働きたくない社畜さんと後輩ちゃん

第1話 働きたくないでござる

とある水曜日の21時。


『せんぱ〜い。ここ分かりませ〜ん!』


PCから聞こえてくる若干腹が立つ猫撫で声に、キーボードを叩く手を止める。

社内連絡用のアプリで繋いでいた通話のミュートを解除し、呼ぶ声に応じる。


『何が?青山さん。』


既に待機していたのか、アプリの画面には相手のPCで写っている画面が共有されていた。


『ここです!ここ!この分岐処理複雑すぎて意味不明なんですけど!』


画面には、ソースコードがビッシリ。

その一角、特にコード量が多い箇所の事を言っていると思う。

マウスのカーソルでぐるぐるとその部分を指していた。


『んー。まぁ確かに複雑かも。出来ればリファクタしたいけどあんま時間無いのよね。それ修正するの?』


『です!なんかタスク振られてて!ムカついてます!』


『ちょ、声が大きいって!俺会社いるんだから!』


…ヘッドホン付けてて良かった。

反対側に座る(恐らく彼女にタスクを振ったであろう)マネージャーに聞かれてないかヒヤヒヤする。


『あ、そうでしたね…。すみません。』


マズいと思ったのか声を潜める。


『これから教えると遅いから、青山さんは一旦そのタスク止めてていいよ。後で俺やっとくから。』


正直、2年目の彼女には難しい修正だと思う。

今日は在宅勤務だし、教えながらとなると時間も取ってしまう。


『え、でも…。せんぱい作業いっぱい持ってませんか?』


『あ、いいのいいの。大丈夫。』


『ホントですか…?なら、お願いしたいです。』


『うん。じゃあ今日もお疲れ様。明日は出社だよね?ゆっくり休んで。』


『はい!ありがとうございます!千夏退勤します!』


落ち込んでいた空気から一転、元気よく退勤を告げる彼女に苦笑が漏れる。


『あ、そだ。せんぱい、画面見てます?』


『ん?ああ、見れるよ。』


共有されていた画面を見る。


青山さんの顔が映っていた。


『頑張ってくれるせんぱいにご褒美です!おやすみなさい!』


部屋着のラフな格好で、こちらを向いて投げキッスのような動作をした後、通話が切られる。


…。

いやいや。なんちゅうことをしてくれるんじゃ。

もし誰かに見られたらどうするつもりだったのか。


この短時間でどっと疲れてしまった。


青山千夏。

新卒で入ったウチの会社の後輩。

今どきのギャルがそのままスーツを着たような、そんな女性。

俺のチームに所属して3ヶ月程度になるが、仕事自体はとても頑張ってくれている。

マネージャーから色々予定にないタスクを振られては助けを求めてくるので、リモートで勤務している時はほぼ通話オンの状態。

今みたいに時々変なことをしてくるけど…。


28歳のおじさんをからかって楽しいのカナ?



疲れがどっと押し寄せてきたので、PCを一旦スリープにし一服しに行こうと席を立つ。


「橘。今の青山か?」


反対側から声をかけられてしまった。

…バレないようにしてたのに。


「…はい。」


眼の前に座る少し、いや大分お腹の出たおじさんからの視線を受ける。


「なんて?」


あなたの事を愚痴ってましたよ?


「いえ、作業の質問で。彼女には少し難しそうだったので自分の方で巻き取ると話していました。」


…言えるわけ無いけど。


「そうか。こちらに聞いてくれば良いものを。」


その薄くなった頭を撫でながら憮然と呟く。

そもそもタスクを振らなければ良いものを…。


「一応、リーダーに聞いた方が良いと判断したんじゃないですかね。」


「…まぁ、いい。私は帰るから。障害対応は任せた。」


「はい。承知です。」


言い切る前に席を立ち執務室を出ていく背中を見送る。


「…タバコ行こ。」



----------------------------------


最後の楽園、喫煙所にて缶コーヒー片手に煙を吸う。

最近は外の喫煙所も封鎖され、このビル内の喫煙所も4箇所ある内2箇所が閉鎖されていた。

残る全てが閉鎖されたときが退社日と心に決めている。

…本当に無くならないでね?

ただでさえ働きたくないのだ。

肺のオアシスが消えてしまったらこの先、やっていける自信がない。


「ふぅ。」


電子タバコで煙をふかしながら、一息つく。

現在時刻は21時17分。

青山さんの作業は優先度が高くないとはいっても、やっておかないと明日の進捗会でマネージャーに詰められるのは明白。


元々やる予定だったタスクを2時間ほどで終えたとしても…。


「電車無いや。」


リーダーになってから約半年。

青山さんや、もう1人の新人を見つつ、それでもなんとかオンスケで対応できていた。


これまでは。

自分のスケジュール管理に問題があるのも分かってる。

プロジェクトのリリースが近づいてきたこの時期は誰しも手が空いておらず、バグ報告を受けてはてんやわんや。マネージャーからの予定にないタスクを振られてはやんややんや(心の中で)。


