第5話 電話より会って話したほうが楽
「満足ね」
「そりゃよかったよ」
明菜は駐輪場から自転車を持ってきて、押しながら歩く。時刻は午後六時。西の空にある太陽によって赤くなった空には雲一つない。
「……結局、今回のラーメンは何だったんだ」
「何だったって?」
「そのままの意味だろ。芙由を誘うように言っても、誘わないなんて、お前じゃ有り得ない」
「ニンニク臭いところ見られたくないって言ったでしょ」
「言ったけれど。他にもあるだろ。芙由には話しにくいこととか」
「……」
睨まれてしまい、明菜は足を止める。自分も足を止め、後ろを向けば彼女は小さな声で言った。
「ただ、本当に何も考えず、ラーメンが食べたかったのよ」
「……」
明菜の中で何かあることは確かだ。それも部活のことで。楽器を吹くことが好きな彼女が部活を休んでいる時点で、考えなくたって分かる。
でも、明菜は何も言わない。それが今の彼女の答えなのだろう。だから、今はこれ以上聞かない。それが自分と彼女の築き上げた関係だった。
お互い、触れてほしくない部分は言葉で伝えない。芙由を虐めた恨むべき相手だが、傍にいても心地いい存在には変わりなかった。
「あ、そうだ。あんた、芙由にはちゃんとフォローするのよ」
「フォロー?」
明菜の止まった足が再び歩き出し、いつの間にか俺を越していき、それを追う。
「だってそうでしょ? 私が悪いんだろうけれど、彼氏が別の女と二人でご飯行くなんて、嫌だもの」
「……後でフォローするよ」
分かっているなら、最初から誘うなよ、なんて言うこともできず明菜の隣を歩けるように少し早歩きをする。でも彼女は自転車に跨り、ゆっくり漕ぎ始める。
「後でじゃなくて、今すぐによ。電話しなさい」
「なんで」
「いいじゃない、電話。たまにはしているんでしょ?」
「……したことないな」
「は? あんた達付き合っているんでしょ?」
「家が隣だから、電話するより会いに行ったほうが早いし」
「何? 突然の惚気は辞めてくれない? 俺は芙由の一番近い人間だとでも言っているみたいで、凄く寒いわ」
「でも事実だろ」
「いいえ。これだけは絶対違うって言えるわ。芙由のことを一番知っているのは、私よ」
「いいや、俺だ」
「絶対、私」
お互い睨みあい、しばらくたつと明菜は顔をそっぽ向かせ足を地面につかせる。
止まったり動いたり、忙しいやつだななんて呑気に考えていれば彼女は予想外の言葉を発する。
「でも、芙由を一番知っているのは桑原なのよね」
「…………は?」
突然の人間の名前に、明菜の顔をじっと見る。
「知らないの? 今日芙由、桑原と一緒よ」
「……」
「本当に知らなかったわけ? 嫌だろうから詳しく聞かないようにって思ってたけれど、知らないなんて思ってなかったわ」
「…………気をつかせて悪いな」
「気をつかせてたら、最後まで言わないわよ」
芙由と桑原晴樹は、仲が良い。ほとんどふざけあって笑いあっていて、誰にも近寄らせない空気を作り出す。その空気は、芙由の幼馴染だとしても立ち入ることができず、ただ遠くから眺めていることしかできない。
「電話しなさいよ。絶対に!」
「……分かったよ」
「絶対よ?」
「分かってるって。そんなに疑うなよ」
その後、別れの挨拶をして、明菜は自転車を漕ぎどんどん遠くなっていく。
スマホの電源を入れれば、時刻は十八時十五分。あとに十分もすれば太陽は沈む時間帯。
明菜に言われたからするんじゃない。ただ俺が、芙由に電話をしたいからする、なんて意味の分からない言い訳を自分にして、電話のマークをタップする。
三回目のコールの時に、スマホから芙由の声が聞こえてくる。
『もしもし? 那津? どうしたの?』
耳元に聞こえる芙由の声は、凄く近いのに、なぜだか遠く感じた。
家が隣の幼馴染。互いの家に行き来することがしょっちゅうで、電話なんて今までほとんどしたことがなかった。何回かあったのだって、電話への興味だけでそれ以外彼女と通話をしたことはなかった。
だからこそ、スマホから聞こえる芙由の声を聴いただけで妙な気持ちになった。
「あー……。えと、なんとなく?」
