

 間違ってはいない。芙由への思いには一切恋愛感情はない。それでも、物心つく前からずっと一緒にいたんだ。腐れ縁なんて言葉で片付けられるような感情を抱いていない。

 だからこそ、さっきの明菜の言葉に対して汚い感情が生まれた。


 きっと俺は、あの瞬間。桑原と仲の良い芙由に嫉妬を持ったのではなく、芙由のことを知っている桑原に嫉妬した。偽の恋人で、恋愛感情だって持っていないのに、独占欲は一丁前にある。芙由からしたら本当に迷惑なものに間違いない。

 それでも、芙由はそんな感情を気付く素振りもなく何時もの調子で話だす。


「そこは照れて、そっぽ向きながら言おうよ。そっちのほうがキュンポイント高い!」

「なんだよ、キュンポイントって」

「略してKP!」

「なんか、パンツ食い込むでそんなのなかった?」

「それはPKだよ。那津くん。因みにPKはサッカー用語でもあるし念動力をPKと言ったりしてね」

「突然の博識だな」

「ふふーん。人間生きて動いているだけで学ばざる負えないからね」


 ふふーんと何かに勝ち誇ったように彼女は空を見上げる。


「そんなことより、星見てセンチメンタルなんて。那津には珍しいなぁ」

「……まあな。まあ、人間そんなこともあるからさっきの話は聞かなかったことにしてくれ」


 隠そうとした感情を掘り起こされそうになり、話を無理やり終わりにさせようと牛田が芙由はそれを許さず、色素の薄い瞳を向けてくる。


「那津を不安にさせたのは明菜?」

「……」

「なんて言われた?」

「言えないな」

「……私のお願いでも?」

「芙由の願いだからこそ、言えない部分もある」

「そっか。じゃあ、仕方ない」


 桑原と何をしたんだ? 何を話したんだ? なんて聞いたところで困らせるだけで。独占欲をぶつけるわけにもいかず、唇を噛みしめる。そんな姿に芙由は呆れながらも「帰ろっか」とニコッと笑う。

 その行動が胸を痛ませ、噛みしめた口を開く。


「……今日、桑原といたらしいな」

「…………ああ、それでか」


 少し冷たい声音と瞳に怯みそうになりながらも彼女を見れば、いつも通りの笑顔に戻っていた。


「いやぁ。那津が思っているようなことは……。いや、それより酷いことか?」

「酷いこと?」

「何だろう。その。晴樹に女の子紹介するんでちょっと、放課後話したというか……」

「…………は?」

「いや、那津には凄い悪いことをしているって思っているんだよ。でもほら、その」


 俯きながらもチラチラこちらの様子を見る芙由に呆れて、大きなため息をつく。


「はあああ。なんだそれ」

「え、何が」

「いや、いい。お前は間違っていない。今後も桑原には女子を紹介すればいい」

「え」

「今までもそうしてきたし、あいつだって彼女を何人も作ってきたんだ。そんなことで俺が傷つくことはない」

「嘘だ。那津は傷ついていない振りをしているだけで、実際は凄く傷ついている」

「……まあ、そうかもしれないが。芙由が頼まれて紹介していることだってわかっているから。お前が何を使用が傷つくことはない」

「……とんだ爆弾発言をするなぁ。今日の那津は」

「事実だからな」


 大きなため息と一緒に、安堵した。

 桑原との関係を噂されることが嫌だった芙由は中学の頃から女子を紹介していた。その結果、芙由と桑原の関係を噂する者は少なくなっていったが、今度は紹介してと頼む女子が増えていった。

 紹介することより、断ると関係を疑われることが面倒くさいと判断した芙由は桑原に申し訳ないと謝りながらも何人もの女子を紹介していた。そのことを忘れていた自分に呆れる。

 勝手に嫉妬して、独占欲による怒りを堪えながら芙由と話して、自分の愚かさに気付いて呆れていて。芙由と一緒にいるだけで感情がぐちゃぐちゃになる。


「普通の女の子だったら勘違いしそうだ」

「勘違いって?」

「那津が私のことを愛してくれているって」

「間違っていないからな」

「ふふーん。私も那津のこと愛しているよ」

「……どんな会話だよ」


 でも、どんなに感情をかき乱されても、そこに恋愛はない。

 手を繋ぎたい、抱きしめたい、キスをしたいなんてことを思ったことはないし、それ以上のことを考えると気持ち悪くなる時点で、恋人になる未来は訪れない。

 それでも、友人として他の誰よりも大切で大事で、愛していることには間違いなかった。


「私たちはディースカップルだからね」

「前も聞いたけれど、何でディースカップルなんだよ。普通に偽の恋人とかでもいいだろ」

「なんか面白みがないじゃん。特別な名前がほしかったのだよ」

「……いみわからねぇ」

「まあいいじゃないか、いいじゃないか」


 笑いながら芙由は歩きだし、自分も彼女の隣を歩き出す。

 芙由にとっても、俺が恋愛対象ではない。『ディースカップル』という言葉を使ってある一線を踏み込ませないようにしているのかは分からないが、恋愛感情がないということは、何年も一緒にいたからわかる。


 長い、長い間ずっと一緒にいた。

 物心つく前から隣にいた、大切な人。家族よりも長い時間を共にしたからこそ、芙由のことは分かるし、彼女もまた俺のことを知っている。まあ、突拍子のない行動は何時も驚かされるが、それでも、他の誰よりも芙由のことを知っているのは、明菜でも桑原でもなく、俺自身だ。


「そうだ、那津。帰りにアイスでも買って帰ろうよ」

「アイス?」

「そう! 新作のアイスが出たらしいのですよ」

「じゃあ、食べるか」

「うん」


 今にもスキップしそうな足取りに笑いながら、彼女の隣を歩き続けた。






 「久しぶりだな、那津」

「……悪い、帰る」


 アイスを食べながら家に帰れば、腕を組んだ仁王立ちの男。『妹命』と黒く大きな文字で書かれた白いTシャツ。顔は、悪くはない。悪くないのに、シスコンという部分でマイナスの人間。俺の知る限り、妹最優先で何度も女に振られていた姿を見てきた。

 そんな人間の溺愛する妹である芙由が、幼馴染だとしても男と一緒に仲睦まじく帰る。

 命の危機に晒されたと瞬時に察して、彼の前を足早に通り過ぎる。


「なあ、那津。明日の弁当、俺がつくってやるから楽しみにしておけよ?」

「…………え?」

「おばさんにはもう、許可は貰った」

「……余計なことを」

「遠慮はいらねぇよ」

「……」


 芙由に助けを求めれば笑っているだけで何もしてはくれなかった。


 次の日の弁当は、『残さず食べろよ』というメモと一緒にグロテスクなキャラ弁が広がり、宮本や友人の小笠原には笑われながら写真を撮られていた。

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