第11話、だいじなもの 下

「ここならあると思うって」


 大きな公園に来た。軽く手をあげたのはショウケン。ちょうど休みだというので案内を頼んだ。アオの影から出てきたゲンが、挨拶するように尻尾をふる。


「お待たせしました、ショウケンさん。悪かったですね」

「いいよ。たまには息抜きしたい」


 それからショウケンは背をかがめて、コウにドングリの探しかたを教える。


「コウくん、木の下を探すんだよ。このくらいの、つやつやした実があると思う」


 コウはうなずいて木を探す。公園にはたくさん木があって、すぐ近くの木を指した。茶色の葉が少し残る木だ。


「あれは?」

「あれはサトザクラだなあ。見てみな、ドングリあるかい?」


 コウは近寄っていくと地面を見て、落ちている葉っぱをどけてみた。石ばっかりだ。後ろからシガンが笑った。


「はは、サクラにはドングリないだろ」

「なんで?」

「なんで。……サクラだから?」


 シガンがショウケンを見ると、彼は見えている木を一本ずつ指していく。


「木が違うからだよ。あの木も、あの木も、みんな違う」

「違うの?」


 コウの目にはどの木も同じように見える。太い幹があって、枝が広がっていた。

 よく見ると、形が丸かったり先がとがっていたりする。大きい木、小さい木、太い木、細い木。葉っぱは緑色のと、赤や黄色、茶色なのと、全部落ちてしまってるの。木の幹の感じもなんだか違う気がする。


「今日、ドングリを探すのは、まだ緑の葉っぱがついてる木だ。探してみよう」


 コウが緑の木を探す。ずっと歩いていって「これかな」と指さしたのは、ざらざらの木肌をした大きめの木だ。つやのある濃い緑の葉がついている。ショウケンが「見つけたね」と微笑んだ。


「その木はアラカシ。下にドングリが落ちてると思う。誰にも取られてなければね」


 木の下を見れば何かが転がっていた。「お、これか?」。アオが見つけて拾いあげ、コウに見せる。つやつやとした、丸くふくらんだドングリだ。とがった先から濃い茶色の縦縞がついている。


「あった! ドングリあった!」

「そう。これがドングリ。ちょっと、かじってみて」


 袖でぬぐって渡されたドングリを受け取り、コウは手の中で回してみる。ツルツルして手から逃げていく。それをつかんでそっと歯を立てた。


「ん、うぇ」


 歯で皮を破って中身の味がわかると、コウは顔をゆがめて舌をだした。


「ははは、しぶいだろー」

「しぶい……。へんなあじする」


 みんなで下を見て歩く。コウはクロをユエンにまかせて地面に手をついた。「みつけた!」。コウはひとつ拾ってアオに見せた。「おお、よく見つけたなあ!」。シガンが拾ったドングリをバケツに放り込む。もうひとつ拾ったコウも持っていったが、見ていたショウケンに止められてしまった。


「黒くなったのは腐ってるよ。カラカラなのや穴が空いてるのは虫が食ってるね」


 よくわからないがこれはダメらしい。コウは地面にドングリを離した。それからまたひとつ拾ったのだが、小さな穴が開いていた。穴が開いているのもダメだという。そのドングリを地面に戻そうとしたとき、白くて細いぐねぐねが出てきた。


「わっ……」


 驚いて、気持ち悪くて、思わず白いぐねぐねを潰した。手の下でぶちゅっと潰れて液体が出てきてへんな気持ちになる。なんだか、胸をぎゅっとつかまれたような。これはきっとダメなことだ。裾で手を拭くけれど、嫌な感触は消えない。


「コウくん? なにかあった?」

「ううん……なにも」






 大きなドングリ、小さなドングリ。帽子をかぶったの、かぶっていないの。バケツに水を流しこむと、浮かんでくるものと沈むものがある。シガンはひょいひょいと浮かんできたドングリを拾い上げた。


「虫いるとダメだから」


 浮いたドングリを地面にバラバラと戻す。


「なんで?」

「なんでって……」

「ダメじゃないよねえ」


 聞いていたショウケンがケラケラ笑う。地面に戻されたドングリを一つ拾った。小さな穴が空いている。


「人間がドングリを使う時は、虫はいないほうがいいってだけだよ。この中にいるのはゾウムシって虫の子供だ。ドングリの中身を食べる。コウくんがご飯を食べるのと同じだね」


 コウは小さな穴をのぞいて見る。何も見えないけど、この中にさっきみたいな虫がいるのだろうと想像した。


「にがくておいしくないよ。どうしてにがいの食べるの?」

「偶然そうなっている、からかなあ」


 にこにこと説明するショウケン。この世界は百三十七億年の偶然の積み重ねでできている。それを「神」とするのならきっとそうなのだろう。


「ドングリは木の子供なんだ。ここから大きな木になる。ドングリは苦い。たまたま苦いのが食われずに大きくなれたんだろうね。虫やネズミはドングリを食べられる。たまたま苦いドングリを食べられる虫やネズミが生き残って子供を作った」

