第18話

健が海斗の肩を掴んだとき、先に教室を出ていったはずのメガネ女子が急いだ様子で戻ってきた。



ドタドタと慌ただしく足音を立てて自分の席まで向かい、引き出しの中からプリントを取り出す。



「あぁよかった。やっぱりここにあった」



どうやら今日の宿題で出されていたプリントみたいだけれど、引き出しの奥に入り込んでしまっていたようで、どう見てもグチャグチャだ。



机の上に置いてどうにかシワを伸ばそうとしているけれど、その間にビリッと不吉な音がしてメガネ女子の動きが止まった。



なにも言わないメガネ女子の背中から悲壮感が漂ってきて、海斗は思わずブッと吹き出してしまった。



笑っては悪いと思って必死でこらえるけれど、どうしても笑いが溢れ出してしまう。



しかし、海斗が笑う前に健が我慢しきれずに笑っていた。



「ぶははっ! お前それどうすんの? ビリビリじゃん」



メガネ女子の手元を指差して笑う。



海斗もつられて笑い出す。



「ちょっと、人の不幸を笑わないでよね」



メガネ女子はムスッと頬を膨らませて2人を睨みつけた。



「だって、つい、おかしくて」



海斗は切れ切れに言う。



今まで深刻に悩んでいたせいか、ちょっとしたことで気が緩んでしまったようだ。



「先生に新しいプリントと交換してもらうからこんなの平気だし」



ふんっと鼻を鳴らし、プリントを握りしめて教室の出口へと向かう。



教室から出る寸前で、メガネ女子が足を止めた。



そして2人を振り返る。



「自分たちだって、ここでぼーっとしている暇ないんじゃない? なんか、急いでる雰囲気だけは感じたけど?」



そう言われて2人はハッと息を飲んだ。



まさかなにか知っているのではないかと思ったが、本当に急いでいる雰囲気を感じ取っただけのようだ。



「なにを急いでいるのか知らないけど、とにかく頑張ってね。私は2人のこと好きだよ」



少し頬を赤らめて早口になってそう言うと、メガネ女子は逃げるように教室を出ていった。



しばらく2人共メガネ女子の出て行った教室のドアから視線をそらすことができなかった。



初めて、自分たちのしていることを肯定された気がした。



詳しい事情なんてなにも知らないくせに、海斗の胸の中に沈殿していたモヤモヤが晴れていく。



「……行くか」



海斗が小さく呟く。



健はニカッと白い歯をのぞかせて「おぉ」と、頷いたのだった。





教室から外へ出るともう大半の生徒たちがいなくなっていた。



窓からグラウンドの様子を確認してみると、遊んでいる生徒たちの姿が見えた。



だけどほとんどがすでに帰宅している途中のはずだ。



2人は早足で昇降口へ向かい、公園へ向かった。



グラウンドを通り過ぎる時にハトの姿を確認してみたけれど、すでにそこにはハトはいないようだった。



「メガネっ子に助けられたよな」



グラウンドを走り抜けながら健がニヤついた笑みを海斗へ向ける。



「別に、そんなんじゃ」



海斗は少しだけムッとして言い返す。



誰かに借りを作ったとは思いたくなかったが、今回ばかりは感謝しないといけないかもしれない。



今になって考えてみれば、プリントを忘れて取りに戻ってきたことも偶然じゃなかったのかもしれないと思えてくる。



メガネ女子は2人に少しだけ勇気を与えるために、ざわと忘れ物をして戻ってきたのだ。



なんて、こまで考えるのはちょっと大げさか。



「お前が動かなかったら、殴るか投げるかするしかないと思ってた」



言いながら健が背負投のポーズを取る。



それを見た海斗は「げっ」と顔をしかめた。



健に投げられたら本気で痛い。



海斗は受け身など習った経験がないから、モロにきまってしまうはずだ。



投げられなくてよかったと感度しつつ、あらためて心の中でメガネ女子に感謝したのだった。


☆☆☆


走って校門を抜けたところで、突然健が立ち止まった。



急に止まることのできない海斗は転けそうになりながら足にブレーキをかけて、結局健の背中にぶつかることになってしまった。



「おい、なんだよ」



文句を言いながら鼻の頭をさする。



健の鍛えられた背中は石のように硬いのだ。



「あれ見ろよ」



健の横に立ってみると2年生くらいの男子生徒3人が1羽のハトと追いかけ回しているのだ。



少し広い歩道をハトが逃げ回っている。



「あのハト足をケガしてる」



健の言う通りよく見てみるとハトは右足が赤くなっている。



血が出ているみたいだ。



そんな状態で逃げ回っているので時々ハトは体のバランスを崩してしまう。



2年生の男子たちはそれが面白いようで、高らかな笑い声を上げている。



自分たちが残酷なことをしているという認識が無いのかも知れない。



そのうちハトはバタバタと翼を広げ始めた。



飛びだって逃げようとしているのだ。



それでも男子生徒たちはハトを追いかけることをやめようとしない。



羽ばたいている様子がまた面白いらしい。



そのときだった。



大きなトラックが近づいてくるのが見えたのだ。



ハトがひときわ大きく羽を広げる。



「やばい!」



海斗は咄嗟に声を張り上げて駆け出していた。



それとほぼ同時に健もかけだす。



下級生の1人がハトに両手を伸ばしてその足を捕まえようとしている。



ハトはそこから逃れるために羽ばたく。



トラックはどんどん近づいてくる。



その瞬間、海斗が下級生の腕を掴んで引き止めていた。



同時にハトが大きく飛び立つ。

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