第14話、日常 下

「横断歩道を渡るときは青になってからだよ。ほら、しましまのとこ渡るの」

「あれは救急車。赤くピカピカしてウーウーっていってたら道を空けて?」


 駅前のスーパーに歩いていく。コウは街のことをあまり知らないようだった。もの珍しそうにすれ違う人をずっと目で追うので、シガンが何度も「ほら、前見て、前」と声をかける。ユエンはゆったりと三人の後ろからついていく。


 緩やかな日の光をまぶしそうに手でさえぎるコウ。アオはツバつき帽子を深くかぶらせ、上着のファスナーを首元まであげてやった。


「そういやユエンさん、日光って大丈夫なんか」

「私は食人鬼ではない。夜のほうが動きやすいというだけだ。人間だって、夜に活動するものは少ないが、夜が嫌いなわけではないだろう? もちろん、月面のように直接日光が当たるとなるとわからないが」

「そら人間だってキツいわ……」


 そうしてスーパーに入ったが、コウはやっぱりきょろきょろしている。


「コウくん、お金をはらってから食べるんだよ。わかる? お金」

「ほしかったら、カゴに入れてなー」


 アオが声をかけると、シガンがバナナとリンゴをカゴに放りこむ。コウはアオの裾をしっかと握りしめて、そっとうかがうようにしていた。一部分でもアオに触れていれば安心するらしい。電車ごっこのように連れだって買い物をする。


「果物とか、ほかに人いなかったら買わんなあ……」

「そうか?」

「違う? あ、キャベツ安くなっとる。キャベツ焼き作ろか」


 アオが大きいキャベツをカゴに入れる。冬のキャベツは甘くておいしい。これならいろいろ作れそうだ。蒸してもいいし、煮こんでもいい。炒めものにもなる。ひとりだと使いきれないが、四人いればあっという間だ。


「あとキャベツ使うのは……っと」


 ぐるりと野菜を見て、そこにあったニラの束を手にする。この時期にしては安い。


「コウくん、ニラ食べる?」

「……」

「嫌?」

「……いや」


 匂いを嗅いで嫌な顔をする。最近はいろいろ「嫌い」を主張するようになった。


「嫌かあー」


 アオはニラをそっと戻した。それから魚と肉のコーナーをぐるっと見ていく。割引のマークがついたひき肉とそばにあった餃子ぎょうざの皮を手にとった。うん、餃子いいな。


「おっ、餃子?」

「うん。ロールキャベツもいいけど」

「つけあわせにモヤシがいい。ゆでたやつ」

「モヤシいいなあ。あと、牛乳か……」

「これがうまいぞ」


 ひょいとシガンはそこにあった牛乳パックをとる。


「高っ。……高くない?」


 なかなか高めの牛乳だ。アオは眉を寄せたが、しかたなくそのままカゴに入れた。


「コウくん、チョコレート食べる? ポテトチップスは?」


 答える前にシガンがひょいひょいとお菓子をカゴにつっこんでいく。


「シガンさん……子供みたいなことして、もー」

「大人だからいいの」


 そうしていると、ぴたっとコウの足が止まった。


「どうしたの?」


 聞いてもがんとして動かない。少しうつむきぎみでアオの手を引っ張る。


「いや」

「嫌ってもなあ……ほら、お会計しなきゃ」

「いーや」


 呆れたようなシガンとは逆に、アオは笑った。「嫌」を言えるのはいいことだ。子供というのは大人にはわからないことでダダをこねるものだ。言いたいことがあるのにまだ言葉を知らない。ちゃんと成長しているのが嬉しかった。


「コウくん、がんばっとるなあ」


 アオはコウをひょいっとおんぶして「じゃあ、ちょっとこうしようか」と言った。軽く揺さぶってやる。「まったく甘やかして……」とシガンがつぶやいた。


 コウは高いところからスーパーを見おろす。「いや……」。「じゃあ、おりるか?」「や」。コウはアオの肩にしがみついた。「そうかそうか」とユエンが笑った。




 そういうわけで今日の夕ご飯は餃子だ。モヤシをゆでながら具の準備をする。ひき肉に塩少々。感触が面白いのかコウは不思議そうに手を動かしていた。むにゅむにゅと指のあいだを肉が動くたび表現しにくい表情になる。ひき肉が塊になってきた。


「ねばってきた? 野菜入れるよ」


 荒くみじん切りにしたキャベツを入れる。ごま油と醤油も。コウはニンニクの匂いも苦手らしい。よく混ぜて具のできあがり。次は包まなければならない。


「ユエンさんも餃子作ろ?」

「私は人間に供えられるものだ。自分で作るものではない」

「いいからいいから」

「……だが」

「信者がお願いしてるのに?」


 アオが妙に子供らしい口調ですがってみせた。……からかっている。


「むう」

「信者がいなければなにもできないのか?」


 シガンも嫌味混じりにからかう。半分は本心だろう。コウを連れて転がりこんできたくせに、家のこともコウのこともしないユエンにシガンはうんざりしていた。


「……なるほど。では、おまえたちのためにそうしよう」

 ユエンは立ちあがり、キッチンに向かった。




「いただきます」

「いただきます」

「……いただきます」


 餃子ができた。シガンが言うのでコウも「いただきます」を言うようになった。


 コウが包んだ餃子はひだがよれていて具が少なめ。皮が破れて中身が出てしまったものもあるが、最後に作ったものはそれなりに形になっている。初めてにしては上々だ。アオが少し手を貸したほかは、ひとりでやったのだから。


