第13話、良いこと悪いこと 下

 夕食の後、おっきなイチゴのショートケーキを食べたコウは早々と布団に入った。「寝ないとサンタさん来ないよ」と散々シガンに言われていたからだ。頭まで掛け布団をかぶって、ときどき外を覗いてみる。そして来てないとわかるとまた布団をかぶるのだった。


「寝ろよ……」


 もぞもぞとしている塊を見て、シガンが呆れたようにつぶやく。コウはもうシガンがいなくても眠れるようになったが、これではサンタも大変だ。


 そう思った時、ユエンが音もなく部屋に入っていった。布団の山の横にプレゼントを置き、なにもなかったような顔をして戻ってくる。部屋の空気さえ揺らがなかった。


「おい、おまえ……」


 ユエンはにいっと笑って見せた。コウが布団から顔を出し、プレゼントに気づいた。喜んでそれを抱え上げると、シガンのところまで見せにくる。


「サンタさんだ! ねえ、サンタさん来たよ! どこから来たの?」

「ん? 窓から来たよ。気づかなかったか?」

「……気づかなかった。シガンは会ったの?」

「そうだな、挨拶くらいはするさ。ここに寝てるいい子がいるって教えたんだ」


 表情を明るくしてコウはラッピングをはがしていく。出てきたバッグを見て、「アオのみたいだ」と肩にかけて笑った。自慢するようにシガンに見せ、くるくると回って見せた。これは帰ってきたらアオも捕まって聞かされるんだろうな。


「なるほど、サンタというのはいいものだ」






「おはよう。あけましておめでとう」


 コウが起きてくると、シガンが挨拶をした。今日は元日だ。


「あけまして、おはよう?」

「えーっと、年が明けたからよろこぼうってやつだ」

「なんでうれしいの?」

「なんでって……ううん。なんでだろなあ?」


 年が変わったからといって昨日と今日で何が変わると言うわけでもない。それでもまた一年経ったかあという感慨と喜びとちょっとの寂しさを感じるのは年を重ねたからだろうか。


「人間は区切りをつけたがるものだ。それに、滞りなく流れる時間への礼節というのは悪いものではない。そうだろう?」


 ユエンが現れてわかった顔で言う。「ん、まあ、そういうことなんだろう」。シガンもよくわかっていないので話を合わせる。一年というのは気持ちを切り替えて新しいことを始めようとするのにちょうどいい区切りなんだろうと思う。


「まあいいさ、おモチ食べるぞ。何個がいい?」

「いっぱい」

「はいよ」


 そうこうしているうちにアオが帰ってきて、ゆでたモチを食べる。きなこには砂糖と塩少々。甘くて香ばしいところに塩がきいている。


「アオさんとこお雑煮は何でつくる?」

「うん? あー……ウチは雑煮はつくらんかったなあ……」

「そうなの?」


 その横でコウがモチと格闘している。ぐにょんと伸びた餅ときなこが手にくっついていた。焼いて醤油をつけて海苔で巻いてやったほうが食べやすかったかもしれない。一方のユエンは丸呑みした。


「……二人ともモチははじめて?」

「よく噛んで食べな。死ぬぞ」




 アオがひと眠りして、夕方、近くの小さい神社に初詣に行く。小さいなりに人出はあって、麹の甘酒を振る舞っていた。


「コウくん、甘酒は後で」

「うん」

「このお金を箱に入れて、神さまに『いい年になりますように』ってお願いするんだよ」


 列に並びながら、もらった百円玉を握ったコウが聞いてきた。


「おみせやさん?」

「モノを買うわけじゃなくて……ええと、神さまにありがとうって知らせるお金かな」

「なんで、ありがとうっていうの?」

「ううんと……」


 アオが首を捻る。そういう習慣だと思っていたから、疑ったことがなかった。ユエンがにこにこしてそれを見ている。シガンがちょっと身をかがめてコウを見た。神のことはよく知らないが、神を信じる人が何を思っているかは少し心当たりがある。


「そうだなあ。コウくんは、嬉しいとか悲しいとかいろいろ思うだろ?」

「うん」

「自分だけじゃどうにもならないこともいっぱいあるよな?」

「うん」

「その自分だけじゃうまくいかないところを神さまにお願いするんだ」

「……うん」

「それで、うまくいったのは自分だけのおかげじゃないからお礼を言うんだよ」

「なるほど」


 横からつぶやいたのはユエンだった。コウはまだわからない顔をしていたが、シガンがその肩を叩いて少し進んだ列に戻す。その横であいまいに笑いながら、アオは自分の分の小銭を見つめた。


