救い

クロイス

第1話:救済

財閥。それは国中のありとあらゆる産業や商業において、多大なる影響力をもたらす企業群を意味する。国中の経済を回し、国の血液ともいえるお金を循環させる、言わば心臓のようなもの。その財閥を支えていくには、そして成長させながら牽引していくには、あまりにも強大なリーダーシップが求められる。

とある国のとある財閥、そしてとある街外れの大きな屋敷。そこに一人の少女が住んでいた。

「このままの収益では、今期の目標に13億ほど届きません。なおかつ今回補填のための損失が発生すれば、目標からはさらに遠のきます。いったいこの先、あなたはどうなさるおつもりでしょうか?」

厳しく部下を叱責するこの少女。あどけなさはありつつも、凛々しく、鋭い表情で現状に向き合っている。

彼女こそがこの財閥のトップ、イザベラ・ミッチェル。人は彼女のことを「この国屈指の才女」と呼ぶ。

彼女の父も、そして母も、いくつもの分野で多大な功績を成し遂げ業績を伸ばしてきた。16歳にして彼女の父からバトンを受け継ぎ、この会社の史上最年少社長として君臨した。さらにはその天才性にモノを言わせた辣腕ぶりは、とどまるところを知らなかった。

「現在進行しているこの大型契約が取れるのはもはや時間の問題でしょう。私はそう確信しています。そのため13億という目標値は、次四半期で挽回できるかと。」

そんな彼女の指摘を受けて、部下の男が淡々と答える。

この男、ロベルト・ガーランド。この社内では並々ならぬ実力者だ。イザベラが生まれながらにして才女ぶりを発揮しているならば、こちらは根性と努力の塊といった所。若くしていくつもの重要なプロジェクトを任されている敏腕社員だ。イザベラほどの若さはないものの、麗しき社長と熱血型の部下、その奇妙とも言える組み合わせは、会社に新しい風を吹き込んでいた。

「わ、私も同意見です。このままプロジェクトが成功すれば、3ヶ月ほどで13億に達する見込みもあるでしょう」

イザベラの美貌と発言力に気圧されながらも、別の部下の男が言葉を返す。その度胸たるや大したものである。しかしイザベラも一歩も引かない。仕事に妥協しないというのが彼女の信条だからだ。

「ですがそれはあくまで理論上、なおかつ不確定要素を織り込んだ上での話です。現状の変革によって、最終的には13億という目標値は越えられなければなりません」

「はぁ…」

ロベルトはその存在感に圧倒されるように相槌を打つ。この若き女社長相手では無理もないのかもしれないが。

「もちろん、これ以上なんてもう無理だ、と思う方もいるでしょう。現状の収益だけで十分かもしれない。私たちはよくやった。…そんな弱い心を持っている方もいらっしゃるでしょう」

18歳の少女には相応しくない台詞の数々をイザベラは並べる。だが彼女の放つ言葉は常に的を射ているし、何より人を惹き付ける圧倒的なオーラを放っている。イザベラは会議室中を見渡し続けた。

「ですが、その弱き心はいずれ自らに牙を剥きます。そう、臆病な者ほど自らに嘘をついているものなのです」

そう言い切るとイザベラは部下一人一人の顔をまじまじと見つめる。そしてロベルトの顔を、氷を突き刺すように冷たい目でじっと見つめた。

「あらかたの理由は把握しました。ロベルト、あなたはよくここまでこの事業を続けてくれました。明後日にも私が先方へ出向きましょう。あなたはこの事業と進行中のプロジェクトの資料をまとめて、明日中に私に提出してください。よろしいですね?」

