終、白と黒の教室

第23話

♢♢♢


「ねえ巴さん」

「何? さっちゃん」

「人気ってそんなに重要かな」

「うーん、人によるんじゃない? アイドルとか、役者の人にとっては重要なステータスだよね」

「そう。でも僕は大勢の知らない人に好かれるより好きな人に好かれたい」

「さっちゃん……」


「僕は、巴さんのことが好きです」


 返事は貰えなかった。それでも僕は幸せだった。


♢♢♢


 そして時は流れる。何事もなく密やかに過ぎていった高校一年の後期は、年末年始と期末試験を終え残すところ明日の終業式のみとなっていた。

 すなわち僕たちは、人気投票レクの本投票を迎えた。クラス全体が凪いだ海のような雰囲気でこの日を迎えられたのは良かった。日々を過ごす中で、この雰囲気が本物の海のように急変しないことを祈っていた。

 人間関係は些細な刺激で変わってしまう。役職者が"ポーン"を従わせている中で、本投票までに大きなトラブルが生じたら全てが台無しになるところだった。

 ホームルームが始まると、全員がタブレットを起動させる。アプリを開くと場違いに明るいBGMが教室に響き渡った。

 僕はゆっくりと顔を上げ、目だけでぐるりと教室を見回す。長かったような短かったような不思議な心地だ。

 今さら迷うことは何もない。僕はタブレットの画面をタップして投票する。何度も間違いがないかを確認して決定ボタンを押すと、自動的にリアルタイム集計の画面に移った。

 ポツリポツリと投票を終えた生徒が顔を上げていくにつれ、画面上の投票数が増えていく。今のところは全員に二票ずつ、平等に渡っている。ここまではプレ投票と同じだ。


 そして残り一票となったその時、ある生徒にあるはずのない三票目・・・が入った。


 教室が一気にどよめく。

 ここにいる全員がリアルタイムで票数を見守る中、全員同票が崩されたのだ。僕は視線を三票目が入った生徒に向ける。

 存外堂々としていた。憎たらしいほど清々しい横顔はまっすぐ前を向いていて、どこを見ているのか、どこも見ていないのか、ただ静かに存在していた。


「どういうことだ? ヱ梨香」


 大希の低い声が響くと教室の喧騒がピタリと止んだ。

 入るはずのない三票目が入った生徒――ヱ梨香は横目で大希と僕を見てから、また真正面を向き、抑揚のない声で言った。


「この中の誰かが、計画を無視して私に票を入れてしまったのね」


 そしておもむろに席を立つヱ梨香に教室がしんと静まり返る。ヱ梨香はそのまま黒板を背に立って僕たちに語りかけた。


「みんな聞いて。全員同票計画は……残念ながら、失敗に終わってしまいました。結果は私に三票入って、不本意ながら私がトップになりました。本当は、こんなこと望んでいなかった。私はクラス全員が平等であるべきだと思って、人気投票レクという古い慣習をなくしたかっただけ。だからみんなに全員同票計画を提案しました。その気持ちに嘘はありません」


 ヱ梨香の必死の演説に、最前列に座る田辺が大袈裟に頷いていた。先程まで騒ついていた"ポーン"の生徒たちも、ヱ梨香の言葉を聞いてこわばっていた表情を溶かす。

 一方で役職者と外進生はその表情を崩すことなく、それぞれが訪れる終末を悟った聖職者のような面持ちでただヱ梨香を見つめていた。


「けれど現実は私が人気投票のトップ、そして次の"キング"……。みんなにあれだけ協力してもらったのに計画を果たせず申し訳ないと思っています。だから、私は今ここでみんなに約束します。私は必ず生徒会に入り、人気投票レクを無くすよう校則を変えてみせます! どうかお願い。ここまで全員同票に迫ったみんなとなら、この学園を変えられる。だから私を支えてほしいの!」


 そう言って頭を下げるヱ梨香。トップの気概を感じさせると言えば聞こえはいいが、まるで最初から考えてきましたとでも言うような演説に何人かが困惑の声を漏らす。

 それに気付いた田辺がすぐに大きな拍手を始めたが、続く者はいなかった。

 ヱ梨香は頭を上げて怪訝そうな表情を浮かべる。


「やってくれたじゃん。この状況で誰があんたの味方すると思ってんの。全員同票を指揮していた側のあんたがなーんでトップ取ってんのよ。やってらんない。結局あんたも生徒会目当てだったってことでしょ」


 呆れた顔の秋田が強烈な嫌味を飛ばす。


「計画が失敗してしまったのは確かに私の力不足です。でも、こうしてトップになった以上、私はやるべきことをやります。必ず人気投票レクをなくしてみせる。この学園全体から!」

