第5話 アイドルデビュー
そんな石ころのような存在だったはるかが、ある日、
「嫌がらせ」
に感じるようなことを、ちあきにしたのだ。
それは、本人がまったくその気もないのに、あるオーディションに応募したことだった。
「なんで、こんなことをしたの?」
と聞くと、
「音楽が好きなようだったので、あなたなら、きっとアイドルになれると思って応募したのよ。アイドルって案外、アイドルになるために、お金使って、子供の頃から、養成学校に通っているよりも、こういうオーディションで選ばれる方が、結構確率が高いものなんじゃないかしら? しかも、本当に合格する子って、結構、友達や家族が内緒で応募したとかいう、サプライズ的なものが多いでしょう?」
というような、話だったのを聞いて、ちあきは開いた口がふさがらなかった。
「まさか、あなたが、こんなにいい加減な発想をするなんて思ってもみなかったわ」
と言った。さらに、ちあきは続ける。
「そんな、どこから聞いた情報なのか知らないけど、あなたは何がしたいの? 私がアイドルになったら、恩人だとか言って、私からお金をふんだくりたいの? それとも、マネージャー気どりにでもなりたいの?」
と聞くと、
「そんなことは思っていないわ。私はあなたの思いを代弁したような形をとっているだけなのよ。あなたは、本当にアイドルになりたいと思わないの?」
というので、
「アイドルなんて考えたことないわよ。作曲はしているけど、それはあくまでも、モノを作るということがしたいだけ。アイドルのように、他の人が作った曲を歌って、まわりからちやほやされるようなのは、私にとって一番嫌いなことなのよ」
というと、
「だったら、最終的に、シンガーソングライターで売れるようになればいいんじゃない? そのためには、まずアイドルとしてデビューして、アイドル活動を続ける中で、最終的に迎える卒業後に、そっちの道を目指すといえば、それまでに芸能界に顔を売っているわけだから、その道で生きていける可能性は高いんじゃないかしら?」
というではないか。
最初は、
「そんな、うまい話があるわけないじゃない」
と思ったが、話を聞いているうちに、現実を見てみると、
「なるほど、彼女の言い分も一理あるわね」
と考えた。
確かに、自分の本当の夢のために、
「アイドルをとりあえずのステップアップのため」
と考えることのどこが悪いというのだろうか?
考えてみると、アイドルには賞味期限があり、ある年齢までくると、第二の人生を、いやでも考えなければいけなくなる。その時になって、アイドルとして燃え尽きてしまうと、本当に人生、そこで終わってしまうかも知れない。
それを思うと、
「第二の人生のために、第一の人生を踏み台にする」
と考えることのどこが悪いというのか。
逆に第二の人生が見えていないと、人生がそこで終わってしまうのだ。それを考えると、何が正しいというのか、考え物だということではないだろうか?
アイドルというのは、半世紀前くらいから存在しているが、昔のアイドルというと、基本は一人での活動が多かった。そのうちに、2人組、3人組くらいのアイドルが出てきて、そして、また、ピンでの活動が出てきた。
しかし、ある時、テレビ番組の企画で、アイドルグループというものが出てくると、アイドルグループという括りの新しい形が出てきた。いわゆるバラエティ系の活動である。
そもそも、バラエティ番組から出てきたのだから、半分は、
「番組の広告塔」
という雰囲気が増えてきた。
そして、アイドル活動だけではなく、ソロ活動であったり、独自のユニットを組む形での売り出し方も出てきたりしたのだ。
それから、音楽番組が減ってきたことにより、アイドルというものも、あまりいない時代もあった。
だが、今度は、また番組の企画で、アイドル候補を募集し、公開オーディションを行うこととなり、その中の一人に密着取材を行い、オーディションまでを、ドキュメント形式で、放送するという企画が催された。それまでになかった形である。
だから、彼女たちは、番組の、
「広告塔」
ではないのだ。
どちらかというと、番組構成の、
「一出演者」
というところであろうか?
それでも、企画が面白いのか、一度見ると気になってしまい、毎週見ないと気が済まないという、実にうまい人間の心理をついた番組だったと言えるだろう。
実際に彼女たちがアイドルとしてデビューし、数年くらい、人気があり、そのうちの数名が、その後も、タレント活動を続けているのを思うと、それなりに、
「アイドルという短命な活動でも、その先を考えているということで、悪くはないのかも?」
と思う人も増えたであろう。
これは、アイドル界だけの問題ではなく、スポーツ界でも同じだ、
例えば、野球選手であれば、普通であれば、
「40歳くらいまで続けられれば、いいだろう」
といえるのではないだろうか?
