第19話

 僕の思考回路は一瞬止まった。まさかヱ梨香の方から恋バナをしてくるとは。これは話の流れからして田辺のことを聞くチャンスだ。僕は軽く咳払いしてから答える。


「ええと、その話か。あいつら声でかくて困るよ。放っておいてほしいんだけどな」

「その人のことは今も好きなの?」

「え? うん、そうだけど」


 そこまで言うとヱ梨香は「そう……」とだけ言って再び黙ってしまった。その隙に僕はすかさずヱ梨香に質問を返す。


「ヱ梨香こそどうなの? 夏休み前、田辺と一緒に帰ってただろ? もし付き合ってるなら」


 田辺の名前を出した瞬間、ヱ梨香の顔色がサッと変わる。そしてガバリと立ち上がり、肩を怒らせながら叫んだ。


「付き合ってない!!」

「あ……そうなの?」


 その剣幕に僕は若干引きつつも、なるべくヱ梨香を刺激しないよう穏やかに返答する。ヱ梨香は立ち上がったまま、ショックを受けた表情で黙って僕を見下ろしている。その様子を見て僕の中で再び嫌な予感が芽生えてしまった。

 ヱ梨香が田辺とキスをしていたという噂や、僕が実際に目撃した二人の様子。それらは付き合っていないにしても親密な関係を示唆していた。なのにヱ梨香は顔色を変えて否定する。


「ヱ梨香……まさか田辺を説得するために、変なこと・・・・してないよな?」


 僕に言えるギリギリのラインを攻めたつもりだった。もし違ったら酷い誤解だ。謝るしかない。それでも僕はヱ梨香に聞かなければいけなかった。

 ヱ梨香は僕の問いかけに一瞬静止し、それからふと顔を伏せてしまう。そして次の瞬間、ポロポロと涙を流し始めた。


「ヱ梨香」

「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 その謝罪はつまり肯定だった。僕は背筋が凍るのを感じながら、泣きじゃくるヱ梨香を信じられない気持ちで見つめる。

 ヱ梨香と田辺についての断片的な情報が一つに繋がった。


 ヱ梨香はおそらく田辺を誘惑し、全員同票計画に参加させたのだ。


「それは、やっちゃいけないことだ」

「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかった」


 ヱ梨香は泣きながら事情を説明し始める。

 まず田辺が全員同票計画に否定的だったということ。その理由が、田辺はヱ梨香に票を入れたいと思っていたから。何度か説得を行う内に田辺は何か勘違いをして、ヱ梨香に交換条件を出してきた。それが週に数回の"恋人ごっこ"だった。

 ヱ梨香はそれで田辺が計画に乗ってくれるならとOKした。その結果があの噂と僕が見た光景だったのだ。田辺の要求は徐々にエスカレートしていき、ヱ梨香は夏休みの間もそういう関係を続けざるを得なかったということだった。

 僕は唖然としてヱ梨香に問いかける。


「どうして、そこまで?」

「だって私が言い出して、あなたを巻き込んで。だから頑張らなきゃ、我慢しなきゃって……」

「誰かがそんなことをしなきゃいけないならこんな計画やめるに決まってるだろ!」

「ごめん、もうやめるから。ごめんなさい」


 そう言うとヱ梨香ははらはらと涙を溢れさせる。そして両手のひらに顔を埋めてしゃくり上げながら、震える声で言った。


「知られたくなかった。さつきくんには見られたくなかった。私、好きなの……さつきくんが」

「え?」

「ごめんなさい。迷惑よね、初恋の人といい感じなのに。こんな、汚れた女に好かれるなんて」

「そ、そんなこと言うなよ……」


 突然の告白にどうすればいいか分からず、ヱ梨香の自虐的な言葉を嗜める。巴さんという人がいる僕にはヱ梨香が今一番ほしいであろう言葉をかけてやれない。


「ごめんなさい、忘れてちょうだい」


 ヱ梨香はそう言って荷物をまとめてその場から走り去って行った。追ってもかける言葉がない僕は、ヱ梨香の後ろ姿を黙って見送ることしかできなかった。

 残暑の湿った風が体の横に吹きつける。いつの間にヱ梨香に異性として好かれていたのか。僕は自分の察しの悪さにがっかりするとともに妙な居心地の悪さを覚えていた。


♢♢♢


「さつき?」


 怪訝そうな声をかけられて我に返る。目の前では水戸が首を傾げながらこちらを見ていた。僕はハッとする。今は「ホームズ」のテーブル席で水戸と一緒にプレ投票に向けて票の入れ方を考えている最中だった。

