第16話、友達 下

 駅の西口から十五分ほどのところに、こぎれいなカフェがあった。「ネコいます」と札のさがったドアを開けると、軽快な鈴の音がした。


 カフェ「みなと」。カウンターとテーブル席のほか、奥には小あがりがある。学校帰りの子供が二人、パズルをしたり小さなテーブルに向かったりしていた。


「どーも」

「あらあ、シガンくん。大丈夫だった?」


 入るなり、みなとアキツが声をかけた。この女が店主だ。


「はあ、まあ、なんとか。世話になってる人、連れてきたんで」

「防除組合のもんです。こっち、預かってる子で、おいしいの食べさせたいって」

「こんにちは。シガンくんがお世話になってます。いっぱい食べていって」


 シガンが奥に入ってエプロンをつけている間、アオたちはカウンターに座り、メニューを開いた。飲み物にケーキにいろいろあるようだ。


「あれ、ミオさん休み?」

「そう。チガヤちゃんも用事があって。シガンくん来てくれて助かるわ」


 店員も、もうひとりのバイトもちょうど休みだったらしい。灰色の猫がとことこと歩いていく。この店の猫、「オクドさん」だ。メニューの裏に写真と名前があった。


「ムリはしなくていいけどね」

「してません、してませんって。で、なんにする?」


 写真のケーキにはたっぷりのクリームが乗っていた。中身は季節によって変わり、今の時期はリンゴがごろごろ入っている。カラメルの艶がおいしそうに見える。


「ケーキと……なに飲もっか。温かいのいいなあ」


 このところ急に寒くなってきた。飲み物はコーヒー、紅茶、ココアやミルクがある。コウがラテアートの写真を指さした。にっこりと笑った顔にひかれたようだ。


「ん、ココアな。絵が描いてるやつ。俺はコーヒーで、ユエンさんは?」

「この、チャイマサラというやつ」

「じゃあ、ココアとチャイとコーヒーもください」

「はい、お待ちください。砂糖は好きに使って」


 注文を聞いて準備を始めたシガンに、アキツが気づかうように声をかける。


「シガンくん、怖かったでしょ」

「……怖くはないですよ」

「そう?」


 シガンは不機嫌そうに言いかえしてココアを作る。粉と少しの牛乳をよく練ってから砂糖を加える。ぷうんと甘い香りがアオのところまで流れてきた。コウはぬいぐるみを抱え、奥を見ようと腰を浮かせた。シガンは牛乳を泡にして注ぎ、コウに聞く。


「コウくん、なに描く?」


 そう言われても困ってしまう。コウはもう一度、メニューの写真を指さす。シガンがスケッチブックに描いてくれたような、にこにこの顔。


「それでいいのか? ワンコは?」

「……ワンワンもいるの?」

「おう、じゃあ描くぞ」


 出てきたココアには二つの顔が描かれていた。にっこりと笑ったシンプルな顔。その横にこれも舌を出して笑った犬の顔。つられたようにコウが笑顔になる。


「にこにこ……」


 コウはおそるおそるココアを飲んだ。甘さとココアの香りが口のなかに広がる。口の周りを泡だらけにしてもう一度カップを見た。人の顔と犬の顔が少し崩れて、ぎゅっと頬をくっつけたように混ざっている。


「あまいの、おいしいね」


 コウはぬいぐるみに話しかけ、ホイップクリームが乗ったケーキに手を伸ばす。なかには煮たリンゴがたっぷりで、しっとり甘くてちょっと酸っぱい。カラメルがパリッとして、リンゴを噛んだ感触がすがすがしくて気持ちいい。クリームの溶けていく感触があわさって、思わずにやけてしまう。やっぱり来てよかったと思った。




「おいしい? ありがとねえ。よければ、奥で遊んでいってちょうだい」


 アキツが伝票をアオに渡した。小あがりで子供たちが遊んでいる。どちらも小学校低学年くらいだ。カルダモンの香るチャイを飲み終わったユエンが小あがりに近づくと、ひとりでパズルをしていた女の子が期待するようにやって来る。


