第14話

 そんなことはありえない。しかし本人に直接聞けるわけもない。たとえ軽く「ヱ梨香って田辺と付き合ってるの?」と尋ねたとしてそれが事実ではなかったら勘のいいヱ梨香は噂のことをすぐに知るに違いない。

 こんな形で誰かを傷付けるのは本意ではない。僕はあの噂のことを胸にしまったまま夏休みを迎えようとしていた。

 とはいえ夏休みは長い。クラスメイトに会わなくなる前にと僕は一度クラスの外進生四人を「ホームズ」に誘った。

 全員同票計画のために四人はそれぞれ尽力してくれている。特にインターハイ出場を決め、日々練習に打ち込む大津はただただ応援することしかできない。

 その大津の部活休みに合わせ、放課後の「ホームズ」に外進生が集う。マスターしかいない店内にはゆるやかなテンポのクラシック音楽と、コーヒーを淹れる音が響く。


「大津、インハイ出場おめでとう」

「あざーっ」


 制服からのぞく手足のあちこちにテーピングをしている大津がへらりと笑う。熾烈な戦いが続いているのだろう。この場の全員がそれを理解している。


「ウチ最近マジで部活しかしてないんだけど、計画って今どんな感じなの」

「うん。今日は一度情報共有しておこうと思って」


 僕はコーヒーで口を湿らせてから、これまでの役職者とのやりとりを説明した。それを水戸が真面目にタブレットのメモアプリに書き込んでいく。


「ええと、つまり清水と盛岡はとりあえずクリアでいいんだな。秋田は大津との勝負次第。宇都宮は……」


 水戸の視線が手元から金沢に移る。金沢は神妙な面持ちで「実は……」と言葉を濁す。その様子からダメだったかと思った瞬間、金沢は満面の笑みを浮かべ両手で丸を作って見せた。


