第二局 異世界で八冠に期待するのは間違っているだろうか

 荷馬車ならぬ荷タコ車が草原を疾走する。

 囚われの八冠がニコニコと笑っている。

 同じく虜囚の祐二だけが恐怖に震える中、不気味な化け物たちの宴がグギゲ、モムモムと続いていた。


 今度はトカゲが御者台に移り、カニが横歩きで荷台に這い上がってきた。

 さらにしばらくして、カニと毛虫がおもむろにジャンケンらしき行為をする。果たしてチョキのようなものを出して毛虫の毛の中の何かに負けたカニが、残念そうにまた御者台へ戻ろうとした。すでに酔いが回っているのか、足取りは乱れ、すっかり縦歩きだ。


「いや、俺はもういい。お前たちだけで飲んでろ」


 トカゲが交替を遠慮したらしい。手綱を握ったまま表情と体色だけを明るく変え、おそらくはそのようなことを伝える。


「いいのカニ?」


 カニがふらつきながらも、おどけたふうにハサミをカチカチと鳴らした。


「もったいねえだろ、安酒で酔うのは」


 トカゲがブオッと火を噴き出す。


「なんせこの獲物どもを売っぱらって、あの火の酒を買うんだからよ!」

「ちげえねえ!」


 カニもブクブクと泡を吐いた。

 その後ろで毛虫も全身の毛を逆立てる。


「おうさ、村に着くのが楽しみだぜ!」


 期待に甲羅を赤くしたカニだったが、荷台に引き返すと、置いた平皿を再び手にとった。


「だが、俺は飲むぜ! この安酒も極上の酒も!」

「同じく!」


 カニと毛虫が、酒の皿をそれぞれ高々と掲げた。


「ヘッ、救えねえ酔いどれどもめ!」


 トカゲも喜々とタコを鞭打つ。

 速度を上げる車の上で、三匹はグゲゲ、ケマケマ、ニッニカと大声で笑った。

 祐二の恐怖心は、いよいよ増した。


「売られるのか? 俺たち……」


 奴隷商人?

 屠畜業者?

 どちらにせよ最悪だ。

 くそっ、人を食い物にしやがって。

 ああ、マジでお前らはクズだよ。

 ろくでもない酔っ払いどもめ。


「あれ……?」


 ここでようやく祐二は気づいた。

 この化け物どもの会話を、雰囲気を察する以上に理解できていたことに。

 村に、酒に、売り買いなどなど……。


「もしかして……言葉、通じちゃってる?」


 まさかとは思いつつ、祐二は床に寝かされたまま、宴もたけなわの彼らにおそるおそる話しかけてみた。


「ナ、ナイスチューミーチュー……」

「ニ?」

「モモー?」


 カニと毛虫が上から同時に祐二を覗きこんだ。

 いくら姿形だけは地球の生物に似ていようと、大きさは人間並みだ。改めて間近に迫られると、出る言葉も出なくなる。


「あわわ……」


 脅える祐二を、化け物たちがまじまじとにらむ。


「今、なんか言ったか?」

「俺も聞こえた。ようやく耳が慣れてきたらしい」

「み、耳……?」


 祐二が、カニと毛虫の頭のあたりに視線を注ぐ。


 カニの耳ってどこだろう?

 まして、全身毛むくじゃらのほうは……?


「外の耳じゃねーよ」


 カニが自身の胸の殻をコツンとたたいた。


「こっちだ、こっち。中の耳」

「中……心の中……そうか!」


 祐二は思い当たった。


 これはテレパシーだ。

 言葉の壁を乗り越える便利なやつ。

 さすが異世界!

 俺、能力に目覚めちゃった!


「能力? なに言ってんだ?」

「珍種すぎるから、慣れるのに時間かかっただけだろ」

「珍種って、あんたたちこそ――」


 化け物――と言いかけて、祐二はとっさに口をつぐんだ。

 不要な暴言で怒りを買いたくなかったのだ。


「はあ? 俺たちが化け物だあ?」


 カニがハサミを振りかざした。


「あっ……テレパシー……」

「おめえ、もっかい殴られてえのか。頭かち割って味噌吸うぞコラ」

「ひいいっ」

「その辺にしとけ」


 毛虫がカニをたしなめた。


「大事な商品だ。毛の一本も抜くんじゃねえ」

「チッ、話すたびに口で鳴くヘンテコに化け物って言われちまったよ」

「そんだけ、こいつらが動物に近いんだろ」

「奴隷として使えるかな?」

「どうだろう。どっちも細っこいし、力仕事にゃ向いてなさそうだが。ま、奴隷市場で売れねえなら肉屋に持ってくだけさ」

「それもそうだ」


 あ、やっぱそう?

 最悪だ!

 予想どおりの運命だ!


