第17話、ひとりでできること 上

「お、なに描いてるのー?」


 カフェ「みなと」から帰ってきた夜、コウはスケッチブックに丸を描いた。よく覚えていたなとアオは感心した。ずるして負けたけど、やりたかったのか。


「マンカラやるのか?」

「……うん、やる」


 シガンは大豆を渡した。アオが円のなかに大豆を三個いれる。それからコウが先手で始めた。カゴメとやったときより円の数も豆の数も少ない。これなら簡単だ。


「よし、ジャンケンな」


 コウはひょいと豆をつかんでまいていく。アオも豆を移動させる。そうしていくうちに、コウの旗色が悪くなってきて涙目になる。アオがわざと負ける。それがわかってコウがいじける。一方、ユエンは手を抜かないのでコウは勝てない。


 いい勝負をするのはシガンだ。コウがうまい手に気づくとそのまま勝てるように緩めてやる。アオほどあけすけに手加減はしない。「ん……」。コウが悪手を打とうとしたら、にやりと笑って指摘する。


「お、それでいいのか? こうなったら?」

「だめ。まって」


 待ってが三回あって、シガンに勝ったときのコウはじつに嬉しそうに笑った。コウはもう、ずるをしようとはしなかった。




 翌日、朝のニュースでは例の殺人事件が報道されている。


 それに続いて、「吸血鬼から守ってやる」と金銭を要求する事件が報じられた。組合だってもともとお行儀のよい組織だったわけではないが「吸血鬼対策基本法」や各地の条例施行後はそういうものも減っている。


 コウはぬいぐるみを抱いて、シガンがレンコンを切っていくのを後ろからじっと見ている。だんだん近づいていって、肘の下から顔を出してのぞきこんだ。


「切ってみるか?」

「……やだ」

「正しく使えば怖くないぞ。色鉛筆削るより簡単だ」


 そう言われて切ったレンコンを一枚貰った。穴が丸く並んでいるのが面白い。とても不思議だ。穴をのぞくと視界は狭まるのにどこまでも見える気がする。かぷとかじってみれば、少しアクがあって渋い。コウはもう一度シガンを見あげた。シガンはサクサクとレンコンを切っていく。


「やらないなら離れて」

「……やる」

「切れそう? 気ぃつけてな」

「なら、クロちゃん置いて」


 昨夜、ぬいぐるみに名前がついた。黒いからクロとはそのままだ。クロを置いてきたコウはイスに乗り、シガンのマネをして左手で包丁を握る。右手がレンコンを上からつかんだ。ここでシガンがおかしなことに気づいた。


「……逆。おまえ右利きだろ。こっちで包丁握って、そっちで押さえて……」

「俺、切ろうか? ケガしないで……」

「アオさん、あっちいって」


 後ろでうろうろしながら口を出してくるアオに、シガンが怒る。シガンは切りやすいようにまな板の位置を変えた。コウは左手でレンコンを押さえ、右手で包丁を握る。


「ごめん……」

「アオは人の面倒を見すぎる」


 ユエンにも言われてしまい、アオはしょんぼりとイスに座った。けれども心配で落ちつかないらしい。そわそわと伸びあがってコウの背中を見ている。シガンはため息をついた。危なっかしいのはわかるが、こういうのはやらせないとダメだ。


 レンコンに刃を当て、ゆっくりと力をかけていく。すっと刃が入り、トンとまな板に当たった音がした。「おお、できたな」。こうしてぶ厚いレンコンの半月が何枚かできた。コウが満足そうに見せてくる。


「おー、すごいなあ、がんばったなあ!」

「うん、きれたよ!」

「ほう、よくやった」


 こうなるともう得意でもっと切ろうとする。ほかに切れるものはないか探すので、シガンが止めた。「はいはい、できたのはこっち入れて」。コウが切ったレンコンは不揃いだったが、みんな一緒に軽く水につける。


「じゃ、次は火を使うから袖まくって」


 シガンがフライパンに油をひいて熱くする。レンコンの水気を切り、投入するとパチパチと音をたてて跳ねた。


「近いとこ全部熱いからな。ほら、気をつけて」

 コウはうなずき、遠くから菜箸で突いた。「つつくんじゃなくて」とシガンがコウの手をとって炒める。ジャアッと焼ける音。みりんと醤油を入れると、ぷーんと甘じょっぱい匂いがただよってきた。煮つまった醤油がとろとろとレンコンにからむ。


「はい、ご飯にするよ」


 レンコンのきんぴらだ。色よく、味がぼやけておらず、かといってしょっぱいわけでもなくじつにうまい。レンコンは火を通しても歯触りよく食べていて楽しい。コウの切ったぶ厚いのもご愛嬌だ。上に振ったすりごまの香りがあって嬉しくなる。


「作ってくれて、ありがとねー」

「レンコン、すき」


 そう言いながらコウがまだうまく使えない箸で食べている。むぐむぐといっぱいにご飯を頬ばって、噛まずに飲みこもうとするのを「よく噛んで」とアオが押さえた。


 ユエンは「ふむ」とその様子を眺めていた。ずいぶん成長したものだ。さて、そろそろ今後の処遇を考えなければならない。


 テレビのむこうでは、コメンテーターが殺人事件について述べていた。




 それから数日、ユエンは吸血鬼研究室に呼ばれていた。部屋に入るなり、備えつけの電話が鳴ってカナヤが出る。出た瞬間、眉をひそめ机に置いた。電話のむこうから、がなりたてる声がしている。アゲハが肩をすくめてユエンに説明した。