『なんとなく……。あ、今日の埋め合わせだ! よく漫画とかで見るやつ。明菜に言われたとかでしょ』
「……まあ、そんな感じ」
『ふふーん。那津と明菜のことなら手に取るようにわかるからね。どうせ今日だって、喧嘩しながらラーメン食べたんでしょ?』
「残念だったな。食べているときは意外と静かだ」
『えー。それはそれで気になるなぁ』
目の前にはいない相手と話すのはなんとなく緊張する。まだ、昔からの親しさで声音だけで相手の心情が最低限読み取れるが、出会って一年も満たない相手だったら尚更。高校で付き合いだしたカップルが電話をするなんて、さすがとしか言いようがない。
まあ、最近はカメラ通話とかいろいろあるらしいが。
「今度は芙由もラーメン来てよ」
『うん。次は行こうかな。あ、二人の黙々とラーメン食べる姿も見たいし、三人で!』
「じゃあ、芙由が明菜を誘うといいよ」
『そんなことしたら、明菜が倒れるから、救急車呼ぶことになりそう』
「倒れる前提かよ」
『明菜には愛されているからね』
「自分で言うことか?」
『これは絶対だからね! 地球が誕生する前から決まってる』
「話が飛躍し過ぎだろ」
空を見上げれば、星が出始めている。芙由がもしここにいたら、どこで知ったんだというような星の名前を当てたり、適当に結んで星座を作り出したりするんだろう。
どこを見ても、思い出が詰まっている。風が吹くだけで、思い出話があるんだ。芙由を一番知っているのは――。
「なあ、芙由。なんかあったら言えよな」
「芙由を一番知っているのは桑原」という明菜の言葉を直接伝えるわけにもいかず、ただ、本当に思ったことを伝える。
『……どうしたの突然? 明菜になんか言われた?』
自分が発した言葉に、芙由の心配する声音で聞いてきて何とも言えない感情になる。
恋愛感情なんか一切ないくせに、芙由を一番知っているのは自分以外有り得ないという気持ちだけは立派にある、だなんて芙由からすれば迷惑だ。そんな感情を芙由にぶつけることもできなかった。
「……いや、星見てセンチメンタル」
『星? あ、本当だ。 一番星だ! 何の星だろう しし座とか? あ、それかスピカだっけ? 星詳しい人ならすぐわかるんだろうなぁ』
「……スピカとかの名前が出てくる時点で詳しいだろ」
『スピカって聞いたことない?』
「聞いたことはあるけれど……。てか、外居るの?」
『部活があったからね』
「え?」
『ん?』
不定期活動の美術部に吹奏楽部をサボった明菜のせいで、普通に部活があったことを忘れていた。
清水芙由は中学からテニス部に所属していた。まあ、中学では軟式、高校では硬式になったことで、打ち方が違って難しいとぼやいていたが、数か月後には先輩を倒してレギュラーになっていた。
『那津って今どこいるの?』
「え? あー……。もうすぐ学校の近く?」
『じゃあ、一緒に帰ろう』
「は?」
『門で待ってるから』
「は、え」
芙由は電話を切り、自分だけが取り残された感覚に陥る。
自宅とは逆方向にあるラーメン屋に向かったことで、再び通る学校前の道路。校庭はナイターで照らされて、サッカー部と野球部が部活に勤しむ。
サッカー部に所属する桑原も、照らされている中にいるんだろうなと見ながら、芙由の待つ正門に向かうことにする。
芙由の突拍子のない行動はよくあった。放課後教室で勉強会をしたい、短いスカートの制服が羨ましいから切った、卒業式は派手にしたいから髪を金色に染める。そんなもの可愛いもので、一番酷かったのは屋上に行きたいからと先生を脅して鍵を持ってきたとき。あの後はなぜだか俺が怒られ、意味が分からなかった。
そんな彼女だからこそ、門で待っていると言って電話を切ってもそれに従うだけ。
きっと芙由は門で楽しそうに待っているのだ。そんな姿を見たら何も言えない。
門の前に立つ人影を見つければ、手を大きく振っている。
「那津!」
思い浮かんでいた笑顔でいる芙由を見て、自分も笑ってしまった。
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