本当に、あのハ…マネージャー。

なーんで、青山さんに振るかなぁ。


新人の彼女に出来るような仕事では無いのに。

これ、もしかしなくてもパワハラってやつですよね。

なんとかしなくちゃいけないと思いつつも、動けていない自分に嫌気が差す。

出来るだけ彼女に振られるタスクを肩代わりするのも、その罪滅ぼしのようになっていた。


「解決策にはなってないもんなぁ。」


「何がです?」


「うぉ。」


喫煙所から執務室に戻るエレベーター前。

呟きを拾われた方を見ると、パンツルックに身を包んだいかにも仕事が出来そうな女性が立っていた。


「あ、山田さんか。」


チームメンバの1人。

その見た目を裏切らず、とても仕事が出来る。いつも助かってます。


「お疲れ様です。橘さん。」


「うん。お疲れ。帰り?」


「はい。一旦落ち着いたので。一通りレビュー依頼投げてますので、確認お願いします。」


「ありがとね。確認します。」


いつもいつも自分の仕事をテキパキとこなしてくれる彼女の存在は本当にありがたい。

落ち着いたらご飯でも奢ろう。


「それで、さっきの独り言は?」


…気になるのね。


「あー、いや。青山さんがさ、マネージャーに色々タスク振られてるみたいで…。」


「…なるほど。」


その内容で大体予想は出来たみたい。流石。

感心していると、山田さんの目が徐々に据わっていく。

元々鋭い眼光なだけに、割と怖い。


「それを、橘さんがまた代わりにやる、と。」


「です。」


同じチーム。

彼女も俺のしている作業もある程度把握しているようで。


「はぁ…。」


溜息を吐かれてしまった。

いや、ホントにすんません。情けないリーダーで。


「ごめんね、管理しっかり出来なくて。」


「いえ、橘さんにしわ寄せが来るのが気に食わないだけなので。マネージャーはいつかクビになればいいのにと常々思ってます。」


だいぶ辛辣な発言が飛び出てきた…。

そんな事思ってたのね。俺もだけど。


「それに、青山さんも…。」


「うん?」


「いえ。では私は帰ります。無理なさらずに。」


言いかけた言葉を止め、会釈をして去って行った。

綺麗な姿勢で颯爽とあるいて行く山田さんの背中を見送る。


…見送ってばっかだな、俺。



執務室に戻り、PCと向き合う。

一服して冴えた頭で作業に入ろうとした時、デスクの上に置かれている個包装のチョコレートが目に入った。


…あれ?


手に取ると、『残業頑張ってください!振れるタスクがあれば手伝います!無理せず!!』とやけに可愛い文字で書かれた付箋が貼られていた。


山田さん、だよね。

その気遣いに感謝しつつ、チョコレートを食べる。


「うまい。」


何度も食べたことのある市販のチョコレートなのに、何故かとても美味しかった。

…よし。

おじさん、もうちょっと頑張っちゃおうカナ。



今日やる作業はざっと見積もって約3時間。

会社から自宅までは遠くないにしても歩くと1時間はかかる。

心の中で電車に別れを告げつつ、キーボードに触れる。



…。

最後のレビューを済ませ、ようやくキーボードから手を離す。

山田さんのコードはとても綺麗。そして正確。

見ていて心が安らぐ。

反面、青山さんは…伸びしろがある。


PCを閉じ、時計を見ると午前2時を回ろうとしていた。

帰って3時、ご飯食べて寝て、7時起き。

…うん。キッツい。


もうこのまま会社に泊まるのもありかなと考えてしまう。

けれど…シャワーは浴びたい。


男所帯なら良かったのだ。

何日も風呂に入っていない歴戦の猛者達に混じって仕事をすることもあった。

だけど。

去年から女性社員が増え始めた影響で、不潔さを誇れる時代も終演を迎えた。

いくらお客さんから罵倒されようとも全く意に介していなかった猛者達も、女性社員の軽蔑の眼差しには一瞬でKOされてしまう。


それに、ウチのチームには青山さんと山田さんがいるのだ。

彼女達にもしその視線を向けられてしまったらと思うと、自然と足がガクブルしてしまう。


「帰ろ。」


誰も居ない執務室を後にし、ビルの裏手口から出る。

冬に差し掛かりつつある夜の肌寒さで、PCとにらめっこしていた頭の熱が冷めていくのを感じた。


近くにあるコンビニでお酒とつまみを買い、家に辿り着く。

玄関先で待ってくれているJKなど当然おらず、部屋に入る。

シャワーを浴び、リラックスした状態で缶の蓋を開け一気に煽る。

咽せる。


見るともなしに付けたテレビを眺め、スマフォをイジっているとメッセージが届いているのに気付いた。


『明日の顧客定例で報告してもらうから、そのつもりで。』


マネージャーのハゲからだった。

見なきゃ良かった。


了承の旨を送り、スマフォをテーブルに置く。

うーん。

働きたくないでござる。

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