ひとっぽい

今日は授業がなく、バイトのみの一日。

僕はこのバイトが好きだ。

いかにも『ひと』っぽい感じがする。


僕は、コーヒーショップ店『ルクススヴァ―ル』で働いている。

週に3日間。

クラブや部活動もしていないし、特に趣味もないし、

本当はもっと働いても良いのだが、特に金を貯めたい訳でもないから、

週3くらいでちょうど良い。


このコーヒーショップは、全国に320か所ほどあるチェーン店だ。


「丸路くん、予定通り後5分で休憩ね!時間厳守でねっ。」


「はい、わかりました!」


僕がこのバイトが好きな『ひと』っぽい感じがするというのは、いくつか理由がある。


ひとつは、嗜好品であるということ。

『嗜好品』というのは、いかにも『ひと』らしい。

本来、僕個人的にはコーヒーなんて日常生活にはあまり必要ないと思っている。

(かく言う僕もコーヒー好きなのだが。特に、カフェモカが!)

(カフェモカの甘くもなく苦くもない、この塩梅がちょうど良い。)

(毎日のように、一日2杯飲んでいる。ほとんど缶コーヒーだが。)

それにもかかわらず、これだけの数が普及しているのは、不思議でしかない。


コーヒーショップ店は他にもたくさんあるし、他にも嗜好品はたくさんある。

それに加え、新しく嗜好品が次々と生み出されている。

それぞれの嗜好品の、それぞれの特色があり、ファンがいる。

それにもかかわらず、このショップもチェーン店になり、320店舗もある。

不思議でならない。

(でも、美味しい。)


コーヒーに限らず、

コンビニ、電話、文房具、医療器具あらゆる分野でチェーン店や競合店があるが、

僕は全部同じで良いと思う。

なんだかんだ独占禁止法やらあるらしいが、

僕は一社で良いと思う。


『2300年後、農作物・家畜という概念がなくなり、『ひと』なるものは、野生の中で暮らしている』と、とある人類学者が発表もしているらしいが、

そうなると、嗜好品どころか、質素な暮らしどころか、その日その日の暮らしに精一杯になるだろうと。


僕個人的には、

そうなると、もう『ひと』とはいえないのではないだろうかと思う。


だが、僕は主菜副菜を捨ててまでも、

『ひと』なるものは、嗜好品を求めるのではないかと思っている。

『ひと』は『ひと』である以上、道楽を捨てることはできないどころか、

それが破滅のミチであっても、追い求める気がする。


『ひと』とは、形ではなく、概念であるように思われる。


もうひとつの理由は、

もうお気付きの通り、

ここのカフェモカが特に好きだからだ。

バイト上がりと、休憩時に、1杯ずつ無料で飲める特権がある。

魅力的すぎる。

しかし、その無料のラインナップにカフェモカは入っていないが。


だが、

店員特権のまかないコーヒーならぬ、超プレミアブレンドコーヒーを嗜んでいる。


この時くらいだな、僕が生きていると実感できる瞬間は。


そんな自分を、僕は『ひと』なんだなと改めて実感する。

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