第15話 年齢退行催眠

 問題は、逆行催眠や年齢退行催眠で、果たして大神優子の隠された過去の記憶が、鮮明に蘇るかである。



 だが、例え逆行催眠年齢や年齢退行催眠がうまくいった場合でも、性格や年齢までが幼児化する事になってしまうとすると、大神優子がボンヤリとして見た大きな人形が、人形なのか本物の人体なのか?その正確な判断が可能なのだろうか?



 そんな疑問が私の頭を掠(かす)めた。



 しかし、今まで私を取り巻いてきた、訳の分からない色々な事件の数々が、この大神優子の過去の記憶によって呼び戻され、それによってこの事件の謎が大きな変転を迎えるのならば、それはそれで良いではないのか?



 私は、特別に、診察室の横のカーテンの横で、大神優子の催眠状態から発せられるであろう言葉を注意深く聞く事とした。



 一体、彼女が見たのは何だったのか?

 それは単なる人形だったのか?

 それとも本物の人間だったのだろうか?

 となれば、大神博士は、極早い時期から人体実験をしていた事になる。これは、実にとんでもない出来事ではないか!



 さて、そのような疑問を胸に秘めながら、私は、藤沢先輩の催眠療法の腕前を拝見する事にした。私の恩師の北野誉名誉教授の愛弟子であり、大学院、特に博士課程進学を強く勧められた秀才、いや、天才的能力を有している人である。きっと、何かのヒントを探し出してくれるに違いない。



 ところで、この藤沢先輩に関して、面白い逸話を聞いた事があった。



 それは、恩師から強く博士課程進学を勧められた丁度その頃、藤沢先輩は、ある超常的な現象に出くわしたと言う噂である。



 藤沢先輩が、学生時代、あるクライアントを実験台にして、催眠療法の研究に没頭していた時、そのクライアントの意識が、ずっとずっと過去の時代にまで一挙に遡った事件があったらしいのである。



 それはある旧家に関わる遺産相続に関する事件であったらしい。



 藤沢先輩は、その時のクライアントが口にした、明治時代のある旧家の話を、克明に記録し、実際に、そのクライアントが口にした某県某市の旧家にまで行って確かめたところ、その家族関係、家や庭の造り、家系のその時の数々の遺産相続をめぐる出来事が、正に、信じられない事に、その通りであったと言うのだ。



 ……と言って、そのクライアント自身は何代も前からの江戸っ子であり、その旧家とは縁も縁(ゆかり)も無かったと言う。



 この超常現象に驚愕した衝撃を受け、藤沢先輩は敢えて大学院へ進学せず、市井の一催眠治療家、あるいは一心理療法家としての道を究めようと決意したと言うのである。



 何故と言うに、我がZ大学には、戦前に催眠療法実験中に『念写』と言う超常現象を発見し、これの研究が原因でZ大学を追放された福来友吉助教授(当時はZ帝国大学文学部助教授であった)が、現実におられたからであった。



 ここでこの『念写』についてごく簡単に解説すると、当時、変態心理学(現在で言う催眠心理学か?)を研究中に、偶然福来友吉助教授が発見した超心理学的な事柄であって、要は、精神力(念力)によって、何も写っていない写真のフィルム(当時は写真乾板と言った)に念じた通りに、文字や風景を写し込む事を指すのである。



 しかし、あまりに驚愕的な発見であったがためか、科学界からインチキだ、トリックだとの疑念を受け、その疑念を晴らすべく、某新聞社をあげての公開実験に踏み切ったものの、その公開実験では運悪く失敗。

 念写能力者と言われた御船千鶴子女史は自殺、同じく長尾郁子女史は病死。

 それにもへこたれず別の念写能力者のT女史と研究を続けていた福来友吉助教授は、とうとうZ帝国大学を追放されてしまったのである。



 ……この『念写』実験失敗の話は、知る人ぞ知る実話であって、後年、当該T女史は「貞子は生きていていた!」と言う名文句(?)で、大変に有名になったホラー小説や映画にも出ている程なのだ。実名、故:高橋貞子なのである。



 その事件以後、我がZ大学では、超常現象の実験は完全にタブーになってしまい、敢えてそれを確かめようと思えば、市井に身を投じるか、私立の大学に進むしか無かったのである。



 ちなみに、藤沢先輩は、Z大学卒業後、大阪の某私立大学の大学院を卒業し、その医学論文が認められて大阪の私立大学医学部及びアメリカの有名大学から、心理学博士号をもらっていた程であった。



 ……この藤沢先輩は、20世紀最大の心理療法家で催眠術師のミルトン・エリクソンの再来と言われる程の実力を誇っていたのだ。



 ミルトン・エリクソンの催眠法は、俗に「エリクソニアン催眠法」と呼ばれるのだが、その催眠法と他の催眠法との最大の違いは、「催眠術をかけていないようで」いつのまにか催眠状態に入っていってしまうという、実に不思議な方法であったと言う点である。



 まさに話をしているだけで催眠状態に没入させると言うのが、エリクソニアン催眠法の特徴なのだが、それは、今までは天才と称されたミルトン・エリクソンのみが可能なだけとされてきていたのだが、藤沢先輩は、かのミルトン・エリクソンに勝るとも劣らない技量を有しているのだと、学生時代からの評判であった。



 ともかく、カーテンの引かれた部屋の横で、私は、藤沢先輩と大神優子の話を聞く事にした。この場合、私が生き証人になるのだ。そして、大神優子の幼い時に見たという、地下室に有ったと言う得たいのしれない人形が、万が一、人体であるならば、それは未曾有の事件に発展していく危険性もあったからである。



 ……しかし、藤沢先輩の催眠誘導が深くなるにつれて、私は、衝撃の事実を知る事になるのである。



 逆行催眠により、過去に戻った大神優子は、地下室に横たわっていたのはすべて本物の人体であると断言したからだ。



 何と、狂気の人体実験は実際に行われていたのだ!



