第12話

 大希はなぜそう思うのだろうか。

 全員二票ずつ平等に配れば、必ず"ビショップ"は炙り出せる。僕たちがクラス全員の協力なんて得られるはずがないということなら、それは分かる。自分でもギリギリの橋を渡っている自覚があるからだ。

 けれど大希の言い方だと、そういう意味ではない気がした。


「考え事?」


 隣から聞こえた声にハッとする。ふと顔を上げると巴さんが至近距離から僕を覗き込んでいた。

 しまった、と僕は内心焦った。「ホームズ」閉店後、巴さんにわざわざ時間をとってもらって、『攻略本』の解読に付き合ってもらっているというのに。ぼうっとしているなんて失礼すぎる。


「ご、ごめん。僕……」

「あはは。さっちゃん焦りすぎ。大丈夫だよ」


 巴さんはそう言ってペラペラとノートをめくっていく。僕はぼんやりとその横顔に見惚れていた。

 本当にかわいい。うるうるとした瞳に、すっと通った鼻梁。メイクをすると大人びて見える巴さんだが、今日はいつになくニコニコと上機嫌で、いつもより幼く見える。


「ふふ」

「どうしたの?」


 巴さんが不意に含み笑いを洩らすので、僕は首をかしげる。すると彼女はおかしそうに笑って言った。


「さっちゃん、だいぶ表情豊かになったね」

「へ?」


 思わず間抜けな声で問い返してしまう。ぽかんとしている僕に巴さんはなおも続けた。


「昔、劇団を辞めるか辞めないかって頃はもっと表情が固かったよ。精神的な部分もあったのかな」

「そう、かな」


 自分では分からない。でも、巴さんが言うならそうなのかもしれない。


「さっちゃんは元から私よりも器用なんだから、もっと自信持っていいのに」


 巴さんはそう言うけど、僕はその実感がない。僕の世界は閉じたままだ。それは職業人として致命的な欠陥だと自覚している。なのにどうしてそんなことを言われるのか、不思議だった。


「『ホームズ』でのバイトも楽しそうだし」

「そうかな?」


 僕は首を傾げる。いや、確かに楽しいといえば楽しい。巴さんと一緒に居られるからだ。


 巴さんがまたページを捲る。僕一人では解読できなかった部分にはふせんを貼っているのでそこを重点的に見てくれているようだ。


「我が兄ながらひっどい字。読むの大変でしょ」

「はは……正直学校の課題より苦戦してるかも」

「だよねえ」


 巴さんは苦笑しながらピンクのふせんが貼られたページを開いた。そのページには僕がどうしても読みたかった内容が書かれている。



 ――――――――


〈陰のルール〉


 ・"ビショップ"は人気投票レクにおいて、金銭や暴力、カラダを使った不正がないよう見張ってね。もしもそういう行為を見つけたら"ビショップ"専用の通報フォームから通報してね。

 ・"ビショップ"は大変な役職だけど、二年連続ではならないから安心してね。


 ――――――――



「やっぱり"ビショップ"には専用のルールがあったんだ」

「うん。この陰のルールは"ビショップ"の端末でしか見れないらしいよ。で、このページの読めないところは……? ああ、ここね」



 ――――――――


 ・"ビショップ"は████████████████が務めるよ。


 ――――――――


 文字が潰れて読めないその一文を巴さんは指でなぞる。その内容はおそらく"ビショップ"の選定方法だ。じっと文字列を眺める巴さんの横顔を、僕は緊張しながら見つめる。


「よ、読めますか?」

「うん。これはね――――」



 ――――――

 ――――

 ――



 カチッと壁にかけられた鳩時計の針が動いた。同時にからくりが動き出して、中から鳩が顔をのぞかせてけたたましく鳴く。夜が近づいた合図だ。


「――――そういうことか」


 僕はゆっくりと天井を見上げ、両手を頭の後ろにやる。巴さんは心配そうな表情を浮かべてこちらを見ていた。


「ねえ、さっちゃん。私ちょっと不安だよ。まさか本当に嶺和学園に受かっちゃうとは思ってなかったから言わなかったけど……さっちゃんはもしかして」

「もしかして、何?」


 そう聞き返すと巴さんは悲しそうに目を伏せて黙ってしまった。そんな顔をさせたいわけではないのに。今の僕は多分怖い顔をしている。


「大丈夫だよ、巴さん。僕を信じて」

「うん……」


 巴さんは眉を下げて僕の手に自分の手を重ねた。白魚のような指が僕の指に絡む。僕の手のひらごと祈るようなその仕草に僕は笑った。


「何を願っているの?」

「さっちゃんが辛い目にあいませんように」


 辛くなんてない。それはきっと優しい人が背負うものだから。



 ♢♢♢



「ええ、確かに指定校推薦狙いで役職になりたがる人もいるわ」


 日時計のベンチでヱ梨香は言った。


 大希とのあの対話以降、ヱ梨香と話すのをなんとなく躊躇っていたが、そんな僕の気分を察したのか二週間ぶりにヱ梨香からの呼び出しをくらってここにいる。

 時期は衣替え真っ只中だ。学校指定の半袖アイボリーシャツの上に黒いベストを着る僕と、同じく半袖に白ベスト姿のヱ梨香は早々に夏服に切り替えた者同士。初夏の生ぬるい風がヱ梨香の髪を揺らしていた。

