第26話

 ♢♦︎♢


 ――暖かい風が前髪を揺らした。同時に視界に桜の花びらが散る。

 日時計の側にあるベンチに寝転び、僕は穏やかな陽光に包まれて瞼を閉じた。


 色々あった一年間が終わり、僕らは高校二年生になった。

 クラス替えがないため面子の変わらないA組から、ヱ梨香の姿が消えた。

 地下教室という仕組みを僕はまだ深くは理解していないが、ヱ梨香の人気投票レクの不正が発覚してそこに送られたということだ。

 地下教室に送られると、卒業するまで上階の生徒とは関わることはない。つまりヱ梨香とは二度と会うことはないだろう。


「新学期早々サボりか?」


 聞き慣れた声とともに、降り注ぐ日差しが遮られる。薄く目を開けると髪を切った大希がこちらを見下ろしていた。

 のそりと体を起こすと、大希は僕の隣に腰掛けて言う。


「若狭が海外行っちまったからって萎れてんじゃねーぞ」

「無理だよ。やる気が一ミリも湧いてこない」


 巴さんは三月末に海外留学に行ってしまった。せっかく想いが通じ合ったというのに、あの後準備でドタバタしてあっという間にその日が来てしまった。


『さっちゃん、待っててね』


 そう言う彼女を空港で見送って、捨てられた猫のような気持ちで家に帰ったのは記憶に新しい。


「そうだ大希、巴さんに聞いたぞ。学校での僕の様子を巴さんに報告してただろ」

「別に報告なんて大したもんじゃねーよ。ガキの頃のよしみで少し教えてやっただけだ」


 巴さんと大希は小学校の頃同じクラスだった。なんだかんだで気にかけていたのだと思うと憎めない。


「俺も若狭の味方してやりたかったけど、当時ヱ梨香の悪事を暴けなかったし、まだ俺に力もなかった……。お前はさすがだよ」

「まあそのためにここに来たからね」


 その分張り合いがなくなってしまったのは事実。この学園で僕がやるべきことは終わってしまった。そうこぼすと大希が言う。


「やるべきことならまだ残ってるんじゃないか」

「え?」

「俺たちA組は確かに人気投票レクから解放された。――まあ、"ビショップ"のお前が裏切らなければだが。けど根底にあるものは何も変わってない。また同じことが繰り返される」

