第20話
そしてヱ梨香との関係はギクシャクしたまま、期末試験を瀕死の状態でなんとか乗り越え、ついにプレ投票の日を迎えることとなった。
レクリエーションの時間は秋休み開始の前々日の午後にたっぷりと取られていて、レクリエーションが終わり次第下校ということになっていた。
事前準備はすでに整っている。水戸のアイデアで誰が誰に票を入れるかを厳密に決め、それをクラスメイトに指示して投票に臨むことになった。
全員二票ずつにする方法をおさらいすると、まず"ポーン"のみんなを円状にし、それぞれ右隣の人に投票してもらう。
それから外進生と役職者も円になり、それぞれ二票ずつ右隣に投票する。この時点で票が余っているのは外進生五人、"キング"、"クイーン"、"ナイト"。この八人が"ポーン"が二票ずつになるように余っている票を振り分ける。
ただ、ここで"ポーン"に擬態している"ビショップ"のみが右隣への投票が
そうやって"ビショップ"を炙り出し、本投票では"ビショップ"の票を減らして全員同票にする作戦だ。
明日に終業式を控えた今、授業終了後のホームルームでレクリエーションの時間が取られる。教室は落ち着かない雰囲気だが、誰も口を開かない。
全員がタブレットでアプリを開いたことで、この空気に似合わない軽快なBGMが教室中に鳴り響いた。
僕は可愛らしいフォントで「プレ投票」と書かれたリンクをタップする。すると少しの読み込み時間の後、ズラッとクラスメイトの名前が並んだリストが現れた。
「好きな人に投票してね」というポップアップ表示の背景では、子どもの落書きのような動物が笑顔で踊っている。
僕はごくりと空気を飲んだ後、外進生と役職者の投票のやり方を書き留めたメモを見ながら、つつがなく投票を終わらせる。
水戸の走り書きだがメモの内容はこうだ。
"キング"→大津→"クイーン"→福島→"ナイト"→水戸→"ルーク"→山口→金沢→"キング"
投票先の固定のため、該当者全員に同じメモが配られている。僕の投票先は秋田に二票、そしてあらかじめ決められた"ポーン"三人だ。
投票を終え顔を上げると、クラスメイトたちが慎重にタブレット画面をタップする姿が目に入る。ヱ梨香の後ろ姿は微動だにしない。もう投票を終えているのか、心を落ち着かせているのか。
十分、十五分くらいたっただろうか。ポポンッという音とともに画面が切り替わった。「リアルタイム集計結果」と書かれた画面にクラスメイトの名前と獲得票数が表示される。
それを見た僕は目を瞠った。
「これは……」
その画面上では、若狭さん以外の全員が
おかしい。何かが起こっている。プレ投票では全員同票にはなってはいけないのに。
投票が締め切られ、結果が確定する。これで僕たちは紛うことなく全員同票になった。
「うわすげー」とか、「本当に全員同票にできるんだ」など呑気な声が上がる中、僕は愕然としていた。それは他の外進生も同じらしく、みな黙ったままだ。
当初予想していた"ビショップ"が現れない。
後頭部が冷えていく感覚に襲われながら、僕はタブレットを見つめる。画面は続いて「決選投票」というページに切り替わり、僕たちに再度投票を促してくる。僕はクラス全体を見回して、再び同じように投票した。その結果は変わらず、この場の全員が同票だった。
入念に準備をしたはずだった。"ポーン"のみんなに票の入れ方を指導し、役職者の説得を済ませ、"ビショップ"を炙り出せるはずだった。
なのに"ビショップ"は現れなかった。ここで全員同票になったら意味がないのに!
「だから言ったろ」
大希が前を向いたまま、静かな口調で僕に語りかける。
「ビショップ"は出てこないって。さつき、俺の勝ちだ」
そう言って笑みを浮かべる大希には応えず、僕はヱ梨香の後ろ姿を見つめた。少し俯いているように見える彼女はこの結果に何を思っているのか。
僕はタブレットを閉じて席を立つ。
「おい」
手を伸ばしてくる大希を目で制し、僕は言った。
「勝負はここからだ」
「はあ? 負け惜しみか?」
大希の声を背に僕は教室を出た。すると、他の教室からは人気投票で盛り上がっている声が聞こえてくる。僕は眉をギュッと寄せて早足でその場を去った。
気持ち悪い。クラスで順位をつけて楽しんでいる。外見、性格、成績、部活動、友達の多さ。そういうものを『票』として可視化するシステムが耐えられない。
もっと気持ちが悪いのが、"ビショップ"が出てこなかったということが示すこと。それはクラスの中に
ズボンの中でスマホが震えた。水戸からの着信だ。僕は一段低い声で応答して言った。
「――ああ、そうだね。プレ投票は失敗だ。だから例の仕掛けを頼んだよ。"ビショップ"が動くとしたらおそらく今日か明日だ」
プレ投票は失敗した。けれど僕はまだ負けていない。
――そして翌日。終業式の日の朝。教室の黒板に一枚の紙が貼られていた。内容は昨日のプレ投票で、
それを真っ先に見つけたのは、早くに登校した僕と水戸だった。冷房の動く音しか聞こえない教室で、一枚の紙が涼しい風に煽られている。
「やっぱりあったな……」
水戸が信じ難い表情で言うのを横目で見て、僕は貼り出されたリストを手に取る。やり口は二年前と同じだ。投票日の次の日にリストを流出させる。
今年のレクリエーションで二年前と同じことが起こる。嫌な予感が当たってしまった。
