第15話

♢♢♢


 高く上がったボールがバスケットゴールに吸い込まれた。長年使い込まれ色褪せた球は、シュッと軽やかな音を立ててネットを擦った後、コートを跳ねて転がってゆく。大希はそれを拾ってシュートの姿勢をとり、再びボールを高く放った。

 僕は体育館の隅に腰を下ろして、ぼんやりと大希のシュート練習が終わるのを見守っている。運動部は大会真っ最中だ。大希も毎日部活に出て、遅くまで残って自主練をしている。

 しばらくボールが跳ねる音を聞いていると、水分補給をしに来た大希が僕の隣に座り込む。


「で? 若狭のことだっけか。聞きたいのは」

「うん。でも練習終わってからでいいよ、僕待ってるから」

「んな露骨に待たれたら気になって仕方ねーよ」


 クールダウンのストレッチをしながら大希は呆れたように言う。圧をかけたつもりはなかったが結果的に急かしてしまっていたらしい。僕は「ごめん」と謝ってから大希に尋ねる。


「中一の時、ヱ梨香と競ってたっていうのは本当?」

「ああ。ガキなりに序列があったからな。若狭とヱ梨香がダントツ人気だった」

「へえ。大希は?」

「俺は中一の頃はチビガリのクソガキだったからな。役職ついたのは中三からだよ」


 ボールを指で回しながら、大希は記憶を辿るように語った。僕は躊躇いながらも例の偽造リストについて問おうとする。


「中二の人気投票で、その……投票リストが流出したって聞いたんだけど」

「あー、あったな。そんなこと。けどまあ、誰も信じてないだろあんなの」

「へ?」


 僕の間抜けな反応に大希は喉の奥で笑う。


「だってプレ投票でTOP4に入ってた若狭が最下位なんてありえねーだろ。それにあの後、若狭に投票したっていうやつらが何人も現れた。リストにのってた票数以上のな。だからあのリストはただのイヤガラセだ」


 あっけらかんと言う大希に僕はポカンとしてしまった。もしかして内進生はあのリストが偽造であったことを最初から知っていたのだろうか。確かに長崎も中一の投票に疑念を抱いていたが、中二の時のリスト流出には触れていなかった。

 内進生にとってはあからさまな嫌がらせすぎて、言うに及ばないことだったのだ。


「だったら彼女はなぜ不登校に?」


 若狭さんが本当の最下位でないことが明白だったのなら、なぜ彼女は学校に来なくなってしまったのか。そう言うと大希は「さあな」とつぶやく。


「クラスで最下位になるのと、クラスの誰かにあんな風に嫌がらせされるのと。どちらが傷つくかなんて俺らが考えてもわかりゃしねー」

「あ……」


 大希の言うとおりだ。最下位ではなかったとしても、リストを偽造して彼女を陥れようとした悪意の存在は、彼女を酷く苦しめたに違いない。

 押し黙る僕に大希が向き直る。


「そんなに気になるなら若狭本人に聞いてみればいいだろ」

「いや、そんな……。きっと聞かれたくないことだろうし。嫌な気持ちにさせたらこっちも嫌だし」

「大丈夫だろ。今年入ってから一度だけ若狭から連絡来たぜ」

「本当に!? 何か言ってた?」


 考えれば大希は中学の二年間若狭さんと同じクラスだったのだ。元クラスメイトとして連絡を取り合っていてもおかしくはない。当時の出来事や愚痴などをこぼしていないだろうか。すると大希は思案顔でこちらを見て、ぷいと顔を背けた。


「教えてやんねー」

「はあ? なんでだよ」

「お前が俺の味方になってくれないから……」


 そう言うと大希は膝に顔を埋めて大きなため息をつき、そのまま黙り込んでしまった。僕は目を丸くしてその様子を見つめる。


「どうせ若狭のことを探れって言ってんのもヱ梨香だろ。なんでよりによってあいつと手を組むんだよ……お前が。おかしいって」

「違うよ。逆。若狭さんのことはヱ梨香に黙って探ってるんだ」


 今度は大希が瞠目する番だった。僕はヱ梨香の操り人形みたく思われていたことにムッとして大希を見返す。


「だから僕を信じろって言ってるのに」

「なんなんだよ。もう訳わかんねー」

「分からなくていいよ。僕だって分からないことだらけだ」


 これで偽リストが嫌がらせだということが当時のクラスの共通認識だったということが分かった。大希の言うことが真実なら、あのリストのことをはなから誰も信じていなかったのだ。