ちょうど、サラリーマンでいえば、定年退職の年齢といってもいいかも知れない。ただ、スポーツ選手は、
「身体が資本」
ということで、けがをしたりすると、出場できなくなり、その間を他の選手が埋めることになる。
その選手が活躍すれば、今度は自分の出番がなくなってしまう。時々、
「選手の中には、やる気がないように見える選手がいる」
などと言われるが、彼らは、けがを恐れている人もいるだろう。
無理をして取り返しがつかないことになったとしても、球団も社会も保証してくれない。もし、それを求めようものなら、
「毎年の年棒や計画金は、そのための先行投資のようなものだ」
と言われてしまうと、言い訳ができなくなってしまう、
昭和のスポーツ根性マンガの時代であれば、
「けがを恐れて、最高のプレイをしない人は、罪悪だ」
というイメージがあった。
「俺はこの一球に、野球生命を賭ける」
などと言って、結局、その一球を投げたために、再起不能になって、引退しなければいけなくなるのだが、それを美徳として描き、
「俺の野球人生に、悔いはない」
などという結末が美談だった。
今だったらどうだろう?
マンガ自体が、パワハラの象徴を言われるのではないだろうか?
昔の野球選手は、
「使い捨て」
と、今から見れば思うだろう。
「投手の肩は、消耗品」
ということは分かっていたはずなのに、監督が、
「いけ」
といえば、投げなければいけない。
なるほど、短期間で一気にいい成績を挙げて、
「時の人」
となるだろうが、長い目で見れば、
「実働、3年」
などという選手も少なくはなかった。
最後には、肩やひじを壊して、投げられなくなるなどざらである。
今のように、
「一試合、100球をめどにして、中6日や、7日あけるのが、今のローテーション」
と言われている。
昔だったら、
「中三日は当たり前、そして、先発完投も当たり前、途中交代は、ノックアウトさるか、アクシデントが発生しなければありえない」
という時代があった。
しかも、重要な試合が続く時は、先発完投した次の試合で、最期の2イニングくらい投げるなどというのは当たり前で、選手権などになると、
「4連騰」
などという、抑えのような登板の仕方を、先発でやったりしたものだ。
「そりゃあ、こんなことしてれば、今の選手なら、シーズン中に潰れる」
とまで言われるだろう。
ピッチャーの数が少なかったわけではない。昔は、先発ローテーションに、4人くらい、そして、後は控え投手という感じだったが、今は、先発ローテーションに、最低でも6人は頭数が必要で、抑えが一人、そしてセットアッパーと呼ばれる人が、5,6人は必要だろう。
セットアッパーには、左腕、右腕とそれぞれに必要だからである。
それだけ、野球というのが、革命的に変わったのだ。
昔のように、
「この一球にすべてを賭ける。ここで潰れても悔いはない」
などという選手は、今の時代はまずいないだろう。
しかも、そんなことを考えること自体が、今は間違いであり、
「確かに、重要な試合は存在するが、そのために、控え選手がいる」
という考えで、一人の選手に無理を強いるようなことはしていない。
考えてみれば、今年無理して優勝しても、来年、無理をした選手が、けがで出られないなどとなると、いくら今年優勝しても、監督交代、再来年は見えているというものだ。
まさか、今年優勝した監督を、解雇するなどということはないだろう。それを思うと、監督も来年の自分の首を絞めるようなことはできないだろう。
いくらフロントから、
「今年優勝できなければ、来年の契約はない」
とでも言われていれば別だろうが、そうでないなら、普通は長い目で見て、決して無理はさせられないと思うことだろう。
フロントもそうである。
「昨年活躍して、年棒一億円を超す選手に成長したとしても、無理をさせて、数年後引退ということになれば、たまったものではない。特に最近は、いい成績を挙げれば、アメリカのメジャーリーグから誘いがきて、簡単にメジャーに行かれてしまうということが多くなっているので、チームのために頑張ってくれている選手を末永く、チームの看板としてがばってもらいたい」
と思っているに違いない。
だから、無理をさせて、選手が続々と潰れて行くと、
「あの球団は、選手を潰す」
ということになり、優秀な選手が、入団を渋るということになるかも知れない。
要するに、無理をさせてもロクなことはない。今の時代は、
「細く長く」
というのが、美学なのかも知れない。
選手の中には、選手時代にいろいろ勉強して、引退後の第二の人生を考えている人もいるかも知れない。昔だったら、
「野球に集中しないようなやつは、辞めちまえ」
と言われたかも知れない。
しかし、昔だって今と一緒で、引退後皆が皆職があるわけでもなかった。よほどの人気選手でもなければ、監督コーチの道、さらにテレビラジオの解説者になれるというわけではない。