「説得成功でーす!」

「紛らわしい顔すんな!」


 大津の拳を顔面で受け止めながら金沢は補足する。


「ただひとつ条件があって、生徒会選挙の時に委員長をサポートしてほしいって」

「うん、想定内だ。ありがとう金沢!」

「へへ」


 宇都宮の恋路がどうなるかまでは興味がないが、本投票まで金沢が宇都宮の気持ちを掴んでいてくれれば大丈夫そうだ。


「沙良、気負わないでね」


 山口が大津を気遣う。こうなると秋田の持つ三票がより重くなってしまった。大津は何も気にしていない風に首をすくめる。


「大丈夫だよ春子ちん。向こうもインハイ出場まではこぎつけたみたいだけどウチは負けないし」

「二人とも優勝したらどーすんだ?」


 金沢の鋭い質問に大津は言葉を詰まらせる。


「その時はその時で……ジャンケンとか?」

「マジ?」

「それは結果が出てから考えよう。ジャンケンはあんまりだから、また別の勝負をするでもいいし。大津はなるべく余計なことを考えず試合に集中した方がいいよ」


 水戸がやんわりとまとめてこの話は終わりを迎えた。すると水戸は続いて居住まいを正し、別の話題を切り出す。


「じゃあ俺と山口からも報告するか。さつきに言われて調べていた件だけど」

「うん……私もそのこと言おうと思ってた」

「調べてたって何の話?」


 首を傾げる大津と金沢には僕から説明する。


「実は二人には……若狭さんの件について調べてもらっていたんだ」


 長崎日菜に聞いた中一、中二の人気投票のことがどうも悪い意味で気になり、二人に協力してもらったのだ。

 山口には若狭さんと同じクラスだったことがある現クラスメイトから同じ証言が出るかの確認を、水戸には中二の人気投票で起こった投票リストの流出事件を調べてもらった。


「ごめん、個人的に胸に引っかかっていただけで、今回の人気投票には関係ないことかもしれないんだけど」

「いや、俺たちはこのレクについて知っている情報が内進生より圧倒的に少ない。過去のゲームを知ることはいいことだよ」

「私も……若狭さんのこと、気になっていたから」

「そうか。うん、ありがとう」

「それでさ。俺の方で結構衝撃的なことが分かったんだよ」


 水戸は自分のタブレット画面にひとつの画像を表示する。解像度が荒いが、それは人気投票レクのアプリ画面に見えた。相変わらず子ども向けアニメのようなデザインだ。

 画面中央にはシンプルな枠で囲まれた表があり、ズラッと並んだ人物名と獲得票数がリスト化されていた。


「これもしかして流出したっていうリストか?」

「ああ。本投票があった次の日の朝にはもう、教室の黒板に紙で貼り出されていたそうだ」


 それを聞いた金沢が不思議そうに口を突き出して言う。


「わざわざリストを印刷して黒板に貼った? んな面倒なことしなくてもタブレットでデータ共有すればいいのに」

「ナイス着眼点。でもそれができなかったんだな」


 水戸がリストの部分をズームする。鮮明に映った人物名を見て大津と山口が「あ」と声を出した。


「ヱ梨香ちんがトップだ!」

「そして……若狭さんは最下位ね」

「中二の人気投票でトップって、あれ? ヱ梨香さまってもしかして」

「ああ。中三で"キング"だったということになる」


 僕はそのリストに妙な違和感を覚え、眉を寄せた。そんな僕の気持ちを代弁するように山口が続ける。


「渦古さんは確か、中一のプレ投票でトップ。けど本投票ではTOP4にも入らず……。そしてこのリストによると、中二ではまたトップに返り咲いた」

「ほえー。激戦だったんだなあ」

「いや、実はそうじゃないかもしれないんだ」


 金沢の気の抜けた感想を水戸がピシャリと否定する。


「このリストは偽造されてる」

「えっ!?」


 僕は驚きのあまり身を乗り出してタブレットを凝視する。じっと目を凝らすが特にあやしい点は見当たらない。そんな僕を見て水戸は画像のある部分を指し示した。


「この画像、紙に印刷されたものをスキャンしたから見づらいと思うけど……ホラここ」


 水戸の言う部分はリストの最下位、若狭さんの名前だ。水戸は更にズームする。


「あ! リストの枠がおかしい」


 粗くなった画像の中、リストの枠がカクンとズレている。まるで上から別の名前を枠ごとコピペしたかのように。


「まさか……」


 僕のつぶやきに水戸が頷く。


「ああ。若狭さんは誰かと名前を入れ替えられてる。データ上でいじったんだろう。データ共有ではなく紙に印刷したのは少しでも見づらくして偽造をバレないようにするためだ」

「そんな……なんでそんなこと」


 山口が口元を押さえてか細い声で言った。ショックを受けているようだ。僕も言葉が出ないくらいに動揺している。


「酷いね。誰と入れ替えられてるか分かる?」


 大津が嫌悪感を顔に出して問うが、水戸は首を振った。


「この画像データからじゃそこまでは分からなかった」

「え、え。ごめん俺よく分からないんだけどどゆこと?」


 焦った様子で腕をパタパタさせながら金沢が言う。水戸が「つまり――」と言いかけて、ようやく僕の凍りついた声帯が溶けた。


「誰かがこの偽リストを作って、若狭さんを陥れたんだ」


 その場がしんと静まり返る。場違いに明るいメンデルスゾーンが店内に流れ始めた。しばらくみんな黙ったままだったが、大津がメロンソーダを飲み干す音を皮切りに会話が一気に再開する。


「このリスト自体はアプリの仕様なんだよな? 結果一覧が確認できる管理者画面的な」

「ああ多分。ちなみにこのリストは本投票後のものだけど、ご丁寧にプレ投票の後にもリストは貼り出されていたらしい」

「この画面をわざわざスクショしてデータ改ざんして紙に印刷して貼り出して……そんなに若狭ちんを恨んでる人がいたってこと?」

「でもその人、この管理者画面にはどうやって入ったんだろう……」


 投票リストの偽造。新たな事実が発覚した。僕たちはまた問題のリストをただ見つめるしかできない。


「話を続けよう。山口の報告は?」


 水戸が思い出したように山口に投げかけると、山口はハッとしてそれに答えた。


「うん……中一の時に若狭さんと同じクラスだった子に話を聞いてみたんだけど。結果は長崎さんと同じことをみんな言ってた。若狭さんは人気者だった、……渦古さんは次の年"ビショップ"だったんじゃないかって」

「てことは共通認識としてそれがある。内進生の中には。でも僕たちはそれを知らなかった。たまたま長崎が話してくれたから知ることができたけど……」


 僕はそこまで言って口を閉じた。言う必要がないと、そうヱ梨香は思っているのだろうか。自分が"ビショップ"だと疑われていたことを。それとも隠す理由がある? 


「"ビショップ"だけは分からないな。もしかしたら"ビショップ"であったことを公言できないのかもしれないし」

「でもなあ。プレ投票で"ビショップ"を炙り出そうっていうのに、ヒントのひとつもくれないのはなあ」


 僕は悩んだ。ここで攻略本の存在をみんなに知らせるべきだろうか。"ビショップ"について議論すべきなのか。しかしまだ未解読の攻略本に何が書いてあるか分からない。不確定の情報で混乱を招くのも避けたい。

 いずれにせよ僕たちの中で若狭さんが誰かに陥れられたことは明確になった。

 僕は四人をゆっくり見渡して、静かに言う。


「このことはくれぐれも内密に。あと、水戸にまた頼みがある」

「おう」


 フレームレスのメガネをくいと上げて水戸が応える。


「プレ投票で"ビショップ"が出てこない可能性を考えて……ひとつ対策しておきたいことがあるんだ」


 できることはやってみよう。不発に終わっても構わない。僕たち外進生は情報が少ない分、しがらみがない。内進生には考えもつかないことを僕たちならきっとできるのだ。

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