第12話、駆除 下

 アオが走っていくと、ゲンが激しくほえたてた。見まわして地名を探す。そこにあった店の住所を伝えたとき、土の匂いが漂ってきた。遠吠えが聞こえる。太く、低く、地の底から大口を開けて笑うような。大きな寺を横目に狭い路地に入る。


 そこに食人鬼が立っていた。長いツノのある化け物。東京駅のより一回り大きい。道路脇の塀が崩れている。アスファルトが剥がれ、土や配線配管が剥き出しになっている。傾きかけた電柱の奥に、倒れている人がいた。


 笛を吹いた。鋭い音に食人鬼が振りかえるのと同時、残っていた塀を蹴って飛びあがり、そのまま高さをとって突きこんだ。矛先が届くまぎわ、腕で振りはらわれる。アオは空中で矛を伸ばして腕にからめ、ぐるりと回転するように飛んで逃げた。


 落下したところに真上から追撃が来る。着地と同時に横に跳んだ。打ちおろされた右手がアスファルトをえぐる。


「オラァ!」


 なにかが頭上から叩きつけられた。食人鬼が避けようとしてその背に当たり、メキ、ゴキッと嫌な音が鳴った。戦斧だ。斧が食人鬼の肩甲骨付近を割り裂いた。食人鬼は塵をこぼす体を起こし、地面にめりこんだ右爪を再度振りあげる。


「うへえ……」


 斧を構えた女が飛びおりるなり、嫌そうにうめいた。黒のパンツスーツに赤いシャツ、左に白い腕章。組合のトモエだ。


 互いに存在を確認してうなずく。アオが足下に入り、腰から突きあげた。体重をかけて大きく振りぬく。ざっくりと太腿が切れ上半身が揺らいだところに、斧が残った足を叩き割った。食人鬼がゆっくりと崩れ落ちる。ぶわりと周囲に塵が広がった。


 斧が頭を、矛が胸を狙う。ところが食人鬼の再生はそれより早い。崩れたところから足を生やし、再び立ちあがった。そのまま長い腕を振りまわすのでうかつに近づけない。ウオオォンと叫んだかと思えば、手当たり次第に殴りつけてくる。


「……まったく、やりにくいなあ」


 吸血鬼の駆除において、都市部では銃をめったに使わない。絶対的に効果が高いとはいえないうえ、市民に流れ弾がいくのを嫌う。一応、鬼害対の拳銃が銀弾になっているほか、猟友会所属の組合員が猟銃をもっている。


 ともかく、攻撃を受けないことが最重要だ。もろに食らえば死ぬ。死ぬならまだいいほうで、噛まれたら食人鬼や吸血鬼が増えるかもしれない。そのとき平気だった人が、後に死んだとたん食人鬼になった例があるという。


 食人鬼はまわりのものを壊しながら、ゆっくりと歩きだす。残骸を踏み、ガレキを蹴って足を進める。手が標識をつかんだかと思うと、ポキッと折って投げ飛ばした。


「逃がすな! ここで止めろ!」


 傾いていた電柱がぐらりと地面に落ち、それに従って電線が切れたようだ。家々の電灯がぶつりと消えた。暗くて人間の目ではとっさに食人鬼を追えない。


「くそ……」


 食人鬼が足を止めた。見えない手につかまれたように。食人鬼はその場で暴れた。落ちている塀のかけらをつかんでめちゃくちゃに投げた。それは飛んでいってむこうの地面に傷をつくり、あるいは民家の壁に当たり窓ガラスにヒビを入れる。


 食人鬼は肩を揺らして、不満や怒りのような感情を表した。


「……なんだぁ?」

「考えるのは後だ!」


 なぜかはともかく、動けないのであれば攻撃できる。落ちた電線を避けて飛びこみ、それぞれの武器を振るう。


 下から突きあげ、その場で位置を調整、一回さがってから低く突きこむ。食人鬼は落ちつきなく二人を見、飛んでくる武器に爪を伸ばす。アオは下から上に石突を回して背後に腕をはらいあげる。トモエも遠心力にまかせて振りおろし、体をひねるようにもう一度切りこんだ。


 ところが斧は食人鬼の手で受けとめられた。ぎしりと木の柄がきしんでたわむ。


「トモエさん!」

「くっそ……」


 むやみに引けば押しこまれるだろう。アオは斧を押さえている腕に矛を向けた。食人鬼の膝を蹴って跳ぶと上腕に突き刺し、振り回すようにして切り離した。あたりに塵が舞い、自由になったトモエが食人鬼と距離をとった。空中に投げだされたアオに片腕が迫る。


「……うわっ、ヤバいヤバいヤバい」


 矛を食人鬼の肩に突き立て、反動で上に飛んで逃げる。刃が刺さった部分が塵に変わり、支えを失って落ちるのを食人鬼の体を蹴って地面におりた。食人鬼はアオとトモエを見すえている。さて、この状況はなかなか苦しい。


 そのとき、短く笛が鳴った。食人鬼がすばやく反応して振りかえった。


 奥の塀からモモカがおりてきて、食人鬼の太い腕を薙刀で切り落とした。着地から一歩さがり、もう片方の腕を打ちあげる。そのままぐるりとねじ切った。悲鳴のような声があがる。それは人の叫びのようだった。


 いける。アオが踏みこんで足を突き、すぐに回転するように切りはらう。同時にトモエの斧が振りあげられ、もう片方の足をへし折った。矛を返して腹を貫く。中程まで切り裂くと食人鬼の体が地面の陰に落ちる。そのとたん、暴れようとする動きが止まった。まるで陰に捕まったかのように。


