第33話、人外の罪 上

「コウくんだね、楽にしていいよ」


 ヤマに勧められ、コウは固いパイプイスに座った。防除組合にある狭い個室だ。窓のむこうは日が落ちてすっかり暗くなっている。人工の光はまだ賑やかについているが、ここではブラインドにほとんどさえぎられていた。


「……うん」

「ああ、大丈夫だ。今日は話を聞くだけだから。それ以上のことはしない」


 アオが帰ってきたその次の日。ユエンから連絡を受けた組合と鬼害対は、コウ本人から話を聞こうと組合のオフィスに来てもらっていた。


 まず、医師のアゲハが脈と呼吸を測った。そこで生きた人間ではないのを確認し、採った血が塵に変わったことで妖精と判断した。吸血鬼だと結論づける。ここからはアゲハとショウケンが研究室に戻った後の話だ。


「きみをどうするか決めるのは、都の環境局……吸血鬼担当のミトラさんだ。だから、おれたちはできるかぎり、きみの言葉をそのまま伝えたい。いいかな?」


 緊張して座っているコウに向かって、ヤマは大柄な体を丸めた。彼は自分の優しい顔の使い方を知っている。カナヤがココアを入れて差しだした。コウはためらいがちにカップをとって、口をつける。


「話したくないなら話さなくてもいい。それで決めたりはしないよ」

「うん」


 ココアを飲みこむとじんわり胸が温かくなる。思いだすのは怖い。でも、この人たちにちゃんと話したいと思った。アオにもシガンにもうまく話せなかったことを。


「アオさんを助けてくれてありがとう。よくがんばったね」


 ヤマは静かに声をかける。それは自分を落ちつかせる意味もあった。先入観を自覚しようとする。人を殺した吸血鬼という事実と、気弱な子供のようなふるまい。過剰に恐れず、安易に同情もしないように。


 アオからは五、六歳の子と聞いてたが、今のコウは十歳過ぎに見える。ユエンが言うには、吸血鬼の見た目はそのありかたに引きずられるという。ここ数ヶ月でずいぶん成長したということだろう。




 三日月が西の空に傾いている。アオとシァオミン以外の組合と鬼害対のメンバーがオフィスに集まっていた。アゲハは吸血鬼への興味を優先してしまうと除外され、ショウケンは自分がいたって何にもならないと塵の成分分析のために戻った。


 アオはゲンを連れてシァオミンと見回りに行った。アオから普段のコウのことを聞きたかったが、この件に口を出したくなさそうなのは明らかだった。追求も擁護も私情が入ってしまうと考えているのかもしれない。


「……アオさんを助けたんだから、いい子だと思うんですけど」


 個室のほうを見ながら、モモカがつぶやいた。しんと静まりかえったオフィスでは、誰かに聞いてほしいと言ったも同然だった。すかさず、トモエが言いかえす。


「なら、人を殺したから悪いやつというわけだ。そうだろう?」

「まだ子供です。それに、それが悪いことだってわかってなかったからで……あの子にはどうしようもなかったんですよ。事故のようなものです」

「あれだけ残虐に殺しておいて、過失もなにもない」

「人の力であれば、です。クマが遊びでじゃれただけで人は死ぬ」


 トモエが厳しく言い切ると、イチコが静かに返した。


 聞いていて気難しい顔をさらにしかめたのは水宮タカノリ。長い髪をとめる赤クリップは「噛みつきグセ」と陰で言われている。都の鬼害担当者である彼が聴取を行うべきだったが、子供の相手は向いていないと締めだされた。実際、そのとおりだとタカノリも思っているので異議はない。


「誰だって、自分が絶対に悪いことをしないとは言えないじゃないですか。間違ったって、きっとやりなおせるはずです」


「それがとりかえしのつかないことでもか? 人を殺すことを覚えた化け物を野放しにしろって?」


 モモカはたじろぎつつも言い返す。


「それでも……たぶん、あの子なりに深く受けとめてるんです。もう、こんなことはやらないって思いますし……」

「『誰かが殺されたおかげで成長できてよかった』って言うのかよ?」

「そんなこと……」

 トモエに詰め寄られ、モモカが言葉を失う。とりかえしがつかなくても、やりなおせないと諦めるよりずっといい。人死にと釣りあいがとれるのかはわからないけれど、ここで彼を助けられなかったらなにも残らないじゃないか。




「コウくんが全部やったわけじゃない、それでいいかな?」

「うん」

「男の人と……女の人、シガンさん、男の子。この四件がそうだね?」

「……たぶん。あんまり覚えていないけど、ユエンが来てからはやってないから」


 そうかとカナヤはうなずいた。一件の殺人と三件の傷害事件。他の鬼害と違い、吸血されてないものだ。なるほど、吸血鬼が一体いて、人間をひとり吸血鬼にした。その吸血鬼がさらに人間を襲い……このため、おかしな事件に見えたのだろう。


