感情という厄介なもの。特に、不安。
仕事において、不安を感じることがある。
これは、別に高尚なことではない。
高尚な不安というのは、具体的に何を指すのか。それは、お客さんを満足させることが出来るか、ということに関する不安である。
例えば、仕事において、何かしらの技量が必要になるとする。
そうした時に、その技量がお客さんを満足させるに足るのか、自問しつつ、思い悩むのが、本来、真っ当な悩み方だ。
僕の悩みは、もっと卑小だ。要は、先輩から怒られはしないか、という不安だ。これは、顧客の満足とは無関係なので、つまり、無駄な悩み方とも言える。
そもそも、怒られることを、嫌がるのは何故なのだろうか。
人間一般ではなく、自分だけに限定して考えてみたい。
自分の今までの人生で、ひどく怒られたことは、あるのだろうか?例えば、頭ごなしに、怒鳴られたことはあるのだろうか?
少なくとも学生の頃は、なかった気がする。
社会人として、営業の仕事をする中で、何人かのお客さんには、対面や電話で、キレられた経験がある。逆に、こちらがキレたこともある。恥ずかしい限りだ。
最近では、引越しの時に不動産屋さんにキレた。あれは理不尽とも言えるキレ方だった。反省。
自分がキレた時のことを考えると、結構いっぱいいっぱいになっていた。当然だ。精神的に追い詰められるからこそ、怒りに震えるのだ。精神的に余裕があるなら、優しく諭すだろう。後者の方がエネルギー消費も少ない。
主客を逆転して考えよう。
目の前で人がキレているとすると、その人は、「Heip me!!」と叫んでいるに等しい。
ただ助けを求めるのは、結構な勇気が必要なので、その焦りが怒りに転化する。そして、厄介なことに怒りに転化したことに、本人も気づいていない。
となると、キレる人に対しては、「この人は、どうしてこれほど怒っているのだろうか」と考えるのは、筋が悪い。
むしろ、もっと根源的に、「どうしてこれほど焦っているのだろうか。何が彼(彼女)を、そこまで追い詰めているのだろうか」と問いを立てるべきだ。
回答例は色々ある。
自分が組織を背負っている、しかし、背負いきれない、という焦りがあるのかもしれない。
もしくは、彼(彼女)自身も、上司からキレられることを恐れているのかもしれない。
いずれにせよ、目の前の人の感情を推察するのは大切だが、それが行き過ぎると、こちらの神経が持たない。
だから、ぼんやりと「こうなのかなぁ」程度に留めておくのが良い。そして、その想像は、こちらの都合の良い物で別に構わない。どうせ、正解は分からないのだし。
大切なのは、相手がキレている時に、こちらも相手に同調して、焦らないことだ。
というのも、人間は社会的な動物なので、相手の感情を無意識に模倣しようとする。そうやって、連帯を示し、組織を維持して、事業を進めてきた。
だから、この性質はそれ自体が悪なのではない。ただ、使うタイミングを誤ると、相手の奴隷になってしまう。奴隷とは、物理的な拘束がなされた状態を指すのではない。相手に自身の感情を委ねた状態を指す。
いかに冷静でいるか。いかに自分の感情を自らの支配下に置くか。
相手がキレた時は、目の前の人間を「赤ん坊」だと思おう。
おお〜、よしよし。だいじょうぶでちゅよ。
もうイタイイタイはないでちゅからね〜。
こんなふうに、相手を慰めてやることも、大人の仕事なのである。
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