2章 囚われの身にて候
第2話 千載一遇の機会
(でも、もうそれは過ぎた過去の話だし、今は現実と向き合わないとね……)
少し目に熱いものを感じながら、自身の頬を両手で軽く叩き、気合を入れる私。
さ、さてと……。
私は足を止め、とある道場の立派な木造りの看板に目を止める。
よく見ると「炎帝一心」と、目立つ太文字で彫られている。
(うん、間違いないここだ)
「じゃ、婆や、ちょっと行ってくるから!」
「はあ……またですか……」
私の言葉に対し、婆やは深いため息をつく。
実はここは炎帝国
ストレスが溜まった私の、ちょっとしたはけ口になっている場所だ。
「ほどほどにしてくださいよ……」
婆やの心配事をよそに、私は今日も元気に剣道場入り口の木戸をガラリと開く。
「おはようございます!
この名前、勿論私が適当に作ったお忍び用の
【風】はあの日私を救ってくれた風月国のお侍さんから、【陽一】は当然私の父上の名からである。
ちなみに【龍】は最強の生物の代表格であり、強きものを好む私のちょっとした趣向であるため偽名に組み込んだ次第だ。
やはり偽名とはいえ、風情がある名前にしたいが故に。
「ほう、今日もまた来たか陽一……」
真正面に見える、ぼさぼさ髪に無精ひげを生やした筋骨隆々の羽織りを着た強そうなおじさん。
その真紅の羽織りをよく見ると、炎神である
この国で剣道の師範代やお偉いさんのみが着用を許された炎帝国の由緒正しき羽織である。
そう、この人こそは「炎帝国お抱えの剣豪、【
「先生! 今日の私の相手は誰になりますか!」
当然ながら剣道の
「おらん……」
「えっ?」
「お前の相手を出来る相手はもういないのだ。察しろ」
「はあ……」
それはとても困る。
私は父上の仇を取るためにも強くならなければならないのだ。
それに何よりも、私のこの
「あいにく丁度、今日は出払って誰もいないのでな。儂が相手してやろう」
「ほ、本当ですか? 是非お願いします!」
確かに、何故か先生以外誰もいない。
いつもなら、昼過ぎには数十人の門下生が猛稽古している姿が見えるのにだ。
皆がいない理由が少し気になったが、そんな事よりも一心先生の手ほどきを受けれる喜びのほうが私には大きかった。
「ほれ、お主の竹刀だ受け取れ」
「はい!」
私は元気のよい返事と共に竹刀を受け取り、準備体操と素振りなどの肩慣らしを始める。
「お前の準備が出来たら言え。時間が勿体ゆえに即開始する」
「はい、ありがとうございます先生! では、そろそろお願いします!」
相手はあの一心、開幕から全力全開の勝負になる。
互いに一礼し、お互いに間合いを充分に開ける。
互いの竹刀が触れるか触れないかの位置で、私達は中段の構えで互いの様子を見る。
正中線に剣先を構える中段の構え。
早い話、隙が少なくあらゆる攻撃が可能である、基本の構えだ。
その構えを元に、ゆらゆらと揺れるお互いの剣先……。
それはお互い
先に動くは一心先生。
その時、木で出来た床が少しきしんだ音が聴こえた気がした……。
敢えて剣先を私の喉元に向け、やや構えを崩す。
「隙があるならお前の喉元を突くぞ?」という先生の誘い。
「先生、それは本当かな?」と返すべく、私はその剣先を少し強く弾き
その時、私の考えをまるで察していたかのようにぬるりと動き出す、先生の切っ先!
気が付くと、私の喉元に先生の竹刀が付きつけられていた……。
「ま、参りました!」
完敗だ。
先生お得意の緩急ついた高速のすり足……。
自然体から繰り出すその必殺の突きが一心流の極意である。
「お前の敗因は分っているか?」
「はい……」
私の敗因は剣先に気を取られ過ぎた事。
全体の動きを感じていなかった私が甘かったのだ……。
「筋はいいが、集中し過ぎると一点しか見てないな」
「返す言葉もございません……」
「ただ、その素直さは良し……。今儂が言ったことがお前の欠点だ直しておけ」
「はい!」
先生の確かな実力と要点を突いたアドバイスに目から
「まあ最も、お前が本気の【剣気】を込めていれば勝負は分らなかったがな……」
「はい! ありがとうございます!」
ちなみに先生が言う剣気とは、私達がこの世界で本来持つ「陰陽7属性の
私の場合、生まれが花蝶国であるが故に光剣気を得意としている。
先生には内緒だが、私は【光剣気を使った椿姫日輪剣を使う
対して炎帝国出身の先生は【炎剣気が得意な狼火紅蓮剣を使う
剣気を込めれば当然戦い方も間合いも変わって来るのだが、今は純粋に基本の剣技だけで勝負がしたかったが故に……。
やはり剣筋を強くするには純粋に基本を磨いて行かねばならぬ故。
私が尊敬する剣聖の椿姫陽一、即ち父上からもその教えを受けていたしね。
「基本は五感で感じる事、常々忘れるな……。戦場では遠距離からの弓矢や陰陽師が使う術式が飛んでくる故にな」
「はい!」
こうして、しばらく先生と座談し、すっかり満足した私は再び城内に戻る。
そんな感じで機嫌よく、炎帝国城内の私の個室に無事帰宅した私達……。
