第24話、守ること 下

「なにあれ? 撮影?」


 夜の銀座地下街。「入らないでください!」。叫ぶ警官や警備員と押しあっていた人々がどよめく。まさか出会うはずがないと思っていた化け物を見たように。


 柱のあいだにその化け物が立っていた。短いツノの、東京駅に出た食人鬼だ。かん高く警戒笛が鳴る。巡回中の警官が見つけて、近くにいたナヨシとシァオミンが駆けつけたところだ。笛を吹いたシァオミンが集団に向かって叫ぶ。


「おい、むこうに走れ! 急ぐんだ!」


 人々は食人鬼の周りでうろうろとしてスマホを構えている。のろのろと移動しようとする人と、なにがあったのか見に来た人がぶつかって動けなくなる。ウォオオ……と食人鬼が長くほえた。人間たちは気おされたように立ち止まった。死んだ腕が爪をたてて人の上に落ちてくる。そしてひとりをつかみ、ぐしゃりと握りつぶした。


 悲鳴があがる。シァオミンがへたりこんだ人の腕を抱え、回転させるように背中に乗せるとそのまま横に跳んだ。ナヨシが大きな四つ目の描かれた盾をかまえてそれをかばう。三叉戟でふりおろされる爪を薙ぎはらった。


 人が多い。あちらではまだ、逃げずにとまどっている人たちがいた。そこに潰された人間が血しぶきごと投げ飛ばされてきて、ばらばらになって逃げだした。


 ナヨシが戟を突きこんだ。左手の盾で人を守りながら、伸ばされた腕を戟の枝でひっかけて叩き落とす。巻きあげるようにいなしてざっくりと腕を切りとる。


 塵が舞うなかを空いたところに飛びこみ、胸元に一撃入れようとした。反対の腕が突きだされるのを盾で受け、戟を腕にからめてねじり切る。しかし、そのときにはすでに最初に切った腕が再生していた。ひとりでは対処が間にあわない。


「今行きます!」


 ケガ人を離れたところに運んでいったシァオミンが走って戻ると、床を蹴って飛びあがった。赤い房を揺らし、柳葉刀を食人鬼の背中に打ちおろす。ぱっくりと肉が裂けて塵が飛んだ。腕で大きく振りはらわれたのをとっさに飛びのいて避ける。


「立ち止まるな! 走れ!」


 やっと走っていく人々。肩を揺らして食人鬼はそちらを見た。ガレキにつまずいて転んだ人をとらえる。すかさずナヨシが足元に切りこんだ。しかし食人鬼はそれにかまわず、手をついて獣のように走りよった。シァオミンが止めようと前に出るが、勢いで弾かれる。足で棟を押さえた柳葉刀がぎしりときしんだ。


 耐えられず吹っ飛ばされたシァオミンを影が伸びて受けとめる。むこうで倒れた人に食人鬼が飛びかかる。寸前、黒い犬が体当たりして、杭のように食人鬼を貫いた。

 短い矛が弧を描くように走り、食人鬼の首をすっぱりと切り落とす。しかし落ちたそばから膨らんで頭が生えてくる。


「そりゃあ!」


 アオが駆けてきて矛を振るう。片手で首筋を守りながら、伸ばされた腕をすかして突きこんだ。腹を貫き大きく薙ぎはらう。肉が引き裂かれ、塵になって消えた。


 ゲンが溶けた陰が食人鬼の足をつかむ。アオが石突を回して腕を突き落とし、手を変えさらに突いて切りあげる。ナヨシが駆けてきて戟で腕を受け、ひねり落とすと一直線に薙いだ。食人鬼は陰を振りきって飛び、逃げ遅れた群衆へと向かった。


 影から現れたユエンは「あっちにいけ」と野次馬をさがらせようとする。そこに爪が落ちてきた。振りかえりざま、ユエンの手がひらめき足元の影が迎え撃つ。食人鬼の腕が切り裂かれ、塵が飛び散る。グオオオ……と食人鬼がうめく。それは人の悲痛な叫びに似ていた。若い男がとまどうように足を止める。


「やめろ!」


 男がユエンにすがりついた。「やりすぎじゃないか!」。


「……知るか」


 その隙に、食人鬼がもう片方の腕を伸ばす。手がユエンの頭をつかもうとした。


 爪が触れる瞬間、ユエンは手で自分の首を切った。握りつぶされるより早く、頭が塵に変わる。勢いよく血が吹きだした。血の雨に食人鬼の動きが一瞬止まる。ユエンの体がすぐさま奥に人をつきとばす。その背中に再び爪が向けられた。


