第17話、人外の罪 上

「コウくんだね、楽にしていいよ」


 ヤマにすすめられ、コウは固いパイプイスに座った。防除組合にある狭い個室だ。窓の向こうは日が落ちてすっかり暗くなっている。人工の光はまだにぎやかについているが、ここではブラインドにほとんどさえぎられていた。


「……はい」

「ああ、大丈夫だ。今日は話を聞くだけだから。それ以上のことはしない」


 アオが帰ってきたその次の日。ユエンから連絡を受けたヤマとカナヤは、コウ本人から話を聞こうと組合のオフィスに来てもらった。


 まず、医師のアゲハが脈と呼吸を測った。そこで生きているものではないことを確認し、血をとってそれが塵に変わったことで妖精と判断した。吸血鬼だと結論づける。ここからはアゲハが研究室に戻ったあとのことだ。


「きみをどうするか決めるのは、都の環境課……吸血鬼担当のミトラさんだ。だから、おれたちはできるかぎり、きみの言葉をそのまま伝えたい。いいかな?」


 緊張して座っているコウに向かいあって、ヤマは大柄な体を丸めた。彼は自分の優しい顔の使い方を知っている。落ち着かせるように、カナヤがココアを入れて差し出した。コウはためらいがちにカップをとって、口をつける。


「話したくないことは話さなくてもいい。それだけで決めることはしないよ」

「うん」


 ココアを飲み込むとじんわり胸があたたかくなる。思い出すのは怖い。でも、この人たちにちゃんと話したいと思った。アオにもシガンにも話せなかったことを。


「まず、アオさんを助けてくれてありがとう。よくがんばったね」


 ヤマは落ち着いた声をかける。それは自分のことを落ち着かせる意味もあった。先入観を自覚しようとする。人を殺した吸血鬼という事実と、気弱な子供のようなふるまい。過剰に恐れるべきではないが、安易に同情もしない。


 アオからは五、六歳くらいの子と聞いてたが、今のコウは十二歳ほどに見える。ユエンが言うには、吸血鬼の見た目はそのありかたに引っ張られるという。ここ数ヶ月でずいぶん成長したということだろう。







 三日月が西の空に傾いている。アオとリョウアンが見回りに出ていたが、その他の組合と鬼害対が個室の外に集まっていた。研究室のアゲハは事情を聞くより吸血鬼への興味が先に来るだろう。そのためカナヤが対応することになった。


 アオはゲンを連れているからと見回りに行ったが、この件に口を出したくなさそうなのは明らかだった。本当はアオから普段のコウがどうなのかを聞きたかったが、追求も擁護もしにくいのかもしれない。


「……アオさんを助けたんだから、いい子だと思うんですけど」


 部屋のほうを見ながら、モモカがつぶやいた。しんと静まったオフィスでは、誰かに聞いて欲しいと言ったも同然だった。すかさず、トモエが言い返す。


「なら、人を殺したから悪いやつだ。そうだろう?」

「……まだ子供です。それに、それは悪いことだってわかってなかったからで……あの子にはどうしようもなかったんですよ。事故のようなものです」

「あれだけ残虐に殺しておいて、事故もなにもないだろ」


 無言できむずかしい顔をさらにしかめたのは水宮タカノリ。長い髪をゆわえる赤いリボンは「噛みつきグセ」と言われる。本来、都の吸血鬼担当である彼が聞き取りを行うべきだが、子供の相手は向いていないと判断された。実際、その通りだとタカノリ自身も思っているので異議はない。


「誰だって、自分が絶対に悪いことをしないとは言えないでしょう?」

「『する可能性がある』と『実際にやった』のは違うでしょう」


 タカノリが口を挟む。


「それでも……たぶん、あの子なりに深く受け止めてるんです。もう、こんなことはやらないって思いますし……」

「人を殺すことを覚えた化け物を野放しにしろって?」

「そんな……」


 トモエに詰め寄られ、モモカが言葉を切る。そこにさらに踏み込んだ。


「モモカは『人が殺されたおかげで子供が成長できた』って言うのか?」


 そんなこと言えないとモモカは思った。でも、人死にと釣り合いがとれるのかはわからないけれど、ここで彼を助けられなかったら何も残らないじゃないか。






「ユエンさんは、コウくんが全部やったものじゃないって言っていた。それでいいかな?」

「うん」

「男の人と……サエさん、シガンさん、男の子。この四件がそうだね?」

「……たぶん。あんまり覚えていないけど、ユエンが来てからはやってないから」


 そうかとカナヤはうなずいた。一件の殺人と三件の傷害事件。他の鬼害事件と違う、吸血されてないと考えられたものだ。なるほど、はじめに吸血鬼が一体いて、食人鬼とともに事件をおこした。そして人間をひとり吸血鬼にした。その吸血鬼がさらに人間を襲い……このため、おかしな事件に見えたのだろう。