だからこそ、選手時代に引退後のことを考えるのは、ある意味、当たり前のことだ。
何しろ、
「プロ野球選手になるために、他のことを犠牲にしてでも、野球ばかりしていないとなれるものではない」
と言われてきたのだ。
特に、高校野球などは、昔から、
「甲子園常連校」
などと言われるところは、選手や監督を金に物を言わせて集めてきて、さらに、ナイター設備や、プロも顔負けの充実した練習設備や、合宿所などを作り、選手を甲子園に送り出し、卒業後は、大学、社会人、そしてプロでの野球へと引き継ぐということである、
もちろん、学校にそれだけの金があるはずもなく、在校生やOBたちの親からの寄付金で賄うことになる。
子供の夢を叶えてくれた学校なのだから、当然それくらいはするだろう。
OBも、現在活躍中で、かなりのお金を貰っていれば、
「母校に寄付」
などというのは、当たり前の行為だと言えるだろう。
寄付を受けるためには、勝ち続けて、甲子園常連を継続しなければいけない。ある意味。「危険な綱渡り」
であり、一種の、
「自転車操業だ」
といってもいいだろう。
それが、野球界の脈々と続いてきた、いいか悪いか判断は難しいが、
「伝統」
ということであろう。
ただ、野球界もアイドル界も、他のスポーツ界や芸能界なども、
「人間は消耗品」
なのだ。
つまり、賞味期限が存在し、賞味期限が切れた場合、引退であったり、卒業ということになる。
アイドルの賞味期限がいくつなのか分からないが、これは野球界と同じで、正味機嫌が決まっていても、賞味期限切れ寸前のものを食べるという人は少ないだろう。
ものによっては、
「いぶし銀」
「ベテランの匠の技」
などと言われ、年齢が増すごとに、成績の上がる人、あるいは、アイドルでも、輝く人もいる。
だが、それはあくまでも、微々たる人間であり、基本的には、チームにしても、芸能界にしても、若返り策ということで、
「世代交代」
というものを必ずしないといけない時期があるのだ。
もし、それを怠ると、今の選手が引退してしまうと、新しい選手が出てこずに、次世代の選手が出てくるまで、暗黒の時代ということになる、
そんなことは誰もが分かっていることであり、世代交代は、
「いつでもどこにでも存在する」
ということになるだろう。
職業野球であるプロ野球や、社会人野球であれば、
「いい選手を金で」
というのは、当然のことであるが、大学、高校野球などのような、
「その本分は勉学だ」
と言われるところにおいて、野球留学生という名の、
「金に物を言わせる」
というやり方が、本当にいいのだろうか?
野球留学したとしても、実力以上のものを求められ、無理をしてけがをして再起不能にでもなれば、せっかくの
「授業料免除」
も、
「特待生扱い」
というのもなくなり、他の高校生と同じになってしまう。
成績でついていけず、授業料も払えないということで、学校は退学となり、その先は坂道を転がり落ちていくだけの、絵に描いたような転落人生。そんな生徒が果たしてどれだけいるというのか、過去に差かの持ってみると、どんなに少なく見積もっても、
「無限にいる」
という答えしか出てこないのだ。
アイドルも、スポーツ界も、選手や人間というのは、
「使い捨てだ」
というイメージしか持っていなかったちあきだが、その思いは間違いではないと思っている。
それは、時間が経っても変わることはない。むしろ時間が経てば経つほど、その思いが強くなってくるということであった。
そんなアイドルのオーディションに、何千人、あるいじゃ、何万人という人が応募してきたりする。
もちろん、そこからアイドルになれるというのは、ごく一部の限られた人たちだけである。きっと、はるかの方も、
「どうせダメなんだろうな」
ということで応募したことだろう。
彼女の意図がどこにあるのか、聞いても彼女は話してくれなかった。
「話をすれば、きっと嫌われるに違いない」
と思ったのか、それとも、
「怒らせるだけだ」
と思ったのか、どちらにしても、まず今後も話してくれることはないだろう。
「話題を蒸し返しただけでも、不機嫌になるだろうな」
と思ったのは、当然自分が落選し、数か月後には、アイドルのオーディションを受けたなどというのが、黒歴史として、自分の意識に封印されるということを感じたからだった。
黒歴史を封印するのは、
「記憶の奥」
ではなく、
「意識」
である。
というのは、
「黒歴史のようなものを封印するのに、記憶にまで行ってしまうと、もう封印することが不可能だ」
と思ったからだ。
「記憶の奥」
どころか、意識の段階で封印しておかなければ、記憶の奥にある他の意識から、敬遠されるからだ。
なぜなら、記憶の奥に封印しているものは、自分の意識に再度戻して、
「懐かしい」
と感じたいものを、格納しておく場所だ。
