第21話

 プレ投票が終わるとすぐに短い秋休みに入った。数日間アルバイトに励んだ後、再び教室に足を踏み入れた時、クラスの雰囲気が変わったと感じたのはきっと僕だけではないはずだ。

 午後の授業の気怠い雰囲気に身を任せながら、僕は教室を見回す。

 今の一年A組はというと、プレ投票で図らずとも全員同票に成功してしまったことで、役職者の権力がゼロに等しくなったと言える。

 それでも大希や清水などは支持者イコール元々彼らのファンであるから、取り巻きが減ることなくこれまでと変わらず日々を過ごしているようだ。

 宇都宮は偽リストのせいで危うく裏切り者扱いされそうになったが、秋休みの間に金沢がフォローに入ったことにより落ち着いている。今はもっぱら恋する乙女状態のようだ。

 そんな中、プレ投票の結果に大きな影響を受けたのは"ナイト"の秋田だった。

 秋田は大津との勝負に負けてからというものの、彼女の強みであった運動部女子の支持者からそっぽを向かれてしまったようで、取り巻きがゼロになっていた。

 今まで散々"ナイト"の権力を行使し好き勝手に振る舞っていたツケが回ってきたのだ。プライドの高い秋田はそれでも誰にも謝ることもなく一人行動を続けていて、必死に部活に打ち込んでいるという。

 自業自得とはいえ全員同票になった結果、秋田がハブられてもし学校に来なくなったりしたら後味が悪い。そもそも全員同票計画がイジメの原因になることは、クラス内の平等という当初の狙いと真逆の結果になってしまう。

 そこまで考えて僕はふと清水の言葉を思い出す。


『君は本当に彼らが平等を望んでいると思う?』


 あの時の僕はなんと答えたか思い出せないが、今同じことを問われたらNOと答えるかもしれない。少なくとも現状のような見せかけの平等は新たな不幸を生む。

 かといって秋田に積極的に関わりたいかと言われるとそれにも尻込みしてしまうので困っていた。

 そんな状況を打破したのは、他の誰でもない、秋田にイジメられていた香川真奈の行動だった。

 香川は秋田に酷く扱われ、一時期大津たちの元に逃げるように距離をとっていたが、その彼女がまた秋田と共に行動し始めたのだ。

 その様子にクラスメイトたちはほんの一瞬不可解な顔をしたが、その後はそれが当たり前のように受け入れ始めた。

 僕は香川の考えが分からず、秋田といたらまた同じ目に遭うのではないかと心配したが、そんな僕に気づいた大津が笑いながら言った。


「あの二人ね、友達に戻ったんだってー」

「え、そんなことある?」

「うん。世の中には他人には全く意味分かんない関係ってあるんだねえ」


 大津の目線の先には、ひとつの机に向き合って座る秋田と香川の姿がある。


「うーん、分からない。離婚した夫婦がしばらくして再婚したみたいな?」

「あっは。その例えウケる」


 大津はケラケラ笑ってから、そしてふと我に返ったように静かな表情で二人を見つめる。


「ああ、そうか。もしかしたら香川ちんは最初から……」

「最初から?」

「ううん。なんでもない。あそこは多分、もう大丈夫だよ」


 大津には二人の関係性が僕よりも見えているようだ。とにかく秋田は香川に任せて放っておくことにする。人間関係というものは複雑で、目の前で起こっていること全てを理解することは難しい。


♢♢♢


・"ビショップ"は大変な役職だけど、二年連続ではならないから安心してね。


 巴さんの二番目のお兄さんが書いた攻略本にあるその一文を、僕は何を考えるわけでもなく長い間じっと見つめている。

 自室の明かりを消し、デスクライトだけをつけた状態で、ミミズが這うようなその文字が瞼の裏に焼きついてしまうくらい眺めていると、いつの間にかもしも自分が"ビショップ"だったらどうするかという妄想が始まっていた。

 きっと、面倒臭いの一言に尽きる。

 レクリエーションで不正がないよう一年間クラスメイトを監視する役目なんて誰がやりたがるだろう。何か見返りがないと到底釣り合わない労力だ。

 攻略本に記載されているように二年連続でならないと決まっているのなら、次の年の役職を狙いたくなってもおかしくない。そのためには"ビショップ"であることを隠しながら役職者に負けないくらい票を集めないといけないわけだが。