「じゃあ、コウくんがどういうことをしたのか、聞いてもいい?」


 ヤマは威圧感を与えないよう、やわらかく聞く。コウを見た時、やったことに反してとても繊細な子だと思った。けれども、コウは言いにくそうにしながらも、自分のやったことを言い表そうとする。


「人をね、殺したの。手が、爪が大きくなって……それで……」

「……そうか。思い出せるだけ最初から話してほしいな」


 感情を入れない声でヤマは聞いた。コウは全部を話したかったけれど、どこからどのように話せばいいのか困った。最初というのは吸血鬼になるより前、おかあさんがいた時だろうか。その記憶は白くかすんで遠くにあるようだった。


「まず、『そうする』前、コウくんはどこにいたのかな?」

「どこ……部屋のなかだと思う。おかあさんとそこにいた。でも吸血鬼が来て、おかあさんが食べられて、ぼくも痛くて怖くて動けなかったけど、気づいたらそこからにげてた。どこにいるかわからなくて、おかあさんがいなくて、だから待ってた。雨がふってたけど、ずっとむかえにきてくれるのを待ってたの。それで、人が来て……怖くて、悪いやつだと思って……。それで殺したんだと思う」


 殺したという言葉にカナヤが静かに息を飲む。動揺などおくびにもださず、おだやかにヤマは質問を続けた。


「それは殺そうとしたのかな? それともたまたま? ……手が当たっちゃった?」


 自分は悪くないと言えればどんなによかっただろう。コウ以外誰も見てはいない。偶然、爪が当たって死んでしまったのだと言ってもよかった。でも、コウはウソがつけなかった。ユエンは妖精はウソをつけないと言ったけれど、それとは別に、ちゃんと答えなければならないことだと思った。


「わかんない……殺そうとは思ってなかったけど、それは『殺す』ってわかってなくって……でも殺したかったんだと思う」

「もう少し詳しく話してくれる?」


 コウは言葉を探して、自分にちょうどよい言葉がないことがわかった。だから、今持っている言葉をたくさん使って伝えようとする。


「ぼくは、それが『死ぬ』ってことだってわからなかった。『嫌だ』って思って、手を動かしたらその人から血が出て……その人が逃げようとした。なんで逃げるんだって思って、手を振りおろした。そしたら、人が破けて、肉がつぶれて、もっと血が出て、すごく気持ちいいと思った。だからもっとやった。動かなくなるまでやった。……『死ぬ』ってことは知らなかったけど、動かなくなるまで、『死ぬ』までやろうと思ったのは、本当」


 そこまでをとぎれとぎれに話した。コウは「死」を知らなかった。殺そうと思ったわけではないけれど、それは「死ぬ」「殺す」という言葉を知らなかっただけだ。死ぬまでやろうとしたのは事実だ。それがわかってしまったら、自分が恐ろしくてしかたなかった。


「そうか」


 ヤマは静かにうなずいた。責めることもなぐさめもしない。ただそうなのかと答えただけだ。自分の価値判断を入れる必要はなかった。ヤマもカナヤもじっとコウの言葉を待つ。


「おかあさんは、部屋の外にいるのは悪いやつだって言ってた。おかあさんがしあわせになれないのはそいつらのせいだって。だから、動かなくしたらおかあさんは喜んでくれるって思った。思いきりつぶしたら……気持ちよくて、自分が強くてすごいものになった気がした。もう弱くないって思えた。おかあさんを助けてあげられるって……」


 人を攻撃するのは気持ちがいい。相手が悪いと思えばなおさら。人間とはそうできている。逆に、そうでなければルールなんてものは守られてこなかったのかもしれない。


「でも、ダメなことだってわかった。みんなだいじだから。だいじなものが壊されるのは悲しいことだから」

「……うん。そうだね」

「でも、覚えてるんだ。殺したとき、すごく嬉しかったの。胸がいっぱいになって、軽くなって、楽しいって思った。だから、またやっちゃうかもしれない。ダメなのに。だいじだって思うのに『殺せばいい』って思っちゃいそうになる。それが怖い」


 コウは唇をかんでうつむいた。一度やってしまえば、次は抑えがきかなくなる。たとえどんなに後悔して「もうやらない」と思ったとしても、それはすでに「やる」ことを考えてしまっている。思考に「殺す」ことが入り込んでいる。それが怖いと言った。


「……よく考えたね。よく自分のことを見ようとしたんだね」


 ヤマがそっと声をかけた。その時はこんなことを考えてはいなかっただろう。自分がどう思ったのかさえわからなかったかもしれない。それを誰かにわかるように説明しようとしている。


 その横で、カナヤは思い出す。飼っていた鳥が、家に入ってきた猫に殺された時のことを。カナヤは怒って、許せなくて猫を追い回した。そして猫の飼い主に怒られた。猫が悪いのか、その飼い主が悪いのか、カナヤが悪かったのか。いまでも、あの時どうすればよかったのかわからない。それと似たような感情になった。

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