 ヱ梨香とのやり取りを気にしている場合ではない。僕は「ごめん」と言って水戸が示すタブレットを覗き込む。


「役職と外進生を混ぜて投票しようって話だっけ」

「ああ、そうだけど……何かあったか?」


 何かならあったが今この時に水戸に相談することではない。僕はぐっと言葉を飲み込んで首を振った。

 ヱ梨香が"ポーン"のみんなの票の入れ方を考えてくれたので、僕たちは役職者と外進生の票の入れ方を考えている。そこで水戸が提案したのが、役職者と外進生が交互になるように票を入れるやり方だ。


「疑うつもりはないが念には念をってな。役職者同士に票を入れさせたら、土壇場の感情で秋田が宇都宮に入れないなんてこともあり得るし」

「うん、それがいいんじゃないか。じゃあ僕が秋田に入れるから、秋田は水戸に入れるようにしよう」


 役職者と外進生を交互にはめ込んで、投票のループが完成する。僕たちはこのループに従って二票ずつ隣に投票する。


「あとは余った俺たちの票を"ポーン"に振り分ければ完成っと」


 水戸がタブレット上で票を振り分ける。これで"ビショップ"以外の全員が二票を得る方法ができあがった。


「ありがとう水戸。プレ投票はこれでいこう」

「これで本当に"ビショップ"が炙り出せればいいんだけどな」


 メガネの奥で水戸の目が閉じられる。それを見て僕はなんだか申し訳ない気持ちになった。

  水戸には無理を言って、プレ投票の日にある仕込みをしてもらう予定だ。それはなんらかの理由で"ビショップ"が炙り出せなかった場合の保険であり、"ビショップ"の正体に迫ることができるかもしれない唯一の方法だった。


「水戸には無茶をしてもらって悪いと思ってるよ。もしもプレ投票で"ビショップ"が分かったら、アレ・・はやらなくていいからさ」

「でもさ、実際のところどうなんだよ。このプレ投票で"ビショップ"がちゃんと出てくると思ってないんだろう? 俺に任せたあの仕込みは何のためなんだ?」


 ふむ、と僕は両腕を組んで思案する。そもそも"ビショップ"が出てこないと言ったのは大希だ。その言葉を鵜呑みにするつもりはないが、大希がなんの考えもなしにそんなことを言うとは思えない。

 プレ投票で何かが起こり、"ビショップ"が潜伏する可能性があると考えると、僕の中でピンと繋がるものがあった。


「大希の言うことを信じれば、プレ投票で予期せぬことが起こるかもしれない。そして過去の投票で起こった予期せぬ・・・・ことといえば」

「予期せぬこと……もしかして偽造リスト?」


 頭の回転が早い水戸はそこまで言って気づいたように目を見開く。

 

「さつき。もしかして、今年も二年前と同じことが起こると思ってるのか?」


 二年前に起こった偽造リストの流出。大希が実際にその目で見たもので、かつ警戒するに足る出来事でもある。もしも、今年それが再び起こることがあるのならば、


「"ビショップ"が潜伏した上で、今年も偽造リストが作られたのなら、それは正体を知られたくない"ビショップ"が作ったものでほぼ確定だ。だから、プレ投票が失敗した場合、偽造リストを元に"ビショップ"を無理矢理引きずり出す……。そのために水戸、お前の力が必要なんだ」


 水戸は唖然としてこちらを見る。そしていそいそとメガネを拭いてからかけ直して言った。


「責任重大ってこと?」

「うん。頼むよ」

「俺そういうの燃えるタイプだわ」


 好きなものを見つけた時の少年のように水戸は笑った。きっと僕は今後水戸を信じられるかと問われたらこの笑顔を思い出して迷いなくイエスと答えるだろう。


「なあ。さつきはどうしてそんなに全員同票計画にのめり込むんだ? 確かにイジメの原因になり得るけど、そういう奴はレクがなくてもイジメるだろう。レクで誰かが死ぬわけでもないのに」

「僕の理想の青春に不必要だからかな」

「わお。意外な王様気質。"キング"に向いてたりしてな、お前」


 コーヒーの香りが燻る。結局水戸にもヱ梨香とのことは相談できなかった。

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