第2話:実行
「私は貴方達に期待しています、ここまでの成果も知っています。だからこそ強い言葉で、皆さんへ様々な事を伝えてきました。」
イザベラはさっきまでやっていた全体会議と同じように、部下達へ発破をかけようとしていた。しかしふとした瞬間、さっきの光景が彼女の中でダブる。あの顔、あの声、あの状況。果たしてあれは正しいのか?自分の行いは正しいのか? イザベラは一度頭を振る、そうだ、今は目の前の彼らを信じる時だ。
「ですが、私は考えました。それは果たして正しいのかと。私はただただ叱責するだけで、目の前にいる貴方達と、本当の意味で向き合えていないのではないかと。」
イザベラはまっすぐに、全員の顔を、目を見て、反省の弁を述べた。そして、みんなの前で頭を下げた。
「総じて私の力不足が故のこと、どうかお許しいただけないでしょうか。」
突然の出来事とイザベラの姿に、誰もが目を疑った。そんな中でイザベラの頭の中では、ある言葉が頭をよぎった。
「組織のトップであるからと言って、大事な時に頭を下げないのは間違っている。過ちはしっかり反省をし、謝罪をする事こそリーダーたるもの。」
先代の社長である彼女の父が、よく口にしていた言葉である。組織が苦しい時も、部下が離れることなく付いてきた理由が何かを説くときによく使っていた。
部下には頭を下げるという事は、一種の信頼の証でもある。だがその時には、相手への敬意と心からの謝罪の意味を持ち合わせて頭を下げる事。決しておざなりに、形だけの謝罪にはしない事。
この教えをイザベラはずっと守ってきた。自分が今の会社を継ぐ事になるからだとか、誰かに言われたからではない。彼女はただ純粋に尊敬していた父、否、先代の教えに対して、敬意を払っていたのである。だからこそ、あの会議を思い返した時、彼らは私を信じて付いてきてくれた部下なんだ、それにも関わらず、私はその人たちに手厳しく接しすぎた。そう思った瞬間、彼女は無意識に頭を下げたのだ。
(これで良いんですね、お父様。)
心の中で先代にそう問いかけるイザベラ。しばらく頭を下げたままの状態でいたが、ゆっくり彼女が頭を上げると、いつもと同じポーカーフェイスだった。だが彼女の表情には、心無しか冷たさが消え去っていたように見えた。意を決して彼女が口を開く。
「私はまだまだ若輩者です。また、皆さん方からのお知恵を拝借してもよろしいでしょうか。」
イザベラが恐る恐る全員へ話しかけたその瞬間、
「はいっ!」
部下たちは即答だった。誰に何を言われようとも、最初から社長についていくことを決めていたのだ。イザベラはその威勢のいい返事を聞くと、珍しく笑顔を見せてこう続ける。
「この事業は、この国で懸命に生きとし生けるものへ、苦しくとも前を向こうとする者への、”救い”となるべきものなのです。それゆえに、追い求めていく数字の部分も併せて大切なのです。これからまた忙しくなりますが、どうか一緒になって、この事業を飛躍させましょう!」
部下たちはそれを聞くと、力強く頷いた。みんなの覚悟はそれほどまでに決まっていたのだ。イザベラは心の中でつぶやく。
「そう、これは”救済”。人々に救いを与えなければならないのです…。その道を阻むものがあるならば…。」
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とある中心部、とある高層マンションの一室前。アタッシュケースを手にした男が、鍵穴に細工をしていた。男が細工を初めてほんの数十秒で、その鍵はその役割を果たさなくなっていた。重厚なドアノブに手をかけ中に進んでいく。すると、豪華な暖炉の前で深く椅子にもたれながら、バスローブに身を纏い、バーボンを片手にクラシックを聴く男がいた。その男こそジョンソン社の幹部、エリック・ボーガンだった。ボーガンはうたた寝しかけていた目で部屋に入ってきた男を一瞥すると、とても気さくに話しかけてきた。
「おー、”アルカス”じゃないか!訪ねていたなら声をかけてくれたまえよ。いやはや、最近は忙しくてたまらんからな…。」
エリックはそういうとゆっくり席を立ち、グラスが並ぶ戸棚へと歩き出した。足取りは軽く、しかし酔いからか少しばかりふらついていた。
エリックと”アルカス”は旧友だった。入社式で隣同士だったところから、同じ部署で切磋琢磨した。時にぶつかり、時に怒り、時に喜び、苦楽を共にしてきたいわば仲間だった。ビジネス抜きでいろいろと語り合える友人が、突如家を訪ねてきたのだ、エリックは嬉しくて仕方なかった。
