第3話、吸血鬼 上

「アオ」


 シガンの家に荷物を置いた翌日、色を変えていく空に名前を呼ばれた。

 東京駅は丸の内口を出たところ。人混みから浮きあがったようにユエンの姿があった。気づいたアオがそちらに向かうと、ユエンはにこやかに手を振って見せた。何連にもなった青いビーズのネックレスが揺れる。アオも大きく手をあげて返す。


「ユエンさん。ええと……妖精の」

「そうだ。ここは人が多いな」

「賑やかなほうが狙われにくくていいわ。昨日のはともかく、ほとんどが夜の路地裏で起こってる」

「そうだ。それでその吸血鬼のあたりはついたのか?」


 東京は夜が早い。狭い空を騒がしいムクドリがかたまりになって飛んでいく。日没を迎えたらまた吸血鬼が動き始めるだろう。食人鬼は太陽光を浴びると塵にかわってしまう。


 アオはショルダーバッグのほか、矛を下げていた。このところの鬼害事件で組合には武器類の携帯が許可されている。遠目にじろじろと見られているのがわかるが、白い腕章にむしろ自分たちを守るものとして認識されているようだ。


「いや。これは見回り。ちょいとケガ人が出た現場まで行こうかと」

「ほう」

「ケガした本人は元気だ。今、組合で聞き取り中だから俺はこっち来たんだけど……」


 簡単に説明するとユエンはうなずいた。


「私も行こう。食人鬼が出ればわかるからな。それに神とされたものならば信者を守らなければならない」


 ユエンはアオを見て、当たり前のように言った。毎朝、太陽が昇ることと同じく、疑いようのないこととして。たしかに神だとは言ったが……アオはぱちりとまばたきをして聞きかえす。


「まって。神? あれ、本気でした?」

「妖精が神とされるのは珍しくなかった。もう四千年は前のことだがな」

「いや……信者って?」

「そう。数こそ少ないが、おまえもその一人だ。安心するといい」


 どういうことかわからない。この妖精どころか神を信じた覚えなどない。


「あのとき、信じただろう?」

「なにを」

「私のことを信じて影をあずけたではないか」


 彼女に従って動いたことが信仰だという。知らない少女の言うことを信じ、あえて危険にさらすように動いたのは自分でもおかしい。おかしいが、なぜかあの時はそうしてよいと思ったのだ。


 夕暮れを見あげながら南、日比谷へ向かう道をいく。ユエンがついてくる。


「そんで、ユエンさんはなんの神さんなんです?」

「む……死者の神といえばいいか」

「死に神?」

「まあ、そうか。死にゆく者を冥界まで無事に送り届ける神。そして生まれてくるもの……妊婦と子を守る神。私は同一視されることでその役割をはたすだけだが」

「ふーん……神さんねえ……」


 東京駅で助けられた女性は、まだ腹の出ていない妊婦だったそうだ。だから彼女は守っていたのだろうか。神として。神とは人を守るものなのか。もっと人間ひとりのことなど考えていないように思っていたが。


「……神さんってほんとにいるのかな?」

「さあ? 私は見たことがない。アオはあるか?」

「ない。見たことがないのに同じものにされるっちゅうのも、おかしなもんだなあ」

「神を見たことがなくとも、ある動物が神だとか神の使いだとかいうだろう? 動物自身がそう思っているかは別として、人間はそう見ているということだ。我々は人間がそう思えばそうなるようにできている。だから神と呼ばれたからにはそのようにふるまうのさ」


 すれ違う人々は、その隣に人でないものがいることに気づいていない。ユエンはすれ違ったベビーカーに小さく手を振ったが、双子の赤ん坊がそんなことなにも知らないように眠っていた。人のようでいて人でないもの。それは吸血鬼もそうだ。


「神さんならもっとこう、吸血鬼をすぐに見つけたりとかできんのです?」

「土の匂いがしただろう? それを追っている。影を広げたから、何がいるか感知することはできる。けれども今の私では範囲が狭いし、地下にまで広げることはできない」


 見れば、彼女の足元にあるはずの影がなかった。日は大きく傾いて、全て長く伸びる影がついているというのに。人間ではないということに改めてはっとする。これが「影を広げている」状態なのだろうか。


「……そか。よろしく頼むわ」




 それからたいした話題もなく、ビルの隙間をあちこち見まわしながら歩く。まるで谷間にいるようだ。どちらもここらの地理には詳しくないので、アオのスマホの地図が頼りだった。なんとなく気まずくなって、アオのほうから声をかける。


