第14話 大神優子の心配
私が、その日、自宅に帰る途中の車の中で、大神優子からの食事の誘いのメールがカーナビの画面上に届いた。
場所は、金沢駅前の高級ホテルの中にあるレストランである。こんな美味しい話を断る手はない。私は、二つ返事でOKして、そのままホテルへ向かったのである。
大神優子は、私より先にそのレストランに着いていて、この私を待っていた。ピンク色のスーツ姿、長い髪は以前と変わらない。
が、ともかく、今まで以上に美しくなっていた。もはや完全な女性となった彼女の美しさは、それに比肩するものがこの世には無い程に思えた。今の彼女は、もしかしたら、日本一、いや世界一の美人なのかもしれない。
しかし、彼女の瞳は、これまで以上に深く憂いに沈んでいる。
それが妙に気になった。
「優子さん、一体、どうされたんですか?あまり顔色が良くないようやけど……」
しばしの沈黙のあと、食事をしていたナイフとフォークを、テーブルの上に置いて。大神優子は、その異常な程美しい顔で、私を睨(にら)むようにして、一言を発した。
「田上純一さん、催眠術って、できます?」
「催眠術?」と、私は大声で聞き返した。
「ええ、催眠術ができないなら、精神分析でもいいんですけど……」
「うーん、まあ、大学では心理学は専門やからできない事は無いけど。
特に催眠療法には個人的に興味があって、同級生達とよく臨床実験はしたけれど、あまりうまくはなかったなあ……。でも、一体、催眠術で何をしようと言うんです?」
「実は、最近、悪夢にうなされるのです」
「はあ、それは多分ストレスからくる悪夢でしょう。そんなに心配する事は無いのでは。
特にあなたは、僕と違って「警察からは」絶対に安全なんですからねえ……」
「いえ、ちょっと違うんです。田上さん、私が悪夢を見るようになったのは、父がアメリカから帰って来てからなんですよ」
「それが、どうして悪夢と関係があると思うのです?」
「それは、父がアメリカから根本看護師さんと一緒に帰ってきた日の夜の事なんです。
その日の夜、普段はあまり酒を飲まない父が、日本酒を何合も飲んで酔っぱらいながら、
『ワシは、完全に騙されていたんや。あ、あの実験は全くの間違いやったがや!』と大声で叫びながら診療室にいたのです。しかも大粒の涙を流しながらです。
実は、私が、悪夢を見るようになったのはその日の夜からの事なんです」
「その悪夢とは?」
「それが多分、私がまだとっても小さい子供の頃の事だろうと推測してるんですけど、父に抱えられながら、暗い暗い部屋に入って行くのです。
で、その部屋の中には、当時の私にはよく分から無かったんですけど、大きな人形のようなものが、ぼんやりと何体かあった……まあ、そんな夢です。
でも、とてもとても気持ちの悪い夢でした。
しかも、父が大声で泣いていたその日以来、来る日も来る日もその悪夢に悩まされるようになったんです。
で、一体その悪夢は、単なる私のイメージなのか、それともそれに近い何かが現実にあったのか?それが知りたいんです。
催眠術には、過去の記憶が蘇るという逆行催眠とか退行催眠とかががあると聞きましたが……」
「確かに、年齢退行催眠は催眠療法にもあります。でも、私にはそれだけの技量は持ってないんです。悪いけど。K大学の中には心理学者の方はいないんですか?」
「それはおられます。でも、その結果、とんでもない事実がもし出てきたらと思うと、やはりこれを頼めるのは田上さんしかいない、と思うんです」
「とんでもない事実とは、例えば、優子さんはどんな事を思ってられるんですか?」
この話を切り出した時、大神優子の顔が引きつったのだ。そして。彼女は、恐るべき説を、私の前で語りはじめたのである。
「私が、父に抱えられて入って行ったのは、きっと大学のどこかにある秘密の研究室だったのでは無かったのか?そしてそこで、幼い私が見たのは、単なる大きな人形ではなくて、本物の人体そのものだったのでは無いか?そんな恐怖感が襲ってきたのです……」
「では、優子さんは、大神博士が、人工男根の研究のために、何人かの本物の人間を実際に使って人体実験をしていたのでは無いか?とそう疑われているのですね?」
「ええ、とても信じたくない話なのですが、もしかしたらと思うんです」
「でも、優子さんのその夢のような話には、ほんの少しでも、根拠か何かは、あるんですか?」
「それが、大いにあるんです!」
と、そう言って、大神優子は、古びたスクラップ・ブックを鞄から取り出し、私の目の前に置いたのだった。そのスクラップ・ブックを手に取ってみた私は、驚いた。
古い、今から約30年弱以上も前の地元の新聞記事の切り抜きが貼ってあったのだが、その見出しが結構、センセーショナルのものばかりだったのだ。
