三、白と黒の青春

第13話

 そして、夏の暑さを象徴するような出来事が起こったのは、教室がにわかに夏休みムードになってきた七月のある日だった。


「あの、福島くん。少しいいですか?」


 帰りのバスを待っていると背後から遠慮がちに声をかけられる。僕は振り向いてその相手を視認して飛び上がった。そこにはこちらが是非とも話をしたくてタイミングを逃し続けていた宇都宮がいたからだ。

 物陰から僕のことを手招きする彼女に慌てて駆け寄る。すると彼女はホッとした様子で赤縁メガネのレンズ越しに目を細めた。

 "クイーン"の役職を持つ宇都宮弥生やよい。きっちりと髪をひとつにまとめ、シワひとつないシャツの上に白いベストを着ている。

 真面目が擬人化したような彼女は学校では主に文化部の女子たちと行動をともにしていて、さらに塾通いのため放課後はすぐに帰ってしまうため話しかける隙がなかなか見つからなかった。

 僕は「好機!」と心の中でガッツポーズをして宇都宮の用件を聞く。


「宇都宮、珍しいね。どうしたの? 僕に何か用?」

「はい……少し、相談したいことがあって。今お時間いいですか?」

「うん。大丈夫」


 僕たちはバス停から少し離れたベンチに座る。


「あの、聞きたいことがあって」


 そう言う宇都宮の声は震えていた。それどころか頬や耳がまっ赤になっている。それに気づいた僕はハッとしてヱ梨香の言葉を思い出した。


『彼女って真面目でウブそうだし、さつきくんが優しくお願いすればコロっといかないかしら』


 心当たりは全くないが、まさか、もしかして。僕は知らない内に彼女に優しくしていたりしたのだろうか。僕は膝の上でギュッと拳を握りしめながら続く言葉を待つ。



「あの、かっ金沢くんって彼女とかいたりしますか!?」

「え………………?」



 思わず白目をむいてしまった気がする。顔から火が出そうになっている宇都宮に「金沢?」と聞き直すと何度も頷かれる。


「金沢ってあの金沢涼? うちのクラスの外進生の? 金髪で漫画オタクの?」


 そんな質問にも彼女は顔を伏せてコクコク首を縦に振る。

 指定校推薦狙いの生徒会入りという高い目標を掲げている彼女が色恋でどうにかなるとは思えない――。そう思っていた時もあった。

 しかし今僕の目の前にいるのは顔を赤くして目をギュッと瞑り、羞恥に肩を震わせて小さくなるただの恋する女の子だった。

 これだから恋って不思議だ。そして自惚れていた自分が恥ずかしい。よく考えたら宇都宮とろくに話したこともない僕にはいらぬ心配だったのだ。

 僕は遠くを見つめて「いないんじゃない?」と返した。浮いた話も聞かないし、そもそも金沢が三次元の女子に興味があるのか不明だ。そう続けると宇都宮もその点が気になるのかううんと唸っている。


「なんで金沢のこと好きになったの?」

「す、好きとかまだ全然そういうのじゃないんです! ちょっと気になる程度で。でも彼女がいるなら傷が浅い内に知りたいというか」

「あーはいはい。で、どうして?」


 僕の投げやりな問いかけに宇都宮は小さくなってポツリポツリと語り始める。冗長な説明が多いので要約すると、テスト前に金沢にノートを貸してからメッセージのやりとりが始まったということ。役職関係なく接してくれて、人間性を褒めてくれて嬉しかったこと。などなど。

 確かに金沢は分け隔てなく人に接している印象だ。テスト前はそれこそ色々な人にノートを借りていた気がする。金沢の方は宇都宮だけ特別というわけではない気がするが、真面目でお堅い宇都宮はストンと落ちてしまったということだろう。


「話す機会を増やそうと漫画研究会に入ろうかとも思ったんですが……私、漫画には詳しくなくて」

「えっ。そこまで?」


 学級委員や塾で忙しい宇都宮がそこまで考えているなんて、もはやベタ惚れの域だ。ふと僕の頭の片隅に悪い考えが浮かぶ。

 

