第7話、日常 下
「横断歩道を渡るときは青になってからだよ。ほら、しましまのとこ渡るの」
「あれは救急車。あー……赤くピカピカしててウーウーっていってたら道を空けて?」
駅前のスーパーに歩いていく。コウは街のことをあまり知らないようだった。もの珍しそうにすれ違う人をずっと目で追うので、シガンが何度も「前見て、前」と声をかける。ユエンは三人の後ろからついていく。
ゆるやかな日の光をまぶしそうに手でさえぎるコウ。アオはつばつき帽子を深くかぶらせ、上着のファスナーを首元まであげてやった。
「ユエンさん、日光大丈夫なんか」
「夜のほうが動きやすいというだけだ。人間だって夜に活動するものは少ないが夜が嫌いではないだろう? もちろん、月面のように直接日光があたるとなるとわからないが」
「そら人間だってキツいわ……」
そうしてスーパーに入ったが、コウはやっぱりキョロキョロしている。
「コウくん、お金を払ってから食べるんだよ。わかる? お金」
「欲しかったら、カゴに入れてなー」
アオが声をかけると、シガンがバナナとリンゴをカゴに放り込む。コウはアオの裾をしっかと握りしめて、うかがうようにしていた。一部分でもアオに触れていれば安心するらしい。電車ごっこのように連れ立って買い物をする。
「果物とか、他に人いなかったら買わんなあ……」
「そうか?」
「違う? あ、キャベツ安くなっとる。キャベツ焼きつくろか」
アオが大きいキャベツをカゴに入れる。冬のキャベツは甘くておいしい。これならいろいろ作れそうだ。蒸してもいいし、煮込んでもいい。もちろん炒めものにもなる。ひとりだと使いきれないが、四人いればあっという間だ。
「あとキャベツ使うのは……っと」
ぐるりと野菜を見て、そこにあったニラの束を手にする。この時期にしては安い。
「コウくん、ニラ食べる?」
「……」
「嫌?」
「……いや」
ニラの匂いをかいでギュッと嫌な顔をする。この頃はいろいろ「嫌い」を主張するようになった。
「嫌かあー」
アオはニラをそっと戻した。それから魚と肉のコーナーをぐるっと見ていく。割引のマークがついたひき肉とそばにあったギョウザの皮を手に取った。うん、ギョウザいいな。
「ギョウザ?」
「うん。ロールキャベツもいいけど。皮は作っとる時間ないわ」
「付け合わせにモヤシがいい。ゆでたやつ」
「モヤシいいな。あと、牛乳か……」
「これがうまいぞ」
ひょいとシガンはそこにあった牛乳パックをとる。
「高っ。……高くない?」
それは牛乳のなかでもなかなか値がはる商品だ。アオは眉を寄せたが、仕方なくそのままカゴに入れた。
「コウくん、チョコレート食べる? ポテトチップスは?」
答える前に、シガンがひょいひょいとお菓子をカゴにつっこんでいく。
「シガンさん……子供みたいなことして、もー」
「大人だからいいの」
ところが会計を終える前に、コウの足が止まった。
「どうしたの?」
聞いてもがんとして動かない。少しうつむき気味で手を引っ張る。
「いや」
「嫌ってもなあ……」
あきれたようなシガンとは逆に、アオは笑った。「嫌」を言えるのはいいことだと思う。子供というのは大人にはわからないことでダダをこねるものだ。言いたいことがあるのに、言葉を知らないのだ。ちゃんと成長していることが嬉しかった。
「コウくん、がんばっとるなあ」
アオはコウをひょいっとおんぶして「じゃあ、ちょっとこうしようか」と言った。買い物カゴをシガンに預けて。「まったく甘やかして……」とシガンがつぶやく。
コウは高いところからスーパーを見る。「いや……」。「じゃあ、降りるか?」「いや」。コウはギュッとアオの肩にしがみついた。「そうかそうか」とユエンが笑った。嫌だったけど、嫌じゃなかった。
そういうわけで、今日の晩ご飯はギョウザだ。モヤシをゆでている間に具の準備をする。ひき肉に塩少々。感触が面白いのかコウは不思議そうに手を動かしていた。むにゅむにゅと指の間を肉が動くたび表現しにくい表情になる。ひき肉がひとかたまりになってくる。
「ねばってきた? 野菜いれるよ」
荒くみじん切りにしたキャベツを入れる。ごま油と醤油も。コウに聞いたところ、ニンニクも匂いが苦手らしい。よく混ぜて、具のできあがり。次は包まなければならない。
「ユエンさんもギョウザ作ろ?」
「私は人間に供えられるものだ。自分で作るものではない」
「いいからいいから」
「……だが」
「信者がお願いしてるのに?」
アオがみょうに子供らしい口調ですがってみせた。……からかっている。
「むう」
「信者がいなければ何もできないのか?」
シガンも嫌味混じりにからかう。半分は本心だろう。コウを連れて転がり込んできたくせに、家のこともコウのことも何もしないユエンにシガンはあきれていた。
「……なるほど。では、おまえたちのためにそうしよう」
