第18話、ひとりでできること 下

「ねえ、シガン」


 そのころ、コウはシガンの部屋に声をかけていた。手には犬のぬいぐるみ。シガンは部屋にこもって、長いこと出てこない。コウはクロと一人二役でマンカラをしていたが、さすがにもう待てなかった。手足をばたばたとさせて呼ぶ。


「シーガーンー!」

「あー、わかった。ちょっと待って」


 カフェ「みなと」に行った帰り、「バイバイ」とはなにかとアオに聞いた。アオは「また会いたい?」と聞いた。コウがうなずくと「あっちも『また会いたい』ってことかな」とアオは答えた。また会いたい。そう思ったコウは、楽しみすぎて眠れなかった。いつまでも起きてるので、アオとチャンバラをしてやっと眠った。


 朝起きてすぐに「いこう」と言ったのに、シガンは「今度な」と、ひとりで行ってしまった。翌日も、その翌日も。話が違うとコウは思った。約束したのに。


「はやくいくの!」

「あーとーでー」


 アオはいないしユエンもいない。コウはひとりで上着を着、靴をはき、勝手に出かけることにした。ぬいぐるみを片手に抱いて。怖いことなんてなにもない。車が多いところはしましまを、細い道は左右を見て渡る。だから大丈夫。玄関を開けて、外へと飛びだした。


 みんなと行ったように小さな道を歩いていけば、大きな道に出るはずだ。けれど歩いても歩いても大きな道につかない。いつまで経っても見知らぬ道だ。


 道端の小石を蹴ると、ぽーんと跳んでころころ転がった。次は石が転がった方向に歩いてみる。道には白い線があるのでその上を落ちないように歩く。途中でいい感じの棒を拾っていく。線が切れていたので見まわして、むこうの線に移る。そんなことをしながら歩いていると、すっかり「みなと」に行くのを忘れていた。


「どっちがいい? こっち」


 分かれ道があった。棒をくるりとまわして倒れたほうに進む。その道には赤い花が咲いていて、そこから少し歩くと小さな神社が見えた。神社を通りすぎたところに公園があり、赤と黄色の葉が落ちている。子供たちが揺れるものに乗っていた。


 初めて見たブランコにひかれるように、コウは公園に入っていった。




 ガチャリと玄関を開けてユエンはシガンの家に入った。ユエンは吸血鬼と違い、自由に人の家に出入りできる。人に害を加えないと人間が信じているからそうなのだ。


「アオさんと一緒じゃなかったのか。どこ行ってた」

「研究室だ。警察の」

「……ああ。ちゃんと仕事してんだな」


 駆除に協力していると聞いていたが、本当にそうだったのかとシガンは驚いた。この少女にできることなんてあるのだろうか。武器を振りまわして吸血鬼を駆除する姿はまるで想像できない。


「まあ、そんなところだ。恩には応えないとならない」

「恩?」


 このふてぶてしい自称神が恩義を感じることがあるとは。


「ネックレスが切れたときにビーズを拾ってくれた子がいた。その子が東京に行きたいというので、大きな危険ははらってやることにしたのだ」


 言われてみれば、ユエンのネックレスはずいぶん古い。ビーズの数が少なく麻紐が剥きだしの部分も多い。なにもしないくせに態度の大きいやつだと思っていた。それでも、彼女にだってだいじなものがあるのだとわかった。悪いやつではないのも知っている。だいぶハードルがさがっている気がするが。


「ふうん……まあいい」

「絵か。なるほど、想像力豊かなものだ」


 気分を変えようと、キッチンに出て絵を描いていたのだが、なんとなくバカにされているように聞こえる。「それはおまえの空想だ」と言われた気になる。


「……嫌なやつ」

「すばらしいことに人間は神さえ生みだせる」


 にらんだが、ユエンは気にしない。それどころか本当にそれでよいと思っているような口ぶりだ。しかし、突然気づいたように首をひねった。


「シガン。コウはどこに行った?」

「え? 部屋にいない? 隠れてるんじゃなくて?」

「靴がないな。クロもない」

「ほんと? どこ行った。『みなと』か?」


 シガンもコウが「みなと」に行きたがっていたことは覚えていた。午後に連れていくつもりでいたのに、ついつい絵に夢中になって忘れてしまった。これはまずい。コウは出歩くのに慣れてないのだから。


「ふむ、バレねばよいが……」

「ほらほら、探しにいくぞ」

「まあよいか」




「まって! じゅんばん、まもらなきゃダメ!」

「ちかいとあぶないの、はなれて!」


 ブランコにはたくさんの子供がいて、コウが近づいていくと「あっちいけ」と手ではらった。コウは離れていって木の下に入る。驚いた鳥がばたばたと飛びたった。


 あっちではだるまさんが転んだをしていて、そのむこうでは手つなぎ鬼で遊んでいた。コウは枝で地面を引っかいてみる。砂がへこんで縁が盛りあがり、線が生まれた。


「ジャマ!」


 子供たちが走ってきて叫び声をあげた。コウがいたところは砂場だった。五、六歳ほどの子供が数人でとり囲んで、怒った目をして言う。


「ジャマだって!」


 ひとりの子が、どんっとコウの腰を手で突いた。どちらかというと体当たりだ。コウがふらついて尻餅をつく。枝を離してしまい、クロが転がった。そうか、ジャマなのかと思った。ジャマならしかたないとコウが隅に行こうとしたとき。