「そうかあ。そうだよなあ……」


 自分たちの番が来て、賽銭箱にお金を入れて鐘を鳴らし手を打った。頭を下げる。コウはシガンとアオを見ながら同じように頭を下げた。ユエンはさっさと終えて待っていた。「私は神に祈ることなどないからな」。


 それからおみくじを引いて、甘酒を飲む。暖かくて甘い匂いに心がほっと溶けていった。「おみくじなんだった? ぼくは……転機が来る、か」「俺は、探せば出る? なんだろ。コウくんは?」「……てばかなう」「待てばかなう、か。いいじゃないか」「ユエンさんは?」「……時を待て。ふむ、まあ大体のことはそうだ」。




「寒いだろ、ほら」


 帰り道、シガンは手を出してコウの手を取った。コウは高いところにあるシガンの手を握る。それからアオに向かって反対の手を出した。アオも手を取る。コウがぴょんと跳ねると両手を支えられて大きく揺れた。まるでブランコだ。


「ユエンは?」

「うん? ……そうか、それならばそうしよう」


 ユエンに手を出されたアオは少し驚いて、そっとその手に触れる。柔らかく握り返された。「なるほど。こういうのが好きなのか」「ユエンさん、楽しい?」「……そうだな、楽しそうなのを見るのはいい」。それから、ユエンが小さくつぶやいた。


「私はちゃんと『神』をやれているだろうか」


 そうか。ユエンは……コウの神であろうとしているのだ。彼が彼自身ではどうしようもないことをどうにかしようとしているのだ。それはとても、重いことに思えた。


「……大丈夫だよ。俺たちだっているし、ユエンさんだけがやらなくていいんだ」


 ユエンが少し不満そうにアオを見あげる。


「いや、その……俺は、ユエンさんがいてくれてよかったと思ってるよ。それはホント」

「そうか。ならいい」

「あ、ひこうきぐも。まっすぐ」


 こうして新年は始まった。いい年になりますように。






 年が明けてしばらく、シガンはコウを連れて「みなと」に行くことにした。「ほら、靴下はいて。ハンカチとティッシュもって。あと五分だ。間に合わなかったら連れてかないぞー」「まって」「待たない」。


 ようやく準備ができて街に向かう。コウはときどき何かを気にして立ち止まるが、シガンがせっつくと足を速めてくれる。そして歩いているうちにまた忘れる。「あーもう……ほら、そろそろ行くよ」。興味が切れたタイミングを見計らうのがうまくなってきた。


「こんにちはー」

「はい、こんにちは、シガンくん。コウさんも一緒?」

「そう。こないだ遊んだの楽しかったんだと」


 ドアを開けるとアキツが迎えた。オクドさんが尻尾を立てて歩いていく。奥を探すと、カゴメたちがいた。でもヒカルはどこにもいない。また会おうって約束したのに。


「それはよかった。ヒカルさんがね、これをコウさんにって」


 アキツが背をかがめて、大きなドングリをコウに渡した。細長くて先がきゅっととがっているドングリだ。手のひらにころんと乗っかったドングリに、コウは目をみはった。


「冬至祭に来れなかったでしょ。ヒカルさんが残念がって、プレゼントだって」

「これ、コウに?」

「そうよ」


 胸がぎゅっとなって嬉しいと思った。ヒカルはコウのことを忘れていなかった。会えなかったけれど、それだけでよかった。また会った時に「ありがとう」って言って、自分も何かいいものを渡したかった。満月のような金の折り紙だったら嬉しいかな。


 それからコウは小あがりに座ってドングリで遊んだ。テーブルの上でコマのように回したり、細い先端を指に立たせてみようとした。手の中で転がしたり、両手を閉じてころころ揺らしてみたりした。


「……ねえ、それ見せてよ」


 横から女の子がついと手を出してきた。コウは嬉しかったからドングリを見せることにした。きっと喜んで、「いいドングリだね」って言ってくれると思った。


 そのとたん、女の子がドングリを奪って、床に落として踏みつけた。コウは何があったのかわからなかった。どんな顔をしていいのかわからないまま、からが潰れて中身がでているドングリを見おろしていた。


