第14話、肉塊の化け物 上

「うわ、さっむ……」


 それから数日。暗くなったと思ったら、雲間に白いものが舞いはじめた。肌に触れるとひやりと冷たい。アオは矛を片手に見回りに出ていた。手をこすって息を吐きかける。一月も半ばなら、雪が積もってもおかしくない。


 スマホを見れば「隣人を『吸血鬼』と思い込み殴る」といったニュースが通知に出てきた。他には渋谷の食人鬼騒動の動画がいくつか出回っているようだ。アオはスマホをしまって空を見上げる。しばらくこんな天気は続きそうだ。


「こら、けっこうふりそうだな」


 ここは新宿近く。十代の少年少女たちが路上にしゃがみこんでいた。円になって、なにかをのぞいている。その板がきらっと光った。鏡を三角に立てたものか。アオがそっと後ろに立つと、みょうに芝居がかった少年の声が聞こえる。


「吸血鬼さまー、吸血鬼さまー、お出ましくだされー」

「そんなんで来ると思う?」

「思わない」


 少女のからかいに、ぺろっと下を出した少年。アオはその肩に声をかける。


「ほー。吸血鬼、呼んどるんですか」

「うわ」

「なんだ、おまえ」


 三角に立てた鏡を見おろしていた少年たちが顔をあげた。吊るした鈴を鳴らしていたらしい。


「おお、わたしは生松といいます。吸血鬼防除のもんです。失礼しますよ」


 アオは頭を下げて、軽くしゃがむと身分証を見せる。嫌な顔をしていた少年少女は見慣れないものに少し目を見開いた。警戒しながらもかついだ矛に視線を向ける。


「それで吸血鬼、やっつけるの?」

「そのためにこうやって探しとるわけです。ご協力お願いできませんか」


 正面から頼まれて、少年たちはとまどった。様子をうかがう子、なんでおまえにと口を突きだす子、関わり合いになりたくなさそうな子、さまざまだ。まとめ役らしき女の子が前に出た。出かたをうかがいながらも、はっきりとした声で聞いてくる。


「あなた、ヤマちゃんの知り合い?」

「お? ええと、鬼害対のヤマさんのことですか?」

「ふーん……そう」


 不審そうな顔で見ていたが、追い返すつもりはないらしい。


「なんか、ここらでそういうの見なかったですかね? あ、好きな味、あります?」


 アオはバッグからアメの袋を出して渡した。その女の子はじっとアオをにらんでから無造作に受け取った。ひとつとって口に入れ、他の子に渡す。少年少女が手を伸ばした。その後ろで遠巻きにする子もいる。


「……あたし、レモン」

「イチゴ」

「黒みつ」

「黒みつぅ?」


 アオの近くにいる子たちは比較的警戒心がなさそうだ。そのうち、きゃあきゃあと笑ってアメを選んでいる。


「イヤだったらイヤでいいですんで。で、吸血鬼が出てくるんですか?」


 三角に組んだ鏡と紐のついた鈴を見て、おまじないのようだと思った。願いが叶うとか、欲しいものが手に入るとか。特に人気なのは恋愛に関するものだろう。あの人はどう思ってるのか、両思いになれるのか、はたまた、運命の人は誰か……。

 聞かれて少女の一人が答える。小声だったが、何かにすがるような言いかただった。


「吸血鬼はね、助けてくれるの。全部うまくいくようにしてくれるんだって」

「ほー……どんなかんじの吸血鬼だかわかります?」


 アオもまた興味を持ったように聞いた。少年少女たちは目くばせする。視線がいく本もからまったあと、ひとりの少年が乾いた笑い混じりのあいまいに答える。


「いやあ、まだ成功してないんで……」

「やっぱりウソじゃん」

「もうやめねえ? 飽きた」

「そんな怖がんなくていいのに」

「はあ? 誰が怖がってるって?」


 言い争いになりかけたのをアオが止める。本気で信じているわけでもなさそうだ。みんなで共有できる楽しいウワサ。あるいは最後の頼みの綱か、救いの手か。血の平和教とはまた別の信仰らしい。