「こら!」


 金属バットを持った男の子がやってきてどなった。十四、五くらいだろうか。コウよりずっと背が高い。その子は子供を捕まえて怖い顔をしてみせた。


「人を突き飛ばしたらダメだろ!」

「だって、ジャマなんだもん!」


 子供は自分たちは悪くないと言いかえした。男の子は腰をかがめて低い声を出す。


「そういうときはなんて言うんだっけ」

「……どいて」


 その子は言うべきことを言わなかったと認めた。男の子は少し緩めて聞きなおす。


「どうするの?」

「……ごめん」


 小さな子は嫌そうに言うと、男の子の手を振りほどいて走っていく。その子を追いかけてみんなむこうに行ってしまった。あかんべーを残して。残った男の子はコウにも不満そうな顔を向ける。


「おまえも怒れよ」

「……おこるの?」

「そー。『コラー!』って言ってよかったよ、あれ」


 そう言いながら男の子はバットを軽く振りまわした。コウにはよくわからない。怒れと言われてもどうやって怒ったらいいか知らない。怒らないとダメなんだろうか。


「嫌なら『嫌だ』って言わないと」

「……うん」


 嫌というのはなんとなくわかる。そうか、突き飛ばされて自分は嫌だったんだ。


「おまえ、さっきブランコ見てたよな。今、空いてるよ」


 先ほどまでブランコにいた子たちは、もう滑り台に移動していた。


「乗りたかったんだろ? 待ってたんだし」

「うん」


 コウはうなずいて、ブランコに座ってみる。足でちょっと地面を蹴ると、ぐらぐらとぎこちなく揺れた。バランスを崩しそうで怖くなって縮こまる。


「下手くそ」


 男の子が笑った。ぬいぐるみを置いて両手で紐をつかむように言われる。コウは言われたとおりにクロを隣のブランコに置き、両側の紐をぎゅっと握った。男の子が後ろからゆっくり押すと、足が浮きそうになる。


「しっかり握ってろよ。ほら、足、離して」


 足をあげればふわりと浮かんだように感じる。足の裏が地面につかないのは怖くて、とても気持ちがよかった。冷たい風が顔に当たって少し痛いと思った。嫌ではない。


「楽しい?」

「うん」

「ブランコ初めて?」

「うん」

「学校どこ?」

「がっこ?」


 男の子はちょっと驚いた顔になり、そういうこともあるかと自分を納得させた。見た目よりもしゃべりかたがずっと幼いと思ったが、特に聞かなかった。


 ブランコはだんだん高くなっていって、足が遠くに離れていくように感じる。手に力を入れて、紐を握りしめた。それなのに体が浮いていって飛んでいきそうだ。そうしたら落ちてしまう。地面に落ちると痛いと思った。


「ダメ。いやだ……」

「ん、わかった」


 うなずいた男の子は加減して揺らした。行ったり来たり、そのうちコウは揺れにあわせて足を伸ばし、上半身を後ろに倒すようになった。うまく重心を移動させると押されなくても揺らすことができる。男の子が手を離しても、ブランコは揺れ続けた。




 日はもう沈みきっていた。オレンジ色がだんだん薄れていく。暗い色がすぐそこまで迫ってきている。気がつくと、子供たちは誰もいなくなっていた。残ったのはブランコの揺れる音とカラスの声だけだった。


「……ねえ。吸血鬼が出るから早く帰ったほうがいいよ」


 その言葉にコウははっと顔をあげた。それを怖がっていると思ったのだろう、男の子が快活に笑った。バットを大きく振りあげて「怖くないぞ」と主張する。


「大丈夫。あんなの、俺が倒してやるから」


 倒してやる。バットで叩かれたら痛いと思う。叩かれたくない。


「いやだ。……かえる」

「おい、ひとりだろ? 家どっちだ?」

「……わかんな」


 住宅街に悲鳴が響いた。顔をあげ、その方向を見た男の子はバットをつかんだまま走っていく。公園を出て、道を曲がってコウから見えなくなった。


 コウはクロを握った。ここにいようか。でも、誰もいない。薄暗くなってきた公園は薄気味悪かった。木の影が動いて捕まえられそうだった。動物のばね遊具が今にも動いてきそうだった。ひとりにしないでとコウが慌てて後を追う。


 一方、男の子は古いビルの合間に入る。確信があったわけではない。でも、なんとかしたいという気持ちだけで走った。走らないといられなかった。

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