第10話、殺人鬼 下

 満月が空から見おろしていた。トモエはクナドの前に立って、怖い顔をして見せた。彼女は不満そうにため息をひとつ、どなりたいのを抑えて話しかける。


「クナドくん。私、危険なことするなって言ったよな?」

「……言った」

「まあまあ、トモエさん。無事だったし、よかったじゃないか。な?」


 横にいたアオがなだめる。クナドはトモエが護衛についている平坂サエの長男だ。サエが吸血鬼に襲われたとき、叫んで追い払ったのもクナドだった。金のオオカミみたいな吸血鬼を初めて見たのも彼だった。クナドは言い返したそうにしながらも押し黙ってしまう。


「コウくんも助けてもらったし、そう怒らなくても……」

「そもそも悲鳴の主を探しに行かなければよかった。吸血鬼だったらどうする。いや、人間でもだ。バットひとつで倒せるものじゃない。過信するな。ひとりでなんとかしようとするな」

「そりゃそうだけど、誰かが襲われてるのに逃げるのはおかしい!」


 返り血の主はすでに殺されていた。助けを呼んでくるのが一番良い方法だったとわかってるけれど、納得できない。「死体が増えるだけなんだぞ」とトモエは悪態をついた。言っても聞かないならこれしかない。


「……サエさんがすごく心配してた」


 母のことを出されるとクナドも困る。しっかりしていてあれこれ叱ってきて、言い返してもびくともしないと思っていた母が、思っていたより弱い人だったと言うのがショックだった。たどたどしくなぐさめている弟の背中を思い出す。妹も母のそばにいたいのか学校を休みがちだ。そんな家族を見て、クナドは吸血鬼から守りたいと公園に行っては見張っていたのだ。


「ごめんなさい」

「それはお母さんに言ってくれ」

「……うん」

「コウくんを守ってくれてありがとな。がんばったな。……だろ? トモエさん」

「それは……よく逃げた。人に助けを頼めた。えらい」


 トモエは素直に褒めるのが苦手なようで、ぼそぼそと短く言っただけだった。クナドがようやくおかしげに笑みをもらす。トモエがその背中を軽くこづいた。


「怒ってるんだからな」

「うん」

「コウくんも無事でよかった」

「……うん」


 コウはクナドにたくさん言いたいことがあった。もぞもぞとすると、手がポケットのアメに触れた。アオにもらったアメだった。それを取り出してぐいとクナドに差し出す。クナドはおどろいたように見かえした。


「アメ? ええと……くれるの?」

「……あげる」


 クナドの手がアメをとる。それからにこっと笑った。


「ありがとう」

「あのね、あの……クナド、ありがと」


 クナドの言葉の意味が、すとんとコウの心の深いところに落ちた。






 アオは簡単な報告のあと、コウを連れて帰ってきた。組合のみなが気づかってくれたのはありがたい。クナドにはトモエがついて家まで送るという。


「これで三体目。一体はまだいると。他にもいるのか? いそうだな」

「空を跳ばれては留めてはおけなかったか。あのままでは地面に逃げられていたな。どうしたものか……」

「いや、まあ……強かったな」


 あれは多く人を食った個体なのかもしれない。そんなことを考えたアオの後ろから、ぎゅっとコウがひっついてきた。顔を背中に埋めて「う、う……」とうめいている。コウは自分でもよくわからないが苦しいと思った。胸がじわじわと熱くなって締めつけられるようだ。


「お、おい。どうした?」


 シガンが慌ててやってきて聞くと「わかんない」とうめいた。顔をこわばらせ、「うあ……」と顔をシャツに押しつけて。


「あー……えーっと、怖かった?」


 アオはそっと問いかけた。平気そうに見えたのだが、帰ってから一気に来たらしい。あまり感情を表さない子だからこそ、もう少し気にかけてやれば良かったと思った。そっと背に手を当てる。小さな背中がひくりと震えた。ゆっくり撫でてやる。


「そうだなあ……怖かったなあ……」


 よくわからないザワザワとした心の動きに名前がついた。そうだ、怖かったんだ。アオが軽く背を叩いた。恐怖を全部吐き出させようとするように。


「大丈夫。もう大丈夫だからな」

「怖がるのはいいことだ。身を守る方法だから、よく怖がるといい」


 ユエンが少し離れたところから言った。


「コウ、そういう時は泣くものだよ」


 ひくっとコウはしゃくり上げ、腕を回してアオに抱きついた。


「もうこわいことない?」

「ないよ。ほら、大丈夫だ」


 アオも手を添えてぎゅうっと引き寄せた。コウは声をあげて泣き出した。急にほっとして、あったかくて、自分でもわからないくらい目元が熱くなって涙がこぼれてきた。困ったようにシガンがティッシュを持ってくる。頭を擦りつけ、泣いて、泣いて、そのまま眠ってしまった。