「では、陽葵様。ささ……お茶とお菓子をどうぞ……」
気が利く婆やは、道場のやや対面にあるお茶屋さんで、お菓子等を買っていた模様。
「わあ……! 私の好きな、みたらし団子だ! 婆やありがとう……」
私は畳の上に炎の柄の入った紅色の座布団を引き、その上にじっくりと腰かける。
木目模様の丸台の上にある、みたらし団子を一つまみし、元気よく口に運ぶ私。
「うん! 美味しい!」
甘たれがモチモチした食感の団子に絡む、この
流石は帝国一と謳われる、団子屋の見事な一品。
これには一本取られたと思わざるを得ない。
運動後なので尚更美味しく感じる。
「大変ご機嫌の様でなりよりですじゃ……」
私の対面に座っている婆やも、満足そうにお茶をすすっている。
私もそれに習い、口直しにお茶を飲む。
「ん、お茶も、おいしい……」
(……程よい苦みの中に確かな甘みを少し感じる……。この上品な甘みと苦み……おそらく
ほっと一息し、私は思わず城内から見える遠くの山景色を眺める。
丁度桜が咲いている為か、緑色の木技の中にポツポツと桃色の輪が見え、何とも言えない風情を感じる。
「山を見て、ふと思い出す我が家族。桜が咲て、我が心……春」
「お見事な短歌……。故郷を思い出しましたかな?」
「そうね……」
(今頃、私の故郷では桜が満開になっており、城下町は桜祭りで賑わっていただろうな……。兄上も母上も、そして父上も、ご存命だったあの頃……本当に楽しかったな)
「……さて、では満足したであろうし、婆やの話を少し聞いて頂けますかな……?」
(……なるほど、城下町へのお出かけの許可とこのお菓子と極上のお茶は、この話をする婆やの前ふりだったのか……)
婆やもここまで私の
分かっていても聞くしかないし、ここまで段取りするということはきっと重要な話なのだろう。
「……どうぞ」
「実は明日からこの炎帝国城内にて、武術大会が開かれますのじゃ……」
「え? ええっ! 面白そう!」
(私も偽名で参加したい!)
思わず言葉に出そうになるのを何とか喉元で止める。
そんな事口に出そうものなら、婆やからお叱りの言葉を聞くことになるからね……。
そんな私の気持ちを知っていてか知らないか、婆やは笑顔で話しを続けていく。
「なお優勝者には褒美が授けられるようになっておりましてな?」
「うんうん!」
「1つはこの国の領主の名の元に、『1つ何でも願いの褒美叶えてくれる』んですじゃ……」
「ええっ! な、何でも?」
「はい……。小判1000両でも、団子食べ放題でも、常識の範囲内なら何でもですじゃ……」
(うう……わ、私も、参加したいよう……)
2回目だけどその願いが強くなる。
腕試しをしたいと言うのも勿論あるが、その『1つ何でも願いの褒美叶えてくれる』と言う中身が私にとってはとても魅力的なのだ!
理由はただ1つ。
優勝すればこの国の領主お墨付きで安全に国外に出れるから。
問題は、私が参加出来るかということと、この願いが受理されるかどうかであるが……。
(これは内容が内容なだけに、婆やに聞く価値がある!)
「あのっ! 私……」
「当然、陽葵様も偽名で参加出来ますよ? 更にはご褒美として安全に国外に出れる願いも聞いてくれるでしょうね……」
私の言葉を遮り、婆やはとんでもないことを口走る。
「……えっ!」
「ただし、条件がありますがお聞きになりますか?」
(当然聞くに決まっている!)
こんな絶好の機会二度と無いだろうしね。
まあ、婆やの前でいつも、「外に出たい、外に出たい」と
「聞く聞く! 婆やっ、その内容を早くっ!」
「では、この書面をよくお読みになって、納得していただく。その上で陽葵様ご自身のお名前と椿姫家の印を押してくだされば済みますのじゃ……」
「書きます! そして印も押します!」
「ほっほっほ……そうですか、そうですか。ではこちらに既に用意してあります故、どうぞ……」
用意のいい婆やは、筆と私の家印、更には墨や朱肉等を私の目の前にそっと置く。
「この私の指さした場所に……そう、そうでございます……」
私はその書面の内容を読まずに、スラスラと名前を書き印を押す。
(私にはこの国の道場一強い狼火一心先生からお墨付きを貰っている強さがある!)
剣聖である亡き父上からも腕が良いと言われていた。
陰陽術はまるで才能が無かったが、武術には自信があるのだ!
そう、優勝すれば万事解決なのだ。
「では、陽葵様のご署名等頂きましたが、内容を読まれていないけどよろしいんですかな……?」
「うん! そんな事よりも、婆やそれ早く持って行って!」
「はいはい……。かしこまりました……。あ、陽葵様は残りの団子をお食べになりながら、結果をお待ちくださいね……」
「は—い!」
こうして、私は無事に炎帝国武術大会に偽名で参加する事になるのですが、その参加条件を後日知り、とてもとても驚く事になるのでした……。
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