第13話、良いこと悪いこと 上

 キッチンに歌が響く。銀座の食人鬼騒動から一日と少し、夕食当番のアオが歌っていた。


「ピーマン、ピーマン、ギュギュッと詰めてー」

「……なにそれ」

「肉詰めピーマンの歌」


 つまり、今日のご飯は肉詰めピーマンである。アオは子供が好きそうな料理を作るのがうまい。ハンバーグや照り焼きチキンが続くと肉じゃがや煮物が食べたくなるが、それはシガンが作ればいい。


「やるの、コウもおてつだいやるのー!」

「じゃあ、お皿とお箸出してくれる?」

「わかった、だすよ!」


 肉を下にしていい色になるまで焼く。しばらくすると火が通ったいい匂いがただよってくる。じゅうじゅう音を立てる横からシガンがのぞきこんだ。


「アオさんは料理好きなんだっけ?」


 シガンはコウが出した皿に野菜を出してサラダにした。店のようにとはいかないが、味が変わるわけでもあるまい。そうは思いつつ、きれいに盛りつけができると嬉しいものだ。


「ん? まあ、好きだなあ。こういうのは弟がよく食べたから」

「……へえ」


 この男が自分自身のことを話すのは珍しいとシガンは相槌を打った。


「歳が離れた弟でなあ」


 シガンが冷蔵庫から調味料を出す。ケチャップとソース、あとはドレッシング……。コウが箸を出したあと、何をしたらいいかとうろうろそわそわしている。


「ぼくは末っ子だったから、弟が欲しかったな」


 子供らしい願望を聞き、アオが困ったように「そうかあ」と返した。


「姉たちには雑に遊ばれてたから、弟ができたら絶対だいじにするんだと思ったよ」

「あははは。そうかそうか」


 なんだかんだいってシガンはコウのいい遊び相手になっている。良い兄になるだろうとアオが笑う。


「アオさんはなんで防除組合に?」

「んー……田舎から出てきて、なりゆきかなあ……」

「人の役にたってるなんてすごいな」


 そう言ったあとで、まるで当てこすりのようだと気づいた。シガンはこんなに描かなくてはいられないのに、絵は多くの人にとって役に立たないものだ。


「……弟も『まがまに』好きだったわ。ガルフがな、誰か助けたあと、一緒にご飯食べるだろ?」

「え? ああ……」

「あれを見るとよく食べるし、機嫌を直してくれてな。……ずいぶん助けられたよ」


 昔からある絵本とアニメ番組だ。コウも好きでよくマネをしている。愛された絵、共有できる絵、寄り添って助けになった絵。それは誰かの必要になったのだ。


「だから、作った人はすごいなって思った」

「そうか」

「うん。はい、焼けました」


 ピーマンの側もきれいに焼き色がついたので、油を切って皿に取る。少し焦げた匂いが食欲をそそった。肉の茶色に、ピーマンの緑がとてもきれいだと思った。


「コウくん、肉詰めピーマン好き?」

「うん、すき」

「そりゃあ、よかった。つくったかいがあったわあ」






 その次の日、シガンは自分の部屋でひっくり返っていた。逆立ちだ。口に筆をくわえ壁に立てかけたカンバスに線を入れる。それが、高いところに筆を伸ばした拍子に崩れた。バランスを失い物を巻き込んで倒れる。ガラガラと音が鳴ってドンと落ちた。


「いてー!」


 自分の描きたいものはこんなものじゃない。そう思って十年がたった。人と同じことをしたらダメだ、人と違う何かをしなくては認められない。そう思うほどに描きたい「自分」がわからなくなっていく。


「あーあ……」


 紙にはぐにゃぐにゃ曲がった線が残っただけだった。やる気がそがれて筆を投げ出す。


 そういえばコウは何してるのか。キッチンに行くとコウは紙に向かって一生懸命何かを作っていた。紙には色鉛筆の線があり、折り紙が貼ってあり、粘土の塔が立っていた。

 声をかけたら空気が壊れてしまいそうで。シガンは鉛筆と紙だけを持って隣に座った。気づいていないのか、コウは手を止めない。その顔をシガンは紙にうつしとる。


 まっすぐに紙に向かう目、手は何かを作り続けている。高く粘土の塔ができたと思ったのに、急に叩き潰してまったく別のものにしようとしはじめる。


 シガンはそこまで描き、色鉛筆を借りて薄く色をつけはじめた。目立つ金、鮮やかな青。金の中に暗い緑が隠れていて、青の中に明るい赤が輝いている。肌にはうっすらと紫があり、ほのかなピンクが感じられる。