 まず話したのは大希の言っていた役職につくメリットについて、これはヱ梨香もとっくに知っているようだった。


「指定校推薦狙いで生徒会に入りたいと思ってる人間は、役職が消えたら困るんじゃない?」

「どうかしら。生徒会選挙は誰でも立候補できるし、全校に認められて生徒会長になろうって人が、全員同票の足並みを崩すかしらね」

「自分さえよければいいってやつもいるんじゃない」

「そんな人が生徒会選挙で勝てるわけないわ」


 そうかな、と僕は自問する。例えば"クイーン"の宇都宮。彼女は大希いわく生徒会入りを希望している。人気投票レクはその予備選挙のようなものと考えていてもおかしくはない。

「宇都宮さんのことが気になるのね」とヱ梨香はズバリ当ててくる。僕は観念して両手を上げた。


「確かに彼女は生徒会に入りたいと言ってるけれど、彼女を支持する"ポーン"はみんな全員同票計画に賛成してくれているわよ」

「そうなの?」


 意外だ。"クイーン"の牙城がすでに崩れていたなんて。ヱ梨香は珍しく口元を機嫌良くつり上げて言う。


「彼女は元々怪しい噂もあったし、宇都宮さんが生徒会に入ったところで"ポーン"は誰も得をしないもの」

「怪しい噂?」

「ええ。前回の人気投票で、票を金で買ったっていう」

「まさか」


 僕は目を見開く。監視役の"ビショップ"に隠れてそんなことができるのか。ヱ梨香は目を閉じて首を傾げてみせる。


「ただの噂よ。おおかた秋田さん陣営が流したんじゃない。まあそこに付け込ませてもらったんだけど」


 根も葉もないが"ポーン"を説得するには十分な噂だったということだ。ヱ梨香もなかなか酷いことをする。


「後は宇都宮本人の票か」

「ええ、どうにかならない? 彼女って真面目でウブそうだし、さつきくんが優しくお願いすればコロっといかないかしら」

「何を言ってるんだよ……」


 指定校推薦狙いの生徒会入りという高い目標を掲げている彼女が色恋でどうにかなるとは思えない。

 僕が頭を悩ませていると隣でヱ梨香が「ところで」と切り出す。


「さつきくん、中間テストはどうだったの?」

「無事赤点回避!」


 Vサインをしてみせるとヱ梨香は安心したような呆れたようなため息をついた。一夜漬けにしては健闘した僕は、学年で真ん中くらいの順位だった。学年成績の上から十人くらいは廊下に張り出されるのだが、ヱ梨香は当然そこに名前があった。


「外進生の水戸くんも張り出されていたわよね」

「うん。うちのクラスだと清水もだ」


 その名前にヱ梨香は思い出したように反応する。


「まさか清水くんと盛岡くんの説得をこんなに早く済ませてしまうなんてね」

「いや、あの二人は本当に協力してくれているかと言われると」


 僕はそこまで言って口を噤む。大希との賭けはヱ梨香には内緒だった。ヱ梨香の追及するまなざしをなんとか誤魔化す。


「でも二人とも、興味はあるみたいだ。本当に協力するかはプレ投票の結果で判断するんじゃないかな」

「そう……。じゃあプレ投票までにできることは、宇都宮さんの説得と、残る"ポーン"の説得ね」

「秋田はインハイが終わるまで保留。なあ、僕も"ポーン"と話そうか」


 入学して三ヶ月。クラスメイトの顔と名前はもう覚えている。ヱ梨香が苦戦しているならばと思ったのだが。


「ううん、大丈夫。さつきくんは役職を優先して。私が言い出したんだもの。頑張らないと」

「そう?」


 彼女はそう言ってベンチから腰を上げる。帰りのスクールバスの時間が迫っていた。路線バス通学の僕と違って、この学園のスクールバスは一本乗り遅れると一時間待つ。

「それじゃあ」と言って背を向けるヱ梨香に僕は声をかける。


「ヱ梨香」

「なあに?」

「何か僕に言ってないこと・・・・・・・ない?」


 僕のその問いかけにヱ梨香は一瞬キョトンとしてからううんと唸る。


「ないと思うけど……?」

「そっか。ならいいんだ」


 僕は笑顔でヱ梨香を見送った。その背中が見えなくなるまで、ヱ梨香の後ろ姿を見ていた。夏の日は長い。僕が思うよりずっと。

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