第12話、守ること 下

「何あれ? 撮影?」


 夜の銀座地下街。「入らないでください!」。警官や警備員と押し合ったりすり抜けようとしていた人々がどよめく。まさか出会うはずがないと思っていた化け物を見たように。


 かん高く警戒笛が鳴った。柱の間にその化け物がいた。短いツノの、東京駅にいた食人鬼だ。警戒中の警官が見つけて、近くにいたナヨシとリョウアンが駆けつけた。笛を吹いたリョウアンが集団にむかって叫ぶ。


「おい、むこうに走れ! 急ぐんだ!」


 人々は食人鬼の周りでうろうろとしてスマホをかまえている。のろのろと移動しようとする人と、何があったのか見に来た人がぶつかって動けなくなる。ウォオオ……と食人鬼が長く吠えた。人間たちは気おされたように立ち止まった。大きな死んだ腕が爪をたてて、人の上に落ちてくる。


 リョウアンがへたり込んだ人の腕を抱え、背中に乗せるとそのまま横に跳んだ。ナヨシが大きな四つ目の描かれた盾をかまえてそれをかばう。三叉戟で降りおろされる爪を薙ぎ払った。

 人が多い。あちらではまだ、何が起こったのかと見にくる人たちがいた。そこに投げられた人間が飛んできて、クモの子を散らすようにバラバラに逃げていく。


 ナヨシが戟を突きこんだ。左手の盾で人を守りながら、伸ばされた腕を戟の枝で引っかけて叩き落とす。巻き上げるようにいなしてざっくりと腕を切りとる。

 塵が舞う中を、空いたところに飛び込み胸元に一撃入れようとした。反対の腕が突きだされるのを盾で受け、戟を腕にからめてねじり切る。しかし、その時にはすでに最初に切った腕が再生していた。ひとりでは対処が間に合わない。


「今行きます!」


 ケガ人を離れたところに運んでいったリョウアンが走って戻ると、床を蹴って飛び上がった。赤い房を揺らし、柳葉刀を食人鬼の背中に打ちおろす。肉が裂けて塵が飛んだ。腕が大きく振り払われたのを蹴り上げて避ける。


「立ち止まるな! 走れ!」


 やっと走っていく人々。肩を揺らして食人鬼はそちらを見た。がれきにつまずいて転んだ人を見た。すかさずナヨシが足元に切りこんだ。しかし食人鬼はそれにかまわず、手をついて獣のように走り寄った。リョウアンが止めようと前に出るが、勢いで弾かれた。足で棟を押さえた柳葉刀がぎしりときしむ。


 自分から吹っ飛ばされたリョウアンを、黒い影が柔らかく伸びて受け止めた。倒れた人を爪がとらえようとする。黒い犬が体当たりして、その体が杭のように食人鬼を貫いた。短い矛が弧を描くように走り、その首をスッパリと切り落とす。しかし落ちたそばから膨らんで頭が生えてくる。


「そりゃあ!」


 アオがかけてきて矛を振るう。片腕で爪から首筋を守りながら、伸ばされた腕をすかして突きこんだ。腹を貫き大きく薙ぎ払う。固い肉が引き裂かれ、塵になって消えた。

 ゲンが溶けた陰が食人鬼の足首をつかむ。アオが石突きを回して腕を突き落とし、手を変えさらに突いて切り上げる。ナヨシが飛んできて戟で腕を横に受け、ひねり落とすと大きく薙いだ。食人鬼は動きを止めず、陰を振りきって大きく跳び、逃げ遅れた群衆へと向かった。ゲンが捕らえようと伸びたが届かない。


 影から現れたユエンは「あっちにいけ」と野次馬を下がらせようとする。そこに爪が飛んできた。振り返りざま、ユエンの手がひらめき足元の影が動いて槍のように迎え撃った。食人鬼の腕が切り裂かれ、塵が飛び散る。グオオオ……と食人鬼がうめく。それは人の悲痛な叫びに似ていた。


「やめろ!」


 若い男がすがりついてユエンを止めた。「やりすぎじゃないか!」


「……知るか」


 その隙に、食人鬼がもう片方の腕を伸ばす。手がユエンの頭をつかもうとした。

 その瞬間、ユエンは手で自分の首を切った。握りつぶされるより早く、頭が塵に変わる。勢いよく血が吹き出した。食人鬼の動きが一瞬止まる。下の体がすぐさま奥に人を転がした。その背中に再び爪が向けられる。