 信じたくはないが、大神博士は、既に30年弱以上も前から、人工男根の研究のために、生きたままの、あるいは生きた人間から切除した男性器を、実験に使用していたのだ。



 正に、最悪の展開となってしまった。



 私は、努めて冷静に、これはK大学医学部附属病院内の一室を、小さい時に、父親に見せられた為であろう、と藤沢先輩に説明したのである。藤沢先輩に真実は決して言えなかったのだ。



 それにしても、この事によっても、まだまだ解明できない謎もある。



 もともと大神博士が人工男根の研究に邁進したのは、自分の実の子供である優子の両性具有がその発端の筈であって、この前、大神優子が診療室で見たと言う、自分の父親の「騙された!」と言う話とは、何故か、大きく、食い違うと思われたからだ。



 次なる疑問は、この大神博士の独白「騙された!」と言う謎である。



 しかし、いかなるエリクソニアン催眠法の天才といえど、この問題には、全く近づく術がないように思えた。



 私は、藤沢先輩にそろそろ終わりにしようと、そう口にしようとしたその瞬間である。

 大神優子が、急に、妙な事を口走り始めたのだ。



ここで、大神優子の意識の時空が、一挙にブッ飛んだらしいのである。



 何故なら、大神優子は「あっ、大学で2人の若い学生が何か大きな声で話しているのが見えます」



「どこの大学ですか?」と藤沢先輩。



「多分、アメリカの大学でしょう。言葉が英語だし、それに窓から見える車の列が相当昔の外車の型ですから、多分、今から数十年以上も前の事だと思います」



「どんな話か、その内容がわかりますか?」と藤沢先輩の問いかけに関し、



「ええ、ハッキリ分かります。私は2年間のアメリカへの留学経験がありますから、英語は分かります。ああ、その一人は、大学を辞めると言っているし、もう一人はそれを引き留めようとしています」



「何か、その顔に思い当たる人はありませんか?」



「随分、若い顔ですが、そういえば世界的コンピュータ会社のマッシュルーム社の現会長のハロ・ゲインに似ているような気がします。

 あっと、もう一人の名前もわかりました。エドワード・アップルパイ、つまりこれもあの世界的製薬会社のアップルパイ社の御曹司で、この人物も同社の現社長です」



「もっと詳しく、二人の会話の内容は、分かりますか?」と言う、藤沢先輩の問いかけに、大神優子は驚くほどスラスラと答え始めたのである。



 その話が真実なのか、あるいは、大神優子の空想の世界での事なのか、超能力や超常現象をほとんど信じていない私には、判断は全くできなかった。



 かと言って、私には、死への恐怖感がないのは何度も述べているとおり。

 あの北野誉名誉教授ですら、その理由が解明できず、一種の離人症ではないかとの、適当な病名を付けたぐらいだから、この世には、人智を超えた不可思議な世界があるのかもしれない事は自ら体験していたのだが……。



 ここで、大神優子が話し始めた内容は、実に興味深い話であって、にわかには信じられないような眉唾もののような話だったが、私が、ある雑誌で読んだ世界的コンピュータ会社のマッシュルーム社の現会長のハロ・ゲインの創業秘話にも通じるところがあり、そうそう完全に無視する事もできないように感じたのだった。



 大神優子が、身振り手振りを交えて話した内容とは、次のようなものであった。



「やあ、ハロ、何と言う睡眠不足の顔をしているんだ、いつもの君らしくもない」



「エドワードか。まあ、俺の事は構わないでくれ」



「そんな冷たい事言うなよ、お互いいとこ同士じゃないか?失恋でもしたのか?数学や物理学においては、我が大学始まって以来の天才のハロでも、若い娘の心だけはどうにもならないもんなあ……」



「いや、そんな下世話な話ではないだ。俺が、この1週間、ほとんど夜も寝ないで考え抜いた事があるんだ」と、後に世界的コンピュータ会社のマッシュルーム社の現会長になるハロ・ゲインは呟いた。



「なあ、エドワード、人類にはどうして知能が備わったと思う?」



「一体全体、いきなり何を言いだすんだよ。そんな事は今まで考えた事もないが……。

 もし、どうしても答えなければならないとすれば、多分、ある人物が言っていたように、人類は知能を授かる事によって、やがては神に近づいていく、つまり「人間は生成途上の神」、それが人類の姿なのだと俺は考えてるよ。



 その、神により近づくために、知能も長い年月をかけて徐々に発達してきたと思っている。



 聖書にも書いてあるように、神は自分に似せて人間を作ったとある。

 つまり、人類が優れた知能を有している理由があるとすれば、まさに、この神により近づくために、神によって授けられたと、こうは考えられはしないだろうか?」



「「人間は生成途上の神」か。なあ、エドワード、その言葉を言ったのはあの悪名高いアドルフ・ヒトラー総統なんだぞ。知っていたかい?」



「いや、全く、気が付かなかった。ただ、どこかで読んだ記憶があったから言ったまでで、一体、ハロ、急に、何故そんな馬鹿げた事を俺に聞くのだ?」


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