運命の出会い
街の一角にある病院に運び込まれたダンテは一命をとりとめた。彼を担当したのは後にマグナ・マール最後の良心と呼ばれる人物、ティルマンという医師だった。
「右足を疲労骨折をしています。あまり栄養状態も良くなかったようですが、ここでしばらく治療に専念すれば問題なく快復するでしょう」
病室でティルマンがブランケとベアトリーチェに対して病状を説明した。ベッドでは発見された時とは別人のように清潔な状態にされたダンテが深い眠りについていた。
「……よかった」
ベアトリーチェが安堵の声をあげ、眠り続けるダンテのそばへ寄り添った。
「私は先生と少し話があるから、ここで大人しく待っていなさい」
ブランケはこの世でたった一人の肉親であるベアトリーチェの頭を愛情深く撫で、ティルマンと共に病室から去っていった。
廊下へ出るなり、最初に口火を切ったのはティルマンだった。
「あなたが人助けとは、ね」
幾ばくかの期待を込めて、ティルマンは口角を少しだけ上げた。
「……ベアトリーチェの頼みだ」
ブランケが冷たく言い放った。その顔には先ほどまで見せていた優しい父親の面影はどこにも残っていなかった。
「治療代なら出す。だが、その後のことは知らん。そっちで何とかしろ」
「……そうしましょう」
ティルマンがそういった後、二人の間には冷たい沈黙が訪れた。
ダンテが次に目を覚ましたのはそれから二日後のことだった。光のない少年の瞳に映ったのは、優しく微笑むティルマン医師と宝石のように目を輝かせたベアトリーチェの姿だった。
「やっと目を覚ましたのね。あなた、なぜあそこに倒れていたの?」
すぐにベアトリーチェが純粋無垢な質問をダンテにぶつけた。見かねたティルマンが優しく彼女を諭した。
「彼はとてもつらい目に遭ったんだ。そんな事聞いてはいけないよ」
ティルマンは世界の過酷さを知っていた。マグナ・マール郊外に位置するひとつの小さな鉱山町が野盗たちによって襲撃され、壊滅したこと。そして、ダンテがそこの出身であるということも。
「ごめんなさい、私……」
少女は自分の失敗にしょげながら次の言葉を探った。
「私、ベアトリーチェっていうの。覚えてるかしら。あなた、ダンテよね?」
少年は口を開くことなく、少しだけ首を縦に振った。
「ほらほら、まだ目を覚ましたばかりなんだから、あまり無茶をさせてはいけないよ」
ティルマンがベアトリーチェをいさめ、少年に語りかけた。
「よく頑張った。これからのことは一緒に考えていこう。治療費の心配はしなくていい。その点に関して君は幸運だった」
少年は光のない瞳でぼんやりと天井を見つめた。夢に出てきた天使とベアトリーチェの面影を重ねると、少しだけ心が安らぐのを感じていた。
ダンテは治療に対して後ろ向きだった。ベアトリーチェはふさぎ込む少年に毎日会いに来ていた。そんな少女を少年は疎ましく思うようになってきていた。
「また明日、会いましょう。早く良くなるといいわね」
ベアトリーチェはその日も少年に励ましの言葉を送り、病室をあとにした。彼女の話題はいつも家庭教師と犬と物語の話ばかりだった。自分とは天と地ほどにも違う彼女の境遇に、ダンテは世界の不公平さについて、ほとほと考えさせられていた。最初は美しく見えた天使が、今では何か得体の知れないものを突き付けてくる小さな悪魔にすら見えることもあった。
「やあ、ダンテ。調子はどうかな?」
ダンテの元に毎日やってくる人物がもう一人いた。それが主治医のティルマン医師だった。ダンテは彼に対しては少しだけ心を開いていた。鉱山で働く仲間たちと同じで、自分の事を特別子供扱いしない大人だったからだ。
「先生、なぜ彼女は毎日やってくるのですか?」
「彼女って……ベアトリーチェのことかい?そうだね、彼女は……ちょっと特別な子でね」
「……そうですか」
