第22話

 十一月の割には妙に生暖かい風が吹く中、一泊二日の学級遠足の日がやって来た。

 内容はただの地元学習だが、宿泊施設に級友と寝泊まりするというのは新鮮で楽しみな反面、無性にバックレたい気持ちにもなる。

 特に班分けもなくクラス全員でぞろぞろと郷土資料館や歴史ある建造物を見て回ることはや半日。

 僕はなんとなく列の後ろの方からヱ梨香のことを眺めた。真面目に音声ガイドを聞きながら見学しているその後ろ姿はいつものように少しだけ周囲から浮いている。

 必要なら誰かと会話し、それ以外の時は気配を消す。しかし一度その存在を認知すると注目してしまう。ヱ梨香独特の存在感。周囲に溶け込んでいるようで異質。目立つようで目立たないギリギリを狙っているような。

 そんなことを考えていると、隣からトンと肩を当てられた。


「退屈だな。抜けようぜ」

「やだよ。こんなところで二人いなくなったら目立つだろ。見つかって反省文書く未来が見える」

「お前がそんなに真面目なやつだったとは」


 大希の悪い誘いを一蹴してから、僕はふと思い出して大希に向き直る。


「なあ大希、今晩ちょっと話せる?」

「いいぜ。俺の部屋来るか?」

「いや、確か施設にミーティングルームがあったからそこに集まろう」

「集まるって、他に誰か呼ぶのかよ」

「うん。役職者みんな呼んでくれない?」


 僕のそんな頼みに大希は僕のこめかみをグリグリしながら言った。


「この俺を顎で使いやがって」

「いてて! ごめんって。頼むよ」


 こめかみ攻撃から逃れた僕はちらりと役職者を見やる。

 学級委員長でもある宇都宮は校外学習に張り切っているのか、恋のチャンスと見たのか、頬を赤らめながら金沢に話しかけている。秋田は香川と二人で端の方で静かにしているようだ。

 そういえば清水は具合が悪いと言って先に宿泊施設で休んでいると聞いた。ちゃっかりサボっているのか、それとも本当に体調を崩しているのか。大希に聞いても「知らねー」と返ってくるだけだ。


「あいつだけはサッパリ分からねえ。行動も思考も。情報もあんま入ってこない」

「そうなんだ」


 キングの情報網を掻い潜っているなんて余程のことで、それだけガードが堅いということだ。はたして今晩誘ったら清水は来てくれるだろうか。


「この見学が終わったら、清水の様子を見てくるよ。本当に具合が悪いなら今晩呼ぶのはかわいそうだし」

「どうせサボりだろうけどな」


 結論から言うと大希の見立ては当たっていた。宿泊施設に戻ると清水は男子用の大部屋で一人優雅にお茶を飲んでいたのだ。偶然にも五人ずつの部屋割りで、僕と清水は同部屋だった。とりあえず荷物を置いて清水に声をかける。


「清水、調子良さそうだな」

「ああ。たった今良くなったところさ」


 しれっとあからさまな嘘をついて、清水は一口お茶を飲む。


「他のみんなは?」

「今日一日の感想文を書いてるよ。僕は適当に書いて清水の様子を見てくるって言って抜けてきた」

「じゃあ俺は酷く具合が悪いということにすればいい。そして動けない俺は君に介抱を頼んだ」

「うん。いいストーリーだね」

 清水が淹れてくれた緑茶を啜っていると、真向かいから何か言いたげな清水の視線が注がれる。


「どうした?」

「君は渦古と仲がいいの?」

「え? うーん、どうだろう」


 ヱ梨香とは特段仲がいいわけではないが、告白はされた。そして僕には昔から好きな人がいるので断った。ぼやかしながらそのようなことを伝えると、清水はどこか腑に落ちた表情を浮かべる。


「彼女とは小学校が同じだったんだ。当時は今とは全く別人というか……まあ言ってしまえばふくよかな体型で、分厚い眼鏡をかけていたものだから、随分印象が変わったなと思っていて」