「たまたま……」

「そうだよ。この世界は偶然うまくいっているんだ。だからドングリも虫もネズミもだいじ」

「だいじなの?」


 虫入りのドングリをにぎってコウは考える。


「そう、だいじ。木も虫もネズミもみんなだいじ。動物も植物も、生き物はみんな殺しあったり助け合ったりして生きているんだよ。目に見えないずっと小さなものだってそうだ」

「むしもだいじ」


 だいじというのは、壊すと悲しいことだとシガンは言っていた。じっと考えていたコウは、小さな声で告白する。


「……あのね。さっき、むし、ダメにした」

「ああ。殺したのか」


 ショウケンはおだやかにうなずいた。殺した。その言葉が重くコウの心の底に沈んでいく。


「そうかあ。虫は人間の害になるやつもいるからね。人は殺したくなる。虫も殺されないよう逃げる。そして増える。木がドングリを落とす。虫やネズミがドングリを食べる。虫は鳥に食べられてしまう。ネズミももっと大きな動物に食べられる。死んで他の何かになる。全部、たまたまうまくできているんだよ」

「先生みたいなこと言うなあ」


 感心したようにアオが声をもらした。


「そうだね。汚くても醜くても弱くても、みんなだいじ。嫌いでも悪いと思っても役にたたないように見えても、死んでしまっても、だいじだ」

「みんなだいじ」


 うんうんとショウケンがうなずいた。


「だから、人間もだいじ。もちろん、コウくんもだいじだよ」






 日が暮れて帰り道を行く。シガンはドングリのはいったバケツを片手に、アオはコウを片手に。コウは腕にしがみついて、体重をかける。アオが前後に揺らしてやると喜んでぶら下がって振り回す。


「こらこら、そんな引っ張るなー。腕抜けるだろ」

「アオ、にくまんだって! にくまんなに?」


 コウがコンビニエンスストアの広告を見て指さした。


「豚まんかあ。うまそうだな」

「面倒だし、夜ご飯買っていかない?」


 自動ドアの外にバケツとアオ、ユエンを待たせてコンビニに入った。ユエンはひとつドングリをとって手の中でくるくる回す。アオがにこにことそれを見ていた。


「いや、よかった。ドングリあったなあ」

「そうか。それはよかった」

「ユエンさんは楽しかった?」

「ん? 私は人間が望むならそれがいいと思う」


 ユエンは楽しそうに見えた。拾ったドングリをコウと比べてどっちが多いとか大きいとか張り合っていた。ドングリを手品のように隠してまた出して、腕に転がしては回して驚かせていた。楽しそうだと思った。それも人間の勝手な思い込みだったのだろうか。


「また、そんなこと言って。……俺は楽しかったよ」


 シガンはコウと話しながら、おかずになりそうなものをカゴに入れてレジに並んだ。コウはシガンの横でぴょんぴょん跳ねている。スパゲッティにカツ丼、おにぎり。からあげもいいな。そのまま食べてもいいし、酢豚風にしてもいい。


「あと、肉まんふたつとあんまんふたつください」


 ほかほかを手にコンビニを出て、家に向かう。すっかり陰になった夜の中を歩いていく。走ってくる車のライトがまぶしい。アオは少しすがめて見ると、袋の中を手で探った。


「あれ、からしは?」

「からし? ないぞ」

「コウくん、豚まんとあんまんどっちがいい?」

「どっちも!」


 すいぶんよくばりなことを言うようになった。アオは思わず笑って、持っていたあんまんをぱっくりと二つに分けた。白い皮が割れて中からおいしそうなあんがこぼれる。


「ん。じゃあ半分ずつな。……これ、こしあんじゃん」


 はいとコウに渡せば両手に肉まんとあんまんを持ってほおばる。「おいしい」「そうか、そりゃよかった」。コウはもぐもぐと食べながら、上を見てふらふらとしている。シガンはコウの肩をつかんで注意した。


「こら危ないぞ」

「月がいないよ?」

「月?」


 それであちこち見る場所を変えていたのか。こないだ「みなと」から帰ってきてから、毎晩のように夜空を見あげている。こないだ満月だったから、今日は夜中まで待たないと見えないはずだ。


「まだ昇ってきてないなあ」

「まんげつは?」

「いや……今欠けていってるから……」

「まんげつだとガルフはつよくなるんだよ」


 コウは自分のことのように胸を張ってみせた。


「それでね、クナドもつよかったの。まんげつだったからかな?」

「うんうん、そうだなあ。えらく強い子だったなあ」


 アオが同意する。ガルフもクナドも、コウにとってかっこいいヒーローなのだ。強くて正しいことができるヒーローに憧れる気持ちはアオにもわかる。光り輝いて見えて、心からすごいと思い、自分もそうなりたいと願うのだ。


「それでね、ガルフは強いだけじゃなくてやさしいんだよ。ねえ、やさしいってなに?」

「ん? 優しいかあ……思いやりがあるとか……」

「おもいやり?」

「他の人をだいじにすること……かなあ」

「だいじにする……」


 また「だいじ」だ。だいじってなんだろう。コウは歩きながらしばらく考えていた。

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