しかし今回流出したのは獲得票数ではなく、各人の投票先だった。水戸がリストを覗き込んで「これだ」と指で示す。
「この一票のせいで"ビショップ"が炙り出せなかったんだ」
それは入るはずのない一票。僕たちが最初から除外していた若狭さんへの一票だった。誰かが"ビショップ"を庇うための票調整として若狭さんへ入れたのだ。そしてその人物は。
「若狭さんに入れてるのは――宇都宮だ」
「でもどうせ偽造だろ?」
僕は存外低くなった声で言った。この偽リストをよく見ると、"ポーン"の投票先が事前に決めていたとおりではなく、ぐちゃぐちゃになっている。これでは誰が誰に入れたのか分からない。
「ああ、どうせ今回も杜撰なコピペ偽造だろうな。スキャンしてから拡大して確認する……あ」
水戸に渡した紙がするりとその手から盗まれる。
「何コソコソしてんの?」
最悪なことに、その相手は秋田だった。リストに夢中になって秋田とその取り巻きたちが揃って教室に入ってきたことに気がつかなかったのだ。
秋田はリストを見てサッと顔色を変える。そして僕たちにその紙を突き出して大きな声で言った。
「あーあ、おかしいと思ったんだよねえ! プレ投票では"ビショップ"を炙り出すんだって大津が言ってたのに、昨日は全員同票だったんだもん。誰が裏切ったのかと思ってたら……宇都宮じゃん! あいつやったね。どうせ"ビショップ"に貸し作って本投票で勝つつもりなんだ!」
それを聞いて徐々に集まってきたクラスメイトがザワザワとし始める。僕は心の中でしまったと舌打ちした。まだそのリストが偽造である証拠がない。水戸が慌ててリストを奪い取り、秋田を睨みつける。
「このリストは嫌がらせだ。二年前も同じことがあったんだろう」
「は? 知らないし」
「とにかく大事にしないでくれ。まだ宇都宮が裏切り者だと決まったわけじゃ……」
その時、ガタンと戸が音を立てた。見ると教室の扉に貼り付くように宇都宮が寄りかかっている。その表情は怯えていた。
「わ、私じゃない……だって、ちゃんと投票したもの」
「宇都宮」
「私じゃない!」
そう叫んで宇都宮は教室から走り去ってしまった。それを見た秋田が鼻で笑う。
「はっ。見た? 悪事がバレて焦ってやんの。このリストは"ビショップ"の告発ね。きっと裏切りも全て見てるぞって言いたいんだよ!」
秋田は教室中を見渡して高々と吠えた。
「全員同票なんてもう無理! だって"ビショップ"が誰か分かんないんだもん。そうでしょ? 今回なんで"ビショップ"が潜伏したか、理由はひとつ。"ビショップ"はあたしたちを全員同票にしたくないんだよ! あはは、次の本投票は必ず順位がつくよ」
「もう黙りなよ」
冷静に秋田を制したのは大津だった。秋田は大津の出現にぐっと言葉を詰まらせて押し黙る。大津は無表情で話し続けた。
「今回はこういう結果になっちゃったけど、本投票でも全員同票になればいいんだし。これからも協力してもらうよ、秋田ちん」
「くっ」
「そのとおりです」
大津と秋田の間に立ちそう言ったのはヱ梨香だ。ヱ梨香はそのままクラスメイトに訴えかける目線を送る。
「みなさんどうかこのまま全員同票計画に協力してください。今回は確かに目的としていた"ビショップ"を見つけられませんでしたが……"ビショップ"も含めて全員が計画に協力してくれたら成功するんです」
お願いしますと重ねて頭を下げるヱ梨香に、教室が静まった。空気を裂くように予鈴のチャイムが鳴り響く。
クラスメイトたちはハッとして荷物を置き、秋休み前に開かれる学年集会へと向かい始めた。僕も水戸と大津の肩に手を置き、移動を促す。
教室を出る時に清水がわざわざ僕の横を通り、クスクスと笑って言った。
「裏切り者の羊は一匹かな」
「さあ……一匹でも二匹でも同じじゃない」
僕の答えは曖昧だったはずなのに、清水は満足げに頬を上げた。と思ったらさっさと行ってしまった。
「さつきくん」
移動途中にヱ梨香に話しかけられる。僕は一瞬ギクリとして、なんでもないように答える。
「どうかした?」
「今日少し話しましょう。今後どうするか作戦を……」
「ダメだ」
僕とヱ梨香の間に大希が割って入った。僕はよろけてタタラを踏む。
「盛岡くん……邪魔をしないでくれる?」
ヱ梨香がじとっとした目線を大希に送るが、大希はそんなもの屁でもないとでもいうようなご機嫌な表情だ。
「いいや。もうこいつは俺がもらった」
「何を」
「二度とさつきに近づくんじゃねえ。この大嘘つきが」
大希の強い言葉にヱ梨香は目を伏せて、小走りで体育館の方へと行ってしまった。
「あースッキリした」
「大希、言いすぎだ」
「なんだよ。俺の子分になったくせに文句あるのか」
言葉の棘とは裏腹にニコニコしている大希。対照的に僕は「子分って」と肩を落とす。
「大希、あの賭けはまだ終わっていないんだ。僕を子分にするのはちょっと待ってくれよ」
「終わってないだと? 負け惜しみじゃなくて?」
大希の眉がピクリと動く。プレ投票で"ビショップ"が出てこなかったら……という賭けは、今のところは確かに大希が一歩リードしてはいるが。
「然るべき時に説明するけど、今はまだ」
僕は唇に人差し指を当てる。大希は一瞬キョトンとしてから、仕方がないとでも言うようにガシガシと自分の後頭部を掻いた。
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