第24話
「それが、ヱ梨香さまが偽リストを作ったという証拠ならあるんだよな」
そう言いながらガタリと席から立ち上がったのは水戸だった。ヱ梨香の鋭い視線が水戸に向かって一直線に飛ぶ。
水戸はそれに怯むことなく、飄々と一枚の印刷物――例の偽リストを手にして言った。
「まず俺たちはプレ投票で"ビショップ"が出てこない可能性も考えていた。そこで、こいつにある仕掛けをしていたんだ」
水戸はそう言って自分のタブレットを胸の前に掲げて見せる。それを見たヱ梨香はハッとして自分のタブレットを慌てて起動させた。
「仕掛けをしたのはヱ梨香さまのタブレットじゃない……この学園のWi-Fiだよ」
「Wi-Fi……!?」
「そう。俺たちが持っているタブレットは学園のWi-Fiに自動で繋がってるだろ? そしてタブレットからの印刷は、学園のWi-Fiを通して学園内のプリンターでしかできない設定になってる。つまり偽リストの作成者は、プレ投票が終わってからリストを偽造し、絶対に学園内のプリンターで印刷をしているんだ」
「だから何だっていうの。その印刷物に私の名前でも書いてあった?」
「ああ、あったさ」
ヱ梨香のその言葉に、水戸は一枚の紙をヱ梨香に差し出す。その内容は黒板に貼られていた偽リストと同じだが、一カ所違う部分があった。
「プレ投票が終わってすぐに、水戸が学園のWi-Fi中継を変えて、印刷物が全てPC部のプリンターで優先的に印刷されるようにした。つまりこの紙はPC部のプリンターから出てきたものだ」
ヱ梨香が水戸の突き出した紙の一部を凝視する。そして、大きく目を見開いた。
「覚えがあるんじゃないか? 君は一度印刷ボタンを押したのに、いつもの図書室のプリンターから出てこなかった。印刷設定を見直してみると、知らないプリンターが繋がっていた。慌ててタブレットから図書室のプリンターを選択して印刷したのが、黒板に貼られていた偽リスト。そして僕が今手にしているのが、君が最初に印刷した偽リスト――。そしてPC部のプリンターで印刷したものには、出力者のタブレット名も表記される」
僕が持っている偽リストのヘッダー部分には、『印刷者:渦古ヱ梨香のタブレット』と書かれていた。
「決まりだな」と大希が呟いた。ヱ梨香はギシギシと歯を食いしばりながらも、罪を被せられた可哀想な女を続ける。
「そんなの私じゃない。私のタブレットを使って誰かが印刷したに決まってる」
「だったらそれを証明するために君のタブレットを見せてくれ。君が犯人じゃないのなら、当然偽リストを作成した履歴なんて残っていないだろうから」
ヱ梨香はついに黙ってしまった。タブレットは見せられないようだ。それは自分のタブレットには偽リストの作成履歴があると自白したも同然だった。
「結局君は全員同票にすると僕らに嘘をつき、自分が確実にトップを取れるように仕組んだんだ。"ビショップ"であることを隠し通し、プレ投票で汚い手を使って、田辺を使って票操作をした……。僕に三票入っていなかったら、君の思いどおり君が"キング"になっていたよね。今年"ビショップ"だったら来年は"ビショップ"にはならない。だから君は心置きなく"キング"を狙えた。そのことも二年前"ビショップ"になった時に知っていたから、今回の計画を思いついたんだ。さらには二年前君が若狭さんを嵌めたように、今回は生徒会選挙で邪魔になりそうな宇都宮を偽リストで嵌めようとして……」
その時、ガン! と大きな音を立ててヱ梨香のタブレットが床に叩きつけられた。ヱ梨香は髪を振り乱して椅子を高々と掲げ、タブレットめがけて振り下ろす。
「やめろ!」
水戸の静止の声も聞かず、ヱ梨香は何かに取り憑かれたかのようにガシャンガシャンとタブレットを壊し続けた。
僕はもはや何も感じなかった。僕としては手と手を取って同じ目的に向かって歩んでいたつもりだった。
その相手が裏切っていて、それを暴かれた途端、鬼に変貌しようとも。驚きも悲しみもなかった。
画面が見えないくらいヒビが入った画面を見て満足したのか、ヱ梨香は肩で息をしながら歪んだ笑みを浮かべる。
「は、あはは。どう? これでも私がやったっていう証拠はあるの? 大体さつきくん、あなただって不正をしているじゃない。なんであなたに三票入ってるの? ここには三十人しかいないのに、どうして三十一票目があるの!? あなたこそ不正をしてみんなを騙して"キング"を狙っていたんじゃない! でも残念ね。あなたが成るのは"キング"じゃない。"ビショップ"よ! なぜなら"ビショップ"は――」
「前年のプレ投票も含めた票数が一番多い人がなる」
――――――――
〈陰のルール〉
・"ビショップ"は
――――――――
それは巴さんのお兄さんの攻略本に書いてあった一文だ。つまり、クラスで一番の人気者は"キング"ではなく、"ビショップ"。
このレクリエーションができた経緯からして、人気者に権力が集中しないために作られた陰のルールだった。
