第17話、人外の罪 下

「もちろん、そうならないのが一番良かっただろう。そうなってしまったというだけだよ」


 黙って聞いていたイチコがつきはなすように言った。生き死にとはそういうものだと思っているように聞こえた。善悪も因果応報もないとでもいうように。


「傷ついた野生動物に手を出したら噛まれる。そういうものだよ」


 イチコの無愛想な意見を、手で振り払うようにトモエは拒絶する。


「ああ、だったらさっさと殺処分するべきだ。あいつだけ特別扱いする理由はない」


 例えば映画で、ゾンビを指して「あの人はまだ生きている。理性がある」と言って助けようとしたら、何をバカなと思うだろう。今のトモエの心境はまさにそれだった。化け物なら、これ以上人間に危害を加える前に殺してやるほうがいい。


「そうですけど……でも、かわいそうですよ……」

「かわいそうだから許してやれと? それは被害者には関係がないだろう?」


 眉を下げるモモカにトモエが息巻く。「化け物とオトモダチになるつもりか?」。


「だけど事情があったことで……」

「人間ではないから少年法も情状酌量もない。人ではないのだから罪にもならないが」


 静かに横槍を入れたのはタカノリ。人のように見えてもあれは『人だったもの』だ。人ではない。人間として扱うことはできない。


「あいつばっかり助けられて、被害者は人外のしたことだって奪われたまま賠償もされない。おかしいじゃないか」


 悪いことをしたら悪いことが起こってほしい。世の中が実際にそうではないからこそ、公正を求める思いを理屈にしたのが刑罰ともいえる。たとえ相手が人間でなくても、理不尽を裁きたい。


「……納得できないのはサエさんじゃなくて『トモエが』だ」


 ナヨシの指摘にトモエはぐっと詰まって歯を噛んだ。


「人間でも人間でなくても、もうやらないならそれでいいじゃないですか。それでも駆除するんですか?」

「ひとり殺したくらいでは、駆除する理由にならないって?」

「人間の子供であればせいぜい、保護処分だろう」


 淡々とタカノリが答えた。もし人間であれば、死刑にまではならない。


「だけど、人間じゃあない」

「害獣を殺すのは人間の勝手です。必要があれば殺すが、それ以上には殺さなくていい」


 そう口にしてイチコは髪をかきあげる。犬のヤスコさんが足元で伏せ、おとなしく人間の話が終わるのを待っていた。人間の理屈などさっぱりわからないと言うように。人間も犬の理屈などわかってはいない。それでも理解できるところとできない所の狭間で数万年を一緒に生きてきた。


「助かって悪いということはないし、助けたい。もちろん、被害者のかたも助けたいし、助かってほしかったです。だから、次はきっと……」

「おれたちがするのは防除だ。人が襲われなくなればそれでいい。その後のことは俺たちの仕事ではない」


 ナヨシの発言に、モモカとトモエはうつむいた。実際、コウをどうするか決めるのは環境課であって彼らではない。こんなところで言い合ったところで意味がなかった。それぞれ思うところはあれど、吸血鬼による被害を抑えるのが仕事だったはずだ。

 沈黙に、相変わらず感情の起伏というものがないタカノリが口を開く。


「そのとおりですね。それで残っているのはどうするんです?」


 あの土に潜る吸血鬼とその眷属の問題だ。今もアオとリョウアンが見回りに出ているが連絡はない。だいぶ進んだ時計をにらみ、ナヨシが頭を振った。


「今、考えるべきはそちらだろうな」






「コウくんは、吸血鬼として血を吸おうとは思わなかったのかな?」


 質問は「吸血鬼」の話に移った。ヤマとカナヤは、コウについて今後の危険はなさそうだと判断する。もちろん、油断すべきではないし備えておく必要があるが。ともかく、残った吸血鬼、おそらくコウを吸血鬼にしたもののゆくえを気にしなければならない。


「ぼくは吸血鬼になったって気づいてなかったから。そう、ユエンが言ってた」


 コウは自分が「死んだ」ことに気づいていなかった。自分を吸血鬼と思っていなかったため、完全な吸血鬼にならなかったのだという。

 だからこそ、ユエンは自分の助けるべき「人」と認識した。死にきれずさ迷う人だから守ったのだ。その一方で、おかあさんの話していた金色の「吸血鬼」のように変化もしていた。そんなひどくあいまいな存在だった。


「吸血鬼が助けてくれるって、『おかあさん』が言ってたんだ?」


 ユエンからの報告があって調べた。おそらく浅草橋付近の事件だろう。十一月一日未明、あるアパートが突然破壊された。住人の女性がひとり、今も不明だ。部屋には幼い子供がいる痕跡があったが、近所の人は誰もそれを知らなかった。十五年ほど前に赤ん坊の泣き声がしたかもしれないというだけだ。女性の戸籍にも子供はのっていない。