曰く
「能登半島にUFO出現か?目撃者多数あり」だとか、「ヒューマン・ミュートレーション(人間虐殺)か?数人の男性が奇怪な死に方!」とか、「金沢市で、男性の失踪事件が発生!」だとか、結構、扇情的な見出しが躍っていた。
どちらにしても、今から約30年弱以上も前の記事であり、そのスクラップ記事は、黄色く変色していたが、どうもその記事の内容は、ただ事には思えなかった。
大神優子が心配するのも理解できる気がした。
「能登半島のUFOの話は、まあ昔、チラっと聞いた事がありますが、このヒューマン・ミューティレーションとは一体何なんです?それに、このスクラップブックの持ち主は、一体、誰何ですか?」
「これは、父の書斎の机の一番奥の中に、こっそりと仕舞ってあったものです。
それに、ヒューマン・ミューティレーションとは聞き慣れない言葉だとは思いますが、これは、実はアメリカで多発した、牛や馬などの動物への、一種の虐殺行為であるキャトル・ミューティレーションの関連語なんですよ。
キャトル・ミューティレーションとは、牛とか馬とかの眼球とか性器とかが、鋭利な刃物で切り取られていた事から、一説には、宇宙人の仕業ではないかと、1970年代から80年代にかけて、アメリカ本国では随分と話題になったそうですが今から約30年弱以上ほど前、この石川県の能登半島の麓では、動物に対してではなく、何と人間そのものにかような残虐な行為が数件行われたそうなんです……」
「今では、UFOの話なんか、全て、金儲け主義のフリーライター等が適当に作り上げた話しだと言うじゃ無いですか。
勿論、それでも、数年前からアメリカの国防省は、UFOの存在自体は否定はしなくなっては来てはいますがねえ」
「そ、それは、今だから言える結論かもしれないでしょう。
でも、今から30年弱前以上の時代では、やはりUFOの存在を、堅く堅く信じていていた人達が、この日本ですら相当数いたと思われるのです。何しろ、当時テレビの特番では、たまに、放送されていた程なんですから……」
「うーん」と、私は思わず唸ってしまった。
一体、今頃になって、30年弱以上も前のUFOの話だとか、それに関連するヒューマン・ミューティレーションとかの話など、私には、とても、にわかには信じられないし、一体、それが、大神博士と、どのような関係があると言うのだろうか?
しかし、今の話だと、大神優子は、その幼少時に、何らかの不気味な体験を経験しているのである。
彼女が、催眠術、取り分け、その中の逆行催眠・年齢退行催眠により、自らの幼少時の経験をはっきり確認したいと言う思いは、確かにあながち簡単に無視できるものでは無さそうだ。……それに、あの大神博士自体が、
『ワシは、完全に騙されていたんや、あ、あの実験は全くの間違いやったがや!』
と、大声で叫んでいた、いや、泣いていたと言う話も大変に気になる所である。
どうも、ここら辺りに、大神博士が、あの異常な研究を何故行ってきたのかと言うヒントと言うか、鍵があるのかもしれない。
ともかく、大神優子の話はまんざら嘘では無さそうだから、何とかその真実を確認したいものである。
しかし、私は催眠術も精神分析もそれほど得意ではないのだ。しかも、できるだけ極秘で、その催眠術つまり逆行催眠を実施しなければならない。
私は、食後のコーヒーをすすりながら考えてみた。誰か適任者はいない者だろうか?すると、一人だけ思い当たる人物が浮かんできたのである。
それは、私の大学の先輩で、現在、大阪市で催眠術や心理カウンセリングのを含む心療内科クリニックを開業している藤沢先輩であった。この藤沢先輩は、大変に優秀な人物で大学院への進学を強く勧められたものの、催眠術の道を究めたいと、医師免許取得後、敢えて市井の中に飛び込んだ経歴を持っている。催眠術の天才とも言われている。
何より助かるのは、藤沢先輩は、私と同じ恩師の北野誉名誉教授の愛弟子であり、非常に義理堅く口の堅い性格であった筈で、仮に、大神優子が幼少時に見た体験が、本当の人体実験だったとしても、それをマスコミにリークする事は無さそうに思えたのだ。
よし、今度の、土日に、大阪へ行けば、何とかなるかもしれない。
私は、ネットで藤沢心療内科クリニックの住所と電話番号を調べて、早速、連絡を取ってみたのである。
詳しい話はしなかったが、藤沢先輩は、意外に簡単に引き受けてくれた。
藤沢クリニックには、今度の日曜日に行く事にして、残りの2~3日で、入学式の準備もしなければならない。私は、ほとんど徹夜に近い状態で、小学校の仕事をこなしていったのである。
さて、仕事の合間に私は、今までの問題点を抜き出してみた。
まず、今から30年弱以上も前の能登半島でのUFO目撃事件は、本当なのか?