「じゃあ、コウくんがどういうことをしたのか、聞いてもいい?」


 ヤマは威圧感を与えないよう柔らかい口調でたずねた。コウを見たとき、やったことに反してとても繊細な子だと思った。コウは言いにくそうにしながらも、言葉を確かめるようにして言いあらわそうとする。


「人をね、殺したの。手が、爪が大きくなって……それで……」

「……そうか。思いだせるだけ最初から話してほしいな」


 あまり感情を入れない声でヤマは聞いた。コウは話したかったけれど、どこから話せばいいのか困った。最初というのは吸血鬼になるより以前、おかあさんがいたときだろうか。その記憶はかすんでいて、はるか遠くにあるようだった。


「まず、『そうする』前、コウくんはどこにいたのかな?」

「部屋のなかだと思う。おかあさんとそこにいた。でも吸血鬼が来て、おかあさんが食べられて、ぼくも痛くて怖くて動けなかったけど、気づいたら部屋から出ていた。どこにいるかわからなくて、おかあさんがいなくて、だから待ってた。雨がふってたけど、ずっとむかえにきてくれるのを待ってた。それで、人が来て……怖くて、悪いやつだと思って……。それで殺したんだと思う」


 殺したという言葉にカナヤがそっと息を飲んだ。一方、ヤマは動揺などおくびにも出さず、穏やかに質問を続ける。


「それは殺そうとしたのかな? それともたまたま? ……手が当たっちゃった?」


 自分は悪くないと言えればどんなによかっただろう。コウ以外、それを誰も見ていない。でも、コウはウソをつくことができなかった。ちゃんと答えなければならないと思った。


「わかんない……殺そうとは思ってなかったけど、それは『殺す』ってわかってなくって……だけど、殺したかったんだと思う」

「もう少し詳しく話してくれるかな?」


 コウは言葉を探して、自分にちょうどよい言葉がないことがわかった。だから、今もっている言葉をたくさん使って伝えようとする。


「ぼくは、それが『死ぬ』ことだってわからなかった。『嫌だ』って思って、手を動かしたら血が出て……その人が逃げた。『なんで逃げるんだ』って、手を振りおろした。そしたら皮がさけて、もっと血が出て、すごく気持ちいいと思った。だからたくさんやった。その人が動かなくなるまでやった。……『死ぬ』ってことは知らなかったけど、動かなくなるまで、『死ぬ』までやろうと思ったのは、本当」


 そこまでをとぎれとぎれに話した。コウは「死」を知らなかった。殺そうと思ったわけではないけれど、それは「死ぬ」「殺す」という言葉を知らなかっただけだ。それがわかってしまったら、コウは自分が怖くてしかたなかった。


「そうだったんだね」


 カナヤがうなずいた。責めることもなぐさめることもしない。自分の価値判断を入れる必要はなかった。ヤマもカナヤもじっとコウの言葉を待つ。


「おかあさんは、部屋の外にいるのは悪いやつだって言ってた。おかあさんがしあわせになれないのはそいつらのせいだって。だから、動かなくしたらおかあさんは喜んでくれるって思った。思いっきりつぶしたら……自分が強くてすごいものになった気がした。もう弱くないって思えた。おかあさんを助けてあげられるって……」


 コウは一度口を閉ざし、それからはっきりと言った。


「だいじなものが壊されるのは悲しい。だからダメだ」

「……うん。そうだね」

「でも、覚えてるんだ。殺したとき、すごく嬉しかったの。胸がいっぱいになって、軽くなって、楽しいって思った。だから、またやっちゃうかもしれない。ダメなのに、だいじだって思うのに、『殺したい』って思っちゃうかも」


 コウは唇を噛んでうつむいた。一度やってしまえば、次は抑えがきかなくなる。たとえどんなに後悔して「もうやらない」と思ったとしても、それはすでに「やる」ことを考えてしまっている。思考に「殺す」ことが入りこんでいる。


「……よく考えたね。自分の思ったことを知ろうとしたんだね」


 ヤマがそっと声をかけた。かつてはこんなことを考えてはいなかっただろう。自分がどう思ったのかさえ、わからなかったかもしれない。それを、今は誰かにわかるように説明しようとしている。


 その横で、カナヤは思いだす。飼っていた鳥が、家に入ってきた猫に殺されたときのことを。小さかったカナヤは怒って猫を追い回した。そして猫の飼い主に怒られた。猫が悪いのか、飼い主が悪いのか、カナヤが悪かったのか。今でも、あのときどうすればよかったのかわからない。それと似たような感情になった。

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