 祐二の歯がガタガタと震えた。


「お、絶望の未来しかねえことに気づいて、珍種ビビってるビビってる」

「酒がうンめええ」


 御者台のトカゲも、後方のこちらに頭をのけぞらせてンゲゴゲと笑った。


「俺たち野盗にとっ捕まったのが運の尽きだわな!」



 荷タコ車が進む。

 よくよく観察してみれば、この化け物たちは確かに会話に口を用いていない。口自体はよく動かして奇声を発するものの、テレパシーで伝える意味とは合致しない。口から出す音声は、あくまで笑いのようなものに限られているようだ。


 笑いといえば八冠だった。

 しばらくひとり静かにニコニコしていた八冠が、笑みは変わらず保ちつつも、何やら下半身をもぞもぞと動かし始めた。

 最初に異変に気づいたのが、引き続き御者台に座るトカゲだった。


「ほどいてやんな」

「おっ?」


 荷台の化け物たちも気づいたらしく、毛虫が急いで八冠の縄を外してやる。

 さらにカニが八冠をハサミで挟んで荷台の端に立たせ、ほらよ、と促した。


「ふわあ……はわあ……」


 八冠の股から、黄色い放物線が伸びる。

 そういえば、と祐二は思い出した。

 あのトイレで八冠が隣に立つなり、八冠が何をする間もなく自分たちはこの世界に飛ばされてきたのだ。


「エッヘヘ」


 心持ちニコニコ感が増した八冠を、毛虫が再び縄でしばろうとする。

 が、体毛の内につかんでいた縄を、虫はおもむろに手放した。


「メンドくせ……。いっか、こいつ大人しいし」


 おお、こ、これは……!


 祐二の顔に喜色がともった。


 もしかして、一度も抵抗しなかったのは計算ずく?

 あれだけ頑丈だった縄の拘束から、鮮やかな手口で解放されてみせたよ。

 さすが八冠。

 史上初の八冠。

 先読みの大天才。

 これは希望が出てまいりましたァ……!


 そんな祐二の心の声を、三匹が聞き漏らすはずもなかった。

 八冠はやはりしかと拘束され、再び元の床に転がされる。


「異世界めえええ……!」


 ただ、荷台の中で漏らされても困るからと空の桶をそばに置かれ、祐二ともども手だけは自由にされた。すなわち、縄の代わりに鉄球付きの足輪をはめられたのだ。



 心が通じ合うのは、この世界では普遍的な原理らしい。

 草原に棲息する無数の怪しげな生き物たちからも、心の声が伝わってくる。

 とはいえ、いずれも「雌さん、来て来て」「天敵が近づいています。住民の皆さんはただちに巣穴へ避難してください」「キシャァァ! 俺様に近づくなァァ! ガルルルルゥ!」といった求愛や警報や威嚇ばかりで、用途は地球の動物の鳴き声と何ら変わりない。本能によるもの以外の知的な意思伝達をするのは、腐ってもこの車上のならず者たちに限られていた。

 おかげで、彼らどうしではすでに承知済みの事柄も、都合の良いことに、祐二にまで赤裸々に伝わってきた。


 彼らは、とにかく例の火の酒とやらを飲みたがっていた。

 一口で酔い、二口で三日は酔っていられるそうだ。

 よほど強い酒らしい。下手に動かせないほどという。

 ニトログリセリンかと思わずツッコミたくもなるが、ここは異世界だ。そのような酒もあるのだろう。


 動かせないので、こちらから産地の村に赴くというわけだ。

 村は、火の酒の名にふさわしく、火山のふもとにあった。

 この草原の先にそびえる山脈の一角だ。


 また彼らは、祐二の目には実に気の合う仲間どうしに映ったが、意外にもチームとしての日は浅いようだった。

 これまで、それぞれ単独で旅人を襲っていたところ、泥酔するとどうにも無防備になってしまうので、交替で酔うべく酒飲みどうしで組むことにしたのだそうだ。クソくだらない理由だった。


 毛虫が車を用意し、トカゲが鼻を利かせて祐二たちを発見し、最後にカニがそれを襲った。捕らえた獲物をよくよく眺めてみれば、この辺ではまったく見かけない生物種だった。

 これは高く売れるにちがいない。

 金が手に入るとなれば、買うものは一つしかない。

 酒だ。

 そうして今に至るのだった。


「貴様を食ってやる!」

「ひっ」


 突然の新たな敵意に、祐二はとっさに首をすぼめた。その頭上を蚊のような小動物が通過してトカゲの首にとまり、あえなく平手打ちで潰される。


「……」


 テレパシーうっぜえ……!


 祐二はしみじみと思った。

 やがて車はついに草原を抜け、岩肌もあらわな地帯に入った。生き物の数は極端に減り、祐二はほっと安堵する。

 最初に心の声を認識して以来、音量は増すばかりだったのだ。一番ひどいときは、セミの季節に雑木林へ分け入ったほどの騒がしさだった。そのうえ、両耳を塞いでもちっとも収まらないとくる。

 今は久しぶりに静けさを取り戻していた。

 そういえば、あれからどのくらい時間が過ぎたのか……。

 所持していたスマホは、捕まった際にどこかへ落としてしまっていた。

 頭上には、相変わらず燦然と二つの太陽が輝いている。

 祐二の腹の虫が、ぐううと鳴った。


「おやつ……」


 ぼそりとつぶやいたのは、しかし八冠のほうだった。


 もしかすると、異世界で八冠に期待するのは間違っているのだろうか。

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