それは彼女がどこかの企業の長の娘だからだろう。ダンテはそう考えた。マグナ・マールにおいて企業は大変な力を持っていた。人々の生活の為に街中に張り巡らされた機械、その機械を動かすためのエネルギー、それらを牛耳る企業は一介の医師などでは到底抗えない権力を持っている。ダンテはティルマンからまともな答えが返ってくるのを諦め、彼なりに事情を察した。
「さてさて、それよりも自分の事に集中しないといけないよ?」
一方でティルマン医師はダンテに魅力を感じていた。この少年にはまともな出生記録がなかった。ティルマンだけではなくこの街の医師である者ならば、いちいちそんなことを調べたりはしない。しかし彼はそれをした。それはダンテが9歳という年齢とは一致しない聡明さを持っていたからであった。ダンテの治療にあたる中で何気ない会話を交わしているうちに、ティルマンは少年のその性質を理解するようになっていった。聞けばダンテは今は亡き、かの鉱山町に身寄りのない子供として引き取られ、少年鉱山夫として働いていたという。
「先生、僕には……もう何もありません」
それが、少年が治療に対して後ろ向きな理由だった。ダンテは野盗に何もかも奪われてしまった。少年は生きる気力そのものをすっかり失ってしまっていた。
「そんなことはない。かわいいレディだって毎日来てくれているじゃないか」
「……」
ダンテはティルマンの軽口にニコリともしなかった。このままではマズい。ティルマンは表情らしい表情を見せない少年に危機感を抱いていた。
「君の身に降りかかったことは理不尽に感じるかもしれないが……」
「……」
「栄華を極めたように見えるこの街も、そのほとんどは理不尽で出来ているんだ。過去は消せない。起こったことはどうしようもない。ただ、それでも……」
「……」
「それでも、だ。どんな人間でも、人生は何度だってやり直せる。本当だよ、ダンテ」
「……嘘だ」
「嘘じゃない」
「先生、それは僕が子供だから、そんな綺麗事がいえるんです。みんな……みんな、僕が子供だから、僕を守って……僕は、僕は、何もできない。子供だから、何も」
少年がゆっくりと心の内を吐露し始めた。
「……できることは、ある」
「だったら!!今すぐにいってみてください!!僕に出来ることが何なのか!!」
「……ほら、そんなに元気に叫べるじゃないか」
ティルマンはダンテの人間らしい部分を初めて目の当たりにして満足そうに笑った。
「君が前向きになるには、もう少し時間がかかりそうだね。また明日来るよ」
その日、ダンテはティルマンという大人に興味を持った。少年は自分にとって底の知れない大人の『知』の部分に触れたのだった。
ベアトリーチェはそれからも毎日毎日、ダンテの元へ通った。彼女の友達は愛犬のアンクと物語の世界だけだった。その日、事件は起きた。それは少女の純粋さが生み出した事件だった。
「ねえ、私たちって運命の出会いだと思わない?」
「……」
「きっとそうよ。これはきっと神様がくれた運命の出会いなの」
運命的な出会いを果たした男女が幸せな未来を築く。少女の大好きな物語の世界ではいつもそうだった。煌めきと憧れ。ダンテと出会ってからずっと、ベアトリーチェはそのことで頭がいっぱいになっていた。
「……冗談じゃない」
その時の少女はまだ知らなかった。その言葉が少年の暗い心に深く深く突き刺さる言葉だったということを。
「運命だって!?親方も、仲間たちも、みんな……みんな、死んで……僕だけこうしているのに……これが運命だって!!?いい加減にしてくれ!!」
少年の口から少女に向かって放たれたのは怒りの刃だった。
「もう二度と来るな、その顔を……もう、二度と見たくない!!」
ダンテの怒りの刃を受けたベアトリーチェの純粋な魂は深く傷つき、その刃は彼女の小さな胸を貫いた。彼女は突如としてその場に倒れこんだ。
「……ベアトリーチェ?」
その時の少年はまだ知らなかった。少女が生まれながらに背負った悲しい宿命を。
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