「ありがとう大希、邪魔してごめんな」

「お前はひでーやつだよ、さつき。情報を吸い取るだけ吸い取って、ありがとうのひと言で済ませるんだから。いつだってそうだ、お前は。そろそろ見返りがほしいところだけど、どうせお前は笑って躱すんだろ。分かってんだよ、嫌になるぜ」

「はは……」


 困った顔で誤魔化すのもそろそろ限界かもしれない。僕は転がっていたボールを大希にパスして、体育館を後にした。

 日はとっくに暮れている。ちらほら灯りのついた教室を横目に帰り路を急ぐ。夏の蒸し暑さに汗を拭い、絢爛たる学園に背を向けた。

 情報がほしいわけではない。本当のことが知りたいだけだ。それを知らないままじゃ何もできない。

 僕は俯いて街灯に照らされて伸びる影を見つめる。その時ふと顔を上げたのはたまたまだった。無意識に人の気配を感じたのかもしれない。バス停まで続く道の先に並んで歩く二つの影があった。

 僕は目を疑う。それがヱ梨香と田辺の後ろ姿だったからだ。何度か瞬きをしてみても二人は確かに寄り添って歩いている。まるで恋人同士の距離感だ。

 ということは、二人がキスをしていたという噂は本当だったのか? ヱ梨香が通学バスがなくなるこんな時間まで学校にいるのは、田辺と会っていたから? 

 向かう先は同じバス停だ。気まずいので同じバスには乗りたくない。なんとなく身を隠しながら駅まで出て時間を潰そうかと悩んでいると、田辺がヱ梨香の腰に手を回すのが見えた。それに対してヱ梨香は嫌がるそぶりを見せない。


 なんだ、やっぱり二人は付き合っているのか。


 どうやら僕は変に疑いすぎていたようだ。ヱ梨香が体をはって"ポーン"の説得をしているかもなんて、馬鹿げた発想だった。そもそも〈陰のルール〉にもあったように、このレクリエーションで金や体を使うのはルール違反だ。

 なんだか気が抜けるのと同時にコソコソしているのがバカらしくなって、僕は物陰から出てバスの時間をスマホで検索する。しかし、二人の世界を邪魔しないように適度に距離を保ち、静かにしていたつもりだったのだが、そこで歩きながら画面を注視していたのがまずかった。


「さ、さつきくん……」


 その声に顔を上げると、何メートルか先で、僕の存在に気づいたヱ梨香がこの世の終わりのような顔をしてこちらを見ていた。


「え?」


 その反応に僕は虚を突かれる。それはカップル同士のやり取りを見られた羞恥の表情とはかけ離れていて、どちらかというとお化けを見た子どものような顔だった。おまけに田辺はこちらを睨んでいる。


「な、なんでここに」

「なんでって僕もバス停に……」


 二人のことをジロジロ見るつもりはなかったが、そんなに他人に見られたくなかったのだろうか。僕が困惑していると、ヱ梨香は今にも泣き出しそうな目をギュッと閉じ、スカートを翻してその場から走り出してしまった。


「ヱ梨香さま!」


 田辺もヱ梨香を追って行ってしまう。残された僕はポカンとして二人の背中を見送った。


「な、なんなんだよ一体」


 別に言いふらしたりしないのに。そうメッセージを送ろうかと思ったが、邪魔をするのも申し訳ないのでやめた。しかしヱ梨香のあの表情が、妙に引っかかる。


 その後、ヱ梨香と話す機会がないまま僕たちは長い夏休みに入った。――プレ投票まで、あと二ヶ月。

 



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