「最近はお互いに忙しくなったしなぁ、いやはや訪ねてくるなら私ももう少しいい身なりをだ…な?」
エリックは背後に強烈な違和感を覚えた。その違和感の根源は”アルカス”だった。普段彼がこの距離で立つことがあったか…?しかしエリックは相当酔っていたのだ、そんなときもあるかもしれない程度で流した。”アルカス本人と違う目の色”に気が付くことは決してなかった。
「エリック、ミッチェル氏の事業で一儲けしてるって本当なのか?会社中噂話で持ち切りさ。」
「…あぁ、あのアルフレドとかいうマヌケが担当になったんだ。数字をいくらいじったってバレやしない。」
「…イザベラ社長は気が付かないのか?」
「私も最初はそう思った、でも向こうからなんの音沙汰もない。あの程度の数字の違いに気が付かないアルフレドも、部下も、社長も、バカばっかってところさ。何が栄華を極めた社長の娘だ、たかだか小娘風情にあの会社を動かすことなんて出来やしないのさ。」
エリックは心底軽蔑しきった口調でこき下ろした。その様子を見ていた”アルカス”も、同じように侮蔑の目を向ける。
少しの間、沈黙が空間を包み込んだ。エリックは未だに違和感の真相に気が付かない。同時に自分が、とてつもなく大事な話をした事に気が付いてもいない。
そしてその沈黙を打ち砕くように、突然”アルカス”の口から質問が飛んでくる。部屋中に響き渡る、金属で作られた物体を叩きつけたような乾いた音と同時に。
「一体、どちらがバカでしょうね?こうもやすやすと家に入られた挙句、その人に背中を取られてのうのうと悪口ですか。もう少し相手を冷静に見定めてからにするべきですね。ボーガン様?」
”アルカス”は普段の彼らしくない口調で、目の前に倒れたエリックをなじる。
「お、お前…その言い方はもしや…!?」
「久方ぶりですエリック様、アルフレドです。最初の顔合わせの時以来ですかね?ずいぶんと豪華なご自宅ですこと。その事業に関わってから、いつの間にかそんなに貰えるようになったんですねぇ…。」
しみじみ室内を眺めるアルフレド。鹿の頭のはく製、豪華な作りの暖炉、誰が書いたかもわからない絵画。一言で言うなら悪趣味、そんな家の内装をまじまじと見ていたアルフレド。その口調こそ穏やかだったが、その笑顔は引きつっていた。そして目は決して笑ってなどいなかった。むしろ憎悪にあふれていた。―――その目に彼が気が付いていればだが。
「貴様ぁ…、一体何のつもりだ!」
エリックはよろめきながらも立ち上がると、アルフレド目がけて突進していく。だが彼は一切微動だにせず、また部屋中に鈍く重い音が鳴り響く。そのまま腹を抑えて崩れ落ちるように、彼の巨体が倒れ込んだ。
「抵抗するのはよしてください、これは必然なのですから。」
アルフレドは静かに、そして決意を込めた足取りでエリックの前に立ち、眉間に銃口を突き付けた。
「いいですかエリック様、これは”救済”なのです。あなたの悪事がこれから世間に暴露されれば、急速に生きにくくなってしまう。せっかく婚姻した娘さんも、世界を旅するご婦人も、今までの暮らしはできなくなるでしょう。それになにより、この家の調度品が泣いています。価値の分からないあなた様の家でこのまま置かれ続けても、はっきり言って無駄でしょう。」
ボーガンは茫然とした様子で目の前の男を見つめる。これが、あの、ミッチェル家のボディーガードか。噂は本当だったのか…。エリックは噂の存在を、身をもって痛感していた。ただその事実は、再び噂にとどまってしまう。真に存在を知る者は、表の世界で生きていけないのだから。
「それならばあなたは、この辺りで人生に幕を下ろすべきでしょう。それこそが、私があなたにして差し上げられる、唯一の”救済”なのです。」
そう言い終わると、アルフレドは引き金を引いた。エリックの頭を貫通した銃弾は調度品に当たることなく、床に小さく穴を開けた。後日、とある不動産屋で、この部屋にそっくりな間取りの部屋が売りに出されていた。
”前の居住者が所有していた調度品付き。悪趣味であれば古物商を呼びます。ご相談は店内にて。”
救い クロイス @croiss_301
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