 それから背景にも色を乗せていく。薄い虹のような柔らかな光。彼の世界がそうであればいいというように。

 光の中にいるコウにさらに鉛筆を入れた。その世界に負けない、はっきりとした輪郭と色を持たせる。そこにコウがいるということ、その外にはないということがぶつかって、押し合ってコウというものができている。


「シガン! できた。見て!」


 不意にコウが顔をあげて、できたものを見せてくる。出された手がぺたぺたと粘土くさい。シガンは鉛筆をためらわせる。もう少し描いていたかった。


「シーガーンー、見るの!」

「おう、いっぱいつくったな」


 そう口にしたとたん、鉛筆がするっと紙から離れた。そうか、このくらいでいいのかもしれない。コウの世界はまだ広がり続けている。今は、余白の大きなこのくらいがちょうどいい。







「クリスマスってなに?」


 テレビを見ていたコウに聞かれて、アオはおや? と思った。


「サンタさん、知らない?」

「しらない」

「クリスマスにはサンタクロースが来て、プレゼントをくれるんだ」

「コウももらえる?」


 アオは考えながら、とりあえず答えることにした。


「ああ、もちろん。何が欲しい?」

「なにが……」


 コウはぴたりと動きを止めた。


「わかんない」




 お絵描きをしているコウを横目に、こそっとシガンが聞いてくる。


「で、どうする」

「クリスマスかあ……」


 そう、あと少しでクリスマスなのだ。シガンもアオも特別何かしたいと思っているわけではないが、コウにケーキとプレゼントは必要だろう。そもそもの意味はともかく、子供にはサンタクロースがこなくてはならない。


「クリスマスねえ……」


 アオはもう一度繰り返した。彼はクリスマスにも誕生日にも物をもらった記憶がないから、なにをやればいいのかわからない。弟には何かやる余裕もなく、ホットケーキを作ってやることしかできなかった。コウには何かいいものをあげたいと思った。


「シガンさんはなにがいいと思います?」

「色鉛筆や粘土は足りてそうだぞ。他のものがいい。体を動かせるものとか」

「ボールとかいいかな。でも、外で遊ぶ場所、ある?」

「んー……」


 考えこむシガン。子供のいる姉たちに聞いてみようか。


「……そういえば、外に出る時、あいつバッグ持ってないな」

「ああ、そうか」




「さて」


 ラッピングされたショルダーバッグを抱えてアオは考える。これをどう気づかれずに枕元に置くかだ。コウはあれ以来、サンタクロースを待っていて、わくわくして寝れない様子だ。「まだクリスマスじゃないから来ないよ」というシガンの言い訳が効かなくなる当日、どうするべきか。


「クリスマスか。太陽が死んで生まれてくる季節だ」

「ユエンさんもクリスマスやるの?」

「サンタという妖精のことはよく知らないが、子供が喜ぶのはいいことだろう?」

「そうだよなあ」


 ユエンはラッピングされた包みをアオから取り上げた。


「私がやろう。気づかれないよう、コウのところに置けばいいのだろう?」

「できるの?」

「サンタクロースにできて私にできないはずがなかろう」






 さて、それからしばらく。今日はアオもシガンも出かけてしまった。だからコウもひとりで出かけることにした。靴をはいて帽子をかぶる。マフラーもした。手ぶくろもある。アオとシガンがいないことを確認して、玄関を開けた。


「そんな、隠れていかなくてもいいだろうに」


 くすくすと笑ってユエンは送り出す。ポンと軽く背中を押してやった。


「人の姿も板についたようだな。行ってこい」


 小さな道を歩いていくと、落ち葉が風に転がっていく。踏みつけるとカシャカシャと潰れて音をたてた。通りすがりの人にだって名前があって家があってごはんを食べたのだろう。そんなことがぼんやりと想像できた。それはきっとすごいことだ。


 しばらく歩いて公園についた。クナドに会った公園だった。

 走っていったコウはすぐにクナドを見つけた。他には誰もいない。灰色の雲が広がりはじめた空の下、ひとりでブランコに座っていた。つまらなさそうに、ゆっくり揺らして。今日はバットを持っていなかった。