「ユエンさん!」


 アオがあいだに飛びこんだ。矛を突きだして、はらいあげるように爪をそらす。しかしそらしきれず、爪先が左腕をかすめた。アオの血がぱっと散る。その血を浴びたとたん、食人鬼が高く長くほえた。喜ぶように。組みついてアオにのしかかる。大きく開かれた口と、牙が見えた。アオは矛の柄でそれを拒む。


「ぐっ……!」


 アオが食人鬼の腹を蹴りあげた。食人鬼の後ろ頭に三叉戟が伸ばされ、背中に柳葉刀が叩きつけられた。食人鬼はそれらを力ずくで振りはらい、背後に飛んだ。柱を踏んで着地したとたん、地面が割れてそのまま穴に飲みこまれた。




 食人鬼が消え、後始末で騒がしくなった。警官が行きかっている。救急隊もやってきて、あちこちにしゃがみこんでいる人々に声をかけてまわっていた。潰された死体にはブルーシートがかけられている。もうアオたちにできることはない。


 首を再生させたユエンがゆっくりとアオに近づき、話しかける。


「なぜあいだに入った。人間はあれに当たれば死ぬだろう?」

「そりゃ、助けるに決まってる。ユエンさんだって、そう思って助けたんだろ?」


 人ではないとしても、人を助けるようなものを見捨てたんでは寝覚めが悪い。それはきっとよいものだから。よいものだと信じているから。


「信仰が増えたのなら人間に返さなければならない。人間はみな死にゆくもので私が守るべきものだ。私はそういう神だ。もし『人間を殲滅する神』だとしたら、人にそう望まれたとすればそうするだろう」

「だけど、ユエンさんはそうじゃない」

「人間のような自発的な善意を期待してはいけないと言っている」


 二人の隙間にため息が溜まっていく。どうがんばっても話が噛みあわない。


「……あれはどうにかなったと思う。おまえが助けようとして死ぬ必要はない」


 そうかもしれないけどとアオは言いかえしたくなり、すんでのところでやめた。ユエンなりに考えて人を助けたのだ。アオを心配していることは明らかだった。ユエンはそれを心配とは言わないのかもしれないが。


「……痛くないの?」

「痛いという感覚がわからない。不快ではある」

「妖精ってそういうもんか……」


 それを聞き、ユエンはきゅっと眉をひそめる。それから顔を近づけてアオの顎を指でとった。上唇に小さなほくろがあるのが見える。ユエンはゆっくりと口を開いた。


「『ありがとう』。……人間であればこのように言うのだろう?」


 どきりとした。人間と人間でないものの違いはどこにあるのだろうか。たとえ人間のマネをしただけだとしても人間の言葉にあわせたのは、理解できずともそういう気持ちがあることを伝えたいからではないか。


「ユエンさんは……死に……あー、消えたくないとか思わんの?」

「我々はどこからか生まれて、しだいに消えていくものだ。あわいにたゆたうものだ。なんのためになど考えるまでもなく、存在する以上、存在しようとするだけだ」


 自分から生まれようと思って生まれたわけではない。それは人間だって同じだ。


「アオ、人間はなぜ生きる?」

「……生きてると、いいことあるから」

「なるほど。それなら、よいことがあるといい」


 ユエンの柔らかい笑みが冷たい空気に揺らいで消えていった。




「どうして、もっと早く助けてくれなかったんですか。ほら、ケガしたんですよ!」

「申し訳ありません」


 腕の傷を見せつけた女にナヨシが頭をさげる。相手はより大きな声で責めれば勝ちだと考えているらしい。その裏でシァオミンが舌を出したのを肘でこづいた。


 痛かった人は「なんで自分だけが」と思う。たとえ他の多くが助かったとして、助からなかった人にとっては助けてもらえなかったことがすべてだ。誰かのせいにしたくなるのは悪人ではなく普通の人間だろう。


「ああいうのが嫌で研究者になったんだけどね」


 現場にやってきたアゲハがぼやいた。アゲハがアオの左腕、止血した布をぎりぎり締めつける。「痛いですって」「死にはしないでしょ」「そうですけど」。指先まで感覚があるのを確かめて、それからむこうを目で指した。