そんなところに、絶対に開けてはいけない。
「パンドラの匣」
を、抱え込んでおくというのは、自分のこれからの人生において、マイナスでしかないのだ。
ということを考えると、
「記憶と意識」
というものが、どこかに結界という明らかなものが存在していると、いってもいいだろう。
記憶というものは、意識に戻すことで活性化でき、記憶しておくものは、その意識に戻すことで、
「懐かしい思い出」
として、再度スクリーンに映し出すための、録画媒体だ。
といってもいいだろう、
そして、その媒体を映し出すためのスクリーンや、再生装置が、意識というものだということである。
アイドルのオーディションは、書類選考から、一次、二次、と進み、普通であれば、書類選考の時点で落とされるのが普通だと思ったオーディションも、一度でも通ってしまうと、それまでなかった自信のようなものが湧いてくるようで、次第に、
「落ちるということを想像できなくなってくるようだ」
と考えるようになった。
三次選考まで合格すると、
「まさか。そんな」
という思いは、通過することにあるのではなく、それまで毛嫌いしていた、アイドルという仕事に、どこか興味のようなものが湧いてきたことだったのだ。
そして、人間というのは不思議なもので。それまで、アイドルというものを毛嫌いしていたはずの自分が、審査という、
「自分を評価するものに対して、どんどん合格していくうちに、自分はなりたいのだ」
という思いが固まっていくのを感じていた。
それは、学生時代のテストを思わせるもので、学校の勉強で好き嫌いがあるのは当たり前のことであり、好きな科目が成績がいいとは限らない。嫌いな科目でも、成績のいいものはあったし、嫌いな科目で成績がアップしていくと、
「本当に嫌いだったのか?」
と思えてきて、それまで、試験勉強をするのが嫌だったはずなのに、勉強が楽しく感じられた。
ただ、好きな科目ではないことに変わりはない。それなのに、なぜ楽しく感じるのかというと、
「それは、他でもない。勉強すればするほど成績が上がるという、単純ではあるが、それだけに一番分かりやすいものであり、やればやるほど成果が出るということに、悦びを感じるのは、当たり前のことではないだろうか?」
と感じたのだった。
そして、好きな科目ほど、勉強すれば勉強するほど、成果が出るというものでもない。
特に、暗記科目などは苦手で、暗記ということに違和感があったのだ。そういう意味で。社会科や、その中でも得に歴史などという学問は、興味があって好きなのだが、テストとなると、完全に暗記科目と化してしまう。
年代だって、語呂合わせで覚えるではないか。
暗記が苦手なちあきに、語呂合わせとはいえ、暗記というのは、ハードルが高いものだった。
しかも、実際に習う歴史の授業というのは、暗記の学問ではなく、時系列を一直線にしたものであり、
「過去が現在になり、さらに未来になる」
という当たり前のことが、なぜか、歴史という学問に好き嫌いを与える。
ちあきは、その一直線の時系列が好きなので、歴史という科目が、好きだった。一番自分の納得がいく科目だと思ったからだ。
時系列というものは、一直線では片付けられない発想であるということは分かっている。
ただ、歴史をいうのを勉強していると、学問上、本来であれば、
「タブー」
と言われている、
「もしも」
というのが、授業でなら許される気がした。
最近では、テレビのドキュメンタリーでも、その
「歴史のもしも」
をテーマにしたフィクションとノンフィクションの狭間を考えるような、
「もしも」
の番組が製作させる。
そういう番組は結構視聴率もいいようで、歴史というと、時代によって、目立つ目立たないというのが、結構あるというではないか。
特に時代背景によって、かなり違う。
「源平合戦(治承・寿永の乱)、戦国時代、幕末から明治にかけて」
と呼ばれる、
「華になる時代」
などは、女性からも人気があり、歴女と言われるような人たちが、活躍しているが、それ以外の時代というと、あまり華々しくはない。
実際には、面白い時代もあるのだが、下手をすれば、華のあるといわれる時代であっても、そこだけを切り取ってみていると、本当の面白さは分からない。戦国時代だけを切り取って見るのではなく、
「なぜ、戦国時代と呼ばれる時代が起こったのか?」
ということを、過去の時代からさかのぼっていくと、原因と言われる応仁の乱。さらには、応仁の乱の原因と言われる守護大名や、御家人たちの家督争い、さらには、皇位継承問題などと、もっとさかのぼれば、保元・平治の乱からそれが続いていることが分かってくる。
つまり、歴史は、どこで切るかが難しいところが、ある意味、面白いと言えるのではないだろうか?
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