第四局 荷車から追い落とされた八冠と俺、逃走したカニは地割れに落ちて今更もう遅い

 夕色の空を灰と煙が覆い尽くす。

 もともと荒涼としたこの土地にあって、山裾の村は唯一オアシス的に存在するものだった。そののどかさも急速に失われ、いまや不気味な風景画の一部と化している。

 それを遠巻きに、唖然とした面持ちで荷タコ車の面々が見つめていた。


「……まだだ」


 一匹がようやく心の口を開いた。


「よく見ろ。村は無事だ。山が噴火したからって、必ずやられちまうわけじゃねえ」

「だな。連中も慣れたもんだろ。念のため避難はしとけってなくれえで」

「中にゃ、慌てて腰抜かしてるマヌケもいるかもしれねえがな」


 三匹が、カゲゲ、ニカカ、シシムケと笑い合う。

 さんざん笑ったあとで、それでも一匹がニニー……と不安を漏らした。


酒蔵さかぐらは無事カニ?」

「おう」

「それな」


 三匹の懸念と同時だった。

 村の中で閃光が生じたのだ。

 続いてドンと音がし、光ったあたりが煙に包まれる。


「また噴火!」

「ちげえ、爆発だ! さ……酒蔵からだ!」


 苦渋の面持ちで訂正したのはトカゲだった。


「ケムムッ……?」

「どっかのマヌケが慌てて酒樽を動かしやがったんだ!」

「そんなバカニ……!」

「ほかに何がある!」

「火の酒ってマジで爆発すんのかよ! あ……危なすぎんだろ!」


 祐二も下痢で弱った身を押してツッコミを入れると、再び同じあたりで同じような爆発が生じた。しかも二度で終わらず、また一つ、さらに一つと、村の中で場所を少しずつ変えながら繰り返し起きる。