「……アメちゃん、なめる?」

「人が供えたものは食べられるよ」


 その言い方は奇妙だったが、アオはショルダーバッグから薄紫色のアメを出して渡した。ユエンは受け取るとすぐに口に入れてかみ砕いた。もうひとつ渡してやる。


 すぐに会話が途切れる。ユエンは特に気にしていないようだが、アオは神だという妖精と共通の話題を探してみる。そして結局、吸血鬼事件のことに戻ってきた。まあ、情報を共有しておくのは悪くない。


「組合のやつが言うには、その吸血鬼は金色の毛をしたオオカミだったそうだ」

「ああ、アゲハに聞いた。ふたりケガ人が出て、金の獣が目撃されているとか」

「そうだな。ひとりは組合のやつが見つけて笛を吹いたら逃げた。もうひとりはちょうど待ち合わせてた家族が近くにいてな、息子さんが叫んだら逃げていったらしい」


 一連の事件においてケガですんだのは二人だけだ。その他はみな死体で見つかっていた。誰かに発見されて運がよかったというべきだろうか。そのわりに、今まで人目につかず殺人を重ねてきた吸血鬼を考えると少しうかつなようにも思える。


「吸血鬼を目撃したのもその息子さんだな。付近の監視カメラを見たがやっぱり何もナシ」


 食人鬼はともかく、吸血鬼はカメラやビデオカメラには写らない。鏡と同じだ。人間などの「物質」と比べて存在感が薄いからといわれている。精気はより集まって霊気と呼ばれ妖精となるが、性質としてはとても不安定だ。


「写す人間が『そこにいる』と知っていれば写る」

「ほお」

「妖精が存在するには人間からの存在感が必要だから」


 人間が認知しているかどうかが妖精には重要なのだという。ゆえにそこに何かがあると認識されていれば撮影される。もっとも肉眼で見ながら監視カメラを撮る人間はあまりいないから、この場合はあまり意味がない。


「ふーん……存在感、か」




 そうこうしているうち、ようやく円柱状の超高層ビルの根元まで来た。日はすっかりオレンジ色に溶けており、長い影がゆっくりと広がる陰に沈みつつある。


 現場にはまだ赤い三角コーンが立てられていて、壁に穴の空いた銀貨が吊りさげられていた。遺体に噛ませたり、事件や事故のとき現場に置く吸血鬼よけの銀貨だ。結び目と目玉、エンジュともモミともいわれる樹木が彫られている。

 その近くにニンニクと唐辛子も束にされて吊られている。下を見ると盛り塩もあって、文化や宗教をこえて悪しきものを避けたいという人間たちの思いが読み取れた。


「青戸から西南西におりてきたのに、南へ進路を変えたみたいだな。そこから新橋で次はここ。と思ったら東京駅。……気が変わったんだろうか?」


 辺りを見回していたユエンの目がすっと細くなる。意識を深く影に落とす。風景が変わったようには思えない。それでもアオには周囲の空気を少しずつ抜かれていくような息苦しさがあった。思わず喉元に手を当てる。

 ユエンは見えないものを探るように見ていたが、やがて目をあげた。


「いた。現れた、といえばいいか」


 それは確実に人間ではない。


「北だ」






 霊園の北、ビルの隙間に公園がある。すっかり陰になった道を、十代の半ばらしき少年が二人歩いていた。ふざけているように軽く叩きあったり、高い声をあげたりしながら家に向かう。街路灯が数回またたいて、はっきり少年たちの影をつくった。


「なあ」


 一人の少年が笑ったまま横を向いたとき、犬のような吠え声とともに金色が飛びかかってきた。


「うわっ……?」


 とっさに手でかばう。すぐに腕が燃えるように熱くなって、その先がしびれるように冷たくなっていって、何もわからないが叫び声をあげた。しかしそれはかすれた音にしかならなかった。


 体が空中を飛んで、強い衝撃が背中にあった。強い力で押し倒されたのがようやくわかる。腕がなにかにつかまれていて、のどに固いものが当てられた。爪だ。獣の爪。ひゅうという細い息が口からもれた。


 もう一人の少年は、突然、友人の姿が消えたことに驚いた。そして地面に倒れた彼を見て体が固まった。何がおこっているのか理解しようとしたけれども、それは明らかに異常なことだった。毎日のようにニュースで聞いているがこんなことが身近であるはずがない。


 そう叫ぶ脳みそを黙らせたのは、背後からの男の声だ。


「向こうに走ってけ。んで、人いたらこっち来んよう言ってくれ。ここはおっちゃんがなんとかするから」


 言われた少年はふらふらと一歩下がる。考えるより早く体が走っていた。ピィルゥーッとかん高い音が鳴った。組合と鬼害対で使われている警戒笛だ。その音を背中で聞いて、少年は転びそうになりながら走った。心臓が痛くなっても走り続けた。

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