「クナド! クナド、こんにちは!」

「あれ、コウ?」


 クナドはコウに気づいて立ちあがった。それから、ほっとしたように歯を見せて笑う。


「よかった。元気だった?」

「げんきだった!」


 ときどきコウを探して、この公園に来ていたのだという。コウはクナドの隣のブランコに座った。嬉しそうに足で地面をけって少し揺らす。クナドは歯磨きが嫌じゃないんだろうか。クナドは大きくて強いからきっと平気だ。


「来るかもしれないと思って……待ってたんだ。はい、これ」


 差し出されたのは折り紙でつくった小さな袋だ。空色に黄色のリボンがついている。


「おまもり。悪いやつに襲われないようにって。妹と弟のために折ったんだけど、きみにもあげる」

「ありがと」


 受け取ったコウがにんまりと笑う。おまもりが何かわからなくとも、コウを思って作ってくれたのがわかる。胸のあたりがじんわり熱くなって、きゅうと締めつけられる。


「あの女の子、妖精だったんだね」


 ユエンのことだ。トモエから教えてもらったと複雑そうにクナドは言った。


「悪いやつもいるけど、あの人は助けてくれたから。トモエさんが『そういうこともある』『人間と同じだ』って。……母さんはやっと落ち着いてきたよ」


 そこまで喋ってふうと息をついたクナドは、コウを安心させようと明るい口調になる。


「ごめんね、怖かっただろ?」

「うんと……あのね、あの……ぼく、うれしかった!」

「嬉しい?」

「うん。助けてくれた、から。だからうれしい」


 そうだ。クナドはコウの手をつないで一緒に逃げてくれた。コウのことを思ってくれた。あのときの手の感触を思い出すと胸が温かくなる。


「いや……でも。うん……」


 クナドが照れたように言葉に詰まった。他に何も考えられず、ただ助けなきゃと思った。自分でも運が良かっただけだと思う。でも、助けることができた。こうしてまた話せた。ほほをかいて、くすぐったそうにコウに笑いかける。


「そっか。それならよかった」

「クナドはつよいの。それでね、すごい。『かっこいい』んだって」


 彼のことを話したら、アオがそう教えてくれた。鮮やかに心に焼きついたもの。輝いて見えたもの。自分もそうなりたいと思ったもの。そういうものは「かっこいい」のだと。震えながらもコウの手をとったクナドは「かっこよかった」。


「……うん」


 でも、コウの隣に座ったクナドは悲しそうだった。ブランコをゆっくりと揺らしながらひどく苦しげだ。あの時とはまったく違う、とても弱くて小さいものに見えた。そんな顔にさせるものはダメなものだ。悪いものだ。コウはクナドを悲しませたもののことを考えると胸がむかむかとした。


「でも、俺は母さんのこと守れなかったんだ」


 静かにクナドの思いがこぼれる。


「だから、みんなが襲われないようにしたいと思った。それなのに、人間相手でさえ怖くて動けなかった」


 クナドはもう泣き出しそうで、吐き出すのさえ苦しいというように身をこわばらせてうめく。


「許せないよ、母さんの足を折ったやつ。やっぱり足切らなきゃならないんだって。吸血鬼なんてボコボコにしてやりたい。同じくらい痛い目にあわせたい。ああいうのは、人を傷つけるやつは嫌いだ。大嫌いだ。あんなの、いなくなればいい」


 コウはそれを聞いて動けなかった。目をそらすこともできなかった。言葉はどうやったって真ん中に届かないのに、どうしてこんなときだけまっすぐに刺すのだろう。


「……かえる」


 クナドがはっと気づいてコウを心配した。


「どうした? 気持ち悪いのか。ひとりで帰れる?」

「だいじょぶ。かえる」


 ブランコを蹴るようにおりて公園の出口に早足で向かう。門がやけに遠かった。クロを家に忘れてきたことにはじめて気づいた。なにもないことに気づいてしまったら不安でしかたなくなる。






 コウはひとりで帰る道を行く。ひとつひとつと角をすぎて、このまま家につかなければいいのにと思った。ぽつぽつと黒い雲から水滴が落ちて、頭に肩に染みてきた。


「コウ」


 うつむいていたが、呼ばれて顔をあげるとユエンが立っていた。ユエンは透明のビニール傘をコウの頭の上にかたむける。雨があたって跳ねる音が鳴った。


「おまえが濡れるとあいつらがうるさい」

「……かえらない」


 帰りたくない。


「ならば寄り道していこう」


 ユエンはそれ以上聞かず、さっさと歩いていってしまう。コウが遅れないようについていく。Tシャツのそではもうべちょべちょだ。握りしめたせいで、もらったおまもりも潰れてしまった。靴もズボンのすそも水浸しで、歩くたびにぐちゅぐちゅ音が立つ。


