【祝!221(フジイ)PV達成!!】八冠が将棋のない異世界でもニコニコしててつらい

Taka

第一局 八冠が将棋のない異世界でもニコニコしててつらい

 巻いた前髪が、額に逆さのハートを描いている。

 くせ毛だからか、髪は長くもないのにボサボサだ。


「手入れする暇がなくてスイマセン」


 はにかんだ表情が、そう告げているふうだった。

 たびたびメディアを通じて見知っていたその顔は、同性の目にも実に愛くるしく映る。

 常に絶えない、いつだって変わることのない笑顔。

 今、奥村おくむら祐二ゆうじの眼前に、息を吹きかければ届く距離でそれがあった。


「あの……あのさったら!」


 唾を飛ばしながら、祐二は必死に訴える。



 祐二は、将棋に特に興味があるわけではない。かろうじて幼少の時分、数ある遊びの一つとしてルールを覚えたくらいだ。しかしそれもすぐ飽き、多くの子供たちと同様、関心は他の娯楽に移っていった。

 それでも、この棋士に関してなら、もはや忘れかけている駒の動きよりも多くのことを知っていた。

 別段、祐二がどこか独特な感性の持ち主だったわけではない。異質なのはほかでもなく、このはにかみ棋士のほうだった。


 なにせ天才だ。

 天才であるらしい。

 八冠だ。

 前人未踏という。

 弱冠二十一歳。祐二より十も年下なのに、これまで誰もなしえなかった偉業を成し遂げてしまった。

 八冠達成直後の、報道の過熱ぶりときたら。

 いまだ記憶に新しい。


 あちらも八冠。

 こちらも八冠。

 テレ東以外、どこもかしこも八冠、八冠、八冠。

 日本全国、八冠列島。

 そんな具合だった。


 そんな八冠が、こんな名も無き自分と同じく、いまや着物の上から縄で縛られ、無造作に荷台に転がされていた。

 荷台はガタガタ、ゴトゴト、ドナドナと揺れていた。

 移動していた。

 荷馬車だった。


 ただ、これを「馬車」と呼んでもよいのかどうか。

 というのも、牽引している動物が明らかに馬ではなかったからだ。

 タコ――正確にはタコに似た何かだった。くしくも八本足という点と、全体の形状、そしてあちらは茹でたあとだが、赤い体色がちょうどタコと同じだった。そのような見た目にして、大きさのみ馬相当という化け物が、二つの太陽が浮かぶこの草原を延々と疾駆していた。


「異世界だよ! 来ちゃったんだよ、俺たち!」


 祐二は悲鳴にも似た声を上げた。


 タコを御しているのは毛虫だった。毛むくじゃらかつ人間サイズの虫が、どこに手があるのか定かでないが、手綱を体毛の内につかんでいた。

 御者には仲間たちがいた。

 そちらは荷台の上にいて、床の中央に横たわらせた祐二と八冠を、左右から挟むように見張っていた。

 一方はトカゲ、もう一方はカニのような姿だった。

 八冠が小さく声を漏らした。


「ウー……フフ……」


 笑ったのだろうか。

 だとしても、何に対しての笑いかは不明だ。その目も、焦点がどこにも合っていない様子だ。


「トイレで! 本屋の!」


 この現実こそ見てくれとばかり、祐二が今一度これまでの経緯を説明した。


「八冠がサイン会開いてた! あの本屋! あのトイレ!」


 八冠は引き続きニコニコしている。


「んで、ションベン中、隣にオーラ感じるなあと思って振り向いたら、うおっ八冠ってなって! で、あっちの冠はどうなんかなあって覗こうとしたら、いきなり周りがパアーッて光って! 気づいたら、俺たち二人だけこっちの世界にいて!」

「フフウ……フ」

「なあ、聞いてる? ……そんで、どうしたもんかって、とりあえずふたり縦になって歩き始めたら、八冠、メッて感じで二歩にふとか言って俺もついアッて言っちゃって、したら周りをこいつらに囲まれてて詰み――詰みじゃねえ! まだ詰んでねえ! けど、このザマだよ! ほとんど詰んでるよ! 八冠、押し倒されても縛られてもニコニコしたまま抵抗しねえから! まあ、俺も一発でガツンとのされちゃったわけだけど!」


 側頭部のこぶが改めてうずく。鈍痛が走るのと同時、八冠のすぐ向こう側にカニの一部が見えた。

 カニは片方のハサミだけが巨大化したタイプだった。そちらのハサミが日の光を鋭く反射し、いよいよ凶器めいて祐二の瞳に映る。ついでに、にこやかな八冠の瞳には祐二の背後のトカゲが映り、トカゲはゲップのように口から火を噴いていた。


