第25話

 校外学習の日の夜、僕は役職者たちにヱ梨香の真実を告げた。すぐには信じてもらえないと思ったが、みんなあっさりと受け入れたのには驚いた。

 きっとそれぞれがヱ梨香に思うところがあり、しかし確たる証拠がないために踏み出せずにいたのだろう。


 本投票でヱ梨香の思惑を妨害するという案に役職者全員が乗ってくれた。それはすなわち、その時点でヱ梨香の敗北を意味していた。


 この人気投票の結果から来年の役職が決まった。

 僕が隠された役職"ビショップ"になり、ヱ梨香が"キング"になったが地下行き。

 巴さんはひとりだけ票が少ないが、来年以降海外留学が決まっているので数に入らない。

 そして"クイーン"以下は全員同票のため、この瞬間、僕たちの教室から役職が無くなった。


 ヱ梨香は目を見開いてずっと天井を見ていた。巴さんの言葉が聞こえているのかも分からない。しばらくしてヱ梨香は突然笑い出した。


「あはは……ははっ。だってしょうがないじゃない。全部全部邪魔だったんだもの。中一でトップを取れたと思ったのに、私は"キング"になれなかった……。"ビショップ"なんてなりたくなかったのに。あなたは"キング"になって、私は"ビショップ"……おかしいじゃない。本当は私が一位だったのに!!」


 ヱ梨香は床に顔を伏せて、ダンダンと床を殴りつけた。その様子は元"キング"とは思えない。長い髪を乱し、計画失敗の現実を受け入れられないと全身で表している。


「だから偽リストで巴さんを最下位にした。中三で"キング"についたお前は高一でまた"ビショップ"になり、また同じことを繰り返そうとした……」


 今回の偽リストを捨て、僕はヱ梨香の頭を掴んで、視線を合わせて言った。


「僕に最初に声をかけた時点で失敗だったんだよ」


 虚を映していた瞳がジワジワと恐怖に染まっていく。自覚があった。今の僕は恐ろしい顔をしている。


「あ゛ああああああああああああぁぁぁぁ!!」


 ヱ梨香はつんざくような絶叫とともに周囲の人間を押し退けて教室から走って逃げて行った。


「逃げたぞ!」

「万が一があったら困る。追おう!」

「うん!」


 水戸を先頭にクラスメイトがバタバタとヱ梨香を追って出て行く。逃げたということは負けを認めたということだ。

 ヱ梨香に勝った。"ビショップ"に勝った。

 自覚した瞬間一気に体の力が抜けてゆく。僕はふうと深く息を吐き、教室の床に大の字になった。


「なんだか……すごく疲れたな」

「さっちゃん」


 柔らかい声が僕の名前を呼ぶ。見ると僕の顔の横に膝をつく巴さんがいた。


「ありがとう。私のため、だよね? ヱ梨香を暴くために一年間頑張ってくれていたんでしょ」


 涙の膜が張った瞳を見て、どうしようもなく愛しさが溢れる。


「巴さん、僕……」

「聞いて、さっちゃん」


 巴さんの手がそっと僕の手に重なる。


「さっちゃんに今日登校して投票してほしいって言われた時は正直驚いた」

「そりゃあ前日にいきなり言われたら誰だってびっくりするよね」

「うん、でもね。さっちゃんに好きって言われて……もしかしたら私のために行動してくれているんじゃないかって、その時に気付いたの。ホント遅いよね。私こんなんだからヱ梨香に嵌められちゃうんだ」