「なあ宇都宮。てっとりばやく金沢と共有できる話題があるんだけど……」


「えっ」と目を輝かせながら食いつく宇都宮を見て確信した。金沢から計画のことを話せば彼女はきっと乗ってくる。

 指定校推薦を諦めろとは言わない。全員同票にしてから、彼女が生徒会に入る手伝いを金沢と一緒にすればいいのだ。できるできないは置いておいて、そういう甘い餌をぶら下げればなんのデメリットもなく"クイーン"の票を得られる。

 我ながらなんて嫌なやつなんだろう。


「金沢にさ、計画・・について詳しく聞きたいってメッセージ送ってみて」

「計画、ですか?」

「うん。きっと二人きりで丁寧に話してくれると思う。僕からも言っておくからさ。ああでも、これだけは約束して。聞くからにはちゃんとその計画に協力するんだ。これはそういう取り引きだよ」


 僕は自分の唇に人差し指を当てて、声を潜めて言う。宇都宮は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに頷く。


「秘密の取り引きってわけですね」

「そういうこと」

「ありがとうございます。福島くんに相談して良かった」


 そう言って嬉しそうに去って行く宇都宮に若干の罪悪感を抱きながらも、僕は金沢に宇都宮を取り込むよう指示を出すのだった。


「――というわけだから、宇都宮さんの説得は任せてもいいか?」

『いいけどさ、できるかなあ。俺が委員長の説得なんて』


 通話口の向こうから金沢の動揺する声が聞こえてくる。宇都宮の恋愛感情は伏せているので、金沢からしたら「なぜ自分が?」という気持ちになるのは当然だと思う。


「お前、赤点で夏休み補講だろ? うまくやれば宇都宮さんに勉強見てもらえるかもしれないし」

『うっ。確かに』


 外進生で唯一赤点を取った金沢は補講で再テストがあることに絶望しているので、宇都宮との接点は渡りに船だろう。


『分かったよ、やってみるな。ところでさつき。俺なんか変な噂聞いちゃったんだけどさ、聞いた? ヱ梨香さまの話……』

「ヱ梨香の? 知らないかも」


 僕の答えに声を小さくした金沢が言う。


『放課後の空き教室でさ、ヱ梨香さまと田辺が……キスしてたんだって』

「え?」


 キス? あのヱ梨香が? ヒョロガリの田辺と? 僕は相反するイメージの単語の繋がりに困惑する。しかも相手がクラスメイトの田辺ときたらなおさら首を傾げるしかない。

 田辺といえば入学初日に少し話したくらいで、それ以降あからさまに僕のことを避けてくる。というのも田辺は大希にビビりまくっていて、大希と仲がいい僕にも怯えているのだ。とって食うわけでもなしにそんな態度を取られると、さすがの僕も自分から近づくのは躊躇ってしまう。

 その田辺とヱ梨香がキス? 隠れて付き合っているのだろうか? 全くイメージができない。


「さすがにデマでしょ」

『いや俺も信じてないよ? でも他のクラスのやつが見たって言ってるんだよ。しかもキスだけじゃなくて、恋人同士みたいに結構濃厚に――こう』

「ええ? んなバカな」

『しかもな。それ一回じゃないんだって。最近部室棟でやらしい感じの幽霊の声が聞こえるって噂もあるし、午後四時四十四分に倉庫からギシギシ聞こえてくるとかいう七不思議もあるし!』

「もはや怪談だろそれは」


 噂にしては酷い内容だ。ヱ梨香が知ったら傷つくに違いない。そう思った次の瞬間、僕の脳裏にヱ梨香の言葉が蘇る。


『私が言い出したんだもの。頑張らないと』


「まさか、」


 ぞわりと全身の毛が逆立つ。馬鹿げた噂だと信じたい。けれど嫌な予感が背筋を駆け巡る。


『さつき?』

「……また連絡する」


 通話を切って、スマホを握ったまま僕はその場から動けなくなった。

 金沢のことが好きな宇都宮の気持ちを僕が利用しようとするように、ヱ梨香もまた、自分に向けられる好意を利用しようとしているのではないか。

 そう、その身体を使ってでも、"ポーン"を説得しようとしているのではないか。

 ただの杞憂で終わってほしい。こんな噂、信じる方が馬鹿げている。ヱ梨香にも失礼だ。そう頭では分かっていても、胸の騒めきはなかなか止まらなかった。

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