 こいつら、俺たちをどうする気だろう。

 食料として消費するのか、それとも奴隷として使役するつもりか。


 いずれにせよ、狩りの成功がよほど嬉しかったに違いない。

 少し前から、カニとトカゲが酒盛りらしきものを始めていた。

 壺に入った白濁の液体を、祐二たちの頭上で互いの平皿に注ぎ合い、カニはストローのような器官で吸い上げ、トカゲは細長い舌でちろちろと舐め取っていた。


「ギゲゲゲゲ」

「クネッカ、クネッカ、キネクエッカ」


 双方とも、飲むほどに、そうした奇声を頻繁に発する。

 歌か会話かも判然としないが、徐々に気分が盛り上がってきていることだけは容易に伝わる。


「ゴキゲンだな、こいつら……」


 しかし、これはチャンスかもしれない。

 祐二は、見張りたちの目を盗むように、さりげなく手足をもがいてみた。

 が、彼らの勤務態度と裏腹に、束縛は想像以上に強固だった。期待もむなしく、縄は少しも緩まない。


「くそっ!」


 祐二の目に涙が浮かんだ。

 それをぬぐうように、癒やしの笑顔が真正面から降り注ぐ。


「エヘ」

「んがっ!」


 祐二はとうとう腹が立った。

 横倒しで向き合ったまま、これまでになく大きくがなりたてる。


「八冠、あんたもあがいてくれよ! このままじゃ俺たち、このバケモンどもに食われるかもしれねえんだぞ!」

「ヘヘヘー……」


 八冠は微笑んでいる。


 あまりの大声に、見張りたちも、さすがに酒気をいくらか霧消させたらしい。

 床に転がる祐二たちを上から覗きこみ、縄の緩み具合などを触ったりして確認する。


「どうだ?」

「異常なし」

「よし、飲もう」


 言葉こそ分からないが、そう言い合ったと思える発声と行動を見張りたちはした。再びどかっと座り、平皿を手にする。


「ギゲゴギゲ、ゲッゲ!」

「クネーッ、ケッネ!」

「ちくしょう……。なんでいつも俺ばっかり……」


 祐二の目から涙がこぼれ落ちた。


 これまでの人生を、祐二は冴えないまま生きてきた。

 進学も就職も本来の希望からは大きく外れ、いよいよ絶望への舵を切ろうかという寸前で、かろうじて細い藁にしがみついた。そのまま何とか押し流されずに耐えてはきたものの、恋人を作る余裕もなく、収入はぎりぎりで、将来の展望はどこまでもほの暗い。

 陰鬱な日々を過ごすうち、祐二はいつしかラノベ作家を志望するようになった。

 しかし小説など、これまで作文の課題くらいでしか書いたことがない。

 それでも、しばしばアニメ化されたラノベ作品を鑑賞するうち、こんなものなら――と自信が湧いたのだ。


「俺は天才かもしれない……」


 深夜、消したテレビ画面に向かって一人ほくそ笑み、満足してベッドに入る。


「テンプレしかねえ。粗製濫造きわまれりだな」

「売れ線わかってねえなあ。需要ねえよ」


 そうした批評を、夜ごとテレビの前で繰り返した。執筆活動はいまだ開始していなかったが、辛口の批評を繰り返すほど、書くなら確実に名作を――との思いを募らせていった。

 やがて、遅ればせながら本も読まなければと思い至った。

 正直、アニメを見るだけのほうが楽で良かったが、小説家を目指すからには、さすがに読書体験をないがしろにできない。ただ、買って読むのは面倒だし本代も惜しいので、まずはネットに無料公開されているもので間に合わせることにした。

 ところが無料だけあって、つまみ読みだけでも質の低い作品が多いと分かる。

 いよいよもって、祐二の批評は辛辣を極めた。特に『叫べ、風歌 東京カウンタープロテスト』という某小説投稿サイトの作品にいたっては、よくも俺を騙しやがったなと怒り心頭になった。


「百合と思ったら、なにが差別だ! 俺をバカにしやがって! クソ、クソ、クソ! 下手! こいつ、下手! ど下手! 顔洗って出直してきやがれ! マイナス二点!」


 やはり読むなら商業作品か――。

 仕方なく思い直す。


 そして今日。

 祐二は遠出した街の大型書店で、大量に並んだラノベの帯や裏表紙の紹介文、冒頭の出たし等をチェックしていた。

 人がやや多めとは思ったが、特に気にせず作業をこなす。没頭したのはほんの十数分のはずだったが、気が付くと、店内は一段と混み合っていた。さらに客たちは長蛇の列をなしている。列を目で追うと、先頭に立て看板や横断幕があり、それぞれ大きな字で、八冠の自伝発売記念、サイン会開催中といった旨を告知していた。


「ケッ、自伝つったって、どうせゴーストに書かせたんだろ」


 トイレの小便器前で、黄色い放物線に向かって一人つぶやく。


「いいよなあ、有名人は。簡単に本出せて。たかが一つのゲームがうまいくらいで。俺だって、わりかしスマブラうまいぞっと」


 ブルッと身震いする。

 いつも以上の震えだった。

 祐二は隣に気配を感じ、そろりと向いて、笑顔を見つけた――。



「モアーハ、モムームモ」


 御者の毛虫が、無視するな、俺も飲みたいと言ったらしい。


「クネネ……」


 仕方なさそうにカニが立ち上がり、横歩きでポジションを交換する。

 替わって、這うように荷台へ上がってきた毛虫に、トカゲがカニの残した平皿を手渡し、「ゴゲッゲ、ングゲーゲ」と、壺の中身を注いでやった。

 どこに口があるのか定かでないが、皿が体毛の内に沈んでいく。


「モーヒンホヘー!」


 うまかったようだ。

 虫の全身の毛が、海底の草のようにゆらりと揺れる。

 半分だけ再び毛の中から表れた皿は、すっかり空になっていた。

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