マグナ・マール 黎明期

ふるみ あまた

プロローグ

 

 世界を支配しているのは蒸気機関と歯車だった。それらは人々の暮らしを豊かにした。人類の欲求は目まぐるしい速度で昇華され、その代償として大気は汚染され、異常ともいえるほどに洗練された技術の発展は頭打ちとなった。『停滞の時代』と呼ぶものも少なくなかった。そんな世界のとある町、マグナ・マール。この町を動かしているのもまた、蒸気機関と歯車だった。





 マグナ・マールの郊外で一台の車が停車していた。夜でもないのに辺りは薄暗く、車内では退屈そうに窓の外の複雑に組み上げられた機械の塊を眺める9歳の少女の姿があった。彼女の名前はベアトリーチェ。マグナ・マールの町で資源開発会社を経営するブランケという男の一人娘である。

「バフッ」

 ベアトリーチェの隣に同乗していた大型犬がひと鳴きした。その大型犬はセントバーナードによく似た犬種で、普段は無駄吠えなどしない賢い犬だった。

「アンク、だめよ」

 彼女はアンクを叱りつけた。しかし、なおもアンクはそわそわと落ち着かない様子で車の外へと出たがった。

「……仕方ない子ね。でも、静かにね?お父様に見つかったら、私が叱られちゃうんだから」

 そういってベアトリーチェはアンクと共にこっそりと車の外へ出た。彼女の降り立ったその地は、巨大な発電所の敷地内だった。アンクの本能が向けられた場所は発電所の敷地外にあった。アンクは猛烈な勢いで駆け出したい欲求を堪え、まだ幼く体の弱い親友のためにゆっくりとその方向へ歩を進めた。

「……あっちに何かあるの?」

 敷地の外は一面の荒野だった。小さな世界しか知らなかったベアトリーチェは、アンクとともにその荒れ果てた大地を歩いた。アンクは親友の身を心配し、時折振り返りながらゆっくりとその場所へと彼女を誘った。

「まあ、大変!!」

 その場所でベアトリーチェが発見したのは、割れたランタンを握りしめたままうつ伏せに倒れる少年だった。

「アンク、急いで大人の人を呼んできて!!」

「バフッ!!」

 親友の頼みごとを聞いたアンクは一目散に発電所へと走った。ベアトリーチェは少年に駆け寄り、そのやせ細った体におそるおそる声をかけた。

「……大丈夫?」

 少年が、かすかに動いた気がした。少年の口元に手を当て呼吸を確認したベアトリーチェは、その場に座り込んで少年の体を仰向けにさせた。

「こんなに汚れて……」

 露わになった少年の汚れた顔をベアトリーチェの美しい手が優しく撫でた。彼女はポケットに飴玉が入っていたことを思い出し、それを少年の口の中へ放り込んだ。しかし少年はすぐにそれを吐き出してしまった。

「大丈夫……あなたはきっと、助かるわ……」

 ベアトリーチェは少年の顔を抱き寄せ、震える声で励ました。すると少年の目がわずかに開かれ、光のない瞳を彼女の方に向けた。

「私、ベアトリーチェ。あなた、名前は?」

 少女は微笑みながら少年に話しかける。

「…………ダンテ」

 それだけいうと、少年は再び意識を失った。少年は夢を見た。暗く暗く、どこまでいっても深い闇のその世界で出会った、甘い香りの、ベアトリーチェという名の天使の夢を。

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