「巴さんは何も悪くないって」


 巴さんの目からついに涙が零れる。僕はそれをただぼんやりと見つめていた。

 僕は巴さんを陥れた相手に復讐することができた。

 しかしそれが巴さんの慰めにならないことを知っていた。全ては巴さんのためと謳った僕の復讐心からの行動だったのだ。

 ヱ梨香がいなくなったからといって、巴さんが今後笑顔で過ごせるかどうかは分からない。だから側に居たいのに、巴さんは留学して遠くの国へ行ってしまう。


「復讐って虚しいんだな……」


 僕の言葉は静かな教室の空気に溶けていった。その後はもう何も残らない。


「ねえ巴さん。僕は巴さんのことが好きなんです。だからこんなに面倒臭いことも最後までやり遂げられた」

「さっちゃん」

「ここにいてよ。巴さん。行かないで……」


 こんなに頑張ったんだから、一つくらい願いが叶ってもいいじゃないか。そんな都合の良い考えから本心が滑り出る。やはり僕の本性は歪んでいるらしい。

 一緒に学校生活を送ろう。

 邪魔なものは排除したよ。

 そんな思いが伝わっているのかいないのか、巴さんはゆっくりと立ち上がって、教室の窓を開けた。入ってくる風がふわりと巴さんの髪を浮かせる。


「私のこと、待っててくれる?」


 空を見上げて巴さんが言った。胸がすくような青空だった。僕は鈍った思考をフル回転させて、その言葉の意味を探る。


「巴さんが日本に帰ってくるまでいつまででも待ちます」

「でもさっちゃんは人気者だから、きっと可愛い彼女を作るんでしょ」

「作らないよ!」


 僕は飛び上がって巴さんに駆け寄る。巴さんは泣いていた。


「私じゃさっちゃんにつり合わない」

「なんでそんなこと言うの」

「もうさっちゃんにも分かったでしょ? 私はあの攻略本を持っててもなんにもできない、ヱ梨香の思いどおりに沈んでいったただのマヌケなんだよ」


 しゃくり上げて泣き続ける巴さんの肩を抱く。

 あんなレクリエーションさえなければ巴さんがこんなに自嘲的になることはなかった。昔、舞台に立った巴さんは堂々として自信に満ち溢れていたのに。

 僕は悔しい思いを抑えて語りかける。


「待つに決まってます。だって僕、何年片思いしたと思ってるんですか。高校卒業したら日本に戻ってくるんでしょ?」

「うん……」

「ならたったの二年。巴さん以外見ないよ。信じてほしい」

 

 僕は小さな手を強く握る。巴さんはまた涙の粒を落としてから、こくりと一つ頷いた。


「待っててくれる?」

「待ちます。巴さんはどうなんですか。向こうでかっこいい人に告白でもされたら」


 僕は冗談めかして言った。でも本当は想像するだけで背筋がザワザワした。巴さんはそんな僕をじっと見つめたあと、花が咲くように笑った。


「ずっと好きな人がいるからって、断る」


 僕は巴さんに見惚れた。こんなに眩しい笑顔が僕だけに向けられている。


「さっちゃん、ちょっと痛いよ」


 無意識に手に力を込めてしまったらしい。慌てて謝る僕に巴さんは唇を嚙みしめて言う。


「だから、もう少しだけ待っててね」

「うん、……うん!」


 僕は大きく頷いた。巴さんが僕に向ける笑顔が本物だった。僕の心臓が早鐘のように鳴る。やっぱり諦められない。どんなに離れ離れになっても、気持ちはずっと隣にいてほしい。

 僕は握りしめた手に想いを込めた。


「私もね、さっちゃんのこと好きだよ。本当に、ありがとう」


 想いが通じ合ったと理解した瞬間、心臓が跳ねる。堪らず彼女の肩口に顔を埋めると、耳元で小さな笑い声が響いた。


 この時間がずっと続けばいいのに。そんな思いは無情にもすぐぶった斬られる。


「あー。そろそろ入ってもいいか?」

「うわあ!?」


 教室の扉から気まずそうに顔を出す大希に僕は悲鳴を上げて飛び上がった。すぐにパッと距離を取る巴さん。

 大希に続いてゾロゾロとクラスメイトが教室に戻ってくる。一体いつから待たせていたのか考えると顔が熱い。


「お二人さんがそういう関係だったとはねえ」

「みんな空気読めよー。荷物取ってさっさと帰るぞー」


 大津と金沢の言葉に従い、こちらに好奇の目を向けながら帰っていくクラスメイトたち。それを尻目に水戸がこっそりと耳打ちしてくる。


「ヱ梨香さまは学園側に確保された。事情はあらかた説明してきたけど、やっぱりお前が証拠とともに通報した方がよさそうだ。行けるか?」

「分かった。すぐに行く」


 後始末は面倒だが、正気じゃないヱ梨香が学園側に何を言うか分かったもんじゃない。おかしな話をされる前に行動しなければ。

 僕は巴さんに向き直り、その肩に手を置く。


「行ってくる。最後の仕事が残ってるんだ」

「うん、いってらっしゃい。いつもの……ホームズで待ってるね」


 目元を赤くして手を振る巴さんに後ろ髪引かれながらも、僕は"ビショップ"としての初仕事をしに、ヱ梨香の元へ向かうのだった。



















 ――――――――――


 ――以上が嶺和学園高等部一年A組から、人気投票レクが消滅した理由である。

 この攻略本を読んでいる後輩諸君へ。

 もしも人気投票レクに苦しみ、登校できない友人がいるのならば、ぜひ自ら行動してほしい。

 信頼できる仲間とともに、全員同票計画を実行して役職を消滅させるという方法があるということを覚えておいてほしい。

 そして忘れてはいけないのが、その計画すら利用しようとする人物が現れるかもしれないということ。強い意思と知略でその人物に打ち勝たないといけない。

 

 騙されるな。こちらから仕掛けろ。勝利を掴むために。


『〇〇年度人気投票レク

 記録者 一年A組 福島さつき』






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