「へえ、そうなんだ」


 ヱ梨香の過去が意外なところから顔を出した。ヱ梨香が清水のことが苦手だと言っていたのは、もしかしたら昔の自分の姿を知られているからかもしれない。


「小六から段々と今のような外見になって。地元では整形しただの手術で体型を変えただの色々言われていたから、少し心配していたんだ。でも嶺和学園に入って彼女はどんどん人気を得た。外見は性格も変えるんだね。暗く鬱々としていた彼女は今や華やかなスターだ」

「随分努力したんだろうね」


 清水の言うとおりなら本人は相当大変な思いをしたはずだ。そう言うと清水は少し笑顔を見せて「君が彼女に好かれるのが分かる」と言った。


「俺は思う。渦古はきっと、小学校時代に彼女を馬鹿にしていた奴らを見返したいんじゃないかって。必死に自分を変えて、中学入学後は人気を得ようと頑張ったんじゃないかと」

「そうか……」

「だからどうにも納得できない。彼女が全員同票を望んでいるのが」


 ポタリと急須の口から水滴が落ちた。僕たちの間に幾ばくかの沈黙が流れる。


「彼女は"キング"になりたいはずなんだ」


『あの女が全員平等を願うことなんて、ない』


 僕はあの日公園で大希が言った言葉を思い出していた。大希も清水からこの話を聞いたのだろうか。僕はパタリと畳に倒れ、嫌に白い光を放つ照明を見上げる。清水は黙ったままの僕に何か思ったのか、「今のは気にしないでくれ」と付け足した。


「全部俺の想像だ。好きに解釈してくれて構わない」

「うん。大丈夫、分かってるよ」


 畳に沈んでいた体を起こして大部屋を出る。その前に清水に言うべきことがあることを思い出して、僕は足を止めた。


「そうだ清水、今晩ちょっと役職者と話したいんだけどいいかな」

「ああ分かった。同部屋だし声をかけてくれよ」

「うん。じゃあ僕はみんなのところに戻るよ。この後モニタールームで動画視聴が始まるから」


 大部屋を出てモニタールームに向かう道の途中には、辺りの景色を一望できる渡り廊下があった。

 さすがは嶺和学園と提携している施設といったところか。小高い丘にポツンとあるこの建物はただの学習施設にしては大きい。三階建ての宿泊棟と教育棟が、妙に長い渡り廊下で繋がっているのだ。

 日が落ち始めるとさすがに寒い。僕は吹き付ける風にぶるりと身震いして、渡り廊下を進んだ。

 身を縮こませ足元を見て歩いていた僕は、少ししてからふと前方の人影に気付く。ヱ梨香だった。夕暮れでその表情は見えない。一条の風がヱ梨香と僕の間を吹き抜け、ヱ梨香の長い髪と制服のスカートを浮かす。

 思わず足を止めた僕に向かって、ヱ梨香はゆっくりと歩みを進める。渡り廊下の端と端にいたのが、いつの間にかあと三歩の距離にまで近づいていた。


「清水くんの具合はどうだった?」


 いつもと変わらぬ様子のヱ梨香が僕に問いかける。僕はひとつ頷いてから、嘘をついた。


「それが結構体調悪いみたいで。しばらく横になるって言ってたよ」

「そう……心配ね。清水くん体が強くないから。今日は泊まらず家に帰った方がいいんじゃないかしら」


 二人が昔なじみだと知ったからか、ヱ梨香が清水のことを話すと確かによく知っている間柄のように聞こえる。ヱ梨香は何も答えない僕に首を傾げて言った。


「清水くん、何か言ってた?」

「いや、特には」

「ならいいんだけど」


 ヱ梨香はポツリとそう言うと、思案顔で話を続ける。


「この間清水くんに聞かれたの。さつきくんのことが好きなのかって」

「えっ」

「なんて言うかあの人勘が鋭いし、周りの人間関係を見て楽しんでいる節があるのよね。そこがちょっと苦手で困っちゃうんだけど。それで私ちゃんと言ったわ。そのとおりだって」