「うん。もう、あんまりよく覚えてないけど……」


 こうなる前に何かできたらよかったのだとヤマは思う。言ってもいまさらではある。大人ならなんでもできるわけじゃない。間違うことも、忘れることも、知らないこともたくさんある。言い訳になるが、人が人を助けるのは大変なことだ。


「それで『おかあさん』は吸血鬼を呼んだんだね? どんなものだった?」

「ぼくも一緒にいのって……吸血鬼が来た。全部やわらかい……ねんどみたいで、目と口がいっぱいある……。たくさん手が伸びてきて、大きな口を開けて、牙があって……血のにおいがして……あとは、わかんない……」


 思い出そうとしながら、苦しそうに話を打ち切った。それもしかたがないだろうとカナヤは思う。ここであえて深く掘り下げて聞かなければならないことでもない。


 目と口の多くある肉塊。やはり両国橋のあれが吸血鬼本体か。死体が残っていなかったことから、母親のほうは食人鬼になった可能性がある。

 ……おそらくアオを襲った食人鬼だとユエンは言った。「コウを探していたのかもな?」と言われて、ヤマはどう解釈するものか迷った。食人鬼に人格が残っているとすれば、駆除できなくなるだろう。そんなヤマにユエンは笑った。「それは人格ではないさ。もっとも人間の人格など、遺伝子と電気と化学物質にすぎないらしいが」。


「そうだったんだ。いいよ、だいじなところはわかったからね」


 ヤマとカナヤはちらりと目くばせをした。二人は被害者が彼にされたことに怒るのと同じく、彼のされたことにも怒っている。それはどちらも理不尽だ。


「うん、聞かせてくれてありがとう」


 コウの名はユエンがつけたものだ。本当の名前はわからない。コウに聞いても「覚えてない」と言うだけだ。彼の名前を知るものはもういない。ユエンは知っているが、人間に教える気はないという。それは神の罰だからだと。


「コウくんは、他に話したいことはあるかな? 心配なこととか、気になることとか」

「……ぼく、どうなるの?」


 そうだな、それは心配だなとカナヤは思う。だけど、彼に必要なのはそれじゃない。もちろんこの後、ミトラが決定して実際にそうなるのだろうが、自分たちだけで決めて進めていいことじゃないと思った。


「そうだな、コウくんはどうしたい?」

「どう……」


 コウは目をぱちくりさせた。そんなこと言われるなんて考えていなかった。


「きみをどうするかじゃなくて、まず、きみがどうしたいのかだ」


 願ったそれがすべて叶うとはかぎらないけれど、自分でどうしようと考えてそうしようとしていい。この子はずっと自分で選ぶことができなかったのだとわかっている。人間には助けられなかった。それを助けられたのは神だけだ。


「……わかんない。どうすればいい?」

「楽しいことや嬉しいことを探して、考えて、自分で決めるんだ」

「たのしいこと、うれしいこと……」

「小さいことからでいい。ちょっと叫んでみたいとか、歌ってみたいとか。スキップしたくなったらしていいんだ。もちろん、やらないのもきみが決めていい」

「うん……」

「それが必ず叶うわけじゃないけれど、コウくんが何をしたいかという気持ちは自分で決めていいんだよ」






 個室から出てきたコウたちに視線が集まる。もう夜も遅くなってきた。何事もなかった顔で、ヤマがナヨシに聞く。


「ユエンさんは?」

「まだ戻ってきていません。吸血鬼の始祖と会っています」

「始祖? ……タカノリさん、どうする?」


 タカノリはスマホをちらりと見た。


「このまま宇気比に報告しますよ。彼の処遇はこの件が解決するまで保留かと。それより……宇気比がその吸血鬼の始祖とやらと話がしたいと言っていて……」

「ああ、そうか」


 ヤマの背に、コウが隠れて身を固くしていた。何がと思ったあとで自分がこの雰囲気に慣れきっていることに気づいた。確かにコウには厳しいだろう。タカノリは黙っていても人を責めているように見られる。単に生真面目で頑固者なだけなのだが。子供相手でも吸血鬼相手でも、誰がそこにいてもこの態度は変わらないだろう。


「大丈夫だよ。このおじさん、顔は怖いけどそれほど怖くないから」

「いや……けっこう怖いと思うが」

「笑うと怖いな……」


 ひきつった顔でトモエとナヨシが反論した。彼とはそれなりのつきあいだが、怖くないと思ったことがない。


「え、え、笑うの? 見たんですか?」


 モモカがとんちんかんな方向に進めようとするのをカナヤが戻す。


「じゃあ、ユエンさん帰ってきたら、コウくんは……」


 その時、オフィスの扉がギシギシと開いた。入ってきた顔が誰か、コウにはすぐにわかった。クナドだ。耳を赤くしたクナドはぶるりと震え、中にトモエを見つけると入ってきた。