「お姉ちゃん、マンカラやりませんか」


 女の子が出してきたのは二列の円と、両端にゴールが書かれたボード。それとおはじきがたくさん。二人でするボードゲームだ。もうひとりの、女の子より小さな男の子は机の隅で工作に夢中だった。


「ゲームか。ゲームは好きだ。やろう」


 円に入っているおはじきのうち、自分の側の円にあるものをつかんで、ひとつずつ順番に次の円にまいていく。おはじきをたくさん自分のゴールに入れたほうが勝ち。どちらかの側の円からおはじきがなくなったら終わりだ。ユエンは女の子から説明を聞いて、すぐにゲームを始めた。


 コウはやっと食べ終わって、ユエンがゲームをしているのを横目で見ていた。アオが口を拭くためのおしぼりを渡す。


「やりたいならやりたいって言おうか」

「うん……」


 コウは口をぬぐい、ぬいぐるみを抱いて二人に近づいていく。そのまま女の子の横に立って動かない。どう声をかければいいかわからないのだろう。部屋の角で、オクドさんが自分は関係ないと丸まっている。


「どうした? コウ」

「あのね……やろ?」

「なに? マンカラ? ちょっと待ってね」

「うん……まつ」


 待つように言って女の子はゲームを続けた。コウはそわそわとしてのぞきこんでいる。「あっ」。女の子の負けだった。悔しそうにしながらもその勝負を終える。


「はい、いいよ。やろう?」


 そうしてコウ対女の子のゲームが始まった。しかしコウは勝てない。どうやってもボロ負けである。なぜなら順番を無視して怒られるからだ。そして考えずにおはじきをとるからだ。そのうち嫌になってきて、ひとつ飛ばしてゴールに入れた。


「あ! ずるだ!」


 彼女はすぐに気づいた。


「ずるっこ、ずる、ずるー!」


 口をとがらせて女の子が指をさす。責められたコウはいたたまれないように身を縮めた。それを見てユエンがおかしそうに笑った。


「では、同じように飛ばしてよいことにしよう。それならいいだろう?」


 女の子は不満そうにしたが、その条件を受け入れた。当然、同じことができるなら彼女のほうが強い。コウはいよいよ泣きそうになった。おはじきをばらばらと落として中断する。


「やだ」


 コウが面白くなさそうに立ちあがって、小あがりをおりた。


「そうか。じゃあ、コウは見ているといい」


 ユエンはコウの投げたおはじきを引き継いでゲームを続ける。ゴールに入れるだけではなく、自分の側の円におはじきを集めることも考えないといけない。女の子は優勢だったが、しだいに打つ手がなくなってきた。


「うー……。もう一回やろ!」


 女の子は負けた後、悔しそうに次の勝負をねだっている。ユエンがおはじきを元の位置に戻す。ちょっと離れたところから、うらやましそうにコウが見ていた。ぬいぐるみをぎゅうっと抱きしめて。さすがにアオが声をかけようと思ったとき。


「……ガオー!」


 突然、男の子が叫んだ。画用紙でできたオオカミの耳と尻尾をつけている。隅っこでひとり工作をしていた子だ。


「しらないの? ガルフだよ。『まがまがまにまに』の。あさの九じからやってる」


 コウもテレビで見ているアニメのキャラクターだ。ひとり旅をしているオオカミ男。弱くて情けなくていつも失敗ばかりしている。それが満月の夜にはパワーアップしてみんなを助けるヒーローになるのだ。


「うん」

「しってるよな、つよくてかっこいいもんな。それにやさしいし……」


 男の子はそう言って自慢げに胸を張ってみせる。彼の左手、そして左頬には目だつ赤あざがあった。


「そうだ、きみはだれがいい? ガイコツのモリー? ミイラのマミィ?」


 天狗のヤマノボウ、巨人のティタン、人魚のセイラ、人造人間のエメス、透明人間のグラウ。キャラクターはたくさんいるけれど、ガルフと同じくらい強くてかっこよくて優しいキャラは誰だろう。


