第二章 また召喚勇者が現れるとは、だがこやつは悪いヤツには見えぬのじゃ──フローラ

第8話 闇の中の旅立ち

「──パルナ、みんな……無事でいて」


 僕はリオンヌさんと一緒に《リグームヴィデ王国》へと街道をひた走った。

 馬車は捨て、リオンヌさんが器用に両手で手綱たづなにぎって二頭の馬を操る。

 まず、一頭にリオンヌさんと僕が乗り、その馬が疲れてきた頃に、もう一頭の馬に乗り換えた。

 乗馬なんて体験すらしたことがない僕は、ただただリオンヌさんの背中にしがみついていることしかできない。


「スバル、もう少ししたら馬から降りて山道やまみちに入るぞ。馬たちの体力も限界だし、《アレクスルーム王国》の関所せきしょも警戒が強化されているはずだ。強行突破するのは難しいと思う」


 二頭の馬で全力で走ってきたが、《アレクスルーム王国》王城おうじょうからの早馬はやうまに追い抜かされていないとは限らない。

 それでなくとも、事前に僕たちの逃走を想定して、リオンヌさんの指摘通りに警戒が強まっている可能性もある。

 僕は少しだけ考え込んでから、結局、すべての判断をリオンヌさんにゆだねることにした。


「──雨か、このあたりからは山道だ。足を滑らせないように気をつけろよ」


 リオンヌさんが二頭の馬の手綱を引きつつ、注意深く間道かんどうへと分け入っていく。

 そして、国境の山間部へ進んでいくうちに、空からの雨粒がみるみるうちに大きくなっていった。


ひどい雨だね」

「ああ、だが、こちらにとっては好都合だ。音も視界もこの雨がさえぎってくれる。体力は消耗するだろうが、この雨にまぎれて山道を抜けるぞ、頑張ってくれ」

「うん、大丈夫」


 僕は頷きつつ、リオンヌさんの横について注意深く足を進めていく。

 長い間、慣れない乗馬で下半身の疲労はピークを超えていたはずだが、パルナたちを心配する不安がそれを打ち消したのだろうか。

 後ろについてくる馬たちの吐息といきを感じつつ、僕とリオンヌさんは無言で山道を抜けていった。


「……リオンヌさん、間に合うよね」


 ものすごい勢いで降り続ける雨に、さすがに山道を進むことが難しくなり、ひさしのように突き出た岩場を見つけて退避する。

 雨に当たらないギリギリの位置から外の様子をうかがうリオンヌさんに、僕はおずおずと問いかけた。


「途中まで通ってきた街道に軍隊が通ったような形跡けいせきはなかったよね」

「……」


 少しだけ躊躇ためらうような表情を見せてから、リオンヌさんは正面から僕に向き直る。


「《リグームヴィデ王国》から《アレクスルーム王国》に繋がる街道は他にもあるんだ」


 そして、そちらの街道の方が、距離は遠いが大軍が行軍しやすい道なんだと、リオンヌさんは顔をしかめた。


「そんな……」

「今はとにかく、最短距離で《リグームヴィデ王国》へ戻ることだけ考えよう」


 不意に外の雨音が弱まり、僕とリオンヌさんは互いに頷きあって外套がいとう羽織はおなおす。


 ○


「間に合わなかった……?」


 呆然ぼうぜんと僕は立ち尽くしてしまう。

 土砂降どしゃぶりの雨の中、山道を抜けて《リグームヴィデ王国》に入って程なく──目に飛び込んできたのは焼き払われた畑や集落、そして、人間や魔族を問わず無残に殺された老若男女ろうにゃくなんにょの死体だった。