 さきほど「ウソじゃん」と断じた少女があきれたように教えてくれる。


「なんでも願いを叶えてくれるんだって言ってた。恋愛でも、お金でも、なんでも」

「でも失敗すると殺されちゃう」


 もうひとりの少年は、それさえも面白いことのように言う。自分たちだけは殺されないでも思っているのか、殺されても構わないと思っているのか。現実感のない化け物は、いるかどうかもわからない神と同じなのかもしれなかった。


「けっこう、みんなやってるってよ。おれが聞いたやつは実際に出たっていうけど……どうだか」

「へえ、知らんかった。情報、ありがとう。助かります」


 その一方で少年はアオの持つ矛が気になるようだ。じろじろ見て、すきがあれば触ってみようとする。触れられないようにうまくあしらっていると、バカにするように聞いてきた。


「おっさん、吸血鬼退治するんだろ。それ本物?」

「おお、ホンモノ、ホンモノ」


 どこからどう聞いても冗談だ。少年たちは鼻で笑った。後ろにいた子たちもつられて笑った。






 歩道が雪で全体的に濡れた頃、ウォンとゲンが鳴いた。


「お、見つけた?」


 耳を伏せてヴウーッとうなるゲンの首をつかむと、ひょうと飛んで陰に引きずりこまれる。人が影や陰に潜るのは良くないとユエンは言った。影はその人間の命、さらには死とつながっているという。


 影から飛び出たところには大きな立体交差があった。深く息をして見あげると「両国橋」の標識。ざっと周囲を見まわすが、何かがあった気配はない。どこだ。ゲンもあたりをかぎまわって匂いを探る。


「ナヨシさん? 両国橋の……西かな。まだ確認してない」


 組合に一報を入れ、周辺を探す。ゲンに続いて交差と橋を背に細い通りに入ると、濡れた土の匂いがアオの鼻にも届いた。ゲンがあるマンションの前で大きく吠えた。毛を逆立ててうなる。アオが追いついて吸血鬼に備える。


 月がない暗がりに、街灯が人の姿を浮かび上がらせた。女性だ。何かに怯えている。

 ……最初は気づかなかった。電灯の消えたマンションの入り口、それは暗がりに溶け込むように静かにそこにいた。女性の視線を追って、アオはようやくそれを目にした。


 赤灰色の肉のかたまり。肉の割れ目から色の違う目がのぞいている。むこうの割れ目からはならんだ牙だ。それらがいくつも。なんだこれは。見たことのない異形の化け物にアオの足が止まる。


 肉がゆっくりと腕を動かしている。腕といっても人間の腕ではない。触手のように長く伸ばされた肉の先に、指が六本も七本もある。その腕が八方にいくつもはっていた。つかまれたらそのまま肉に取り込まれて消えてしまうように思った。

 その手は勢いをつけ、ひとつの腕を女性に伸ばした。


 アオは瞬時に腹に力を入れ、足を動かした。女性の前に飛び出して、矛を振るう。固い肉を切る感触。断面から赤い血が吹き出す。血、吸血鬼か。腕がアスファルトに落ち、すぐに塵に変わった。ぼたぼたと血が落ちたがあとを残さず消えた。


 そのとき、それがアオを見た。あちこちを見ていたたくさんの目が、いっせいにアオをとらえた。ぞくりと肌が冷える。心臓が痛みにきしんだ。足がすくむ。浅い呼吸を繰り返すが、肺に吸気が入っていかない。こんな感触は久しぶりだ。平衡感覚がない。筋肉が緊張している。左腕だけがかろうじて感覚があり、傷あとが焼けるように熱い。


 アオはゆっくりとつばを飲み込む。あれをどうもできないことが嫌でもわかった。あれに触れることさえできない、近づくだけで理不尽に祟られる。


「無事か。影から出るなよ」


 静かな声。目の前にユエンがいた。そこでようやくアオは呼吸を思い出した。アオも女性も影のなかに隠したのだろう。吸血鬼はユエンを見る。ユエンが見かえした。探り合うように動かない。