「なるほどね。その崇高な目的のために、この一年間を使って自分がトップになるよう仕組んでいたわけだ」


 そんなことを言った清水をヱ梨香はギロリと睨みつける。

 

「自分がトップになるよう仕組んだ……? 私が? 清水くん、それは聞き捨てならないわ。この一年私は全員同票になるように努力してきた。計画が失敗したからってそんな疑いをかけられるのは許せない」

「じゃあお前に入った三票目は本当にお前が仕組んだことじゃないって言うんだな」

「ええ。もちろんよ」


 大希の問いにヱ梨香は凛とした姿勢で答える。


「だとよ。……さつき」


 そう言って大希が僕を見遣る。僕はひとつ頷いてゆっくりと立ち上がった。


「それじゃあみんな。タブレットを見ていてくれ」


 僕の言葉にクラスメイトの視線が各々手元のタブレットへと下がる。そして数拍後、リアルタイム集計画面に変化が起こった。


「これは……!?」


 タブレットを見るヱ梨香の表情が固くなる。


 なぜならば、全員が見守る中、タブレットの集計画面で僕にも三票目・・・が入ったからだ。


 福島さつきの名前がリストの下の方から一気に渦古ヱ梨香の名前に並ぶ。つまりヱ梨香と僕はこの瞬間、同率トップとなったのだ。

 信じられない、ありえない。あの澄ましていたヱ梨香がそんな顔をするのを見て、僕は少しの安堵を覚えた。


「どうして……? もうみんな投票を終えていたのに!」


 焦りを見せるヱ梨香に、僕はなるべく平坦な声で言った。


「君がみんなを騙してトップを狙っているたとは全部分かってたよ。ヱ梨香……いや、"ビショップ"」


 ヱ梨香の目が大きく見開かれる。静まり返る教室で、自分の呼吸音だけが嫌に耳に響いていた。


「さつきくん……一体どういうことかしら?」

「ヱ梨香。君は確かにこの学園から人気投票レクをなくしたいと思っているのかもしれない。ただやり方を間違えた」


 ヱ梨香の眉がピクリと動く。僕はその場でぐるりとクラスメイトを見渡し語りかけた。


「みんな思い出してほしい。あのリストのことを。誰がなんのためにあの面倒なリストを作った? 実はただ一人だけ、あのリストを作る必要があったんだ。それがうちのクラスの"ビショップ"、ヱ梨香、君だ」


 僕の言葉を受けて、ヱ梨香は騒つく"ポーン"を目で制して腕組みをする。


「まさか、全員同票計画の相棒だと思っていたあなたにそんな疑いをかけられるなんて……。言いがかりも甚だしいけれど、話を聞きましょう」

「ああ、聞いてくれ。まず君の狙いは全員同票計画を立ててみんなの票を平にすることだった。プレ投票で潜伏し、本投票で自分が一位になるために」


「潜伏なんてどうやって!」と噛みついてきたのは田辺だった。余程ヱ梨香に心酔しているようだ。僕は構わず話を続ける。


「簡単なことだ。クラスにひとり協力者がいればいい。そうだろ、田辺」

「な、何を……」

「"ポーン"同士で円になって票を入れることになった時、票の入れ方を決めたのはヱ梨香だ。そしてヱ梨香に票を入れるのは田辺、お前だったよな。だからまずヱ梨香は田辺と特別な取り引きをして、プレ投票で自分に入れるはずの票を若狭さんに入れるよう指示した。結果プレ投票での潜伏はできたが、"ポーン"の誰が誰に入れるかは事前に決まっていたのだから、誰がヱ梨香に入れなかったかすぐにバレてしまう。だからヱ梨香はあの偽リストをつくったんだ。投票先がバラバラになった偽リストをみんなの目に入れることで、田辺がヱ梨香に入れていないことを誤魔化そうとした」


 ヱ梨香がプレ投票で潜伏するためには、田辺の協力が必要不可欠だった。恋人ごっこを強要されたと泣きついてきたのは演技で、実際はヱ梨香が田辺の手綱を握っていたのだ。

 ついでに言えば僕のことが好きなどというのも、田辺に無理矢理従わされているフリをするための嘘に違いない。二人で行動しているところを僕に見られて咄嗟についた嘘が崩れていく。


「何言ってんだよ! 証拠もない言いがかりはやめろ!」


 田辺は怒りをあらわにし、大袈裟に叫んでみせた。腕を組んだままヱ梨香は静かに頷く。


「そうね……。私が悪役のストーリーとしてはまあまあ理解できないこともないけど、今のところさつきくんの妄想に過ぎない印象かしら」




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