第9話、ひとりでできること 下

「ねえ、シガン」


 その頃、コウはシガンの部屋に声をかけていた。手には犬のぬいぐるみ。 シガンは戸を閉めたまま部屋にこもって、もう長いこと出てきていない。コウはクロと一人二役でマンカラをしていたが、さすがにもう待てなかった。手足をバタバタとさせて呼ぶ。


「シーガーンー!」

「あー、わかった。ちょっと待って」


 カフェ「みなと」に行った帰り、「バイバイ」とは何かとアオに聞いた。アオは「また会いたい?」と聞いた。コウがうなずくと「あっちも『また会いたい』ってことかな」とアオは答えた。また会いたい。そう思ったコウは、楽しみすぎて眠れなかった。いつまでも起きてるので、アオとチャンバラをしてやっと眠った。


 朝起きてすぐに「いこう」と言ったのに、シガンは「また今度な」と言って動こうとしなかった。翌日も、その翌日も。話が違う、とコウは思った。約束したのに。


「はやくいくの」

「あーとーでー」


 アオも出かけたしユエンもいない。でもコウはもう待てなかった。ひとりで上着を着、靴をはき、勝手に出かけることにした。ぬいぐるみを片手に抱いて。怖いことなんて何もない。車が多いところはしましまを渡る。細い道は左右を見て渡る。だから大丈夫。玄関を開けて、外へと飛び出した。


 みんなと行ったように小さい道を歩いていけば大きい道に出るはずだ。けれども、いつまで歩いても大きな道につかない。いつまでたっても見知らぬ道だ。


 道端の小石を蹴ると、ぽーんと跳んでコロコロ転がった。次は石が転がった方向に歩いてみる。道には白い線があるのでその上を落ちないように歩く。途中でいい感じの棒を拾って振りながら歩いた。白い線が切れていたので見まわして、むこうの白い線に移る。そんなことをしながら歩いていると、すっかり「みなと」のことを忘れていた。


「どっちがいい? こっち」


 分かれ道があった。棒をくるりと回して倒れたほうに進む。その道には赤い花が咲いていて、そこからもっと進むと寒空に小さな神社があった。

 そこを通りすぎたところに公園があり、赤と黄色の葉っぱがいっぱい落ちている。子供たちが何か揺れるものに乗っているのが見えた。


 初めて見たブランコにひかれるように、コウは公園に入っていった。






 ガチャリと玄関を開けてユエンはシガンの家に入った。ユエンは吸血鬼と違い、人間の家に自由に出入りできる。人に害を加えないと人間が信じているからそうなのだ。


「アオは?」

「組合。そのまま見回りだと。……どこ行ってた」

「研究室だ。警察の」

「……ああ。ちゃんと仕事してんだな」


 駆除に協力していると聞いていたが、本当に協力していることにシガンは驚いた。けれどもこの自称神の少女が協力できることなんてあるのだろうか。武器を振りまわして吸血鬼を駆除する姿はまるで想像できない。


「まあ、そんなところだ。恩には応えないとならない」

「恩?」


 このふてぶてしい神が恩義を感じることがあるとは。


「このネックレスが切れた時にビーズを拾ってくれた子がいた。その子が東京に行きたいというので、大きな危険は払ってやろうと思ったのだ」


 言われてみれば、ユエンのネックレスはビーズの数が少なくて麻紐が剥き出しの部分も多い。ずいぶん古いもののようだ。何もしないくせに態度の大きいやつだと思っていた。それでも、彼女にだって彼女のだいじなものがあるのだとわかった。悪いやつではないのも知っている。……だいぶハードルが下がってる気がするが。


「ふうん……まあいい」

「絵を描いていたのか。なるほど、想像力豊かなことだ」


 気分を変えようとキッチンに来て絵を描いていたのだが、なんとなく馬鹿にされているように聞こえる。「それはおまえの空想だ」と言われた気になる。そんなはずがない。あれは確かに吸血鬼だった。


「……嫌なやつ」

「すばらしいことに人間は神さえ生み出せる」


 にらんだが、ユエンは気にしない。それどころか本当にそれで良いと思っているような口ぶりだ。しかし、突然気づいたように首をひねった。


「シガン。コウはどこに行った?」

「え? 部屋にいない? 隠れてるんじゃなくて?」

「靴がないな。クロもいない」

「ほんと? どこ行った。『みなと』か?」


 シガンもコウが「みなと」に行きたがっていたことは覚えていた。午後に連れていくつもりでいたのに、ついつい絵に夢中になって忘れてしまった。これはまずい。コウは出歩くのに慣れてないのだから。


「ふむ、バレねばよいが……」

「ほらほら、探しにいくぞ」

「まあよいか」






「じゅんばん、まもるの!」

「まってなきゃダメ!」

「ちかいとあぶないの、はなれて」


 ブランコの近くにはたくさんの子供がいて、コウが近づくと遠ざけた。「あっちにいけ」と言っているようにコウは感じた。離れていって大きな木の下に入る。驚いた鳥が何羽もばたばたと飛んでいった。

 あっちではだるまさんがころんだをしていて、向こうでは手つなぎ鬼で遊んでいた。コウは持っていた枝で地面を引っかいてみる。落ちている枯葉をついて動かしたり、ぶんぶんと振りまわしてみたり。