 翌日はもう、コウは大丈夫そうな顔をしてご飯を食べていた。


「コウくん、遊ぶか?」

「あそぶ」


 朝食後、シガンとコウはマンカラを始めた。シガンがゆるめなくても勝つことが増えてきた。豆をつかもうとしたコウの手が一瞬止まった。シガンが口を出そうとすると「今、かんがえてるの!」とコウが叫んだ。「おや、そうかい」とシガンは笑う。


 テレビの情報番組では昨夜の殺人犯と食人鬼の話題が始まったところだった。チャンネルを変えるがどこも似たりよったりだ。


 アオがスマホを見ると「家が近いから怖い」「他人を巻き込まないでひとりで死んで欲しい」「吸血鬼だけじゃなくて人も……」「社会が彼を殺人鬼にした、今の政治はどうなってるんだ」など市民の率直な感想を取り上げている。


「殺人か……吸血鬼のマネだって?」


 テレビを横目に見てシガンが鼻を鳴らした。


「どうだろなあ……」


 昨日の報告書はあとで持っていけばいい。いろいろと考えながらも皿洗いを終えて、アオはエプロンを外しながらユエンを振り返った。ちょうどユエンと目があった。


「お。ユエンさん、どした?」

「どうした、か。怖いとはやっかいなものだな」

「コウくんのこと?」

「さてな」


 聞かれてユエンはつぶやくように答えた。


「恐怖は自分の存在や通常状態を揺るがすものへの感情だ。生命として当然の反応だ。だが、生きることは変化だ。恐怖は生きるのに必要だが、全てに怖がり続けていては生きられない。どこかで安心する必要がある」

「……うん?」

「アオ。神は何もしないが、思うようにそこにいる。それが人の安心となるように」


 その会話の端が聞こえたのか、シガンが怒る。


「ユエンさん、人ん家で宗教の勧誘しないでくれるか?」

「おや、信じることは愛情のようなものだ。愛せよと言っても愛されはしない。そうだろう?」

「この、へりくつ」


 ユエンはわざとらしく困った顔をつくって見せた。


「ときに害だがどちらも必要だ。『いないこと』を信じている人間もいることだしな」






「人間のほうは捕まった」

「……少なくとも二件の殺人ですねえ」


 防除組合のオフィス。新聞をめくるナヨシに、リョウアンが大げさなため息をついた。新聞にも昨日の殺人事件のニュースがのっている。テレビからは「普通の人だった」という同級生のインタビューが流れる。「人を襲う吸血鬼に自分を重ねて、強くなったつもりでいたのだろう」と自称専門家の意見が耳に入った。


「こっちは解決してないですよ」

「食人鬼が少なくとも一体が残っているわけだ。吸血鬼もだな」


 東京駅の食人鬼とは「別人」だった。リョウアンががっくりと肩を落とした。情けない声を出してナヨシにすがって見せる。


「ボク、やっと家帰ったら娘に『おじちゃん』って言われてさあ……」

「……追い出されないうちになんとかしよう」

「お願いしますよ」


 一方、テレビは被疑者の半生を追っている。「いじめられていたみたいですね。大学でもなじめなかったと。就職ができず、家に引きこもっていたそうです」。そこに速報が入ってきた。被疑者の供述だ。「自分だけ何をやってもうまくいかないのは理不尽だと思った。自分を除け者にしてみんなしあわせなのは、ずるいと思っていた」そうだ。


 動機とは主観だとナヨシは思う。他人にはわからないし、本人にさえわからないのかもしれない。ニュースでは「心の闇」「社会のゆがみ」などと解説している。同じような状況でも人を殺す人とそうでない人がいる。むしろ大多数はそうしないはずだ。……誰もが犯罪者になるわけではない。それと同時に、誰もが犯罪者になる可能性を持っている。


「……人を殺したヤツも守るのが法で人ですか。自分で死ぬこともできず真っ当に生きることもできず『人』でいることすらやめようとしたのにねえ」


 リョウアンがやれやれとチャンネルを変えた。こちらは見出しに「二体駆除。残る吸血鬼のゆくえは」とある。


「不満か?」

「いーえー、トモエさんのマネですー」


 おどけるように首をすくめたリョウアン。そのトモエは人に向かって斧を振ったので注意を受けた。いくら相手が殺人犯とはいえ、空振りでよかったといったところである。


「人をぞんざいに扱うからないがしろにされるのか、ないがしろにされたからぞんざいにするのか? どっちですかね?」


 世の中は理不尽だ。悪いことをした人に悪いことが起こるわけではない。いい人にいいことがあるわけでもない。でも、人間はそれを理不尽だと思う。できるなら公正であってほしいと願う。


 彼を訴えるのも情状酌量を求めるのも裁くのもナヨシの仕事ではない。もちろん、税を払い投票をする。それは間接的に彼らに関わることだ。けれども、これ以上は自分の仕事ではない。ナヨシはこめかみを押さえてため息をついた。


「リョウアン。その食人鬼の情報を、もう一度頼む」

「東京駅とは別個体と思われます。ユエンさんによると、被害者の流した血をかぎつけてきたようです。地面に直接染み込んだようなので、それではないかと」

「……地面、か」

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