この一言で会議室中が騒然とした。事実上、この事業を牽引していたロベルトが、その事業そのものから外されたのだ。たまらずロベルトが席を立ち猛反論する。

「イザベラ!いくらなんでもそれは急すぎるのでは!?」

これにはさすがのロベルトも堪えかねたのか、今まで隠していた感情を露わにする。だがそれをイザベラは静かに、そして厳しく一蹴した。

「いいえ、これはもう決定事項なのです。この事業に関わってから、あなたは順調に推移していた業績を落とし、さらには弱気になって目標値の達成を放棄した。さらに、先程あなたはこう言った。大型契約の締結は時間の問題だと。この土壇場で、この収益が下がっている重要な局面で、あろうことか即決も出来ない。あなたは、この事業に対して誇りは持って無いのですか?この事業への誇りを、そして自信を持ってさえいれば、決裁など待たずに即決してくるのが今までのあなたでしょう?これは当然の策です。むしろここまで、我慢して使い続けたことを光栄に思ってほしいくらいです。もうこの事業から、あなたは抜けなさい。」

呆然と立ち尽くすロベルトを尻目に、イザベラはさらに続けた。

「今この事業に関与しているものは、この後少しばかりの休憩の後、社長室にお越しください。今後の方針を決定する重要な会議です。それ相応のご覚悟を。」

そう言うとイザベラは、ザワついている会議室を後にした。

「ふぅ……」

会議室の外に出たイザベラは、張り詰めた糸が切れたかのようにため息をこぼした。そして静かに心の中で呟いた。

「ロベルト、あなたには申し訳ないことをしましたね。彼には少し休みが必要でしょう。」

イザベラが社長室に戻ると、彼女にも負けず劣らず品位のある男が待ち構えていた。その手には大きなファイル、議題となっていたプロジェクトの関連資料を抱えて。

「イザベラ様、お疲れ様でした。」

男の名はアルフレド・フォックス。財閥内の重鎮である人物だ。そして、かねてから社長に仕える召使の一人でもある。

「いえ、これも業務です」

イザベラは表情を変えることなく答える。しかし彼は、長年の経験である程度彼女のことを知り尽くしていた。

「おや?随分と浮かない顔をしていらっしゃいますな?」

「そうでしょうか。特別何かあったわけではありませんので、お気になさらず。」

アルフレドは少し怪訝な表情をしたが、すぐにいつものほほえみ混じりの表情に戻った。事務的とも取れる会話は、この二人にとっては日常だった。

「さて、会議内でおっしゃっていた資料はこちらです。」

「ありがとう。」

アルフレドから渡された資料を読み込むイザベラ。全文読まずとも、要点だけを抜き取れば、この量の資料ならものの15分もあれば読み切ってしまう。そんな資料の中には、ロベルトが提示していた収益を超えるであろう数々のプランと、その説明が記されていた。―この事業の裏に隠れた暗部と共に。

「…そうですか。」

イザベラは読み終えた資料を静かに置いた。何が起きているのか全て把握したのか。それともある程度最悪の事態も予測してたのか。真偽は定かではないが、彼女が発した独り言とは思えないほどの声量が、状況の深刻さを物語っていた。

