第10話 一線を越える

「敵って、思ってたより近くにいたんだな」


 も落ちて、すっかり夜のとばりが降りた平原を、僕は敵──《アレクスルーム王国軍》の松明たいまつを目印に進んでいく。

 子供たちと別れた廃村はいそんから、さほど離れないうちに松明の灯りを視認しにんできたことはラッキーだったが、逆に子供たちが隠れている場所も敵軍に近いという不安も大きくなってくる。

 だが、今は目の前のことに集中するべきだと、自分を叱咤しったした。


「たぶん、一番あかりがたくさんあるあの辺りが本陣ほんじんだよな」


 クラヴィルを救出するにあたって、僕は二つの方法を考えていた。

 一つは交渉で解決すること──クラスメイトのみんなに僕の身柄みがらを預ける代わりにクラヴィルを解放させる。

 そして、二つ目が実力行使の強行突破──クラヴィルを救い出し、ふたりで敵陣地てきじんちから脱出後、リオンヌさんや子供たちと再合流するという流れ。


「できれば、二つ目のプランで行きたいよね……」


 そのためには気づかれずに敵陣へと潜入したいところ、なんだけど──


「──あれ? もしかして、見張みはりとかいない?」


 本陣ほんじんと思われる場所の近く。

 僕はしげみに身をひそめて、しばらく様子をうかがっていた。

 だが、陣の中からは喧噪けんそうが聞こえてくるものの、見張り役みたいな兵士の姿は見当たらない。


「ええい、こうなったら……!」


 意を決して、僕は敵陣の中へと足を踏み入れた。

 最初は物陰ものかげから様子を窺いながら進んでいったのだが、途中でバカらしくなってしまう。

 兵士たちは酒と食事におぼれており、僕が歩いていても見咎みとがめる人はいなかった。

 むしろ、制服姿のせいか、僕の姿に気づくと酒杯しゅはいを掲げて感謝の意を向けてくる。


「勝利をもたらしてくれた異世界からの勇者殿に乾杯!」

「我らに《ルナーク神》のご加護かごを!」

「勇者殿の力で魔族は皆殺しだ!」


 そういった兵士たちを作り笑いでやりすごしながら、僕はクラヴィルの居所を探ろうと試みた。


「《リグームヴィデ王国》──いや、《精霊樹せいれいじゅ》でらえた捕虜ほりょたちはどこにいるんだっけ?」


 すると、髭を生やした壮年そうねんの兵士が低俗ていぞくな笑みを浮かべる。


「勇者殿もお好きですな、いや、若いというのはうらやましい」

「なっ……」


 僕は一瞬声を上げかけた。

 髭の兵士が言ってることの意味に気づいて呆然としてしまう。

 だが、兵士はわかっていると言いたげに手を上下に振った。


「これは失礼いたしました、我々は何も聞かなかったということで。それで、捕虜どもですが、この先の広場におります。近くにいくつか天幕てんまくもご用意してありますので、空いている天幕はご自由にお使いください。


 すでに、何人かの勇者殿たちがお楽しみになっているみたいですぞ、と、下卑げびた笑みを浮かべる兵士。

 その顔を殴りつけたくなる衝動に駆られたが、僕はギリギリのラインで自制した。

 握った拳を下ろし、兵士たちに背中を向けて広場へと向かう。

 このタイミングで、僕は気づかざるをえなかった。捕まっているのはクラヴィルだけじゃない。何人いるかわからないが、他の捕虜たちもひどい目に合わされている。


「……どうしよう、僕ひとりの身柄で全員解放できるように交渉できるだろうか。いや、解放できたとして、そのあとのことはどうしたらいいんだ」


 急速に弱気が僕を襲う。

 あれこれと考えを巡らせるが、もちろん答えは出ない。

 重たい足取りで広場に向かい、一際ひときわ大きな天幕の前を通り過ぎると、視界が開けて異様な光景が目に飛び込んできた。


「……え? リング?」


 それは地面に突き立てられた四本のくいにロープを張り巡らせた、間に合わせで作られたような格闘技のリングだった。

 そして、その中では上半身裸になった少年がふたり、激しく打ち合っている──いや、黒髪の少年が金髪の少年を一方的に打ちのめしている。


「クラヴィル!!」


 僕は思わず声を上げて駆け出してしまっていた。

 リングの中で、一方的にボコられていた金髪の少年は間違いなくクラヴィルだったのだ。

 ロープを背にして逃げ場を失い、戦意も喪失したクラヴィルを、もう一人の黒髪の少年が布を巻き付けた拳で、顔面を腹を容赦なく殴り続けている。

 その様子を周囲ではやし立てていたのは、兵士たち、それに僕と同じ制服を着た少年少女──クラスメイトたち。

 そんな彼らを掻き分け、リングぎわへと駆けつけ、今まさにトドメの一発を撃ち込もうとしている黒髪の少年へと叫ぶ。


大澄おおすみくん、止めて! 素人しろうと相手にこんなことして、恥ずかしくないの!?」


 だが、僕の声で大澄の拳は止まらなかった。

 唸りを上げて突き上げた拳が、クラヴィルの腹に勢いよくめり込む。


「ぶぐぅっ……」


 打たれた腹を抱え込むように地面にうずくまってしまうクラヴィル。

 僕は慌ててリング内に入りこんで、クラヴィルを介抱しようとする。

 そんな僕を見下ろすように、大澄がゆがんだ笑みをみせた。


「なんだ、誰かと思ったら鷹峯たかみねじゃねーか。いやな、一度で良いから相手を殴り殺すっていう経験をしてみたくてよ。コイツで試してみようと思ったんだが、人間って、そう簡単には壊れないんだなぁ、鷹峯よぉ」