「コウくん、お手伝いありがとうね。がんばったなあ」

「うん」

「ユエンさんのは……あー、まあ……」

「……人間が器用なだけだ」


 ユエンはアオの包んだ餃子をとってニンニクをつけた。シガンもラー油をたっぷりとかけて口にする。皮のパリッと焼けたところとモチモチとしたところが面白い。噛むとじゅわっと肉の味が広がり、キャベツの歯触りが気持ちいい。


「あー、ビール飲みたい」

「アオさん、買ってくればよかったのに」

「いや、この後、仕事だし……」

「ビールか。ビールはうまいな。いくらでも飲める」


 餃子を一度ご飯にのせると醤油が染みこんで食欲をそそる。合間にモヤシを食べるとさっぱりとしてなお箸が進む。


「おいしいな」

「うん、うまいうまい。コウくんはどお?」

「……おいしい」

「ほら、おべんとうついてるからとって」


 シガンがコウの口を拭うように濡らしたふきんを出してきた。そういえば、いつの間にかがつがつと食べることはなくなった。まだフォークは下手だし、口の周りにはご飯粒がいくつもついているけれど。


 そのとき、つけっぱなしのテレビが地下鉄線路内への侵入者について伝えた。侵入者のゆくえは不明だが、トンネルや線路が損傷しており、工事のため運転とり止めだそうだ。「できるだけ早く復旧する予定です」と話している。


 シガンがそっちに気をとられていると、コウがあたりを見まわして、持っていたフォークを惑わせる。それからまっすぐシガンに向けた。ユエンがぐいとその手をつかんでおろさせ、少し怖い声で注意する。


「やめろ。それはまじないだ。人をのろう行為だ」

「ああ、なにがほしいの?」


 なにかとってほしいのかと、アオが食卓のものをあれこれと見た。


「自分でとらせればいいじゃないか」

「ジュース? いいよ、はい」


 アオは冷蔵庫からブドウジュースのパックをとり、コップを出してと手を伸ばす。


「アオさん、先回りしてやらないで。まかせて。ほら、好きなようにやってみろ」


 シガンはコップの横にアオからとりあげたパックを置き、コウに持たせた。重さにコウの手が震える。ゆっくりと傾けてそっと注ぐ。はずが、いきなり溢れでた。当然、あたりは紫色のべしゃべしゃだ。


「……できたな」

「うん、よくできたなあ。いっぱい入ったもんな」


 たくさんこぼしたがコップに半分以上は入っている。テーブルと床を拭き終わった後、コウは嬉しそうに口をつける。冷たくて甘くておいしい。


「おいしい」

「そうだな、おいしいな」




「そういや、バイト戻ろうかと思うんだけど」

「おお、もう大丈夫か? まだ痛いとこない?」


 餃子もあらかた食べ終わったころ、シガンが言った。抜糸後、赤みやはれもなく、滲出液もない。腕や腰を動かすとひきつった感じが残るが、ひどい痛みは引いた。重いものはまだ持てないものの、多少の仕事はできる。なにもしないで絵を描いていると罪悪感が大きくなってくる。


「さすがにそろそろ動かないと」

「そうかあ。じゃあ俺も行けるときは一緒行くわ」

「また、そんな心配して……」

「カフェだったっけ。コウくんも行く?」


 アオは引っこみじあんのコウを連れだすのにちょうどいいと思った。スーパーでの様子を見ると、人の多いところより落ちついていられるほうがいいんじゃないか。


「……いかない」

「そうか? 他の子も来るから一緒に遊べるぞ」


 シガンが誘ってみたが、他の子と一緒に遊ぶの意味がよくわかっていないようだ。


「あとは、ケーキが食べられるんだよなー……ケーキが。……どうする?」


 子供の相手は苦手だと言いながら、シガンはコウの好みをなかなか心得ている。ホットケーキはコウの好物だ。ハチミツが好きで、二段をぺろっと食べてしまう。


「ホットケーキみたいに甘いのだよ」

「あまいの……」

「そう、もっとおいしいかもなあ」


 心が動いたようにコウはもじもじそわそわとする。これはあと一押しだな。


「ユエンさんも行くだろ?」

「アオに望まれるなら行こう」

「いく!」


 置いてかれまいとコウが叫んだ。シガンとアオがほっとして笑う。


「うん、じゃあ日が決まったらな」

「ほら。もう食べないなら、ごちそうさまって」

「……うん。ごちそうさま」

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