 それでもユエンは歩いた。コウの手を取ることも振り返ることもしなかった。何も言わなかった。ただ傘の下で隣りあって歩いた。

 コンビニを素通りして、幼稚園を横目に、お寺を通りすぎてまだ歩き続けた。コウはもうどこを歩いてるのかどこに向かっているのかわからない。急に怖くなった。このままどこにもつかなかったら?


「ユエン」


 きゅっとユエンの袖をとる。


「どうした?」

「かえりたいよ」

「そうか。では、帰ろう。あいつらが待っている」

「……うん」


 コウは伸びてきた手を取った。柔らかい手がゆるく握ってきた。






 帰ってきたコウはまず風呂に入れられた。それからアオの部屋に立てこもって、夜ご飯も食べなかった。アオがタコさんとカニさんのウインナーを食べないか声をかけたが出てこない。隅に布団をかぶってクロを抱えている。「何があったの?」と聞いても答えない。


「ねえ、コウくん。なんか嫌なことあった?」

「……なかった。ないの!」


 そう言いながら壁に頭を打ちつける。アオが慌ててそれを止めると、今度はぬいぐるみで自分の頭を叩く。泣きそうな顔でむやみやたらにクロを振り回して暴れた。


「やめ、やめ。痛いだろ」

「いたくない!」


 たぶん、なにか嫌なことがあったんだろうと思う。むしゃくしゃして自分でもどうしようもない気持ちなんだろう。それでも何も話さないので、アオは話題を変えることにした。


「明日は冬至祭だし、『みなと』行かない? たっくさん遊べるし、ドングリもあるぞー」

「……いかない」


 少しためらったあと、拒否された。これはなかなか重症のようだ。


「そっか。なら、ご飯も食べないんだな?」


 見ていたシガンが声をかけた。こっちが余計に深刻そうにすることはない。コウのことはコウのことだ。シガンの心配することではない。一食くらい食べなくても死にはしない。


「食べない」

「じゃあ、片づけるぞ」

「……やだ、まって」


 不安そうに頼んでくるが、知ったこっちゃない。


「食べたくなったら言え?」

「食べないの!」

「はいはい、いっぱい落ちこんどけ」


 シガンはコウの頭をぐりぐりと撫でる。コウが嫌だと手をやって首を横に振る。シガンは「はいはい」と手を離してそのまま放っておくことにした。

 小さくても生きていれば嫌なこともあるし、落ちこむこともある。それはシガンが言ってもどうにもならないことだ。彼が自分でなんとかするしかない。


「まあ、人生、そういうもんだ」

 





 次の日、朝早くからシガンは「みなと」に出かけていった。帰るのは夜になったのでアオに迎えにきてもらった。シガンの他にもケガをした人はいるのに大変だと思う。家まで送ると、アオはそのまま見回りに行った。


 入ると流しにウインナーを食べた形跡があった。シガンが部屋を探すとひかえめにコウが顔を出した。クロを抱いたまま、押し入れの引き戸の裏からシガンにたずねてくる。


「ねえ、シガンはコウのこときらいじゃない?」


 そうか、コウは誰かに嫌われることがあったんだな。理由はともかく、コウなりに傷ついたのだろう。もしかしたらコウから嫌われるようなことをしたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。シガンはしゃがんでコウに話しかける。


「ぼくは嫌いじゃないぞ。ほーら、こんなにかわいい子だからな」


 そう言ってほっぺたに手を当てると、コウは気恥ずかしそうにクロを握った。


「アオも?」

「そうだ。アオさんだって、ユエンさんだって好きだろうさ」

「うん」


 ぎゅっとクロをつかんだまま、シガンに身をあずけてくる。それを受け止めて、背中に手を回した。人に嫌われるなんてよくあることだ。自分が悪くても、悪くなくても。だから好きな人だっていていいじゃないか。


「コウはわるい子?」

「まさか。冬至祭りはおわっちゃったけど、また『みなと』行こう」

「……うん」

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