「そろそろ会議です。その会議の進行中に、あなたにはいくつか手伝ってほしい仕事があります。」

「かしこまりましたイザベラ様。どうぞ何なりとお申し付けください。」

アルフレドは表情ひとつ変えず答える。一方イザベラも変わらぬポーカーフェイスで言葉を返す。

「頼りにしていますよ。今から伝えることは、あなたにしかできない使命なのですから。」

~~~

とある郊外の都市、財閥の屋敷から車で1時間ほど。とある場所にアルフレドは立っていた。廃墟のように静まり返ったとあるビルの中へ、アルフレドは堂々と立ち入った。

「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」

丁寧に、かつ優しい声で、ビルの中にいる…はずの人物を訪ねてきたのである。しかしこのビルにアルフレドの声は反響し、水滴の落ちる音でさえも聞こえてはこなかった。

やはり例の情報はハズレなのか。アルフレドが肩を落としてビルを出ようとしたとき、どこからともなく謎の声が聴こえてきた。

「あー、あんたか。待っていたよ。中へ進んでくれ。ところであんた、これから私は買い物に行ってくるんだが、何か好きなもんはあるかね?なんなりと言ってくれたまえよ?」

唐突に言われてなぁ、という表情をしながらも、アルフレドは思い出しながら答えた。

「たくさんありますからねぇ、強いて言うならば”恋する狐が書いてあるケーキ”、なんてのはありますか?」

アルフレドが好きなものを答えると、突如として床が静かに動き始めた。隠し階段だ。アルフレドはゆっくりとその階段を下りていく。どこまで続くか分からない、得体のしれない恐怖を感じながらも、最後まで階段を下り終えると、そこには10平方メートルほどの空間が広がっていた。アルフレドが辺りをぐるりと見回すと、豪華な椅子が二脚だけあった。片方の椅子にはすでに誰かが腰かけている。その姿は薄暗くて見えにくい。

「お待ちしておりました。アルフレド・フォックス様」

もう一方の椅子に座る人物の声だ。その声を聞くなり、アルフレドはすぐに跪いた。

「はい…いえ、自分はこのためだけにここに呼ばれたのでしょう?」

一瞬本来の自分に戻って返事をするが、すぐに丁寧な態度に戻る。そしてそのまま声主の言葉を待った。

「よくわかっておいでのようですね。」

その言葉を待っていたとばかりに声の人物は話を続けた。

「その通りです。我らがイザベラお嬢様の為、あなたは”表の補佐”として立派に活躍してこられた。そのご活躍は、"裏の補佐"である我々の耳にもしっかりと届いております。ですがそんなあなたが、わざわざこの場所に足を運んできたということは…。お嬢様より何かあったということでお間違いありませんね?」

アルフレドは静かにうなずいて続けた。

「お嬢様から、皆様方へお仕事の依頼です。とある人物を”救済”してさしあげろという指示です。」

声の主は一瞬黙った。そのまま静かに立ち上がると、アルフレドのもとに寄った。

「わかりました、ですがお話をする前に一言だけ。あなたは、この椅子にお座りなさい。あなたと私は、同格なのです。アルフレド様が遠慮なさることはございません。それとも、椅子に座るのがお気に召さないのですか?」

アルフレドは何も言わずに椅子に座った。そして、イザベラに渡されたものを声の主に手渡す。おそらく金銭であろうが、中身を見ることは固く禁じられていた。

彼は黒いフードをかぶり、顔を隠していた。肩まで伸びた白い髪と、その隙間から微かに見える褐色の肌以外はあまり見えてはいない。声で男性であることが判断できるくらいだが、その独特の雰囲気は謎の圧力を持っていた。

静寂の時間が流れる中、ようやくフードの男が口を開いた。

「"救済"する相手は、どなたでしょう?」

黒いフードの男が切り出す。アルフレドはそれに呼応するようにすぐに返事をした。ここからは会話のラリーだった。

「我々のビジネスパートナーである、ジョンソン社の幹部です。」

「どういった意図で?」

「取引で生じる金銭の授受で、明らかに不正な流れがありました。」

「それによって起こった事は?」

「今期の売り上げ目標と実績数の乖離が目立つようになりました。さらには貴重な社員が前線からの離脱を余儀なくされました。付随して機器の損傷も含めて窮地に立たされている状況です。」

「具体的なその金額は?」

「併せて月1億近く。」

「社員の復帰と機器の復旧のめどは?」

「わかりかねます。」

ここまで聞いた白いフードの男は、しばしの沈黙の末静かに立ち上がると、まっすぐ壁に向かって進み始める。壁面には大量の銃器類が並んでいた。

「その決行は、いつでしょう?」

「今夜。」

「かしこまりました。」

フードの男は壁のピストルと戸棚のハンカチ、小さな薬品の瓶を手に取ると、小さなアタッシュケースに詰め込んだ。

「もうご存知でしょうが改めて、今回の手順はとても簡単です。薬品をハンカチに出して相手の口を覆う。静かになった所で目立たない草むらか何かで、この銃を使ってください。消音機構が搭載されていますので、少なくともすぐ近くではない限り発砲音は聞こえないでしょう。」

フードの男はそういうとアタッシュケースをアルフレドに渡した。そしていつもの合言葉が始まる。アルフレドの目は、既に決意の眼差しだった。

「彼女の歩む道は、さらなる栄華への道。その道を阻む者達は、例え愛する者であろうとも。」

「阻む者共の理由はただ一つ、彼女の栄華を妬む事。そんな哀れな者共は。」

「「我らが、死をもって"救済"しけり。」」

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