 うちのクラスの"ビショップ"は、全員同票計画に賛同せず潜伏を選んだ。その理由は自分が役職に就きたいから? であればこのまま一人二票配っていたら"ビショップ"の思うままなのか。

 本投票でトップを取ったとしても、高等部はクラス替えがないから、全員同票計画の足並みを崩した"ビショップ"は来年以降浮いてしまう。それどころか疎まれる存在になってしまうことだってあるだろう。

 価値のない"キング"の座を得て何がしたいのか。やはり進路のため? それとも他にメリットが?

 椅子から転げ落ちるようにベッドに沈み、黙って天井を見上げる。しばらくそうしていると、枕元で充電していたスマホが鳴った。水戸からのコールだった。僕はのそりと体を起こして応答する。


「どうした?」

『そろそろ本投票に向けて作戦会議しないか』

「もうそんな時期かあ」


 上半身を伸ばしながら答えると水戸のため息が聞こえてくる。また呑気だなんだと思われているに違いない。


『来週は遠足だろ? そうしたらすぐに試験期間だ。モタモタしてる暇ないぞ』

「うわ、忙しないな。ついこの前まで秋休みだったっていうのに」


 嶺和学園の遠足というのは、県内の施設を貸し切って行われる総合学習のことだ。一泊二日の共同生活で協調性を養い、フィールドワークの課題をこなして地元への理解を深めることが目的らしい。

 その遠足が終わるとすぐに期末試験、そしてひと月もせず冬休みに突入する。そう考えると確かにそろそろ本投票の準備をしないといけない。年が明けると難関大学や医学部志望の生徒は受験勉強で忙しくなってしまうと聞く。

 はっきり尋ねたことはないが、水戸は医学部を志望していると耳にしたことがある。頼りにしている水戸がまだ動けるうちに準備をした方がいい。水戸もそう思って電話をかけてきたのだろう。


『そうだ、あの件も外進生に共有しておかないか? リーダー』

「どの件のこと?」

『"ビショップ"が例の仕掛けに引っかかってたこと』


 僕は頭の後ろで手を組んで、長考する。今の僕には"ビショップ"の意図が分からない。

「どうするかな」と呟くと、水戸は驚いたような声を出した。


『伏せておくことか? 俺はさっさと言ってしまいたいんだが』

「伏せる必要はないよ。ただ、共有する相手はもっと他にもいると思うんだ。うん、そうだな。遠足の時に時間を作ろう」


 僕は机の上の攻略本を横目で見てから、そう水戸に提案した。水戸の逸る気持ちはよく分かる。

 プレ投票後、水戸が頑張ってくれたおかげで僕たちは"ビショップ"の足跡を手に入れていた。水戸にパソコン部の部室に呼び出されてそれを知らされた時は冗談かと思ってなかなか信じられなかったが、日が経つにつれ真実味を帯びてくる。

 だから今すぐにでもそれを仲間たちに知らせたいのは分かる。ただここで騒いで相手に勘付かれ、せっかく見つけた足跡を消されてしまっては困るのだ。

『慎重すぎる』と諌めてくる水戸に僕は問うた。


「"ビショップ"は何がしたいんだと思う?」

『来年の役職を狙ってるんじゃないのか。それか生徒会』

「今年クラス全員を裏切ってまですることかな」

『何かを手に入れたいという欲を抑えられない人間は少なからずいる。ただひとつ言えるのは、"ビショップ"が自分のためだけに動いているということだ』


 それは全員同票計画と真逆の思想だ。そんなことを考えている人物がクラスに一人確実にいる。

 水戸との通話を終えて、僕は再び机に向かって書き物を始める。巴さんのお兄さんに倣ってコツコツつけている人気投票レクの記録。いつかこの記録も誰かの攻略本になるのだろうか。そこまで考えてふと気づきを得る。

 もしも僕が"ビショップ"なら。

 きっと共犯者がほしい。絶対に裏切らないよう、精神的に支配した味方が。

 僕にとってこの攻略本がそうであるように、巴さんがそうであってくれるように。

 自分の考えを裏付ける自信になる支えとなるものが。

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