 すぐさま手足の再生がはじまり、急いで胸に矛を突き立てた。ビクビクと痙攣するような動き。すぐに頭に斧が打ちおろされる。トモエは半ばまで食いこんだ斧のむねを力いっぱい蹴りいれた。


 瞬時に食人鬼のすべてが細かい塵に変わって、風に散っていく。


「終わったのか?」


 トモエのもらしたそれは、困惑に近かった。それからスマホをとりだしてナヨシに連絡する。モモカも無線で通話を始めた。




 連絡をしたあと、紙のヒトガタを燃やす。昔は木製だった。あるいは土器の人形を割っていたそうだ。人としてあの世に行けるように。組合員の多くが作業着ではなくスーツを着ているのも喪服の名残であるらしい。どちらも弔いで魔除けだ。


 そのうちサイレンが聞こえてきた。パトカーが来て、救急車が来て、あたりは騒がしくなる。ケガ人が運ばれ、住宅に警官が入っていく。電力会社も来るだろう。


 食人鬼が動かなくなったのはなぜかとアオが考えているところに、するりとユエンが現れた。音もなく影が忍びよるようで、今でも驚かされる。


「うん、無事だな。一体、倒したか」

「ああ。……ユエンさん、なんかした?」


 まつげの奥から黒い目が見てくる。そこで彼女がひとつもまばたきをしていないことに気づいた。呼吸で胸や腹が動くこともない。その違和感に気づかないふりをして話を進める。ゲンも出てきてアオの足に身を擦りつけた。振れた尻尾が足に当たる。


「ええと、食人鬼が急に動かなくなったんだけど」

「犬を陰に溶かして捕らえた。私の影で塞ぐと地に潜れなくなるらしい」

「へえ、そんなこともできるのか」


 動かないようにしただけではなく、地面に消えるのも防いだということか。


「すごいな、それ」

「そうだ。アオたちの信仰があるから、少しは力が使える」

「ふーん……」


 信仰かあと思ったその横で、トモエがモモカに声をかけている。


「モモカちゃん、大丈夫?」

「は、はい。大丈夫です」


 モモカがようやく薙刀をおろした。ややぼんやりした性格だが、そういう意味ではない。張り詰めていた気持ちが緩んだようだ。うかがうようにアオに目線を移す。


「どうしました?」

「……アオさんはほかにもたくさん倒しているんですよね?」

「食人鬼? うん」

「倒した後、なんとなく嫌だなあってなりますか?」


 アオがそっと眉をあげる。モモカは困ったように、それをごまかすように、もぞもぞと手を動かした。


「人間の形してるし、なんだか……こう、嫌な感じです」

「死体だよ。もう生きちゃいない」


 きつい調子でトモエが言った。トモエはモモカより年上で、しっかりものの姉といった雰囲気だ。明るい色の髪をかきあげて、もどかしそうに吐き捨てる。


「害があるものを倒すのに、いちいち罪悪感あったらもたないだろ」

「わかってますよ。でも……ちょっと嫌でしょう?」


 トモエだってわからなくもないのだ。だからこそ、やらなければならないと言って割り切ろうとする。


 人間は死体さえ傷つけるのを嫌う。駆除されても、その家族は塵が残ってないかと探し回るのを知っている。それは確かに人間だったものだ。だからヒトガタを燃やすのは駆除した人のためなのだろう。


「そうだなあ。あんまし気持ちのいいもんではないなあ……」

「……わからないな。我々は死体がどうこうとは思わない」


 妖精は塵でしか残らないし、塵でさえ気にしないのだろう。もっとも、多くの生物は死んだ後のことなど知らない。その体は他のものに食べられたり分解されたりして世界に戻っていくだけだ。


「ところで、サエさんは元気ですか?」


 なんとなく居心地が悪くなったのか、モモカが話を変える。平坂サエはシガンの前、新橋で吸血鬼に襲われてケガをした人だ。


「だいぶまいってる。吸血鬼保護派からも排斥派からも責められてな」

「保護派が吸血鬼に肩入れするのはわかるけど……排斥派?」


 世の中には吸血鬼保護を叫ぶ人々がいる。吸血鬼は知性のある生き物で、可哀想だから殺すな、保護しろと主張する人間だ。彼らはサエに対して、彼女がそこにいたのが悪いのであって吸血鬼は食うためだから悪くないと言う。


 その一方で、吸血鬼は悪鬼であり絶滅させろという排斥派も声を大きくしている。


「つまり『吸血鬼なんてクソだから殺しちまえ!』って言えということさ。大声でね。そう言わないなら『おまえも敵だ』と」

「……そう」

「サエさん、まだ少しの物音にも怖がるのに。おまけに勧誘まで来やがった」


 トモエは頭をかいてため息をついた。


「ひとつは吸血鬼除けの護符とかを売りつけるやつ。もうひとつが……」

「もうひとつ?」

「『吸血鬼に食われれば救われるのに』と、こうきた」

「ああ……。最近増えてるみたいね、そういう宗教」


 モモカもパンフレットを配っているのを見たことがある。吸血鬼にまつわる主張というのはさまざまで、このほかに「吸血鬼事件は政府の陰謀であり、都合の悪い人を始末したのを隠すためだ」というものや「吸血鬼とは薬害によって生まれた生物だ」「人体実験の結果だ」というものがある。


「文句があるなら、おまえがかわりに殺されてやってくれっていうんだ」

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