 誘爆か。

 そうらしい。

 酒蔵が――ひいては酒樽が無数に点在する村なのだろう。村を挙げて特産品作りが盛んなんだそうだと、化け物たちも、道中でそれは楽しそうに話していた。

 ために、この三匹のみならず大陸中からならず者たちが吸い寄せられてきて、奴隷市、盗品市などでも賑わっていたというのに――。


「ろくでもねえ村だな!」


 ……いまや、恐らくはすべての酒樽が順々に弾け、砕けていた。


「俺たちの酒がああっ!」


 三匹は悲鳴を上げた。

 その落胆のあとで、今度こそ新たに山が噴火した。地が揺れ、方々で割れる箇所もある。一度めを上回る大噴火だった。

 火砕流が、あっさりと麓の村を覆い尽くした。三匹はすでに落胆しきっていたため、追加の感慨は特にないまま「あ、滅んだ」などと村の滅亡を実況する。

 どのみち、爆発事故が起きようと起きまいと、酒蔵は二重三重に潰える運命にあったのだ。なお、三重めは後継者不足だったが、ついにこの場の誰にも知られずに終わった。

 村人にはすまないと思いつつ、それはそれとして祐二の胸には喜びが込み上げていた。


「これで売られずに済んだ……!」


 しかし実際、売り先のみならず、売り物のほうも存在が危うくなっていた。

 火砕流が、勢いを弱めることなく祐二たちのほうにまで押し寄せてきたのだ。

 一行は急いで荷タコ車を出し、もと来た道を引き返し始めた。

 ただ、高温の灰と軽石とガスからなる火砕流は速度が猛烈で、誰の常識においてもタコの足では逃げ切れそうにない。


「……てめえらのこと、わりかし好きだったぜ」


 車上で、毛虫が静かに遺言めいたことを吐いた。


「虫……」

「毛虫……」


 他の二匹も神妙になる。


「ムケケケーッ!」


 一転、当の毛虫が豪快に笑い飛ばした。


「こんな時のために、俺様は変身を二つ残しておいたのだ! 一つめ――さなぎ!」


 言うが早いか体から毛が抜け落ち、抜けながら体が横に倒れる。

 倒れたときには、全身が、死体を納めた袋のようになっていた。

 ピクリとも動かない。いや、動かないのは半透明の袋だけで、透けて見える黒い中身は何やらうごめいている。気持ち悪い。

 中身が次に言い放った。


「――からの、二つめ! 成虫!」


 袋がやぶけ、中から一回り小さな生き物が飛び出してきた。


「ムッケーッ!」

「あっ」

「うおっ」


 それは、やはりというべきか、フンコロガシのような丸い甲虫だった。

 バッと羽根を広げてみせる。


「これで飛べるのだ! 飛んで逃げるのだ!」

「ニカニっ! 自分だけズルいっ!」

「知るか! てめえらはそこで焼かれてろ! あばよっ!」


 虫が飛び去る。

 が、そこへ等身大の噴石が飛来し、虫には運のないことに激突する。鈍く赤く光る石は地面に落下し、虫の体は燃えながら押しつぶされたのだった。


「カッ、てめえだけ助かろうとするから!」


 比較的近くでまた別の噴石が落ちる中、カニが虫の死骸にペッと泡を吐き捨てた。


「罰が当たったんだ。神様は見てんだよ」

「見てる、か。ちげえねえや……」


 御者台のトカゲが、力なさげに手綱を離した。

 荷タコ車が徐々に速度を落としていく。


「俺たちもどうせ助からねえ。火の酒もねえ……」

「……二?」

「終わったんだ。俺たちのスローライフはよ」

「このバカ二野郎!」


 荷台からカニがハサミでトカゲの体を持ち上げ、自分の胸もとに引き寄せた。


「諦めんのは早いだろ。酒は買えなくなっちまったが、こっちの売り物はまだ無事なんだ」


 まだ売るつもりなんかい!

 売り物の一つが心の内でツッコみ、やっぱりそうカニと落胆した。


「そうだ、今度は海辺の街に行って、うまいシーフードでも食おうぜ」

「シー……?」


 トカゲが顔をそむけ、嘲るように笑った。

「……そんな酔えねえもん」

「てめ……シーフードをバカに……!」


 頭に血が上ったのか、カニがハサミを水平に振り、トカゲを荷台に投げ捨てた。

 床で一つ跳ね、上体が後ろの柵に引っかかる。

 が、干された布団の姿勢のまま、トカゲは身を起こそうとしなかった。

 代わりに一言。


「……無意味だ」

「……!」


 それが、カニを決定的に憤然とさせた。

 真っ赤な顔で素早く横歩きし、勢いのままトカゲに体当たりする。

 あわれトカゲの体は柵を乗り越え、いよいよ火砕流の迫る地面へと落ちていった。


「俺は諦めねえぞ!」


 カニは前方に戻ると、御者台に座る間も惜しんで荷台から直接ハサミを伸ばし、手綱をつかんだ。

 タコを鞭打ち、車を加速させる。


「絶対に、絶対に諦めるもんか。俺は必ず生き延びてみせる……!」


 荷タコ車が走る。

 火砕流が迫る。

 カニが鞭打つ。


「もっと……もっと速く! もっと、もっと……!」


 タコも力の限りを尽くしているのだろうが、それでも火砕流のほうが速い。双方の距離はみるみる縮む。


「カッ! 背に腹は代えられん……!」


 荷台に立つカニの顔に、ふと不穏な影が射し込んだ。

 祐二の目にその影が迫り、ついには視界のすべてを覆う。途端、体が宙に浮き上がり、見ると、八冠とまとめて一つのハサミにつかみ上げられていた。逃走防止用に付けられている鉄球の全重量が足首にかかり、そこが地味に痛い。

 しかし、痛みを感じる余裕はなかった。


「こ、これは……ももも、もしかして……?」

「解放してやる。命拾いしたな」

「してねええ……!」


 カニが二人を放り投げた。


「おわあ! こんな所に置いてくなあああ!」


 トカゲに続き、二人も荷タコ車から追い出されたのだ。

 祐二と八冠はそろって地面に転げ落ち、全身を強く打ちながら数回転して止まった。


 一方、二人の重量分だけ軽くなった車は、新たな加速力を得て力強く前進していた。


「いいぞいいぞ! もっと走れ! もっと速く!」


 カニが、これでもかとタコを鞭打つ。

 タコも力のかぎり八本足を掻き回す。

 ところが、せっかくの加速が仇となった。


「……ニニッ!」


 前方に、ちょうど荷車一台が収まるほどの幅で地割れが発生していたのだ。

 気づいたカニはとっさに手綱を引いたが、減速は間に合わなかった。


「バカ二! バカ二ーッ!」


 底知れぬ闇の中へ、荷タコ車は真っ逆さまに落ちていった。


「痛てて……」


 祐二は打った頭を抑えながら、自分たちを捨てた者の末路を呆然と眺めるほかなかった。

 あまりに短時間で二転三転する状況に、とても思考が追いつかなかった。

 カニにざまあ見ろとも、自分たちが車に残っていたらどうなっていたのだろうとも考えられない。

 依然として、背後からは不気味な地鳴りとともに火砕流が押し寄せてきている。

 その事実は認識していたが、今ばかりは感覚が麻痺して何も感じられない。その分、しばらくすれば狂おしいほどの恐怖に襲われるんだろう、との予感だけが漠然とある。

 そうした一瞬の静寂を突くように――。


「もし――そこな方」


 ごく至近距離で、祐二に問う者があった。


「何を長考することがあるのです? 盤面を、よく見なさい」

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