「うんうん」

「そのとおりだな」


 突然背後から相槌が聞こえ、僕は首だけで後ろを振り返る。そこには腕組みをした水戸とこちらに向かってピースサインをする金沢がいた。


「なんだよ二人まで。いつからいたんだ」

「盛岡の言うとおりなんだよなあ。そしてそれは……ヱ梨香さまが成そうとしていたことでもある」


 水戸がしみじみと言ったその言葉に大希がピクリと眉を上げる。


「ヱ梨香のこころざしだけは間違っていなかったってことだろ? 学園から人気投票レクをなくすっていう」


 ヱ梨香はやり方を大きく間違えたが、ゴールとして掲げていたそれは理解できる。

 空を見上げて考えていると、ふと三人の視線が僕に集まっていることに気付いた。


「なに?」

「だから、お前がやれよ」

「はあ? なにを?」

「『この学園から人気投票レクをなくす』のが、お前のやるべきことだってこと」


 ぼんやりとした思考回路で大希の言葉を噛み砕く。薄目で水戸と金沢を見ると二人ともうんうん頷いていた。


「僕が? どうしてそんなことやらなきゃいけないんだ」

「お前はいつだってスケジュール把握が遅いから教えておく。今年、生徒会選挙に向けて各クラスから候補者を出すことくらいは知ってるな?」


 そんなこともあった気がする。確かうちのクラスからは宇都宮が出たがっていたはずだ。生徒会に入れば進学に恩恵があるだけでなく学園の中枢で動くことができる。

 ヱ梨香の狙いは生徒会入りして学園のルールを変えること、即ち人気投票レクの廃止だったはずだ。


「それがどうしたんだよ」

「うちのクラスからは候補者としてお前を出すことにした」

「――はあ!? な、なんで! 聞いてないよそんなこと」

「お前が堂々とこんなところでホームルームサボってるからだろ」

「いや、無理だって! 興味ないんだよ生徒会とか! 本当に!」


 ベンチから飛び上がって大希に詰め寄っていると、校舎の方からパタパタと駆け寄ってくる人影が見えた。


「もう! こんなところにいたんですか福島くん!」

「あっ宇都宮……! なんとか言ってくれよ、こいつら僕を生徒会選挙に出そうとしてるんだ!」

「ええ、それは先程のホームルームで決定しました」

「えっ!?」


 サラリと言ってのける宇都宮に僕は唖然とする。生徒会入りのために人気投票レクに励んでいた宇都宮から出る言葉とは思えなかったからだ。

 宇都宮はそんな僕を察してか、チラリと金沢の方を見てから僕に向き直った。


「私はいいんです。去年のあなたを見ていたら、誰だってあなたを推したくなります。それにこの決定はクラスの総意ですから」

「いやいや推さなくていいし、決定って本人の意思をガン無視してるよね?」

「委員長もこう言ってるし、もう諦めろって」

「嫌だあ!」


 ここに居ても味方がいないことに気付き、慌ててベンチを離れる。そのまま教室に戻ろうとするとまた何人かこちらへ向かってくるのが見えた。


「あ、いたいたー!」

「みんな探してるよ」

「大津、山口……」

「生徒会選挙、頑張ってネ。精一杯サポートするよ」

「福島くんが次期生徒会長か……」

「あーもう! やめてくれよ」


 このまま生徒会選挙に出ることになって、A組の手段を選ばない全力サポートにより生徒会長になって、人気投票レク廃止の声を集めて……そんな未来を考えると頭が痛くなってきた。


 ぶわりと強い風が吹きつけ、僕たちの黒い制服が翻る。

 今年入ってきた外進生は、人気投票レクに苦しめられないだろうか。なんて、そんなことを思ってしまう時点で僕のやるべきことは――決まってしまっているのかもしれない。


「さつき。まずは立候補者のあいさつからな」

「まあ大丈夫だろさつきなら」

「さっちんのサポートって何すればいいんだろう?」

「ポスターとか襷とか作ったほうがいいかな……」


 外進生――親友たちがどんどん話を進めていくのをよそに、僕は青く澄んだ空を見上げた。

 巴さんは今ごろ何をしているだろう。

 彼女は僕が学園を変えることを願うだろうか。


「若狭のような人間を二度と出さないためにも、やってみろよ。さつき」

「それは……狡いよ大希。その言い方はさあ」


 僕に何ができるかなんて分からない。

 それでも少し、抗ってみようか。

 古くて度し難いルールそのものに。


「はあ……それじゃあみんな。もう少し付き合ってくれよ」


 それは僕の諦めにも似た小さな宣言だった。対して僕の素晴らしい友人たちは笑顔で応える。こんな学園生活を、僕は心のどこかで確かに望んでいた。

 


 ♢♦︎♢



「という訳なんだけど、巴さんは僕が生徒会なんて入れると思う?」


 事の顛末を巴さんに説明すると、テレビ電話越しの彼女はくすくす笑って見せた。


『なんだ、そんなこと。私はさっちゃんは生徒会に入るものと思ってたよ』

「えっどうして?」

『だって、さっちゃんは私の……正義の味方だもの。 おかしなルールを変えるのも正義じゃない』

「僕は復讐のために動いてたんだよ。今さら正義の味方ぶっても上手くいくわけない」

『きっと上手くいくよ。だってさっちゃん、ひとりぼっちの私を助けてくれたじゃない』

「そんなの正義なんかじゃないよ。ただ自分の復讐を巴さんのためだって言い聞かせていただけだ」

『それでもいいの! 私には分かるよ。さっちゃんは優しい人だから』

「ありがとう巴さん。なんだか元気出たよ」

『あ……でもさっちゃんが推薦でいい大学に進学したら私追いつけないかも』

「え? 大学って」

『うん……一緒の大学、行きたいなあって』

「も、もちろん!」

『やったぁ』


 そう言うと彼女は自分の口元を隠しながら微笑んだ。僕はドキッとして思わず目を逸らす。


『……さっちゃん? どうかしたの?』

「いや、その……可愛いなって思って」

『っ!? ば、ばか! いきなり何言うの!』


 彼女の慌てる様子に今度は僕がくすっと笑った。そしてしばらく談笑してから通話を終える。

 僕は久しぶりに心が軽かった。彼女と話しているといつだってこうだ。本当に彼女がいてくれて良かった。


「さてと、僕も頑張らないと」


 巴さんのためにも大学に合格して、今度こそ一緒楽しい学生生活を送るのだ。そんな楽しい未来を思い浮かべると心が躍った。



 ――僕は人気者じゃなくていい。君さえいれば。











(了)

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