しかし、当時の隣国の独裁国家のK国やT国では、そのような高性能な非行物体は、当然、絶対に製造できなかった筈だ。
しかし、新聞には、自衛隊の小松基地から、戦闘機が何度かスクランブル発進したと言う記事も載っていたから、何らかの未確認飛行物体が能登半島上空を飛んでいた事は間違いは無いのだろうが、その事とが、今回の大神優子の話とどのように関連があるのだろうか?
仮にUFOの話は与太話としてこの場合は置いておくとしても、ヒューマン・ミューティレーションの話は、そこそこ侮れない程の重要な話なのだ。
その当時、金沢市を中心として、生殖器や眼球を鋭利な刃物でえぐり取られた事件が、数件発生しているのは、新聞のスクラップ記事にある通りである。この事件は、未だに迷宮入りしており、犯人は一切捕まっていない。
その外にも、その頃突如、訳も理由も無く失踪した人間が最低でも数人程度はいるという。
独裁国家のK国よる拉致誘拐だとの節も根強かったものの、この事件も未だに迷宮入りであり、犯人の目星もついていない。
で、極めつけは、例の大神博士の号泣である。
一体全体、何に騙されたというのか?
元々、大神博士が人工男根の研究に着手したのは、実の娘の優子の「両性具有」が、その最も大きな理由だったのでは無かったのか?
つまり人工男根の研究を行おうとしたのは大神博士の個人の意思の筈であって、本来は他人に騙されたという事はあり得無い筈なのだ。
どうも、ここら当たりに今までの全ての事件の真実が隠されているのかもしれないが、今の、私にはその真実を知る事は不可能に近かった。
今できる事は、まず、大神優子に逆行催眠をかけて、本人が心配している悪夢の正体を暴かなければならない。まずは、これからスタートであろう。
次の日曜日、私は大阪市で催眠術やカウンセリング等の治療もしている心療内科クリニックを開業している藤沢先輩の元を大神優子を伴って訪れた。
ここは、良心的なクリニックで、日曜日も開業しているし、時間もほぼクライアントの要求に合わせてくれるとの評判である。
何より私より20歳年上ではあるが、私の恩師の北野誉名誉教授の愛弟子でもあり、この話の進展は早かった。
何か分からないが、何らかの心の不安を抱えている大神優子の心理的な暗闇の部分を明かしてくれるのに、彼ほどの適任者はいないとしか思えなかった。
私は、前もって用心して、この話はもしかしたら、何か凄い事件と関係があるように聞こえるかもしれないが、多分、大神優子の妄想や空想、例えば、彼女の父親は30歳半ばまでK大学医学部附属病院に勤務していたのだから、その時にホルマリン漬けの人体等を見せられたのがトラウマになっているのではないか?と敢えて尤もらしい作り話を言って、そういう風なトラウマの原因を解明して欲しいと言う話にしておいた。
また、百歩譲って例えどういう結論になっても、警察やマスコミには決して言わないで欲しいと懇願した。
藤沢先輩は犯罪事件には関わる気は全く無いないので、勿論、快諾してくれた。
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