僕の言葉を聞いて、ヱ梨香はふーふーと息をしながら腰に手を当てる。
「知ってたの」
「うん。それに僕は不正なんかしてない。この三票は、もともと僕に入ることになっていた二票と……」
僕は教室の扉の近くに立つ山口と金沢に目で合図を送る。二人は頷いて、扉を開けた。
「僕の大切な……大切な一票だ」
白い制服を着た少女が扉を潜り、教室に足を踏み入れる。その姿を見たクラスメイトたちは愕然とした表情を浮かべながら、モーゼが海を割るように彼女に道を開けた。ゆっくりと歩みを進める彼女の目はしっかりとヱ梨香をとらえている。
彼女――
「久しぶりねヱ梨香」
「な、なんで……」
幽霊でも見たかのようなヱ梨香の表情に、巴さんはニコリと笑って見せる。
「なんでって、何? 私もこのクラスの一員なんだけど」
「じゃあ、じゃあさつきくんのもう一票は」
「私の票よ」
ヱ梨香はしばらく唖然として、そしてその場に膝をついた。巴さんはそんなヱ梨香を無視してクラス全体に語りかける。
「さあ、みんな。決選投票を始めましょう。ヱ梨香とさっ……福島くん。どちらがこのクラスのトップにふさわしいか」
呆けていたクラスメイトたちはその呼びかけに我に返り、次々に投票をしていく。ヱ梨香は床を見たまま動かない。もう偽リストがヱ梨香が作ったものかなんてどうでもいい。なぜなら、ヱ梨香が消したはずの巴さんの存在が、ヱ梨香の計画を全て崩したからだ。
そして決選投票の結果、田辺を除くクラスの全ての票が僕に入ったのだった。
「ヱ梨香、おめでとう。君の"キング"が決定した。そして僕は今から"ビショップ"になる」
"ビショップ"選定のルールにのっとり、『プレ投票を含めた票が一番多かった人』になった僕が次の"ビショップ"になる。
「だからヱ梨香、僕は"ビショップ"の勤めを果たさないといけない。君の違反行為……偽リストの作成と身体を使った票操作を学園に通報する」
ヱ梨香はその言葉を聞いた瞬間ハッと息を止め、続いて身体ぶるぶると震わせ、涙を堪えながら僕に向き直った。
「やめて……どうして、なんでなの!? 私は、あなたとならこの学園を変えられると思ったのに!」
「なんで? 言ったじゃないか。僕のことを買い被りすぎだって。最初から僕は
真っ青になって震えるヱ梨香を見下ろす。僕はやっとこの日が来たことに胸が高鳴った。
中二の投票で"ビショップ"の役職を利用して偽リストを作り、巴さんを陥れ、不登校に追いやった張本人。ヱ梨香をこの手で糾弾できたのだから。
きっかけは受験前、「ホームズ」で巴さんのお兄さんたちに会ったことだった。
巴さんが嶺和学園中等部でイジメにあい、不登校になったと聞き、いてもたってもいられず志望校を変更した。
柄にもなく猛勉強し、面接では子役時代の話を盛りに盛ってアピールした。
全ては巴さんがまた学園に戻れるように。僕がイジメの犯人を排除して、巴さんが安心できるように。
その努力がいま実ったのだ。
「"ビショップ"に通報された者は学園による精査の後、事実が確認されたら
大希が机に肘をつきながら田辺へと鋭い視線を向ける。田辺は「ひぃ」と情けなく鳴いてから、ヱ梨香に縋りつき始めた。
「ヱ梨香さま! 嘘ですよね! 俺たちが地下行きなんて。ヱ梨香さまが負けるわけないですよね!?」
「ねえ、地下教室ってナニ?」
大津の疑問に宇都宮が眉を寄せながら答える。
「いわゆる……指導室のようなものです。学園のルールを破ったらそこに通わせられるんです。そして卒業まで一般クラスには戻れない」
「ふーん。じゃあヱ梨香ちんとはここでお別れか」
大津のあっけらかんとした言い方にヱ梨香はビクリと肩を揺らす。いつの間にか床にへたり込んだヱ梨香のことを、役職者と外進生が囲む。
「俺は気づいてたぜ。中二の投票の時から、お前が汚いことをしているって」大希が口元を吊り上げて言う。
「プレ投票の時、偽リストで私を裏切り者にしようとしたんですね。許せない」宇都宮がふるふると拳を握りしめた。
「全員同票とか言って他の人の票を抑えて、自分がトップになろうだなんて最低」秋田が軽蔑の視線を送る。
「さようなら渦古。どうやら山羊は君を許さないらしい」清水が何の感情もこもらない目を向けた。
外進生はそれぞれ厳しい目でヱ梨香を見つめている。
「ヱ梨香、」と巴さんが口を開く。
「私ね、全部分かってた。中二の時、ヱ梨香が"ビショップ"だったって。だからあの偽リストを作ったのもヱ梨香だって気づいた。私は……順位なんて、どうでも良かった。友達だと思ってたあなたにそうされたのが辛かった!! 私のことが嫌いならそう言ってくれればよかったのに」
巴さんの目から涙がひと筋伝った。巴さんはヱ梨香と本当の友達だと思っていたのだ。だからヱ梨香に偽リストを作られて深く傷ついた。親友に裏切られたこと。それが彼女の不登校の理由だったのだ。
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