 それからどのくらいたったか。突然、ひび割れた鐘のような鳴き声。牙の間からもれる音は耳障りでとても聞き苦しかった。アオは思わず耳を押さえてしまう。土の匂いが重い。ねばつく空気が頭上から押しつぶそうとしてくるようだ。


「ひいいいっ」


 後ろでひきつれた悲鳴があがった。伸ばしたアオの手が振り払われる。女性が影から飛び出していく。吸血鬼の腕が走った。その腕がぱっくりと割れて首に噛みつく。柔らかい肉に牙が食い込む。ばきりと骨が折れた音がした。血が吹き出して街灯に光った。


 アオがそちらに向かおうとして手をユエンにつかまれた。その手を払って飛び込み、触腕に矛を叩きつけた。吸血鬼の腕が真っ二つに裂かれて塵が散らばる。それは冷たい風に吹かれてすぐに見えなくなった。

 塵の中をゆっくりと女性が倒れていく。もう助からないことなどひと目で分かった。


 ユエンは「本体」を見ている。吸血鬼はすすった血を飲み込むように、ゆっくりと震えた。


「このまま逃がす。これを相手にはできん」


 淡々と告げたユエン。アオは言い返そうとして飲み込んだ。肉塊は腕を街路樹の根元、地面に伸ばす。そのまま、地面に吸われるように消えた。乾いた空気に強い血の匂いが残る。


 アオはそっと死体の前にひざをついた。顔面は蒼白でひきつっている。怖かっただろうに。血が雪を溶かして流れていた。

 スマホで組合に連絡をとり、アゲハを呼ぶ。吸血鬼は血や死体を残さないため、噛まれたものの血は貴重な研究材料だ。彼女が死亡を確認したら杭を胸に刺すことになる。そして銀貨を口に含ませ火葬する。それでようやく遺族は安心できる。


「悪かったなあ……」


 しかたなかったとは思いたくない。吸血鬼を見つけさえすればなんとかなると思っていたが、どうすることもできなかった。苦い感情が胸の底に静かに広がっていく。


「あれは人間には荷が重い。吸血鬼とは人間の恐れそのものだ。だが、恐怖を取り込みすぎたようだ。……出てきた穴を影でふさぐことができなかった。なにかある」


 低くつぶやくようなユエンの声が、降る雪に吸い込まれていった。






 防除組合のオフィス。戻ってきたアオがナヨシたちに状況を説明した。一通り聞いた後、ナヨシは警察からの情報も出して補足する。地図を前に、吸血鬼の出たマンションの場所を指で叩いた。六階建てのマンションだという。


「調べたら、このマンションの三階で人が死んでいた。吸血鬼に襲われたとみられる」

「三階?」


 ナヨシの報告にトモエが疑問の声を漏らした。地下から出ると聞いて地面ばかりを気にしていたが、三階か。


「死体のそばに鏡と鈴があった。アオの言う、吸血鬼を呼ぶおまじないだろうと考えられる」


 アオはおまじないの話をする。願いを叶えてくれる吸血鬼を呼び出す儀式だと。トモエがろこつに嫌そうな顔をした。そこまでしても救われたかったのだろうが、それは本当に救いだったのか。


「じゃあ、本当にその肉塊が吸血鬼なのか?」

「おそらくは」


 切って血が出たことを踏まえると、食人鬼ではない。吸血鬼だ。


「ユエンさんが言うには、川をこえたのは『人に呼ばれた』からだろうと」


 吸血鬼は人の望むようになる。人の願った場所に「呼ばれた」のだと考えられた。


「んー……でもボク、金の獣を見たんですよねえ。アオさんも見てるでしょ?」


 リョウアンが納得のいかない声を出した。シガンもクナドも金のオオカミのような何かを見ている。見間違いとは考えられない。


「……姿を変えられるとか?」

「あるいはもう一体いるとか」

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