「ウズエ!」


 カゴメが叫んだ。その声で厨房からシガンと、メガネの女の人が出てきた。


「カヤさん、ウズエがひどいことした! コウのドングリ潰しちゃった!」


 その言葉にドングリが潰れてしまったのだと理解できた。こわごわとしゃがんで拾いあげる。ぺちゃんこのドングリをぎゅっと手のなかに隠す。


「ちょっと落としただけでしょ! ドングリひとつでうるさい」

「わざとだったもん!」

「わざとじゃないって」

「ウソつき! わたし見たから。それに、いっつも人のもの壊してるじゃん、ひどいよ!」


 はいはいとカヤが二人に割って入る。シガンは鳥追ウズエの肩を叩いて、腰をかがめると顔をのぞきこんだ。


「ウズエさんは、ちょっとお茶飲んで話そうか?」


 嫌そうにしたウズエだったが、その背を押して離れたところに向かう。その様子を見おくったカゴメがじだんだを踏んだ。


「なんで、ウズエが悪いのに。力いっぱい踏みつけたじゃない」

「そっか。カゴメさんは見たんだ、わざと踏んだとこ。教えてくれてありがとね」

「そうだよ。なのに、なんで」

「だけど、『ウソつきだ』なんて言ったら認めにくいよ。ウズエさんはアキツさんがお話するからね」

「なんで、わたしばっかり怒られるの……」


 泣きべそかきそうになってカゴメは口をとがらせた。カヤはそっとその肩を撫でる。


「怒ってないよ。優しく言ってあげよう? カゴメさんが間違ったときは私も優しくしたいもの」


 それからカヤはコウのまえにしゃがんだ。コウはヒカルになんて言ったらいいんだろうと考えていた。ちゃんとしたドングリがないと、もう二度と会えない気がした。


「コウさん、ごめんね。悲しかったね」

「……うん」

「親切で見せてあげようとしたんでしょ? ありがとう」

「……うん」

「今回はうまくいかなかったけど、コウさんのせいじゃないからね。コウさんは悪くないよ。だから、嫌だって思ったら怒っていいの」


 それからまたカゴメを見た。カゴメは不満そうに肩を怒らせ、じっと床を見ている。


「カゴメさんもコウさんのだいじなドングリ潰されて怒ったんだよね。ありがとう、コウさんのために怒ってくれて」


 そうか。カゴメはコウのだいじなものをだいじだと思ってくれた。だいじという言葉が手で触れたようにわかった。ヒカルにもらったドングリはだいじなもので、それを潰されたからこんなに悲しいのだ。だからカゴメはウズエに怒るんだとわかった。


「カゴメ、ありがと」

「いいよ、もう……」






 コウは手の中のドングリを確かめるように触った。せっかくヒカルがくれたドングリなのに。腹が痛くなって苦い感じもして、目がじんわり熱くなって、とても悲しくて怒ってるのだけど、そんな言葉ではどうがんばっても言い表せないような気持ちがした。


 ドングリをポケットにしまってすみっこの壁に背をつけて座っていると、目の前にカゴメがいた。カゴメはまだ怒っていて怖いと思った。思わずコウの口が開く。


「ごめんね」

「……なにが?」


 きつい声で返されて、それ以上コウは何も言えない。


「ウズエは悪い子なの。ピアノに行きたくなくて、叩かれたってウソついたの。だからリコンしちゃったんだって。いつも人のもの壊してわざとじゃないってウソつくの。わたし、ウズエ嫌い。でも、わたしが言いすぎだって言われる。おかしいよ」


 誰かが怒っているのは嫌だ。たとえ自分に怒っているわけじゃなくても。


「……カゴメ、マンカラしない?」

「え、できるの?」


 カゴメは以前やったとき、コウがぜんぜんゲームにならなかったのを覚えていたようだ。


「できるよ。シガンとやるもん」


 シガンとアオとはいい勝負をするようになって、丸の数と豆を増やしても勝てるようになった。あくびをしているオクドさんを避けて、おはじきを出してくる。


「じゃんけんね」


 カゴメの勝ちで先手。ひょいひょいとおはじきを動かす。続いてコウがおはじきを取った。最初は上手くいっていたのが、追い上げられていき、コウがねばったが最後の最後でカゴメが勝った。でもおはじきの数は僅差だ。コウは負けたけれど嫌ではなかった。楽しかった。カゴメは満足そうに大きく笑った。


「強くなったねー!」

「うん。ねえ、もう一回やろう?」

「いいよ」


 おはじきを円の中に戻す。その向こうで、ウズエが奥から出てきた。コウは、もとどおりのぷっくりしたドングリを返してほしいと思った。いいものを見せてあげようとしたコウの気持ちまで壊された気がしたから。


 ウズエは隅でうつむいている。なんでなんで泣きそうなんだろう。自分はこんなに悲しかったのに、ウズエはちっとも痛くないなんてずるいと思った。コウも泣きたいのにひとりだけ泣いてるのは自分勝手だと思った。ウズエが悪いのに。


「気にしなくていいよ、あんなの」

「あ、うん……」


 考えるだけで悲しいからもうウズエに近づきたくなかった。もう見せてあげない。絶対に見せてあげない。それなのに、ちらりとこっちを見た目がさびしく見えた。

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