 その言葉に、僕は背筋に氷塊ひょうかいが滑り落ちるような悪寒おかんを感じた。


「でもよ、やっぱり素人相手じゃ物足りないわ、ってことで、オマエが相手してくれるってことでイイよな」

「だから、前にも言っただろ! 僕がボクシングジムに通ってたのは運動目的のフィットネスコースで、試合どころかスパーリングすらしたことがない素人なんだって!」


 中学生の頃、僕は学校に行けなくなってしまった期間がある。

 その時、両親と約束したのが、ネットを使った遠隔授業などを利用して自宅で勉強することと、運動不足を解消するために近所のボクシングジムに通うことだった。

 もちろん、ボクシングジムといっても本気でボクシングを学ぶことなんて、僕も両親も考えていなかった。単純に体育の授業の代わり程度という認識だった。

 だが、そのことが歪んで彼──ボクシング部の期待のホープとはやされている大澄に伝わってしまったのだ。


 ──あの空気を読めない教育実習の先生のせいで。


「って、スバル……なんで……来たんだよ……バッカじゃないの、マジで……」

「……僕のせいでこんなことになって、本当にゴメン」


 僕の腕の中で、息も絶え絶えに泣き笑いを浮かべるクラヴィル。

 急いでリオンヌさんから渡されていた勇者用の治療器具《つえ神器しんき》を懐から取り出す。

 扱い方は《幅広の剣ブロードソード》を手に取ったときに、頭の中に流れ込んできた勇者の記憶で理解していた。

 クラヴィルの傷をいやそうとする僕の肩を大澄がグイッと掴んでくる。


「それ、勇者用の《神器》じゃねーか、鷹峯も扱えるんだな。俺たちは《アレクスルーム王国》の講習会で習ったけど、オマエはどこで教えてもらったんだ?」

「そんなのどうでもいいことだろ!? それよりも、なんでこんな酷いことを……」

「あん? そんなの、暇つぶしと身体慣からだならし以外になにがあんだよ」


 大澄は僕の襟首えりくびを掴んで無理矢理立ち上がらせようとする。


「そもそも、さっさとオマエが出てこないから悪いんだよ。もっとも、オマエがもたもたしていたせいで、俺たちもアレコレ楽しませてもらったけどな」


 《リグームヴィデ王国》の捕虜たちへの暴行、陵辱りょうじょく、そして……

 自慢げに語り始める大澄の手を、僕は勢いよく振り払う。


「いい加減にしろよ、この最低野郎!」


 僕の怒りは急速に膨れあがった。

 優しく明るい《リグームヴィデ王国》の人々。

 その彼らの尊厳そんげんをここまで踏みにじることができるとは。

 無意識のうちに手が伸びて、僕は《幅広の剣》を抜いていた。

 それを見た大澄がわざとらしく声を上げる。


「剣を抜くなんて、こっちの話を聞くつもりはないってことか、鷹峯よ!」


 その声に応じて、四人のクラスメイトがリングの中に入ってきた。


碇川いかりがわ鹿目しかめ國立こくりゅう狐塚こづか──」


 治療が終わり、立ち上がることができるようになったクラヴィルを背後にかばう。

 そんな僕たちを半包囲しつつ、大澄を中心に、碇川いかりがわ 獅音しおん鹿目しかめ 佳人よしと國立こくりゅう 隼太はやた狐塚こづか キラが、それぞれの得物えもの──《神器》を構えて迫ってくる。


「大澄さん、本当にっちゃっていいんすね」

「あとから責められても責任なんて取れないッスよ」


 その碇川と狐塚の発言に、リング外の生徒の一部から戸惑いの声が上がった。


「ちょ、ちょっと待ってよ、殺すってどういうこと!?」

「そうよ、そんな話、聞いてないわ!?」


 だが、それらの声は大澄の一喝で吹き飛んでしまう。


「うるせぇ、ゴタゴタ言うな! これは俺たちのためなんだよ。裏切り者を許せば、クラスは崩壊する。藤勢ふじせの許可も取ってあるんだ、それでも文句があるって言うなら、リングに上がってこいよ! 鷹峯もろともぶっ殺してやる!」


 そう言うと、狐塚から大剣──《神器》を受け取った大澄は、至近距離から力任ちからまかせに大剣たいけんを振り下ろしてきた。


「──!!」


 僕はとっさに右手の指輪に精神を集中させた。

 勇者の守りの力を発動させる《神器の指輪》から光が放たれ、僕たちを包むように空中に薄く輝く障壁しょうへきが現れる。

 そして、次の瞬間、打ち下ろされた大澄の大剣と障壁がぶつかり合い、耳障みみざわりな音とともに細かい光の粒が宙に散る。


「お、抵抗する気か──だったら、こっちも全力でいくぜ!」


 大澄は再び大剣を振り上げ、僕めがけて本気で切りかかってきた。

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