 ヱ梨香の言葉に言葉を詰まらせた。肌を刺すような風に吹かれ、ヱ梨香の制服が寒々しく翻る。

 僕を見透かすようにヱ梨香が妖しく微笑んだ。


「言ったでしょう。さつきくんのことが好きなの」


 そう言って彼女はまた真っ直ぐに僕を見つめた。冷たい瞳から目が離せない。彼女は本気なのだろうか。

 僕が何も言えずにいると、ヱ梨香が一歩距離を詰めてきた。思わず後ずさりをするも背中にフェンスの感触があるだけで逃げ場がない。

 そんな僕の反応を見てヱ梨香は今度は悲しげに目を伏せる。


「もっと早くから言えばよかった」

「ヱ梨香……」

「好きよ。さつきくん」


 そう言ってヱ梨香が顔を近づけてくる。唇と唇が触れ合おうとしたその刹那、僕の中で何かがはじけた。それと同時に体が自然と動いていた。気づいた時にはヱ梨香の肩を突き飛ばしていた。


「やめてくれ……」


 そう呟くのが精一杯だった。ヱ梨香は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにいつもの表情に戻った。


「ごめんなさい。やっぱり私なんか嫌よね」


 ヱ梨香はそう言うと静かに目を逸らした。彼女の長い睫毛が風に揺れていた。その頬が少し赤みを帯びているように見えたのは寒さのせいだろうか。彼女が再び僕の方を見て言った。


「でも、私は本気だから」


 反応のない僕にヱ梨香はもの言いたげな目線をくれるが、数秒して諦めたのか黙って踵を返した。


「行きましょ。もうすぐ次の学習が始まるから」

「ヱ梨香、僕は――」

「聞きたくない。でも分かってほしいの。私が真剣だってこと」


 そう言ってヱ梨香は教育棟へと去って行った。ここに現れたのは本当に清水と僕の様子を見に来ただけだったらしい。

 あんな風に告白の念押しをされてしまって、僕はどうすればいいのか分からずその後の学習時間をぼんやりと過ごした。

 夕飯の時間になって食堂で地鶏のソテーを口に詰め込んでいる途中でやっと今晩行う役職者との対話のことを考え始める。

 最初はなんと言おう。本投票まで残り三ヶ月余りのこの時期に、"ビショップ"を暴こうとする僕の考えをみんな支持してくれるのだろうか。甘辛い味付けのソテーを飲み込む。あれからヱ梨香の姿は見当たらない。


 そしてその時は刻々と迫り、ついにミーティングルームにクラスの役職者が揃った。

 円卓に座る四人の視線が僕に集まる。腕を組んでこちらを見る大希キング、背筋をシャキッと伸ばしている宇都宮クイーン。気怠げに机に肘をつく秋田ナイト、浅く椅子に腰掛ける清水ルーク。 外進生は水戸だけ呼んでいるが、重い雰囲気に気圧されているようだ。


「改まって何の話? もう分かってるじゃん。全員同票は無理だって」


 秋田が呆れた様子で言うのを宇都宮が止める。


「まだ分かりませんよ。"ビショップ"が誰か分からなくても、プレ投票と同じく同票になるかもしれません」

「かもしれませんで"ビショップ"に出し抜かれるのを黙って見てろって言うの!?」

「そういう意味じゃ……」

「あー落ち着けって」


 大希が二人を嗜めて、僕を目で促す。僕はゆっくりと深呼吸をし、立ち上がってその場を見渡す。

 思えばここまで随分と遠回りをした。


「"ビショップ"に出し抜かれないためには四人の協力が必要だ。そのために言っておきたいことがある。"ビショップ"の正体についてだ。そして、この話が終わったら本投票まで穏やかに過ごそう。みんな自分のそばにいる"ポーン"にはプレ投票と同じように投票するよう指示を出してほしい。勝負は本投票の日だ。僕を信じてくれれば必ず全員同票になる・・・・・・・・・

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