「トモエさん、何かわかりましたか? こないだ吸血鬼が出たって……」


 それが言い終わる前、コウは思わずかけよっていき、話しかける。言いたいことがあった。言わなくてはならないことがあった。それを言うことで、彼が悲しまなくなるならすぐにでもそうしたかった。


「クナド、ごめん。ごめ……」


 彼はその一言で理解した。まさかと思い、そんなはずがないとずっと否定していたことに気づいてしまった。もう疑いようがなかった。クナドの目が一気につり上がる。


「おまえが!」


 叫び声に、びくりとコウの動きが止まる。初めてクナドを怖いと思った。


「だましたな! どうして近づいた!」

「クナド、ねえ……」

「どの面下げて笑ってたんだ!」


 あまりの剣幕にコウは後ずさる。クナドがそれを追いかけるように顔を突きだした。


「返せよ! いいから返せ! 母さんの何が悪かったていうんだ!」


 傷つけられた母の足を、平穏だった家族を、冒涜された尊厳を、貶められた気持ちを回復させる方法を探して、コウににじりよった。コウはどうしたって返せないことがわかっていた。コウに差し出せるものなど何もなかった。それでも謝らなければならなかった。


「……ごめんなさい」

「うるさい、黙れ! 謝るなんて人間らしいことするな、気持ち悪い!」


 いっそ、まったく理解のできない異形の化け物であればよかった。天災のように意思なくすべてを壊して去っていくものであればよかった。人の形をして人の言葉を話すからこそ許せなくなる。

 クナドは反射的に手をあげた。そのとたん、輪ゴムが飛んでクナドの鼻にパチンと命中した。トモエだった。クナドの手が止まる。


「おい、クナドくん。ちょっとつきあえ」

「え?」


 トモエは彼の肩に手をまわして、来たドアのほうにぐいぐい押していく。


「ラーメン食いにいくぞ。メシ食い逃した」

「ラーメンって……なんであいつばっか助けるんですか……」

「そこの辛味噌ニンニク増しだ。行くだろ?」


 クナドは答えなかったが、おとなしくトモエと肩をあわせた。肩をすぼめたまま一度も振り返らず出ていく。そのままドアが閉められ、階段を降りていく音が消えていった。


「ごめん……」


 あとに残されたコウがもう一度だけつぶやく。言えたのに届かなかった。


「別に許さなくたっていいし、許されなくていいと思うけどな」


 砕けた調子でカナヤが言う。「うまくいかないもんだ」とコウの背を軽く叩いた。クナドは吸血鬼を許さないことで自分を守っている。コウには確かに事情があったわけだが、それを被害者が汲み取らなければならない理由はない。いきなり襲ってきた獣を信用なんてできない。


「謝ろうとしたのは伝わった。そうだろう? だから、きみにできることはもうない。あっちは彼の問題で、こっちはコウくんの問題。それぞれ解決しなくてはならないんだ」


 おだやかな表情のまま、ヤマが窓の下を見る。ビルを出たところでトモエがクナドと肩を寄せてあっていた。言いたいことを言わなければ納得しなかっただろうが、やりすぎれば彼自身がもっと傷ついただろう。


「大丈夫、おれたちはクナドくんも助けたいと思うよ」






「おや。なんだ、どうした?」


 隅の影の中からぬるりと人型が現れた。ナヨシたちがユエンを迎える。


「ああ。……いろいろあった」


 説明になっていないが、ユエンはたいしたことではないというようにうなずいた。


「そうか。竜の小童が人間と話をしたいと言った」

「わらし?」

「やつらは竜老公と呼ぶか。ようは吸血鬼の始祖だ」


 始祖、吸血鬼の親玉か。ぴしりと組合オフィスに緊張が走る。


「人間とだって? えらいやつがいいか、都知事とか。もっと上?」

「エラくなくていい。吸血鬼のことがわからんやつに言ってもしかたがない」


 こわばった空気を破るようにカナヤが出した名前を、ユエンが一蹴した。


「……じゃあ、やっぱりミトラさんか」


 宇気比ミトラは都の吸血鬼担当だが、責任者ではない。けれども、彼にまかせれば大丈夫だと皆が思った。彼が必要と判断すれば上にもあげるだろう。ともかく、彼ならば頭ごなしに対応しようとはしない。


「そいつを呼んでくれ。例の吸血鬼を倒さねばならん」

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