ユエンは立ち上がり、キッチンに向かった。
「いただきます」
「いただきます」
「……いただきます」
そうこうしているうちにギョウザができた。シガンがしつこいので、コウは「いただきます」を言うようになっている。
コウが包んだギョウザはひだがよれていて具が少なめ。皮が破れて中身が出たものもあるが、最後に作ったものはそれなりに形になっている。初めてにしては上々だ。アオが少し手を貸したほかはひとりでやったのだから。
「コウくん、お手伝いありがとうね。がんばったなあ」
「うん」
「ユエンさんのは……あー、まあ……」
「……人間が器用なだけだ」
ユエンはそう言ってアオが包んだものを取ってニンニクをつけた。シガンたちもギョウザを取って口にする。シガンはラー油をたっぷりとかけた。皮のパリッと焼けたところとモチモチとしたところが面白い。噛むとじゅわっと肉の味が広がり、キャベツの歯触りが気持ちいい。
「あー、ビール飲みたい」
「買ってくればよかったのに」
「いや、このあと仕事だし……」
「ビールを飲むと記憶がなくなるからな」
ギョウザをご飯にのせると酢醤油が染み込んで食欲をそそる。合間にモヤシを食べるとなお箸が進む。
「おいしいな」
「うん、いけるいける。コウくんはどお?」
「……おいしい」
「ほら、おべんとうついてるから取って」
そういえば、がつがつと食べることはなくなった。まだフォークはヘタだし、口の周りにはご飯粒がいくつもついているけれど。シガンがその口をぬぐうように濡れたふきんを渡した。
そのとき、つけっぱなしのテレビが地下鉄線路内への侵入者についてふれた。侵入者のゆくえは不明だが、トンネルや線路が損傷しており工事のため運転取り止めとのことだ。「できるだけ早く復旧する予定です」と話している。
シガンがそっちに気を取られていると、コウがあたりを見回して、つかんでいたフォークを惑わせる。それからフォークをまっすぐシガンに向けた。ユエンがぐいと手をつかんでおろさせ、少し怖い声で注意する。
「やめろ。それはまじないだ。人をのろう行為だ」
「ああ、何が欲しいの?」
何かを取って欲しいのかと、アオが食卓のものをあれこれと見た。
「自分で取らせればいいじゃないか」
「ジュース? いいよ、はい」
アオは冷蔵庫からブドウジュースのパックを取り、コップを出してと手を伸ばした。
「アオさん、先回りしてやらないで。まかせて。ほら、好きなようにやってみろ」
シガンはコップの横にアオから取り上げたパックを置き、コウに持たせた。重さに抱えたコウの手が震える。ゆっくりと傾けて、そうっと注ぐ。はずが、いきなりあふれ出た。当然、あたりは紫色のべしゃべしゃだ。
「……できたな」
「うん、よくできたなあ」
たくさんこぼしたが、コップに半分以上入っている。ふきんをとってくるシガン。三人でテーブルと床を拭き終わったあと、コウは嬉しそうに口をつける。冷たくておいしい。ギョウザの油がさっぱりする。
「おいしい」
「そうだな、おいしいな」
「そうだ、バイト戻ろうかと思うんだけど」
「おお、もう大丈夫か?」
ギョウザも食べ終わったころ、シガンが言った。抜糸後、赤みやはれもなく、滲出液もない。腕や腰を動かすとややひきつれた感じが残るが、ひどい痛みは引いた。重いものはまだ持てないものの、多少の仕事はできる。何もしないで絵を描いていると罪悪感が大きくなってくる。
「さすがにそろそろ動かないと」
「そうかあ。じゃあ俺も行ける時は一緒行くわ」
「また、そんな心配して……」
「カフェだったっけ。コウくんも行く?」
アオは引っこみじあんらしいコウを外に連れ出すのにちょうどいいと思った。スーパーでの様子を見ると、人の多い公園より落ち着いていられるところがいい。
「……いかない」
「そうか? 他の子も来るから一緒に遊べるぞ」
シガンがそう誘ってみたが、他の子と一緒に遊ぶの意味がよくわかっていないようだ。
「あとは、ケーキが食べられるんだよなー……ケーキが。……どうする?」
子供の相手は苦手だと言いながら、シガンはコウの好みをなかなか心得ている。ホットケーキはコウの好物だ。バターよりハチミツが好きで、二段くらいならぺろっと食べてしまう。
「ホットケーキみたいに甘いのだよ」
「あまいの……」
「そう、もっとおいしいかもなあ」
心が動いたようにコウはもじもじそわそわとする。これはあと一押しだな。
「ユエンさんも行くだろ?」
「アオに望まれるなら行こう」
「いく!」
置いてかれまいとコウが叫んだ。シガンとアオがほっとして笑う。
「うん、じゃあ日が決まったらな」
「ほら。もう食べないなら、ごちそうさまって」
「……うん。ごちそうさま」
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