「ジャマ!」


 ひとりで遊ぶコウの後ろに子供たちが走ってきて、叫び声をあげた。コウの立っているところは砂場だった。五、六歳ほどの子供が数人で取り囲んで、怒った目をして言う。


「ジャマだって!」


 ひとりの子が、どんっとコウの腰を手でついた。どちらかというと体当たりだ。コウがふらついて尻餅をつく。枝を離してしまい、転がったクロに砂がついた。そうか、ジャマなのかと思った。ジャマならしかたないとコウが隅のほうに行こうとした時。


「こら!」


 金属バットを持った男の子がやってきてどなった。十三、四くらいだろうか。コウよりずっと背が高い。その子は子供を捕まえて怖い顔をしてみせた。


「人を突き飛ばしたらダメだろ」

「だって、ジャマなんだもん!」


 子供は自分たちは悪くないと言い返した。男の子は腰をかがめて低い声を出す。


「そう言う時は何て言うんだっけ」

「……どいて」


 その子たちは自分が言わなければならないことを言わなかったと認めた。男の子は少し緩めて聞き直す。


「どうするの?」

「……ごめん」


 小さな子は嫌そうに言うと、男の子の手をふりほどいて走っていく。その子を追いかけてみんなむこうに走っていった。あっかんべーを残して。残った男の子はコウにも不満そうな顔を向ける。


「おまえも怒れよ」

「……おこるの?」

「そー。『コラー!』って言ってよかったよ、あれ」


 そう言いながら男の子はバットを軽く振りまわしたが、コウにはよくわからない。怒れと言われてもどうやって起こったらいいかわからない。怒らないとダメなんだろうか。


「嫌なら『嫌だ』って言わないと」

「……うん」


 嫌というのはわかる。そうだ、突き飛ばされて自分は嫌だったんだ。


「おまえ、さっきブランコ見てたよな。今空いてるよ」


 先ほどまでブランコに乗っていた子たちはいっせいに滑り台に移動したようだ。ブランコの周りにはもう誰もいない。


「乗りたかったんだろ? 待ってたんだし」

「うん」


 コウはうなずいて、男の子のあとをブランコまで歩いた。板におそるおそる座ってみる。足でちょっと地面を蹴ると、ブランコがぎこちなく揺れた。バランスを崩しそうになって怖くて縮こまる。ぐらぐらして尻が落ちそうだ。


「へたくそ」


 男の子が笑った。ぬいぐるみを隣のブランコに置いて、両手で紐をつかむように言われる。コウは言われた通りにクロを置き、両側の紐を握った。男の子が後ろからゆっくりブランコを押した。押し出されて足が浮きそうになる。


「しっかり握ってろよ。ほら、足離して」


 足を上げればふわりと浮いたように感じる。足の裏が地面から離れるのは怖くて、そしてとても気持ちが良かった。冷たい風が顔にあたって少し痛いと思った。嫌ではない。


「楽しい?」

「うん」

「ブランコはじめて?」

「うん」

「学校どこ?」

「がっこ?」


 男の子はちょっと驚いた顔になり、そういうこともあるかと自分を納得させた。見た目よりも喋りかたがずっと幼いと思ったが、特に聞くことはしなかった。


 ブランコはだんだん高くなっていって、足がずっと遠くに離れていったように感じる。手に力を入れて、紐を握りしめる。それなのに体が浮いていって飛んでいきそうだ。そうしたら落ちてしまう。地面に落ちると痛いと思った。


「だめ。いやだ……」

「ん、わかった」


 うなずいた男の子は加減して揺らす。行ったり来たり、そのうち揺れにあわせて足を伸ばして上半身を後ろに倒すようになった。腕を曲げて足を曲げる。重心を移動させると押されなくても揺らすことができる。男の子が手を離しても、ブランコは揺れ続けた。




 日はもう沈みかけていた。オレンジ色が消えていき、金色の輝きも薄れていく。暗い色がすぐそこまでせまってきていた。気がつくと、子供たちは誰もいなくなっていた。残ったのはブランコの揺れる音とカラスの声だけだった。


「……ねえ。吸血鬼がでるから早く帰ったほうがいいよ」


 吸血鬼。コウははっとした。それを怖がっていると思ったのだろう、男の子が自分はそんなもの恐れてないとでもいうように快活に笑った。バットを大きく振り上げて「怖くないぞ」と主張する。


「大丈夫。あんなの、俺が倒してやるから」


 たおしてやる。男の子が持っている棒で叩かれたら痛いと思う。叩かれたくない。


「いやだ。……かえる」

「おい、ひとりだろ? 家どっちだ?」

「……わかんな」


 そのとき悲鳴があがった。顔をあげてその方向を見た男の子はバットを持って走っていく。そのまま公園を出て、道を曲がってコウから見えなくなった。


 コウは隣のブランコのクロをつかんだ。怖い。このままここにいようか。でも、誰もいない。この薄暗くなってきた公園にひとりっきりというのは薄気味悪くて嫌だった。乗る人のいない動物のばね遊具が今にも動いてきそうだった。木の黒々とした影が伸びてきて、捕まえられて食べられそうだと思った。ひとりにしないでとコウが慌ててあとを追う。


 男の子は公園を出てビルの合間に入る。角を折れて、また曲がって。確信があったわけではない。風に流される声の源など特定できるはずがない。でも、なんとかしたいという気持ちだけで走った。走らないといられなかった。

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