「ほら、助けてやってくれませんか」


 あちらにも苦情が来ているようだ。ユエンに向かって例の若い男がどなっていた。


「見ろ! こいつだ、このバケモノが突き飛ばした!」

「それは災難だったな」

「すみませんでした。おケガをされているでしょうし、病院へお連れしましょう」


 アオは入っていって下手に出る。「守るための攻撃を非難するなら、おまえがかわりに殺されてやればよい」とは言えない。目の前で人が死んでいるし、人のような絶叫を聞けばたじろぐだろう。ユエンの首だって飛んだ。こんな状況のなか、なにかを責めることで平静を保とうとしているのはアオにも理解できた。


「バカにしてるのか! 訴えてやるからな!」

「知らん。好きにすればいい」


 妖精を訴訟したなど聞いたことがない。そういうやりかたは人間が人間のために作ったものだ。「ちょっと黙ってて」と言いたげな目でアオがユエンを見る。ユエンは呆れたようにすがめて見かえした。


「そうですか。では、診断書をとりましょうか、こちらへ」


 内心はどうあれアゲハが言えば、男はしぶしぶ向かう気になったようだ。アオはその背中を目で追っていたが、すぐにユエンに笑ってみせた。


「……ユエンさん、ありがとうな」

「存分に感謝するといい。そのぶんだけ、私は人を守ることができる」




「あーあー……疲れたあー」


 アオは玄関をあがるなりぐったりと座りこんだ。尾を振ってまとわりつくゲンを抱いて、うにうにと耳の後ろをかいてやる。シガンがそれをちらっと見て、朝ご飯を作る手を止めずにコウに頼んだ。


「コウくん。アオさんとこ、いいこいいこしといて」

「コウがやる。アオ、いいこ」


 小走りにやって来ると、コウはいたわるように手でぺちぺちと叩いてきた。


「ありがと。コウくんもいい子だなあー」


 アオは明るく言うと、にこにことしてコウの頭をぐりぐりなでた。


「それでどうした」

「ん、いや。さすがに疲れたわ。ちょーっと苦情の処理が長引いてなー」


 その説明に、シガンは「そうか」とだけ返した。


「そんなわけです。朝メシ、なに?」


 アオはへらへらと笑ってキッチンをのぞきこんだ。彼らの気持ちもわかるのだ。自分は悪くないと思いたい。それなら誰かが悪いに違いない。だからといって食人鬼を責めることもできない。同じ人間だからこそ、なにか言ってやりたくなる。


 コウがアオの肩を少し強く叩いた。アオの態度がお気に召さなかったらしい。


「えー、どうしたの……」

「はははは、そうだそうだ」


 シガンがおかしげに笑った。言われたアオはなにがそうなのかわからない。


「ねえ、なに? コウくん、遊ぶの?」

「朝ご飯までアオさんと遊んであげてくれるか?」

「……俺が遊んでもらうほうかい」


 スポンジ棒を持ってきたコウは、ひとつをアオに押しつける。


「よーし、やろっか」


 コウはバシッと叩いて逃げ、後ろにまわってまた叩こうとする。叩きかえされるのを避けて、隙を見て反撃だってできる。


「強くなったなあ!」


 喜んでアオが叩かれた。それを聞いてコウは一瞬きょとんとした。それから、ぱあっと表情が明るくなる。その場でぴょんぴょんと跳ねて、嬉しそうに聞いてくる。


「つよい? コウはつよい?」


 しまったとアオは思った。強いのはいいが、もっと強くて怖いやつにつっこんでいかれては困る。危ないことをするのは強いことではない。


「コウはね、まもるの。シガンも、アオも、みんな」


 そうか、なにかを守るためか。誰かの助けになりたい、誰かの役にたちたい、誰かのために生きられるようになりたい。意気ごんでいるコウに視線をあわせ、アオは真面目な顔でお願いをする。


「じゃあ、俺がいないとき、シガンさんとこ守ってくれる?」

「うん!」


 コウが小指を出してくるのを小指でとり、ぎゅっとからめる。


「でも、危ないのと会ったらちゃーんと逃げるんだぞ?」

「うん! クナドみたいにでしょ?」

「……そりゃ頼もしい」


 振りおろして指を切ったアオは顔をほころばせた。ちゃんとわかっているのだ。コウならきっと大丈夫だろう。

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