「ここ最近は『なぜ吸血鬼を殺した』という抗議の電話が多くて」

「ああ、アオも言っていた。やっかいな。……今日はなんの用だ?」


 アゲハは机に都の地図を広げながら答えた。


「吸血鬼は吸血するから吸血鬼として認識されるといいます」

「そうだ。なにか気になることが?」

「先日、人形町であった鬼害ですが」


 アゲハが地図に指をすべらせる。十一月一日、人形町で吸血鬼により死亡と赤くマークされていた。シガンが襲われた青山霊園、金色の吸血鬼が目撃された新橋の少し前に起こった事件だ。


「これも吸血鬼のしわざと考えています。強い力で首が引きちぎられていたもので」

「ふむ」


 ユエンがうなずく。医師のアゲハが人間ではできないというならそうなのだろう。


「けれども他の事件のように吸血した形跡がない。たまたまなのか、それとも……」

「吸血より殺戮それ自体に興味をもつものもいるのだろう」

「確かに、例の吸血鬼が目撃された事件ではどれも吸血に至っていません」


 人間は吸血鬼のことを知らなすぎるとアゲハは思った。知らないから怖いのだろうか、人を襲うと中途半端に知っているから怖いのだろうか。妖精は人間が思うほど強くなる。見あげれば大きく、見おろせば小さくなるものだ。


「わかりませんねえ……」


 カナヤが雲をつかむような事件だとため息をついた。


「吸血鬼も元は吸血鬼に殺された人間なんですよね? 変異したっていう……」

「少し前、人間の血と恐怖から始祖となる妖精が生まれた。それに噛まれて吸血鬼になったひとりの人間が、吸血鬼のほとんどを生みだした。そいつは吸血鬼を今の吸血鬼らしくした」

「ふーん。元人間が人間を襲ってるんですね……」

「そう。吸血鬼の唾液――霊気によって変異が起これば、ほとんどの人間は死ぬ。吸血鬼になることに耐えられない。吸血鬼として生きていくことに耐えられない。それでも吸血鬼になったということは、本人がそうなりたかったということだ」


 吸血鬼になりたかったから吸血鬼になる。そんなことがあるのだろうか。


「よくわからないですね。単に偶然とか体質ではないんですか?」

「変異しやすいかは体質、遺伝だ。そして実際に変異するかどうかは偶然だ。しかし変異して生き延びるかどうかはその人間の意識しだいだ。昔から、不幸な死にかたをした人間が吸血鬼になるとかいうだろう? あながち間違いでもないということだ」




「……ああ、そうだ。ユエンさん、ちょっと協力してもらえませんか?」


 話が落ちついた後、アゲハは思いだしたように声をかけた。先ほどまでの重たい思考が一転、どこか未知の謎を前にした子供のような雰囲気になる。


「かまわない。なんだ?」

「あなたの塵をください。妖精のものはもっていないので」


 カナヤがなにを言いだすんだとぎょっとした目で見た。


「ほう、塵でいいのか?」


 腕を出してユエンが聞いた。妖精から切り離された体は塵になる。ユエンや吸血鬼のもつ血はやや塵に変わるのが遅いが、それでも血としては残らないものだ。


「いいですよ」

「そうか」


 答えるのと同時、ユエンの左腕から血が吹きあがった。彼女の右手が黒いかぎ爪状に変わり、ざっくりと腕を切り裂いたのだ。切られた腕が机の上にぼとりと落ち、すぐさま塵に変わった。切断面からこぼれた血も、やや遅れて塵になった。


「ほら、集めなければ散らばるぞ」


 カナヤが慌てて小さなホウキとチリトリを持ってくる。その横でアゲハがじっと見ていたが、集めた塵を小指ですくうと舌でなめとった。よくわからないと首を傾ける。


「へえー……土っぽい?」

「なにやってんですか」


 思いきり嫌な顔をしたカナヤ。世の中には、吸血鬼の塵を浴びると精神がおかしくなると信じている人さえいるのだ。


「だってここの塵はなめられないじゃない」

「当たり前ですよ」


 研究室にあるのは今までに駆除した食人鬼の塵だ。アゲハの所有物ではないうえ、元人間の死体と思えばさすがにそこまでする気はない。ほかに被害者の血液もあるが、これだってなめるわけにはいかないだろう。


「まあ、ただの塵だ。霊気が抜けているから人間に影響はない」

「そうでしょうね」


 ユエンはすでに左腕を再生させていた。断面ももうわからない。黒い目がにこやかにアゲハを見る。人間の知りたい、できるようになりたいという欲は際限がない。外界と自己をつなぐものとでも思っているようだ。それはじつに人間らしい。


「これで足りただろうか」


 新しい手を大きく広げられ、カナヤが呆れた態度を隠せずに答える。


「いやー……十分です」

「ありがとうございます。そういえば、預かってる子って元気ですか?」

「ん? アオに聞いたか。だいぶ育ったな。よいことだ」

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