「ユエンさん!」


 アオが間に飛び込んだ。矛を突きだして払いあげるように爪をそらす。しかしそらしきれず、爪先が左腕をかすめた。アオの血がぱっと散る。その血を浴びたとたん、食人鬼が高く長く吠えた。喜ぶように。そして大きく跳ねたかと思うとアオにのしかかる。大きく開かれた口と、牙が見えた。


「ぐっ……」


 その後ろ頭をリョウアンの柳葉刀が叩き割った。アオが食人鬼の腹を蹴り上げ、そこに三叉戟が飛んでくる。食人鬼は胸にせまった戟を腕で振り払い、追撃を避けるように背後に飛んだ。

 そのまま柱を蹴って着地したとたん、地面が割れてそのまま穴に飲み込まれた。






 食人鬼が消え、逆に後始末で騒がしくなった。警官が行き交っている。救急隊もやってきて、あちこちにしゃがみこんでいる人々に声をかけてまわっていた。食人鬼がいなくなってしまえばもうアオたちにできることはない。

 首が再生したユエンがゆっくりと近づいてきて、アオに声をかける。


「なぜ間に入った。人間はあれにあたれば死ぬだろう?」

「そりゃ、助けるに決まってる。ユエンさんだって、そう思って人を助けたんだろ?」


 人を助けるようなものを見捨てたんでは寝覚が悪い。それはきっとよいものだから、傷つけられるのは嫌だと思う。


「信仰が増えたのだから人間に返さなければならない。人間はみな死にゆくもので私が守るべきものだ。私はそういう神だ。もし『人間を殲滅する神』だったとしたら、人にそう望まれたとすればそうするだろう」

「だけど、ユエンさんはそうじゃない」

「人間のような自発的な善意を期待してはいけないと言っている」


 二人の間にため息が溜まっていく。どう頑張っても話が噛み合わない。


「あれはどうにかなったと思う。おまえが助けようとして死ぬ必要はない」


 わざわざ人間が危険なことをする必要はない。そうかもしれないけどとアオは言い返したくなり、やめた。ユエンなりに考えて人を助けたのだ。そしてアオを心配していることは確かだった。ユエンはそれを心配とは言わないのかもしれないが。


「……痛くないの?」

「痛いという感覚がわからない。不快ではある」

「妖精ってそういうもんか……」


 ユエンはぎゅっと眉をひそめる。それから、顔を近づけてアオのあごを指でとった。下唇に小さなほくろがあるのが見える。それをじっと見つめて、ユエンは口を開いた。


「『ありがとう』。……人間であればこのように言うのだろう?」


 どきりとした。人間と人間でないものの違いはどこにあるのだろうか。たとえ人間のマネをしただけだとしても。人間の言葉に合わせたのは、理解できずともそういう気持ちがあることを伝えるためではないか。


「ユエンさんは……死に……あー、消えたくないとか思わんの?」

「わからない。我々はどこからか生まれて、次第に消えていく。あわいにたゆたうものだ。何のためになど考えるまでもなく、存在する以上、存在しようとするだけだ」


 自分から生まれようと思って生まれたわけではない。それは人間だって同じだ。


「アオ、人間はなぜ生きる?」

「……生きてると、いいことあるから」

「なるほど。それなら、いいことがあるといい」


 ユエンの柔らかい笑みが冷たい空気にゆらいで消えていった。






「どうして、もっと早く助けてくれなかったんですか。ほら、ケガしたんですよ!」

「申し訳ありません」


 腕の傷を見せつけた女性にナヨシが頭を下げる。相手はより大きな声を出せば勝ちだと思っているらしい。その裏でリョウアンが舌を出したのをひじでこづいた。

 痛かった人は「なんで自分だけが」と思う。たとえ他の多くが助かったとして、助からなかった人にとっては助けてもらえなかったことが全てだ。自分には関係ないと思い、誰かのせいにしたくなるのは悪人ではなく普通の人間なのだ。


「ああいうのが嫌で研究者になったんだけどね」


 現場にやってきたアゲハがぼやいた。アゲハがアオの左腕、止血した布をぎりぎり締めつける。「痛いですって」「死にはしない」「そうですけど」。指先まで感覚があるのを確かめて、それから向こうをあごで指した。