「やっぱり、きゅうけつきのアルがいいよ。そうしよう!」


 吸血鬼という言葉に、コウは急におびえた表情を見せる。


「きゅうけつき? わるいの?」

「アルはいいやつだよ! ちをみるときぜつしちゃうけど……。わるいきゅうけつきもいて、でもオレがいればぜんぶやっつけちゃうからへーき」


 男の子はその場で空中に蹴りを入れた。蹴りあげた後、今度は反対の足で回し蹴りをする。ちょっとバランスが崩れたのを立て直して手を振りあげた。


「ヤアー! トオー! オレのつめはいわだってこわせるんだ!」


 それから勢いよく拳を繰りだす。爪で引っかくように手を振りまわした。まるでそこに強大な敵が立ちはだかっているかのように。そう、今ここにいるのは誰かのために戦うかっこいいヒーローなのだ。


「アル! てきはつよいぞ!」

「う、うん。ヤ、ヤアー!」


 やらなきゃいけない気がして、コウも空気を叩く。「いいぞ! アル!」。そう言われると、なんだかすごいことをしている気になってきた。女の子が「なにやってんの」という目でちらっと見た。男の子はそんなこと気にせず、コウに叫ぶ。


「いくぞ! みんなをまもるんだ!」

「オ、オオー!」

「やったぞ! てきはにげてった!」


 男の子は腰に手を当てて得意そうにした。コウもマネをしてみる。なんだか気持ちがよくて、胸がもぞもぞする。


「かった! さすがアルだな!」


 男の子はコウの手と自分の手をパンッとあわせた。高い音が鳴って、ドキドキしてワクワクして、どうしようもないくらい嬉しかった。


「アハハハハハ! 月あるかぎり、オレはまけないぞ!」

「うん!」

「そこは『ちが赤きかぎりだ』だよ!」

「あ……」

「いいよ。こうやって大きく口あけてわらうの! ウハハハー!」

「ワハハハー!」


 腹から大声で笑うととてもいい気分だ。なんだってできそうな気持ちになる。笑いながら二人はくるくると走り回った。オクドさんが慌てて棚の上に逃げた。赤銅色の目が迷惑そうにまばたきをする。どたどたと音が響き、女の子が振りかえった。


「うるさい! 走り回ったらダメだってば!」


 水をさされた男の子が足を止めた。頬を膨らませて言いかえす。


「おまえ、やまんばのヤガーみたい」

「だれがヤガーよ。そういうこと言うから友達いないんでしょ」

「ともだちなんていなくていいもん! みんなきらいだし、ガルフだって……」


 そう言った後で、横のコウに気づいた。声を落として言い訳のようにつぶやく。


「……アルはいいやつだけど」




「アオさん、また夜出るんだろ? ぼくも今日はここまでだ」

「そうだな……コウくん、そろそろ帰ろうか」


 アオは立ちあがると会計をして、募金箱にいくらか入れた。集まる子供たちのおやつになるそうだ。一緒に遊ぶ子ができてよかった。あんなに楽しそうにするコウは初めてだ。帰りたくないとむくれるコウに、シガンがなぐさめるように言う。


「ほら、また会えるから」

「……ねえ、アル。なまえは?」

「なまえ?」


 なにを聞かれたのかととまどうコウに、女の子が横から声をあげる。


「わたし、守縫もりぬいカゴメ」

「オレは洞門どうもんヒカル。きみは?」

「……コウ」


 なんだ、自分で名前言えるじゃんとアオが驚いた顔をする。やっぱり子供は子供と遊ぶほうがいい。ユエンも柔らかい目でコウを見ていた。名前とはそのものをさす言葉だ。彼はそう呼ばれることで、自覚することで他のものとは違う「自分」になった。


「コウ、またくる?」

「うん。くる」

「また来てね。今度、冬至のお祭りやるから」


 アキツが手を振った。カゴメも手をあげた。オクドさんは奥で耳をかいている。


「バイバイ」

「……バイバイ」


 ヒカルが手を振る。コウもマネをして小さく振りかえした。

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