 同じように、周囲の光景をたりにして肩をふるわせたリオンヌさんが、怒りを込めて吐き捨てる。


手際てぎわが良すぎる……《アレクスルーム王国》のヤツら、最初から《リグームヴィデ王国》を狙っていたのか!」


 国境からの距離や時間を考えると、この一帯を蹂躙じゅうりんしていったのは《アレクスルーム王国》の国境守備軍こっきょうしゅびぐんだとリオンヌさんは断定する。

 遠回りのルートから《リグームヴィデ王国》に派遣された軍主力と連携して、一気に制圧してしまうつもりなのだろう、と。


「……《精霊樹せいれいじゅ》へ急ぐぞ、スバル」

「え、でも、生き残っている人がいるかも」

「気持ちはわかるが、今は先を急ぐ必要がある」


 そのリオンヌさんの言葉には有無を言わせない迫力があった。

 僕は小さく頷き、躊躇ためらいを振り払う。


「雨のせいで消えかかってはいるが、まだ、敵軍の動いた跡がかろうじてわかる。敵を避けつつ進むぞ」


 そう言いながら馬にまたがるリオンヌさんに、僕は黙って頷き返した。

 今はあれこれ考えている場合ではない、とにかく《精霊樹》へ急いでパルナたちと合流しなければ。

 僕はリオンヌさんに手を引いてもらって馬上に身体を預ける。


「はっ!!」


 雨音を引き裂くような鋭いリオンヌさんの声に、馬たちは身を震わせてから、勢いよく駆け出していく──


「大丈夫……大丈夫、まだ、間に合う。《精霊樹》にさえ辿たどりつければ……パルナたちと合流できれば……」


 必死の思いで呟き続ける僕。

 だが、僕とリオンヌさんの切実な期待は、あっさりと裏切られてしまう──


 ○


「僕は……僕は、無力だ……」


 黒く焼け焦げた《精霊樹》を背に、呆然と立ち尽くしてしまう僕。

 そして、追い打ちを掛けるように襲いかかってくる、パルナの死という容赦ようしゃのない現実。


「僕は間に合わなかった……」


 そう、僕は間に合わなかった。

 《リグームヴィデ王国》に侵入した《アレクスルーム王国軍》は予想以上の大軍で、野に放たれた炎のように、この国を燃やし尽くし、奪い尽くし、殺し尽くしていったのだ。

 《リグームヴィデ王国》の人々は、兵火から逃れようと《精霊樹》へと必死に逃げ込んだ。

 だが、それは《アレクスルーム王国軍》の目論見通もくろみどおりだったのだ。


「まさか《精霊樹》に火をかけるなんて……」


 普段は平静さを失わないリオンヌさんも、無残に焼け焦げた《精霊樹》を後にするとき、しばらくの間、言葉を失っていた。

 《精霊樹》は普通の樹木ではなく、伝説や神話に属する魔法的な存在だ。

 普通に火をつけようとして燃やせる存在ではない。

 そして、それ以前に《精霊樹》は《リグームヴィデ王国》だけでなく、《人間》や《魔族》関係なく、大陸の人々にとっての畏敬いけいの対象だ。

 そこへ逃げ込んだ人々もろとも燃やしてしまおうなんて、ハッキリ言って正気の沙汰ではない。


「アイツら……」


 僕は無残に絶命ぜつめいした王女──最期さいごまで守るべき王国の民たちとともにあった少女パルナから託された幅広の剣ブロードソードを胸に抱え、遠くの稜線りょうせんつらなる無数の篝火かがりびにらみつける。


「アイツらが、パルナを……この国の人たちを……」


 さすがに《精霊樹》を火攻めにしたこと、そして、多くの人々を虐殺ぎゃくさつしたことを後ろめたく感じているのだろうか、《アレクスルーム王国軍》は《精霊樹》から距離を置いた場所に布陣しているようだ。

 そして、《あちらの世界》から転移してきた僕のクラスメイトたちも、同じ場所にいるはず。

 無意識のうちに、《幅広の剣》の柄を握ろうとした僕の手を、リオンヌさんが押しとどめる。


「気持ちはわかるが、今はダメだ」


 そう言ってから、リオンヌさんは視線を後ろへ向ける。

 すると、怯えるような足取りで、数人の子供たちが僕たちの方へと歩み寄ってきた。

 奇跡的に生き残った《人間》と《魔族》の子供たち──いや、この《精霊樹》で命を落とした人々に生かされたと言っていい。


「──うん、ゴメン、わかってる」


 僕は剣のつかから手を離し、小さくため息をついてリオンヌさんに正面から向き直る。


「今は逃げるしかできない……うん、わかってるんだ」


 一生懸命、自分に言い聞かせようとする僕の頭に、リオンヌさんがそっと手を置いてくれた。


「ツラいだろうが、立ち止まっている暇はない。動かせそうな馬車を調達して、すぐに発つぞ」

「うん、大丈夫。情けないけど、リオンヌさんに頼らせてもらいます」


 無力な自分を再認識しつつ、僕は深々と頭を下げた。

 そんなことはしなくていい──と、優しく笑うと、リオンヌさんは子供たちを僕に任せて、この場を離れた。

 僕は子供たちを安心させようと近くに抱き寄せ、頭をでてやる。

 偶然なのか、何らかの意図が働いたのか、生き残った子供たちは全員人間だった。

 なんとなく考え込む僕、だが、その考えが纏まらないうちにリオンヌさんは一台の馬車を操って戻ってきた。


「さあ、みんな乗ってくれ。急いでこの場を離れるぞ」


 子供たちが荷台へと上がるのを助けながら、御者席ぎょしゃせきのリオンヌさんに問いかける。


「それで、これからどこにむかうの?」

「《新興都市しんこうとしノーヴァラス》だ──《リグームヴィデ王国》と同じ《人間》と《魔族》が共に暮らす平和な街だ」


 そう語るリオンヌさんは、少しだけ誇らしげな表情を見せたような気がした。

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