「ほら、助けてやってくれませんか」


 あちらにも苦情が来ているようだ。ユエンに向かって例の若い男がどなっていた。


「見ろ! こいつだ、こいつが突き飛ばした!」

「それは災難だったな」

「すみませんでした。おケガをされているでしょうし、病院へお連れしましょう」


 アオは入っていって下手に出る。「守るための攻撃を非難するなら、おまえがかわりに殺されてやればよい」とは言えない。あの人間のような絶叫を聞けばたじろぐのはわかるだけに責められない。その上、ユエンの首がなくなるところを見たのだ、平静ではいられないだろう。


「バカにしてるのか! 訴えてやるからな!」

「知らん。好きにすればいい」


 妖精を訴訟したなど聞いたことがない。人間ではないものに訴状を出せるはずもない。そういうやりかたは人間が人間のために作ったものだ。「ちょっと黙っててくれますかね」と言いたげな目でアオがユエンをにらむ。ユエンは呆れたようにすがめて見かえした。


「そうですか。では、診断書を取りましょうか、こちらへ」


 内心はどうあれアゲハが言えば、男はしぶしぶ向かう気になったようだ。アオはその背中を目で追っていたが、すぐにユエンに笑って見せた。


「……ユエンさん、ありがとうな」

「存分に感謝するといい。そのぶんだけ、私は人を守ることができる」






「あーあー……疲れたあー」


 アオは玄関をあがるなりぐったりと座り込んだ。やってきたゲンを抱いてうにうにと耳の後ろをかいてやる。シガンがそれをちらっと見て、朝ご飯を作る手を止めずにコウに頼んだ。


「コウくん。アオさんとこ、いいこいいこしといて」

「コウがやる。アオ、いいこ」


 小走りにやって来ると、コウはいたわるように手でぺちぺちと叩いてきた。


「ありがと。コウくんもいい子だなあー」


 アオは明るく言うと、にこにことしてコウの頭をぐりぐり撫でた。シガンがようやく手を止めてアオを見た。アオはいつもより明るく振る舞っているように見える。


「それでどうした」

「ん、いや。さすがに疲れたわ。ちょーっと苦情の処理が長引いてなー」


 その説明に、シガンは「そうか」とだけ返した。


「そんなわけです。朝メシ、何?」


 アオはへらへらと笑ってキッチンを覗き込んだ。実際には礼を言われることのほうがずっと多い。ただ、苦情は声が大きいというだけだ。

 自分は悪くないと思いたい。それなら誰かが悪いに違いない。だからといって食人鬼を責めることもできない。同じ人間だからこそ、何か言ってやりたくなる。


 コウがいきなり強くアオの肩を叩いた。アオの態度がお気に召さなかったらしい。


「えー、どうしたの……」

「はは、そうだそうだ」


 見ていたシガンがおかしそうに笑った。言われたアオは何がそうなのかわからない。


「ねえ、なに? コウくん、遊ぶの?」

「朝ご飯までアオさんと遊んであげてくれるか?」

「……俺が遊んでもらうほうかい」


 スポンジ棒を持ってきたコウは、ひとつをアオに押しつける。そしてバシンと叩いた。


「よーし、やろっか」


 コウはアオが叩こうとするのをするりと避け、即座に反撃に移る。バシッと叩いて逃げ、後ろに回ってまた叩こうとする。叩かれそうになるのを避けて隙を見て反撃だってできる。


「強くなったなあ!」


 嬉しそうにアオが叩かれた。それを聞いてコウは一瞬きょとんとした。それから、ぱあっと表情が明るくなる。その場でぴょんぴょんと跳ねて、嬉しそうに聞いてくる。


「つよい? コウはつよい?」


 しまったとアオは思った。コウが言っているのはこないだ殺人鬼と会った時のことだ。強いのはいいが、もっと強くて怖いやつに突っこんでいかれては困る。危ないことをするのは強いことではない。


「コウはね、まもるの。シガンも、アオも、みんな」


 そうか、何かを守るためか。誰かの助けになりたい、誰かの役にたちたい、誰かのために生きられるようになりたい。

 意気込んでいるコウに視線をあわせ、真面目な顔でお願いをする。


「じゃあ、俺がいないとき、シガンさんとこ守ってくれる?」

「うん!」


 コウが小指を出してくるのを小指で取る。ぎゅっとからめる。


「でも、危ないのと会ったらちゃーんと逃げるんだぞ?」

「うん! クナドみたいにでしょ?」

「……そりゃ頼もしい」


 振り下ろして指を切ったアオは顔をほころばせた。ちゃんとわかっているのだ。コウならきっと大丈夫だろう。

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