第2話 打ち上げしましょ
アラームの音で目が覚める。
時刻は7時。
始業は9時だけど、8時30分には着いておかないと障害報告やらその他問い合わせやらで時間がすぐ無くなってしまう。
重い体を起こし、洗顔。うん、今日も普通。
会社に行く準備を終えとりあえずの一服。
毎朝のルーティンを過ごす中で考える内容も同じ。
会社行きたくない…。
でも行かなきゃいけない。
1日休むだけでとんでもない連絡、タスクが溜まる可能性があるから。いや、ほぼ確実に。
そんな状況では新人2人と山田さんだけでは絶対に回らない。
歯車の1つが無くなった所で社会は回ると言うけれど、このプロジェクトだけは話は別。
こんな考えしてるから社畜にやってるのは分かってるけど、やめられないとまらない。
…別に癖になってないのに。
朝食代わりのスムージーを手に取り、家を出る。
「行ってきまーす。」
誰もいない部屋に声を掛け、気合を入れて駅に向かう。
今日も1日頑張るぞぃ。
----------------------------------
執務室に入り、自分のデスクに着く。
始業前にも関わらず、既に自席に付き作業をしている人が多い。前の席のマネージャーは居ない。
腹痛で午前休との連絡が来ていた。休んでしまえ。
「橘さん、おはようございます。」
「あ、山田さん。おはよう。」
隣の席の山田さんもその1人。
簡単な挨拶を交わしたTHEキャリアウーマンな山田さんは、仕事時のみ着用している眼鏡をスチャッと上げ、PCに向き直る。
「昨日は遅くまでレビューありがとうございました。指摘はあまり有りませんでしたが、問題なかったですか?」
「うん。俺の方のレビューは問題ないよ。お客さんに投げとくね。ミス無くて有り難いです。助かってるよ。」
本当に素晴らしい仕事ぶり。
多少はミスしても良いのに。
「いえ、当然です。橘さんにこれ以上負担はかけれませんから。」
…ええ子すぎんか。
その気遣いに泣きたくなる。
そういえば。
昨日のチョコレートのお礼言わないと。
「あ、昨日さ。」
こちらを向き小首をかしげる山田さん。
「チョコレートありがとう。美味しかった。」
脳が糖分を求めていた時間だったし、正直めちゃくちゃ嬉しかった。
「いえ。市販のものですし。」
「それでもだよ。ありがとね。」
顔だけ横を向いた山田さんの目を見て告げる。
山田さんにとっては何でも無いことかもだけど、アラサーのおじさんにはとても助かる出来事。
…あと1年半あるし。
「あ…、はい。」
PCに顔を向け直す山田さんは若干照れているよう。
「…。」
何故かこっちまで恥ずかしくなってしまった。
「…チョコレートくらい、いつでもあげますので。」
「あ、ありがと。」
それぞれの作業に戻る。
キーボードに指をおいたまま、動かすことのなかった山田さんはこちらに向き直った。
…決して凝視してたわけではない。音が聞こえなかったからです。
「あ、あの。橘さん!出来たら明日の夜…」
「せんぱーい!おはようございます!!」
山田さんの声を掻き消すように青山さんの元気な声が聞こえてきた。
「あ、おはよう。青山さん。」
「はい!青山でっす!」
朝からとても元気。若さって良いね!
「あ、ごめん。山田さん。何?」
青山さんの挨拶で遮られてしまった言葉を聞こうと顔を向けると、既に自分の作業に戻っていた。
「いえ、何も。」
声が冷たい。
若干キーボードを叩く音も強い。
…もしかしなくても怒ってる?
話しかけるなオーラがハッキリと見えるので俺も自分の作業に戻る。
「せんぱい!昨日は本当にありがとうございました!」
左隣の青山さんから昨日のお礼を言われる。
「あー。大丈夫よ。あれはちょっとムズかったし。」
フォローでも何でも無く、割と難しめだった。
マネージャーの意向は知らないけど、今回のは比較的たちが悪いと思ったのだ。
「でも、昨日も遅かったんですよね…?私のせいでまたタスク増やしてしまって。すみません…。」
先程まで元気だった青山さんが消沈している。
このテンションの落差には未だについていけない。
ただ、本気で申し訳無さそうにしている彼女のせいでは断じてない。
あのハゲが悪いのだ。
「ホントに大丈夫だって。明日金曜だし。土日はちょっとは休めると思うし。」
自分の発言がこんなに虚しく感じるのもなかなか無い。
何故か休みのはずの土日を使わないと作業が終わらないようなスケジュールになっているのだ。
おわりです。
「ホントですか?週末いつも仕事してません?ログ見ると大体土日についてますけど?」
バレてる。いや、そりゃバレてるよね。
「ほ、ほら!在宅だしね。朝も寝れるからそんなに大変じゃないから。」
「なるほど…。土曜日の朝はそんなに忙しくないと。」
「うん?まぁ。」
「じゃあ、明日飲み行きません?」
「え?」
手を動かしながらも可愛く聞いてくる青山さん。
「とりあえず明日まででテスト環境へのリリースが終わるじゃないですか?だからその打ち上げでもどうかなって思ったんですけど…。ダメ、ですか?」
…何故か直視出来ない。
そんなウルウルとした目で見ないで。
まぁ、断る理由もない。
居酒屋で飲むなんてここ最近出来ていなかったし。
「…そうね。行こっか。」
「お!やった!お店は任せてください!安くて美味しいところ知ってるんで!2人用のコースとかも充実してるんです!」
ウキウキでスマフォを触りだす青山さん。
業務外にしなさいねー。
さて仕事に戻りますか、と姿勢を戻す。
…右隣からめちゃくちゃ視線を感じた。
恐る恐る顔を動かすと山田さんが鋭い目を更に鋭くさせて睨んできていた。ヒェ。
「明日。」
「は、はい。」
「明日、飲みに行くんですか?」
「そ、そうみたいです。はい。」
怖い。
とんでもなく圧を感じる。
そんな暇お前に無いだろ、と言いたいのだろうか。
確かにそれはそうかも。一段落したとはいえ未だにバグ対応や課題は沢山ある。
土日作業するのも確定してるし、打ち上げは本当に落ち着いてからにしたほうが良いとは思う。
…やっぱり辞めといたほうがいいかな。
「ごめん。やっぱり飲みは無しで…」
「私も行きます。」
「へ?」
「私も。行きます。良いですよね、青山さん?」
俺を挟んで青山さんに問いかける。
「へ?あぁ。はい。あれ?でも山田さんってお酒あんまり飲めないんじゃ…。」
確かに。
会社の飲み会でも最初の一杯に付き合うくらいで後は烏龍茶の山田さん。以前マネージャーのアルハラにとんでもない形相で反発してたし…。
毎度毎度あのハゲは。
「飲みます。飲まなくても行きます。」
その表情から断固とした決意を感じられ、それ以上の追求はできなかった。
「…そですか。まぁ、了解です!なら一応峯岸さんにも声掛けときますね!」
若干の間があったが、すぐ笑顔になる青山さん。
ていうか、峯岸。忘れていた。
人と会うのが苦手すぎて滅多に出社しない新人さん。仕事はそこそこ出来るので、リモートで働いてもらっている人。
「そうね。多分来ないと思うけど…。」
多分じゃなくほぼ確実に。
「チームなんですよ!声掛けないと!」
…さっきは2人で行くつもりので話してませんでした?
大体話も纏まったので、今度こそ仕事に入る。
朝から変なカロリーを使ってしまった。
顧客定例の資料を作ろうとした時、
「2人は、また今度ですね?」
耳に小さく届いた声は、とても蠱惑的だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます